最新更新日:2016/07/29
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規律正しく生き生きとした生徒  何事にも粘り強い生徒  自分も人も大切にする生徒

一学期終業式

 「おとなになってからあなたを支えてくれるのは、子ども時代の『あなた』」
一学期始業式で皆さんに「当事者意識が高い集団は、一人ひとりが大切にされます。まとまりがあります。互いに高め合います。困ったことが起きてもみんなで解決しようとします。」と話しました。そして「4月当初、先生たちの歓迎会の席で、揃っていたスリッパを見た私が感じた、この穂高東中学校職員集団の質の高さについて、より確かな成果をこの終業式で皆さんに紹介します。」と約束しました。27日一昨日の朝のことです。7時頃に複数の警察官の方が前庭を警備していました。教頭先生が「何かありましたか。」と尋ねると不審者情報が届けられたので、警備にあたっているということでした。教頭先生は、この内容を職員室にいる先生たちに伝えると先生たちは、校舎内はもとより校舎外に出て不審者情報に対応してくれました。最終的には、警察官が不審者と思われる方を発見し、事案は、解決しました。朝早く来るということは、やらなければいけない仕事があったということです。その仕事を捨てて、生徒を危険から守る。その役割は自分にあるという意識です。これは一例ですが、この「自分は穂高東中学校の職員であるという当事者意識」をすべての先生方が持っていてくれていることが、私はうれしいし、東中学校が充実した一学期になった要因であると確信しています。
集団の質を高めるうえで当事者意識が大切であるという話をしましたが、次に自分自身を成長させるための当事者意識について話します。先日、皆さんに教科ごとの授業評価をお願いしました。その結果を受けて先生たちは皆さんの学力向上のために授業改善を行います。しかし、学習の主体者は、先生たちではありません。皆さんです。皆さんは、「クマのプーさん」「ピーターラビット」知っていますか。テディーベアやディズニー映画でもおなじみですが、原作の訳をされた石井桃子さんは、こんな話をされています。「子どもたちよ。子ども時代をしっかりと楽しんでください。おとなになってからあなたを支えてくれるのは、子ども時代の「あなた」です。」繰り返します。「子どもたちよ。子ども時代をしっかりと楽しんでください。おとなになってからあなたを支えてくれるのは、子ども時代の「あなた」です。」あなたたち皆さんの今の生活が大人になった時の自分を作ることになるということです。モロコシを自分でゆで上げ、塩を振り、熱い熱いと言いながら食べる。吹き出す汗の中を仲間と声をからしながら部活動に熱中する。夏を制する者は受験を制するという言葉を信じ、問題を解きまくる。中学校1年生、2年生、3年生それぞれの「今」に心を込めて尽くすことが、明日の自分を作ることになるという自覚をもってください。明日の自分を作るのは今の自分の生活ぶりであるという自分の人生の当事者意識を持ってください。30日間の夏休みが始まります。どんな自分づくりができるのか試してみましょう。

校長講話(人権旬間に寄せて)

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               神を恐れて、人を恐れず
(生徒入場曲 ドヴォルザーク作曲「新世界より」第1楽章)
 作曲家ドヴォルザークにとっての新世界とは、アメリカ大陸のことです。作曲された1893年当時、アメリカ大陸は、ヨーロッパの人にとっては、開拓ムードいっぱいの希望と夢にあふれた大陸まさに新世界だったのです。ちょうどその頃、ドヴォルザークと同じようにアメリカを目指した日本人がいました。
 この写真は、アメリカでの生活が10年ほど過ぎた時のものです。今日の話の主人公ゴードン平林さんは写真中央の赤ちゃんです。父親は平林俊吾さんといいます。ここ安曇野穂高からアメリカへ渡った人の一人です。当時アメリカへのパスポートを取るためには、高等教育の修了証が必要でした。平林さんらは、研成義塾という学校に学び、終了証を得ました。その学校の塾長の名前を井口喜源治といいます。その学校は、今のヤマダ電機の道を挟んだ反対側にありました。跡地には、記念碑が建てられていますが、井口喜源治の功績を残したいという思いからその後、記念館が建てられました。
 この研成義塾は、明治時代の後半に開校しました。当時日本は、日清戦争という中国との戦いに勝利し、軍国主義への道を進み始めた頃です。研成義塾の教育のモットーは「よき人になる」そして精神、心の「自由と独立」を目指した教育が行われていました。それでは、話を本題であるゴードン平林さんに戻したいと思います。彼は、4年前、2012年5月29日、オバマ大統領から「アメリカ合衆国の国益や安全、また世界平和の推進に大きく寄与された」ということでアメリカ国民に与えられる賞としては最高位の「大統領自由勲章」が授与されました。残念ながら彼は、その年の1月2日に亡くなられています。彼の父、平林俊吾さんは、研成義塾で学んだ後、アメリカのシアトルに渡りました。シアトルは、アメリカ西海岸の都市です。今でも多くの日本人が暮らしています。イチロー選手は、シアトルマリナーズで12年間プレーをしました。今や日本で親しまれているスターバックスコーヒーもシアトルが発祥地です。日本にとってシアトルは、現在も身近なアメリカの都市のひとつです。
 そんな平林さんたちの平和な生活を大きく変える出来事が起こりました。1941年12月8日午前8時、ハワイオアフ島上空は、日本軍の飛行機で覆われました。真珠湾攻撃です。第二次世界大戦、太平洋戦争の始まりです。ルーズベルト大統領は「後世に残る屈辱の日」とアメリカ市民に訴えました。そして「日系人は敵国人種であり、アメリカで生まれ国籍を持っているとしても人種的血のつながりは薄まっていない」と強制収容所に収監されました。その数約12万人です。その中にゴードン平林さんはいませんでした。
 彼は、収容所に行くという日系人に対する指令に違反したために有罪とされ、刑務所に留置されていました。なぜ彼は、指令に従わなかったのでしょうか。彼は、「これらの命令に服することは、自分のアメリカ市民としての権利を放棄することになる」と訴えたのです。自分は、アメリカ市民であるから人種の違いを理由に他のアメリカ市民から差別する命令は、憲法違反であると主張しました。そしてさらに、国家の安全に脅威を与えているということで強制収容ならばわからないでもない。しかし、誰も私のことを危険人物と言わない。我々を退去させる根拠は、祖先の違いである。実際、同じ外国人でもドイツ系やイタリア系については、同じ地域に住んでいても強制退去の対象とはなっていませんでした。
 彼の主張は、認められないまま、終戦をむかえました。40年後のことです。彼の判決に対する再審請求(裁判のやり直し)が認められたのです。彼を支援する市民グループが粘り強く取り組んできた成果です。彼は、再審の法廷で「最初に命令に逆らうことを決意した時から、長い法廷の日々になるだろうと覚悟していました。そして、アメリカ市民として、憲法が私を守ってくれることを期待していました。敗訴となった後でも憲法に対する信頼は揺らいでいません。この裁判は、日系アメリカ人だけのものではありません。これはアメリカそのものが裁かれているのです。」ゴードン平林さんの主張です。
 再審請求から5年後の1987年無罪の判決がでました。翌年1988年レーガン大統領は「強制収容は、アメリカの歴史の中で一大汚点」と謝罪しました。そして、2012年オバマ大統領は「ヒラバヤシ氏のように間違ったことに対して立ち上がった市民のおかげで、アメリカはよりよい国になった」と彼の勇気を賞賛し、大統領自由勲章を授与したのです。新聞のコラムを紹介します。「平林さんの両親は、現安曇野市の出身で、共に研成義塾に学んだ。「よき人」となって息子を育て、その心に不当な権力に揺るがぬ太い幹を築かせたのだ。井口の信条が脈々と息づき、こうして認められたことを安曇野人ならずとも誇りとしたい。」
 実は、今日の主人公であるゴードン平林さんは、以前この穂高東中学校に来ているのです。そしてこのステージで話をされました。彼は「井口喜源治は、こう言って私たちを送り出しました。常に神を恐れて、人を恐れず。正義のために堂々と戦い、ゆるみなき勤勉を持って活動せよ、と。その言葉のごとく、私たちは神を恐れ、人を恐れず、多くの試練に耐えてきました。神が私たちを愛して下さったからです。」井口喜源治はクリスチャンでした。彼の言う神は、イエスキリストです。私たちが考えるとき、この神は、天の神様でもいいでしょうし、神社仏閣等、自分が信じるものに当てはめてみましょう。
 今日は、人権旬間のスタートのあたり、この穂高にゆかりのゴードン平林さんの生き方を通して、正義を信じてたくましく生きるについて考えてみました。
(生徒退場曲 ドヴォルザーク作曲「新世界より」第4楽章)

HELLO

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今年も登場!中庭アート
庁務員 望月先生のHELLO KITTYです。白文字は、サツキの白花です。

第1回PTA総会あいさつ

           「部分を見れば 全体が見える」
 私は、飯田で生まれ、育ちました。そして25年ほど前にここ穂高が気に入って居を構えました。飯田下伊那もいいところですが、この穂高に住所を持ったことを幸せに思っています。県外の友達にもうらやましがられています。ただアルプスおろしの風が強いことが唯一の困りものです。以前、鯉のぼりのしっぽがテレビアンテナに巻き付き、家人から救援の連絡が入ったことがありました。特に季節の変わり目のこの時期の風は要注意です。3人の子どもは、この穂高中、穂高東中学校で学びました。その学校で勤務できることをありがたく思っています。
 先日修学旅行がありました。宿で使用したスリッパが各部屋きれいに揃っていました。充実した3日間であったということが想像できます。部分を見れば全体が見えるからです。今、長野市信濃美術館で「スタジオジブリ展」が開かれています。そのパンフレットに書かれている文字がこの「部分を見れば全体が見える」です。宮崎駿さんや高畑勲さんが大事にされてきたことです。
 19日にPTA代議員会が視聴覚室で開かれました。代議員会が終わった後、役員の皆さんは、ご自分のパイプいすを片付けられて帰られました。学校職員やPTA本部の方が声をかけたわけではありません。穂高東中学校の保護者の皆さんの質の高さを見ることができました。このような保護者だからこそ、スリッパを揃える子どもたちが育っているのだと確信しました。
 一学期始業式に子どもたちに「当事者意識」について伝えました。自分以外の人にどれだけ当事者意識を持って生活できるかということです。パイプいすを片付ける姿に「私は、お客さんではない」という保護者の皆さんのPTA活動に対する、学校づくりに対する当事者意識の高さを感じました。長野県や安曇野市も当事者意識を持って穂高東中学校を支援してくれているということをお伝えします。県の施策30人規模学級関係等で6名。安曇野市から4名。計10名の加配職員をいただいています。生徒の育ちのために全職員で今年一年間、力を尽くします。
 最後にひと言つけ加えさせていただきます。保護者の皆さんも私たち教職員も子育ての専門家です。でも今、目の前にいる子どもたちとかかわるという点では、皆初体験者です。今までの経験や知識を総動員して子どもたちの成長を支援していきますが、困難な状況との出会いも当然あります。そんな時こそ、子どもたちの成長のためにという同じ視点で子どもたちの環境づくりをしていければと思います。共にがんばりましょう。

一学期始業式

             「当事者意識」
 後ほど皆さんに紹介しますが、今年、私を含め12名の先生方が穂高東中学校へ赴任して参りました。4月1日です。私たちの歓迎会を開いてくれました。私は、会の途中、トイレに行きたくなって部屋のドアを開けました。その時、私が目にしたものは、きれいに揃えられたスリッパでした。先生方一人ひとりが入退室する時に気を配っていたのかもしれません。乱れたスリッパを直してくれた先生方がいたのかもしれません。どちらでもいいんです。私は、その時、こんな気配りができたり、自分たちの会というか場所を大切に考えてくれていたりする先生方と一緒に仕事ができることをうれしく思いました。
 一学期の始業式に当たって皆さんに伝えたいことは「当事者意識」です。自分の立ち位置の自覚と実践です。自分がどこに居て、そこで何をしているかということです。
「あなたは、家族の一員ですか。」みんな、「はい、そうです。」と答えるでしょう。では、家族は、あなた意外に誰が居ますか。お父さん、お母さん、兄弟、それぞれ思い浮かぶ家族は違います。でも、思い浮かぶ家族一人ひとりがあなたと同じ家族の一員です。当事者意識とは、そういうことです。自分だけのことではない。自分以外の人のこと、家族や仲間、級友、部員、生徒会、自分が関わっている人をどれだけ自分と同じ当事者として考えられるかです。当事者意識が高い集団は、一人ひとりが大切にされます。まとまりがあります。互いに高め合います。困ったことが起きてもみんなで解決しようとします。
 スリッパが揃っているこの穂高東中職員集団は、当事者意識の高い集団だと私は思います。一学期を振り返ったときに、より確かな成果を具体的に皆さんに紹介することができるように私もがんばります。「当事者意識」是非、意識してみてください。共にがんばりましょう。
 今日は一日、何回も私の話を聞いてくれてありがとうございました。

学校紹介

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学校目標
 規律正しく生き生きとした生徒
 何事にも粘り強い生徒
 自分も人も大切にする生徒

平成13(2001)年
 碌山美術館に隣接した旧穂高中学校の校舎を受け継ぎ
 穂高西中と共に 穂高町立穂高東中学校として開校
平成17(2005)年
 町村合併により 穂高町立から安曇野市立に
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学校行事
8/29 二学期始業式
8/30 3年第1回総合テスト
安曇野市立穂高東中学校
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