南魚沼市立大和中学校

2024/04/26 17:04 更新

学区

三用小学校の区域
山崎新田、山崎、谷地、高田、門前、芋赤、湯谷、雷土、雷士新田、前原町
赤石小学校の区域
大倉、船ケ沢新田、黒土、黒土新田、荒山、堂島新田、桐沢、荒金、茗荷沢、茗荷沢新田、八色原
浦佐小学校の区域
本町、新町、西浦、浦佐門前、浦佐上町、田町、富町、川原町、天王町、浅地町、町屋、岩山、境川、鰕島、浦佐八色、国際町
大崎小学校の区域
上一、上二、平沢、原小路、寺中、横、下一、下二、水尾、柳古新田、今町新田、海士ケ島新田、穴地、穴地新田
後山小学校の区域
後山、辻又
薮神小学校の区域
一村尾、市野江、北、芹田、九日町、猫道、今町、名木沢、城山新田

地域の概要

地域の概要

1 市の沿革

昭和31年4月1日,薮神村、浦佐村、大崎村、東村の4か村を合併して、旧大和村が発足した。ついで、昭和37年4月1日、町制施行により大和町となり、平成16年11月1日に六日町と合併し南魚沼市が誕生した。平成17年10月1日には、塩沢町も合併した。中学校については、昭和43年4月1日、町内4地区の中学校を全て統合して、大和町立大和中学校が創立された。統合後3年間は、分離校舎のままであったが、昭和46年4月1日、校舎完成とともに、実質統合となった。

2 自然環境

南魚沼市の北端にあって、南は旧六日町、北は旧小出町、東は旧湯之谷村、西は十日町市と隣接している。魚沼三山を背景に裾野に広がる八色原扇状地、この平野を縦貫する水無川、三用川は流 域をうるおして魚野川と合流している。左岸に藪神・浦佐地区を、右岸に大崎・東地域を擁し、魚沼連峰県立自然公園となって、群馬県に接している。学区の面積は130.88km2周辺が74.4kmの広さを有し、中央部を関東地方と結ぶ上越線が、また、西側には国道17号線、東側には関越自動車と国道291号線が南北に縦貫している。特に上越新幹線浦佐駅の開業と、関越自動車道の開通により、首都圏への編入となり、産業、文化のあらゆる面で影響を受け、山と川と緑の町も大きく変容し、現在に至っている。

3 地域の現状と将来の展望

地域のほとんどが、八色原を中心とした農村で、豪雪地帯である。雪は産業・経済をはじめ生活のすべてに大きな影響を与え、かつては出稼ぎ者の多い地域であった。昭和41年、魚野川東部開拓事業による画期的な開田により、1,034haの稲作が新たに可能となり、経営規模の拡大にともなって農業基盤が確立した。上越新幹線停車駅の開業、関越自動車道の開通後は、高速交通時代となり、産業構造、生活様式が大きく変化してきた。

4 「大和」の名の由来

「大和町」と「六日町」の合併により2004年11月1日に南魚沼市が誕生しました。
その後、2005年10月1日に「塩沢町」も編入し現在の南魚沼市となりました。

合併前には大和中学校区の7校すべてに「大和町立」がついていましたが、南魚沼市への合併によって学校名で「大和」の名を残す学校は大和中学校だけとなりました。
 「大和」の名の由来について、ここに掲載します。

 南魚沼市所蔵の文献によると下記のような内容が記されています。
 大和町になる前の大和村は東村、浦佐村、大崎村、薮神村の4村が合併してできました。
 村名決定について、大和村の命名は、魚沼村10票、大和村7票、和野村5票の決選投票で大和村16票、魚沼村12票となり大和村となったとのことです。
 合併協議会では東村から提案された同案を最終的に採択し「大和村」が誕生することになりました。

 東村提案の命名案では、4つの村に最もつながりの深いのは八海山であり、八海山の戸口にある村、すなわち山の戸口にある村=山戸村という名前をもとに、この「山戸」では味わいが薄いとのことで、「大和村」『大きな和をもって運営する村』ということで提案されたとのことです。

 命名者は駒形南子という方で、20年間にわたり赤石小学校の教員として教壇に立つ一方で郷土誌や漢詩集なども編集刊行された方とのことです。