ひとり言

 おはようございます。実家から朝一で戻ってきました。
 高井小の児童のみなさん。元気に生活していますか?明日から7月。夏休みまでに、学校に来る日はあと14日になりました。
 4月からの生活や学習を振り返る大切な時期です。日々の学校生活を大切にしていきましょう。

 今日はなんで学校へ?先週の金曜日に行った5年生への道徳の授業。その子供たちのノートを見たくて来ました。

 先日の道徳の授業では、『命』についての授業をしました。それを受けて、今回は『自分の身は自分で守る』という内容で授業を行いました。その授業の始めに、こんな話を子供たちにしました。

 皆さんが生まれた1年前。東日本大震災がありました。
 死者・行方不明者22000人以上、津波によって、家族や、家や働く場所をなくした人が大勢いました。
 この震災では、多くの小学生の命も失われました。岩手・宮城・福島県だけでも、351人の小学生・中学生が亡くなったり、今だに行方不明だったりしています。特に、宮城県石巻市の大川小学校では、全校児童108人の7割74人、先生方も11人のうち10人、84人の命が津波で死亡・行方不明になりました。

 12年前の3月11日は、東北地方では雪が降り、大変寒い日だったそうです。そのような寒い日に地震が襲ったのです。大川小学校では、校庭に避難し、その後近くの避難場所に移動するとき、大きな津波に襲われました。

 帰ってくるはずの我が子が帰ってこない。次の日から大川小学校に子供を通わせていたおうちの人は、帰ってこない我が子を探して、学校のまわりを狂うばかりに探したと言われています。土に埋まった泥だらけになった我が子の遺体と対面できた人、何日も何か月も探しても我が子と対面できない人もいました。

 3人の子供を一度に失ったお父さんは、10年以上たった今でも、毎日亡くなった子供たちの写真に話しかけているそうです。子供たちと一緒に津波で亡くなった4年生の担任の当時、27歳の男の先生は、学級の女の子を抱いた格好で遺体が発見されました。この担任のお父さん、お母さんは
『息子が子供たちの命を守ってあげられなくてすみません。』と、亡くなった子供の家を一軒一軒回り、頭を下げ続けたといいます。

 このように、東日本大震災では悲しい出来事がたくさんありました。

 さて、この震災では、みなさんと年がそう変わらない被災した子供たちが、避難所で率先して掃除をしたり、食事の準備を手伝ったり、お年寄りを励ましたりする姿がたくさんあったそうです。また、みんなが食べるものがなくても、食事を配られる時は順番を守り、並んで待っていたり、食べ物を分け合ったりする、そんな日本人の助け合う姿に、世界中から驚きの声が上がったことも忘れられません。また、世界中からもたくさんの支援が寄せられました。この震災を通じて、人が人を思う姿、思いやりの心があちらこちらに見られました。

 最後にみなさんに話したいことは、12年前、東日本大震災が起きたとき、東京でも携帯もメールも使えなくなり、電車がすべてストップしてしまいました。学校へのお迎えをお願いしても、電車がストップしていたため、数時間も歩いて学校にお迎えにいらした保護者の方もいました。

 地震や災害はいつ起こるか分かりません。そのために、学校でも様々な訓練を行っていきます。これからも、万が一に備えて、しっかり心の準備と訓練を行っていきましょう。

※以上のような話を授業の始めにしました。目に涙をいっぱい溜めて聞いている子も。
 今から、子供たちのノートを楽しみに見ますね。
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