最新更新日:2017/03/31
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校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」9

         〜 卒業式をみんなで創りあげよう 〜

 あと2週間で卒業式がやってきます。いよいよという感じですね。卒業式が近づくと,私は忘れられない,ある卒業式を決まって思い出します。
 それは,私が6年生を担任していた時の卒業式です。その学校は6年4組まである,大きな小学校でした。私は6年3組の担任でした。卒業式が近づいてくる3月になると,体育館で1組から4組までの130人の6年生が全員そろって卒業式の練習をします。私の学級のとなりの6年4組にA君という男の子がいました。A君は,学校にいる時に人と話すことがたいへん苦手で,A君の声を聞いたことがある人はほとんどいませんでした。家庭では普通に話したり,はしゃいだり,歌ったりできるのですが,学校に来るとダメなのです。ある日,卒業証書をもらうために名前を呼ばれた際の「ハイ」という返事を練習しました。129人は返事ができるのですがA君は,何度練習しても返事の声が出ませんでした。
 6年生が130人もいると,大枝小のように卒業式の中で全員が何かを話すなんてことができません。ですから,私たち担任の4人の先生は,一人一人の心のこもった「ハイ」という返事をお父さんやお母さん,在校生に聞いてほしかったのです。
4組の若い男の先生もそのことを何度もA君に話して励ましましたが,練習の時も普段の学校生活でもA君の声を一度も聞くことはできませんでした。
 卒業式の日がやってきました。「A君の返事が聞こえないのは,仕方ないな。」とみんな考えていました。卒業式が始まり,卒業証書授与になりました。3組まで授与が終わり,そこまでのみんなは,立派な「ハイ」という返事ができました。いよいよ最後の4組の番です。A君は出席番号1番。32名いる4組の大事なトップバッターです。4組の若い男の先生が名前を呼びました。次の瞬間,A君は,目をつぶってとても大きな澄んだ声で「ハイ」と返事をしたのです。みんなが初めてA君の声を聞いた瞬間でした。4組の若い男の先生は,うれしくてうれしくて泣き始めてしまいました。しばらくは2番からの子ども達の名前を呼べない位でした。
 A君のことを知らない人は,何が起きたのか分からなかったようですが,私たち6年生の担任の先生と130名の6年生は感動の気持ちに包まれていました。卒業式では,何が感動的な出来事になるか分かりません。1年生から5年生と,そして6年生。みんなで力を合わせて最高の大枝小学校卒業式を創りあげていきましょう。   (2014.3.7)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」8

           〜 生命と季節 〜  
 2月3日の夜、節分の豆まきはどうでしたか。元気にできたかな。翌日の2月4日、立春が過ぎたので暦(こよみ)の上では春がやってくる頃になりました。ずっと南の沖縄県では「寒緋(かんひ)桜」という春早くに咲く桜が、もう咲いているそうです。でも、福島県はまだまだ寒く、ここは冬本番という感じですね。この寒さの中でも、このホールから見える樫の木は、葉っぱを落とさずに頑張っています。普通はこのように平たい葉っぱの木は、寒くなってくると赤や黄色に紅葉して葉を落とします。松や杉など、針のように尖(とが)った葉っぱの木は、寒くなっても紅葉したり葉を落としたりしないことが多いです。桜の木や梅の木のように全ての葉を落として枝だけになっているような木は死んでしまったのでしょうか。死んでしまったのではないことは、みんなも分かっていますよね。では、なぜ桜の木や梅の木は葉を落とすのでしょうか。落ち葉について『葉っぱのフレディ』というお話があります。

   春のある日、ある木に新しい葉っぱが誕生しました。フレディとその仲
  間たち、ダニエル、クレア、ベンジャミンたちです。春には、生まれた喜
  びをからだいっぱいに感じました。
   夏になりました。葉っぱたちは立派なからだに成長しました。ダニエル
  たちはフレディに葉っぱには大切な仕事があると教えました。それは木を
  育てるだけでなく、人間に対して、涼しい木陰をつくってあげたり、雨降
  りの時、雨宿りの場所に使ってもらうことでした。
   秋になり葉っぱたちは美しく紅葉しました。しかし、まもなく冷たい風
  が吹き始め、葉っぱたちは散ること、つまりは死ぬことを覚悟しなければ
  ならなくなりました。フレディはダニエルに訊ねました。「春に生まれて
  冬に死ぬのだったら、ぼくはどうして生まれてきたんだろう」と。
   冬がさらに近づきました。ダニエルたちは「死ぬことは命が入れ替わる
  ことだよ。命は永遠に生き続けるんだ。」と言って次々に散って死んでいき
  ました。そして、冬のある朝、枝にたった一人残ったフレディはつぶやき
  ました。
  「ぼくは死ぬけど、春になると命が引き継がれて、この枝から新しい命が
   生まれるんだな。」
  やがて、雪が降った地面の上にフレディは独りで散ってゆきました。

 木は冬の間、役目の終えた葉を散らして、次の新しい命である花や葉を生み出す準備をし続けているのですね。実は、この樫の木の葉も春から夏にかけて新しい葉と入れ替わっているんです。紅葉しないので気づかないんですね。樫の木の根元に葉が落ちているでしょう。私たちも同じかも知れません。春からの中学校や新しい学年に進んだ時に精一杯頑張れる力を寒い今の時期につけておかなければならないんです。寒さを自然からの励ましだと思って、授業に集中して学習したり、家庭学習をたくさんやったり、本をたくさん読んだりして、学校でも家庭でも粘り強く学んでいきましょう。体力づくりでは縄跳びを頑張っていますね。葉っぱのフレディのように自然の中には、私たち人間が生き方のお手本にできるものがたくさんあるのです。 (2014.2.7)

校長室だより…朝の会のお話 「かしこく やさしく たくましく」 7

  〜 失敗に学ぶ知恵 〜   

 皆さんは『イソップ童話』を知っていますか。ヨーロッパに古くから伝わるお話を集めたもので,「アリとキリギリス」とか「ウサギとカメ」とか「オオカミと少年」など,たくさんのお話がその中に入っています。その中の一つに「北風と太陽」というお話があります。

  “ 冬のある日,広い草原の一本道を一人の旅人が歩いておりました。
   それを見て,北風は太陽に言いました。
   「あの旅人の上着をどちらが先に取り去ることが出来るか競争しよう」
   北風は力いっぱい風を吹きつけました。しかし,旅人は寒さに震え,上着で
   体をギューッとくるみました。そこで,北風はもっと強く吹きつけました。
   しかし,旅人は身を守るように上着をさらにきつく巻きつけました。失敗です。
   今度は,雲の合間から太陽が現れました。そして,旅人をさんさんと照ら
   しました。旅人は体が温かくなって気持ちよくなり汗も出てきて,上着を
   脱ぎました。太陽は,旅人の上着を取り去ることに成功しました。 ”

 北風はなぜ2回も失敗をして,太陽はなぜ成功することが出来たのでしょうか。何となく分かりますね。北風は1回目の失敗を反省することなく同じように繰り返してしまったからです。それに対して太陽は北風の失敗を生かして,北風と違う方法で成功することが出来たのです。太陽はかしこいですね。失敗したことを無駄にしないで次に生かしていくことも「学ぶ」と言います。失敗に学んでいくと,「かしこく」なることが出来るのです。
 みんなが毎日やっている授業も自分の学習も同じです。間違いや失敗をして良いのです。それを無駄にせずに生かして行くことが「学ぶ」ことなのですから……。授業や学習の中で間違うことや失敗することは恥ずかしいことではありません。本当に恥ずかしいのは,間違うことや失敗することではなく,学ばずに同じ間違いや失敗を繰り返してしまうことなのです。間違いや失敗を恐れずにチャレンジしてダメだったら,まず反省することが大事です。そして次に,間違いや失敗を生かして学んでいくのです。「反省できる人のみ,より良い人になれる」と言われるのはそのためです。さらに,授業で間違いや失敗をすると,それは友達が「北風と太陽」の太陽のように失敗に学ぶことへとつながります。自分の間違いや失敗が友達の学びに役立つのです。教室は,そんな素晴らしい場所なのです。授業での間違いや失敗は,みんなの「学ぶ」ためのチャンスです。授業や学習,そして学校生活の中でたくさんの間違いや失敗に学んで,「かしこく」なりましょうね。(2013.12.06)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」6

             すてきな心は健康な身体に宿る   

 皆さんは,今,来週の校内マラソン大会に向けて頑張っていますね。世の中でも「スポーツの秋」と言われて,多くの人が普段よりは体を鍛えることに心がけています。でも,どうして体を鍛えなくてはならないのでしょうね。私たちの教育目標の3番目「たくましく」を目指さなければいけないのでしょうか。
 ある剣道の大会に行った時のことです。その大会は,福島県内の中学校の代表校が集まっている大きな大会でした。あづま総合体育館という,とても大きなアリーナにいろいろな中学校のおそらく500人以上の剣道部員が集まって,所狭しと試合前の打ち合いの練習をしていました。すごい賑(にぎ)やかさです。その時です。放送でアナウンスが流れ始めました。私は,「これは,賑(にぎ)やかすぎて中学生に聞こえるはずがないぞ。」と思いました。しかし「選手の…」というアナウンスが微(かす)かに聞こえた瞬間,あれだけ激しく打ち合っていた中学生達が練習をピタッと止めて,一斉にステージ上の大会本部の方やスピーカーの方を向いて,さっと正座をしたのです。500人以上いるのに,さっきまでの賑(にぎ)やかさが嘘(うそ)のようにシーンとしてじっとアナウンスを聞いています。そして「選手の皆さんはあと10分で練習を止めて整列して下さい。」というアナウンスが終わると,全員がそろえたように正座したまま深々と礼をしました。そしてまた,元の激しい打ち合いに戻っていきました。
 私は驚きました。多くの子どもが体育館などに集まって自由にしていると,「静かにして下さい。」などと言ってからアナウンスしても聞いていない子どもがいる位だからです。さすが,体を鍛え,技を鍛えている剣道部員は,礼儀正しいなあ,すてきな心を持っているなあと思いました。昔から日本には「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉があります。「健康な体になると,心まですてきになる」という意味です。ですから,体を鍛えること,たくましくなることは,すてきな心を持つことにつながるのです。マラソンをしていると,走るのを止めたいなあという弱い心と戦っているような気がするでしょう。心も鍛えていることになるのでしょうね。でも,本当に体の具合が悪くなったら無理のしすぎはダメですよ。すぐに先生方に言って下さい。
 明後日の11月3日(日)には,東大枝農村広場でリレーマラソンがあります。ぜひ,マラソン大会の練習も兼ねて参加して下さい。地域の皆さんと一緒に体を鍛えることは,とても素晴らしいことなのです。たくさん体を動かして体を鍛え,すてきな心を持つ人になってほしいと思っています。(2013.11.1)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」5

        〜 力を合わせると何でも出来る 〜       

 あと10日位で「枝っ子まつり」があります。楽しみですね。どの学級も劇を練習していますが、劇は皆が学習を通して考えたことや思ったことを分かりやすく伝えるために行うものです。そんな劇の練習を見ていると、私は自分が、ある小学校の2年生の担任をしていた時の事を思い出します。
 私が担任していた2年2組は30人の学級でした。1組の30人と合わせて60人で劇を発表することになりました。2年生は小さいけれど、いつもみんな仲良しで、何をするにも全員で力を合わせて学習していたので、「小さくて弱いものでも、力を合わせると負けないぞ」というメッセージを劇で伝えることにしました。それで選んだ、お話が『オタマジャクシ兄弟の冒険』でした。生活科でオタマジャクシを育てたことも理由でした。2年生は60人もいるものですから、主役のオタマジャクシ兄弟は何と10人兄弟です。オタマジャクシは、カエルの子です。カエルは500個位卵を産むそうですから、まあ良いかなというわけです。
 1組と2組が合わさって役を決めました。セリフのたくさんある、主役のオタマジャクシの兄弟も5人が1組、残りの5人が2組で練習を重ねていきました。2年生は60人もいるものですから、普段はあまり話さない子ども同士も劇の練習の中で仲良くなっていったようです。本番が1週間後に迫ったある日、体育館の舞台の上で練習をしていました。1週間後が本番ですから、お客さんの入る、体育館のフロアーに私と2年1組の先生が立ち、60人の子どもたちは、全員、舞台の裏側に入っての舞台稽古という練習です。劇の舞台稽古が始まりました。10匹のオタマジャクシが自分たちに迫るピンチ、トンボの幼虫のヤゴやタガメという恐ろしい水中の昆虫に襲われたり、大水に流されたりすることを力を合わせて乗り越えていき、無事カエルに成長するという物語が進んでいきました。そして、とても上手に舞台稽古を終えることが出来ました。
 その日の舞台稽古が終わってから、2組の担任である私は、とんでもないことに気づきました。主役のオタマジャクシ役のA君が、その日は風邪で学校を休んでいたのです。セリフがたくさんありますから、劇が途中で止まってしまうはずです。でも、とても上手な劇でした。どうしてなのでしょうか。実は、その日いた、9人のオタマジャクシ役の子どもたちが、舞台の裏に入った1分間の間に、休みでいなかったA君のセリフを9人で分担して劇をやり遂げていたのです。子どもたちだけで分担し、しかも上手にセリフを言っていたので、担任の先生である私は気づかなかったのです。
 私は、感動しました。力を合わせる事のすばらしさを伝える劇の練習で、子どもたちは本当に力を合わせる事のすばらしさを実行してくれていたのです。私は「これで本番もだいじょうぶだぞ。メッセージは必ず伝わる。」と感じました。みんなの伝えたいことは「心がつながるって素晴らしい」ですよね。それを大切にして力を合わせて練習すればだいじょうぶです。堂々と劇や発表ができるようにして、「枝っ子まつり」の日を迎えて欲しいと思っています。(2013.10.15)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」4

   あいさつの力       

 今日はあいさつにまつわる話をします。この前、用事があって、ある高等学校に初めて出かけました。午後4時半頃、高等学校の駐車場に車を駐めて玄関へと歩き出しました。高校は放課後になったばかりの時間でしたから、帰るために校門へ向かって歩いている生徒が何人もいました。その生徒一人一人が全員、知らないおじさんであるはずの私の顔を見て、張りのある声で「こんにちは」とあいさつをしてくれるのです。玄関から入って廊下を歩いていると、今度は帰るために昇降口に向かう生徒や部活動に急ぐ生徒がたくさん歩いていました。するとまた、その生徒一人一人が全員、知らないおじさんであるはずの私の顔を見て、張りのある声で「こんにちは」とあいさつをしてくれるのです。私はびっくりしました。どうしてかと言うと、あいさつは高校生より中学生、中学生より小学生の方がしっかりできると、私は勝手に思い込んでいましたから、高校生が、しかも一人残らず全員が、気持ちの良いあいさつをする姿は意外だったからです。また、同時にとてもうれしい気持ちになりました。なぜ、あいさつでうれしい気持ちになったのでしょうか。
「おはよう」というあいさつがありますね。どんな意味だか分かりますか。考えたこともないでしょうね。「おはよう」は「お早く」という言葉を言いやすくした言葉です。実は「お早く起きてご飯を作ってすばらしいですね」とか「お早く学校へ行こうとしてすてきですね」とか「お早く学校に来て準備をして助かります」とかを短く省略した言葉が「おはよう」なんです。
「こんにちは」は「今日(こんにち)は元気ですか」を短く省略した言葉ですし、「さようなら」は「帰らなければならないのですね。左(さ)様(よう)なら(そうであるなら)、別れたくないけれど仕方ない」を短く省略した言葉です。「ありがとう」だって「あなたのしてくれたことは有(あ)り難(がた)い(めったにない)ことです。感謝しています。」の有り難いを言いやすくした言葉なんです。
 たくさんのあいさつのうち、4つのあいさつの元の意味を話しましたが、何か気づきませんか。そうなんです。全部があいさつする相手のことを思いやっている言葉なんです。その他のあいさつも実はそうなんです。だから高校生にあいさつをされた私は、とてもうれしい気持ちになったのです。あいさつは思いやりという心で人と人とをつなぐおまじないのような言葉です。こんなすてきな言葉だったら、相手よりも先にあいさつした方が良いに決まっています。どんどん人と人とをつなぐあいさつをしてください。その時に相手の顔を見て、そして張りのある声であいさつすると、より一層、優しい心が伝わります。私のようにうれしい気持ちになる人を増やしてください。 (2013.9.6)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」3

やさしさは広がっていく素敵な心       

 みんなは、ことわざって知っていますか。昔から言い伝えられてきた言葉で、私たちが生活する上でためになることを、そのことわざが言っているものが多いんです。例えば、『塵も積もれば山となる』ということわざがあります。「小さなほこりのようなものでもたくさん積み重なれば山のように大きなものになる」という意味ですが、これは「小さな行動でも長く続ければ、大きなことを成し遂げられる。続けることは大切です。」ということを私たちに教えてくれますね。
 ところで『情けは人のためならず』ということわざがあります。どんな意味だと思いますか。「情け」とは「人の情けを知って涙が出る。」のように「優しさ」とか「思いやり」のことです。そうすると、「優しくすることは人のためにならない。かえって、厳しくする方がその人が成長することになるのでよい。」という意味になるのでしょうか。
 この前の日曜日にこんなことがありました。私はホームセンターにボールペンの替え芯が欲しくて買い物に出かけました。ボールペンの替え芯を1本、手に取ると
レジに並びました。日曜日なのでレジにはカゴにたくさんの品物を入れた人たちが長い列を作っていました。みんな自分の前の人のカゴの中身のたくさんの品物を見て、いやそうな顔をしています。よほど忙しいのか、みんな少しでも早くレジでの会計を終わらせたいと思っているのですね。
 ずいぶん長い時間が経って、ようやく私の前に並んでいる人が一人のおばさんだけになりました。カゴには洗剤やらスポンジやらたくさんの品物がいっぱいに入っていました。私は、レジでの会計が終わるには、さらに多くの時間がかかるだろうなと覚悟しました。その時です。そのおばさんが、ちらっと私の手の1本だけのボールペンの替え芯を見て、こう言いました。
「お先にどうぞ」
私はびっくりしました。おばさんも長く待ってイライラしていたはずなのに、1つの品物の会計が終われば、すぐに帰れる私のために順番を譲ってくれたのです。私はお礼を言うとレジでの会計を済ませて、うれしいことに考えていたより早く店を出ることができました。
 私は、家に帰る車の中で考えました。「優しい人もいるものだな」と。また同時に思い出しました。実は去年、私は逆のことをしたことがあったのです。全く違うスーパーマーケットのレジで、私の後ろに並んでいたおじさんが、果物を1袋だけ持っていたので、この前の日曜日のおばさんのように順番を譲ったことがあったのです。それを思い出したら、まるで優しさが巡り巡って自分に戻ってきたような気になりました。こんなことを表したことわざが『情けは人のためならず』なんです。
「人に優しくしてあげるということは、その人のためではなくて巡り巡って自分に返ってくるから結局は自分のためになるんだよ。」というのがその意味なんです。人に優しくすると、優しくされた人はその他の人に優しくします。そうして優しさは社会に広がり、みんなが互いに思いやる住みよい社会になっていくのです。「優しさ」って、すごい力を持っている気持ちだと思いませんか。大枝小学校みんなの教育目標の一つ、「やさしく」はそんな素敵な心を持とうということなのです。
(2013.6.21)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」2

本当のたくましさとは、どういうことか     

 運動会が2週間後に近づいてきました。楽しみだなと思う人や運動が苦手な人などはちょっといやだなと思うかも知れませんね。でも、どうして大枝小学校では運動会をするのでしょうね。
 運動会は小学校では明治時代と言って、100年以上前から行われ続けています。私たちの大枝小学校は今年度で141年目になる歴史ある学校ですが、明治24年といいますから120年以上前に初めての運動会が当時の学校である徳本寺で行われたそうです。おそらく、それ以来ずっと行われてきた学校行事なのです。このことは、運動会がどれだけみんなにとって大切なものであるかを示しています。どうして運動会をそんなに長く続けて来たのでしょうか。もう勘のいい人は気づいていますね。そうです、私たち大枝小学校の目標「かしこく、やさしく、たくましく」の中の特に「たくましく」に関係ありそうですね。
 運動会が近づくと、私は学年で1番足の速い、ある5年生の男の子のことを思い出します。その子の学校では児童代表の運動会実行委員が運動会の種目を考えて運動会を行っていました。実行委員会ではこんな種目を考えて準備にかかりました。個人競争のチャンスレースです。スタートしてカードを拾います。そのカードに書いてある色、赤・緑・黄のどれか一つの色のドッジボールを探してゴールするという種目です。ところが、その男の子には生まれつき、目に問題がありました。色の見分けがつきにくいという問題です。カードに書いてある字で探すべきボールの色が分かっても、どのボールがその色なのか分かりにくいのです。その子の目の問題を知っている先生方は迷いました。「実行委員の意見は大切にしたい。でも運動会でその子に悲しい思いはさせたくない。競技を変えるか。それとも、どうかしてその子に手助けをしようか。」と…。
 次の日、その子のお母さんから電話がありました。「先生、息子から聞きました。ボールのチャンスレースは予定通りやって下さい。息子はこれからも色の分かりにくい自分の目と共に生きていかなければなりません。自分で問題を解決するように話しておきますから。」と。
 運動会当日になりました。私は運動会の準備係で5年生チャンスレースのドッジボールの所にいました。その子がスタートしカードを拾い、ちょっと迷いながらボールを選びました。そして、ゴールではなくて係の私の方へまっすぐ走ってきます。
そして私にこう聞くのです。「先生、このボールの色は緑ですよね。」私が「そうだよ。」と答えると、にこっと微笑んでゴールに向かいました。2着でした。私は「たくましいなあ」と思いました。走る姿にではなく、自分で行動する姿にです。
 運動会は、その練習の中や当日の会の中で、体を鍛えたり進んで考えて行動したりするのにぴったりの行事です。自分にいろいろな問題があってもそれを乗り越えていけるような体と心をつくることが「たくましく」なることだと感じますね。
(2013.5.10)

校長室だより…朝の会のお話「かしこく やさしく たくましく」1

  「かしこい」とは、思いやりながら学ぶこと     
 
 月曜日の始業式の時に「かしこく」「やさしく」「たくましく」を意識してめあてを立ててくださいというお話をしました。もうめあてを立てたでしょうか。今日は「本当にかしこいとは、どういうことなのか」ということについてヒントになるお話を紹介します。
 アメリカ合衆国の小説家、オー・ヘンリーという人が書いたお話です。題名は最後に教えるね。ある貧しい夫婦がおりました。ジムという夫とデラという妻です。毎日の食事をしていくのが精一杯で自分たちの楽しみに使うお金などはありませんでした。クリスマスが近づいてきました。アメリカではクリスマスに自分の大切な人に贈り物をすることをとても大事にします。ジムとデラも相手に秘密で、何とかお金を手に入れて相手の喜ぶ贈り物を買おうとします。妻のデラは考えました。夫のジムはたった一つの宝物である、金の懐中時計を大切にしている。それは、おじいさんからお父さん、そしてジムへと受け継がれた宝物だけれど、つるす金の鎖がなかったのです。金の懐中時計に金の鎖をつけることができたら、ジムはどんなに喜ぶだろう。そう考えたデラは、自分のものでたった一つ価値のあるもの、自慢の美しい長い髪の毛を、かつらを作って売るようなお店でバッサリと切って売ってしまったのでした。自慢の長く美しい髪の毛はなくなってしまったけれど、ジムはきっと喜んでくれるだろうと思いました。
 その頃、ジムもデラの喜ぶ贈り物を考えていました。デラのたった一つの自慢は長い長い美しい髪の毛でした。その美しい髪の毛をとかす、櫛(くし)をデラはほしがっていました。長く美しい髪の毛をすてきな櫛でとかし、もっと美しくできたなら、デラはどんなに喜ぶだろう。そう考えたジムは、自分のものでたった一つ価値あるもの、金の懐中時計を売ってしまいました。大切な金の懐中時計はなくなってしまったけれど、デラはきっと喜んでくれるだろうと思いました。
 こうして二人の贈り物はそれぞれ意味のないものになってしまいました。皆さんは、この夫婦を「馬鹿だな」と思いますか。このお話の題名は、実は「賢者(賢い人)の贈り物」とつけられています。愚か者ではなく賢い人だというのです。このお話から教えられるのは、「かしこい」とは人の気持ちを思いやりながらよく考えたり、自分がどうしたいかではなく、どうすることが一番よいのかを考えたりすることだということです。そうすれば結果は関係ないのじゃないかということです。学習する時によく考えて一生懸命やっていくと深く考える力が付き、賢い自分になることができます。一日一日の生活や学習が「かしこく」なるための毎日なのかもしれませんね。(2013.4.12)

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