登校の様子7月10日(月)日差しの眩しい暑くなることを予想させる週始めの朝、宮和田小学校ですさて、今週は今日10日昼休みから5時間目にかけて避難訓練(不審者対応)があります。明日11日からは午前中5時間授業となり、午後から個人面談があります。12日には2年生がザリガニ釣りに出かけます。個人面談は、仲間たちの学校や家庭での様子を保護者の共有し、今後の仲間たちへの関わりやよりよい成長につなげていければと存じます。お忙しい中とは存じますが、よろしくお願いいたします。 さあ、今週も暑くなることが予想されますが、いつも通りしっかり精進して参ります! 【4年生より】願い事叶うかな?「叶いますように…!」とお願いする様子が見られました。 今日の給食各学級の七夕飾り今日はもう一つ、「小暑」です「小暑(しょうしょ)」は、「二十四節気」の一つで、第11番目にあたるそうです。現在広まっている定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日頃なのだそうです。「小暑」の日付は、近年では7月7日または7月6日であり、年によって異なるそうです。2023年(令和5年)は7月7日(金)とのことです。「小暑」の一つ前の節気は「夏至」(6月21日頃)、一つ後の節気は「大暑」(7月23日頃)となります。「小暑」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「大暑」前日までであるそうです。「梅雨明け」が近付き、夏らしい暑さが始まる頃なので「小暑」とされるとのこと。江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』には「大暑来れる前なればなり」と記されているそうです。蝉(セミ)が鳴き始める頃でもあるとのことです。また、梅雨の終わり頃で、集中豪雨が発生しやすい時期でもあるそうです。 今日は、まさに上記の通りの一日になりそうですね。 今日は「七夕」です「七夕(たなばた)」は、織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が天の川(あまのがわ)を渡って年に一度だけ会うことができるという中国の伝説に由来する日であるそうです。この伝説が奈良時代に日本に伝わり、日本に元々あった七夕信仰と結びついて年中行事としての「七夕」へと発展したのだそうです。織姫星(織女星:しょくじょせい)はこと座の1等星ベガ、彦星(牽牛星:けんぎゅうせい)はわし座の1等星アルタイルです。なお、この二つの星に、はくちょう座の1等星デネブを加えた三つの星を結ぶと大きな三角形となり、「夏の大三角」と呼ばれています。七夕の起源は、日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠きっこうでんや佛教の盂蘭盆会うらぼんえ(お盆)などが習合したものと考えられているとのことです。古くは「七夕」を「棚機」や「棚幡」とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(しょうりょう:祖先の霊)が宿る依代(よりしろ)であるとのこと。短冊(たんざく)などを笹に飾る風習は、江戸時代から始まったもので、日本以外では見られないのだそうです。 もともとは中国の昔話だったのですね。そこに日本の文化が融合して、現在の「七夕」の考えになっているのですね。 授業の様子4授業の様子3授業の様子2授業の様子1今日は七夕朝の様子 3朝の様子 2朝の様子 1職員玄関登校の様子6年生の守り神7月7日(金)日差しの眩しい七夕の朝、宮和田小学校ですさて、今日は夏休み前最後の水泳学習があります。3年生・5年生・4年生の順です。しっかり学んできてほしいと思います。さあ、週末の今日、いつも通りしっかり精進していきましょう! ※昨日の授業参観、学校評議員会、関係された方々には、お忙しい中チーム宮和田に足を運んでいただき、仲間たちの精進している様子をご覧いただきました。感謝申し上げます。ありがとうございました。夏休みまであと2週間ほどとなりました。しっかり〆て夏休みを迎えます。今後ともチーム宮和田へのご理解とご協力、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 今日は「ピアノの日」です1823年(文政6年)のこの日、オランダ商館医となるドイツの医師シーボルト(Siebold、1796〜1866年)が日本に初めてピアノを持ち込んだとされているそうです。 この「日本で一番古いピアノ」は山口県萩市の「熊谷美術館」に保存・展示されているとのことです。製造されたのは、1806年(文化3年)頃のイギリス・ロンドンで、四角いテーブルのような形をしたスクエア型の小型のピアノだそうです。足を外して持ち運ぶこともできるとのこと。熊谷美術館は、萩藩の御用商人・熊谷家の蔵を改造したもので、熊谷家代々の当主が収集した美術品が展示されているとのこと。そのピアノは1828年(文政11年)の「シーボルト事件」でシーボルトが帰国する際に、熊谷家に寄贈したものだそうです。シーボルトのピアノが製造されたのは、1820年(文政3年)頃との情報もあるようです。また、そのピアノは長崎で親交のあった4代の熊谷五右衛門義比(くまや ごえもんよしかず)に贈られたものであるそうで、ピアノ内部には「わが友クマヤへお別れのために」という書き付けも残されているとのことです。 実は私(校長)も小学校二年生のころ、3か月だけピアノを習っていました…。とはいうものの、まったくひけません…。日本のピアノの歴史を学ぶことができました。 |
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