最新更新日:2024/04/18
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3月11日の卒業式

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                  伊達市 教育長 湯田健一

 中学校の卒業式に出席した。今年は東日本大震災から5年、あの日と同じ3月11日の金曜日、感慨深い卒業式だった。卒業生答辞にあった「 … 大切なものはふだんの生活にある … 」という言葉にしみじみと感じ入った。
 卒業式はもちろん、厳粛で素晴らしい雰囲気の式となっていた。式中の「生徒起立」の号令で体育館の床がゆれる。それほど生徒の一挙手一投足は一斉にそろい、きびきびしたものとなっていた。体育館の床がゆれることに来賓の皆が大変な驚きと感動を持ったものである。私も卒業生はもちろん、在校生のしっかりした態度に心底感動した。
 私は卒業式は学校行事の最重要のものであり、卒業生はその学校の教育の成果、たとえはよくないかもしれないが先生方が心血を注いで仕上げた作品であると考えている。卒業生の立ち居振る舞いに指導の成果が伺え、先生方の日頃の努力に心より敬意と感謝を持つものである。
 学校は教職員が計画的、継続的にそれこそきめ細やかに指導を重ね、完成の時期即ち卒業式に生徒たちは大きく成長した姿を見せてくれる。

 ふと、私たち大人の卒業式とは、何かついて考えてみた。
 一般社会人の卒業式の日とはいつだろうか。退職の時か、はたまたこの世を去る時か。明確には言えないが、あることはまちがいないだろう。一般社会人には指導してくれる先生がいない。だから、自分が先生の役であり、自分で自分を世話する役をしなければならない。
 作物に例えれば、芽を出している自分という作物・植物を立派なものにするためには、水をかけ、草むしりをし、時に肥料を施し害虫駆除や剪定等をすることが必要である。結局、きめ細かな自分への指導がないと、自分という良い作品には仕上がらない。人生の卒業の日はいつか決めかねるが、日々、自分を指導し、世話していくことがきっと立派な人生を創ることにつながるはずである。

温かな言葉とあいさつ

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 病院の待合室に人がいっぱいで座る席がない中、少し足をひきずっておばあさんが入って来たので、私は「どうぞ」と席をゆずりました。隣の人が「まもなく自分は診察ですので … 」と今度は私が席をゆずられました。おばあさんと隣合わせになったので、おばあさんに「一生懸命、働いたんでしょうね。ご苦労様です。」と声をかけました。ほんの少ししておばあさんが肩をふるわせ「やさしい言葉をかけてもらって…」と涙を流したのです。その後、おばあさんの苦労した話を聞きますが、私は会話をしながら見知らぬ人ではあるが声をかけて本当に良かったと思いました。
 1月中旬に伊達市の姉妹都市、北海道松前町の人達が伊達市においでになり、松前ゆかりの地や梁川中学校を視察訪問しました。今回の訪問で見送りの時、梁川中の生徒達のあいさつが最も印象に残りました。良い子ども達に育っていることが素晴らしいとおほめの言葉をいただき、嬉しく思いました。
 2月3日、チベット人の声楽家バイマーヤンジンさんをお招きし、立志式を迎える市内の中学2年生604名を対象に講演会を桃陵中で開きました。ヤンジンさんは家族や村人の支援で学校に通えたこと、大学で民族差別に出会いくじけそうになった時、家族のために頑張ったことなど話してくれました。聞いている中学生も涙を流すほど良いご講演でした。
 バイマーヤンジンさんが講演後、今回の講演は立志式ということで特に緊張していたのですが、講演前に出会った中学生の笑顔のあいさつで緊張がとけたことを話してくれました。確かに、講演の中であいさつした生徒の名を特別にとりあげお礼を言っていました。また、ヤンジンさんは全国で講演した学校は何百とあるがこんなに気持ちの良いあいさつを受けたのは初めてとおほめいただき、その場にいた市長、副市長、校長、私は本当に嬉しくまた誇りに思いました。
 あいさつや温かな言葉かけがどんなに人を温かな気持ちにさせ、励ますことかをあらためて実感し、平成28年を立春を迎え、これからも心を込め、あいさつをしようと決意した今日この頃です。
                   伊達市 教育長 湯田 健一

「伊達市10周年」と節目の成長

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 新しい年を迎えると新しい気持ちになります。自然界に生きとし生けるもの、動物、植物で12月31日と1月1日の違いを認識する種はヒトのみです。これは人間の生活や成長のため、私たち人間が長い間に培ってきた節目と思います。この何げない時の経過を節目として心に留め、新たなスタートとする人が大きく成長するように感じています。このことは、これまで幼稚園児が小学校に入学するのをひとつのきっかけにして大きく成長すること、また小学生が中学校に入学し、これまた大きく成長した姿を数多く見てきています。
 かつて、私は自分で節目、目標を持って努力している先輩達を見てきました。授業の上手な先輩にどうしてそんなに良い授業ができるのか尋ねた時、「私は○月○日の授業参観を自分の研究授業としている。その日を自分の最高の授業にするため日々のクラスづくり、授業づくりをしている。」と聞き、その授業の細案を見せられた時、感動しました。誰に言われることなく自分一人の授業研究会を自分に課して実践している姿に心より敬意を持ちました。その後、私もと思いましたが、私はついぞ出来ませんでした。しかし、その先生との出会いは、自分が変化する節目であったと思います。
 さて、伊達市は平成28年に合併10周年を迎えました。私たちの人生と同じように、今までの10年を振り返り、次の段階に向け、新しい気持ちでスタートしていきたいものです。
 私の教育長在職も複数年となり、本市教育の充実に寄与しているか振り返ると忸怩たる思いがあります。伊達市合併10周年の節目の時を迎え、伊達市教育委員会にかかわる保育園、幼稚園、認定こども園、小学校、中学校の先生方そして教育委員会事務局職員と共に、伊達市の教育の新たな充実発展のために全力であたる所存です。

                   伊達市 教育長 湯田健一

「感謝の秋」〜学習発表会・研究大会等〜

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       (下段の写真:保原小での図書館教育県大会の模様)

                  伊達市 教育長 湯田 健一

 錦秋の候、学校では学習発表会や先生方の研修会、地域では神社祭礼と併せての収穫祭、文化、スポーツ等々、各種イベントが続いています。今年は例年になく行事が重なる印象を受けます。これは福島県議会選挙に配慮したものという声を聞き、納得しています。
過日、2つの小規模校の学習発表会を参観し、児童数の少なさを補ってあまりあるエネルギーを感じ、深い感銘を受けました。2つの小学校とも全体合唱が大変に力強く、美しいハーモニーでたちまち会場を楽しく心地良い雰囲気にしました。上学年の劇は児童達の素晴らしい表現力、パフォーマンスで地域への感謝、地域を盛り上げていくのは自分達だという郷土愛にあふれたものでした。観ていて胸が熱くなりました。会場全体も感動につつまれました。
子どもたちの姿は、教職員の指導の成果です。このように子ども達が成長していること、校長はじめ教職員に深く感謝するところです。また子ども達を支える家庭、地域にも感謝しております。
私は社会人として活躍する人は、家族を大切にする気持ちひいては地域を大切にする気持ち、家族愛と郷土愛を特に強く持っているように思います。今年、ノーベル賞を受賞した大村智先生は、亡き奥様の写真を常に持ち、故郷に美術館や温泉を造り、贈っています。日本国民皆が受賞と併せ、さらに深く感動しました。
先日、福島県学校図書館研究大会伊達大会があり、県内各地から大勢の教員がおいでになりました。その折、知人の教員から「子ども達が大きく伸びやかに成長していますね、素晴らしいです。」とおほめの言葉をいただき、嬉しくまた心強く思いました。これまた教職員のご指導の賜物であり、震災からの確かな回復、復興です。
私にとって感謝の秋です。

学校からの地域自慢の発信に感謝

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 スポーツの秋、文化の秋、実りの秋……、土曜日、日曜日等には地域行事が多数行われています。これらの行事に来賓や係員としてかかわる校長先生、教頭先生の姿をいつも拝見しています。自分の予定もある中での参加に心より感謝しております。私だけでなく、地域の人達も大変に感謝しています。
「三浦弥平杯ロードレース大会」や「ももの里マラソン大会」は当該町内の校長、教頭先生さらに児童生徒の協力でいっそう盛り上がったものになっています。中には選手として実際に走った校長、教頭先生もおられ、その体力、気力のすごさに心より敬服しております。
 秋は祭礼、お祭りの季節です。しかし、地域の人達は、祭りも近年は寂しいものになっていると話しています。私は、校長時代に「学校の美化を守り良い学校とするのは、在籍の児童生徒、教職員である」と話してきました。保護者、地域の協力は二次的なものです。そう考えると、地域が寂しくなっているのは社会的影響が大きいと思いながらも、地域に住む人たちの地域に対する自信が薄れ、地域を大切にしようとする行動が弱くなったからではないかと感じてしまうのです。
教育委員会としても地域に自信を持っていただくお手伝いをしたいと思います。そういう意味で各幼稚園、各小中学校で輩出の先輩自慢や学区自慢を積極的に行っていただけること、ありがたく思います。また、梁川町内の学校で「梁川小唄」な昔謡を取り上げていただいたり、地元太鼓を取り上げていただいたりしていることは大変心強く思っています。
今後とも地域との絆を大切にした、地域に根ざした創意ある教育活動の展開をよろしくお願いします。
                  伊達市 教育長 湯田健一

「毎週水曜日 … 」のねらい

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 教育で大切なことは「知・徳・体」に集約され、各学校は児童生徒の実態に応じ年度の努力事項や重点事項を定めています。本市は、「徳」を大切にした教育に努めております。お陰様で子どもたちは、校長はじめ教職員の指導によりあいさつや返事、きびきびした動作がとれるようになってなり、そのような子どもたちの姿に地域の人達も喜んでいます。
 そういう折り、今年も8月下旬に全国学力学習状況調査の結果が届きました。本市の結果はあまり芳しいものではありませんでした。約30年前、私は10数年にわたり伊達地区の中学校の理科の教員としていくつかの学校に勤務いたしました。当時の伊達地区の学力テストの結果は、福島県の平均をかなり超えていたように覚えています。また、そのことは当然という雰囲気が地区内にありました。
 子どもたちの姿は、地域の姿でもあります。PTAや地域の方々と協力し「毎週水曜日はノーゲームデー、読書デー」とし、子どもたちとともに家庭生活の改善に努めていかねばなりません。本市の子どもたちをより望ましい姿にしていくよう各学校はじめ家庭、地域の方々の協力を切に願うものです。
                  伊達市 教育長 湯田健一

姉妹都市の温かさ

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写真左:北海道最南端の岬である白神岬(しらかみみさき)にて
写真右:松前町教育委員会を訪問し、松前町教育長と懇談

7月下旬に、北海道松前町を訪問し伊達市と松前町との中学生の交流について協議してきました。幕末に松前藩が、一時、伊達市梁川町に移封されたことが縁で伊達市合併前の当時の梁川町当局や梁川町商工会と各種団体との交流が始まり、現在、伊達市と松前町とは姉妹都市です。
 懇親会の席も設けていただき、楽しい時間を過ごしました。その席で「松前の殿様がお世話になった地ですから…。」という言葉を聞いた時、私は大きな感動を覚えました。はるか昔のことを縁に伊達市に親しみを持っていただいていること、松前の人達の温かさに心より感動し、ありがたいことと思いました。
平成23年3月の東日本大震災以来、伊達市の児童生徒は今年の夏も、長野県南牧村や阿智村、千葉市少年自然の家、岐阜県飛騨高山市等々でのサマーキャンプ、新潟県見附市、東京都や千葉県、神奈川県、愛知県での移動教室やキャンプ等々、全国の多くの方々にお世話になっています。
私達は伊達市の子どもたちがお世話になっていることに感謝の心を持ち、その支援、応援に応えねばなりません。もちろん当該の子どもたちは将来必ずや全国や世界の困っている人々を支援する伊達人になると信じております。
                   伊達市 教育長 湯田健一

失敗に温かな言葉かけを

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 自分の仕事をふりかえるとき、本当に数多くの失敗をしてきたと思う。
若い時、現職教育の担当をした。テーマも忘れてしまったが、学校指定の研究の説明をしていて、学校の方針と違うことを話してしまった。すぐに研究同人の先生から違いを指摘された。思い出したくもない恥ずかしい経験である。
教育行政を担当し、つい受講の先生方の出身地を考えず、自分の地域の優越性、
その優越性を保たねばならないような話をして、受講の先生方に大変不快な思いをさせ反感を持たれた。そのことで私は厳しい指導を受け、ペナルティもあった。
失敗の事実はその通りであり弁解もできず、失意のどん底に落ちた。
しかし、私の場合、こそっとなぐさめてくれる先生、仲間がいてくれた。「気を落とさずに頑張れ」のなぐさめが、失意の自分にはどんなにありがたかったかしれない。その時の温かな言葉に私はこみあげるものがあり、すっとその場を離れてしまったことをはっきり思いだせる。この温かな言葉が、何としても挽回せねばと頑張る気力を奮い立たせてくれたように思う。
 震災後の影響か現在の世相かどちらともしれないが、今、誤りを追及することばが鋭く胸につきささる。失敗をした人達はどんなに深い反省そして失意であろうかと思う。自分は失敗の連続であるが、幸いに周りの温かな励ましで頑張ってこれた。
失敗はあるが事故防止やその他誠意をもって仕事に励み、努力している人達に温かな言葉をかけてやりたい。子どもたちにはそのようになって欲しいと願う。

                  伊達市教育長 湯田 健一

ふるさとは「蚕都」と呼ばれる

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 「その昔、私たちの町は蚕都と呼ばれていました。」
 泉原の養蚕展示室のオープンにあたってのキャッチフレーズです。展示室にある多種多様、様々な道具がふるさとの先人が養蚕を大切にし、生活の糧としてきたことを物語ます。ひとつひとつの道具が私たちの先祖が実際に使ってきたものです。道具によっては、粟野村○○、上保原○○と氏名があります。私は、「誰誰のひいじいちゃんではないの?」などと、同行の人と話します。そうかもしれないという話にもなりますが、私の知人はその道具に記された名前と姓が一致、そして名前の中の漢字を知人も使っているのです。きっとそうだと確信します。
 明治の始め、横浜から輸出された生糸の産地とその量、金額が記録された資料の中に「掛田」の名前があります。先人の頑張りは日本の外貨獲得の貴重な輸出品となっているのです。富岡製糸工場は世界遺産に登録されていますが、その富岡製糸工場が円滑に動く下地を作ったのは私たちの先祖です。
 先人の頑張り、努力に思いを馳せたとき、私たちは勇気とパワーが湧くのです。

☆きらめき事業の中の二人の先生☆

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 5月24日、きらめき事業「東京藝大と伊達市内中学校吹奏楽部との第4回合同演奏会」が開催され、その音色、ハーモニー、迫力等、感動の演奏会でした。今回、藝大の二人の先生のお話が心に残っています。
 一人はトランペツトの川田修一先生、「私は須賀川一小、須賀川一中、安積高校と進みました。この保原に高校でお世話になったA先生がいて、大変なつかしいです … 。」私はすぐA先生に携帯で連絡しましたが、残念ながら所用があり伊達市保原町にはおられませんでした。著名な演奏家となり藝大で教鞭をとられている川田先生が福島県出身ということ、大変嬉しく心強く思いました。また、この川田先生から慕われているA先生にあらためて深い敬意を持ちました。
 もう一人は日本を代表するサキソフォーンの須川展也先生のあいさつです。演奏会が終わり、見送りの中学生に「私も本格的に音楽の道を志したのは皆さんと同じ中学生の時です。皆さんも一生懸命、頑張ってください。」このお話を聞いた時、藝大の学生の殆どが小学校や幼稚園時より英才教育を受けていることを聞いていましたので、須川先生のお話しには驚きました。また夢を持ちました。
 伊達市きらめき事業に参加の中学生が世界的演奏家になることも夢ではないと思い始めるとともに、伊達市も音楽で情操あふれる豊かな故郷にしたいものと思いました。
 その一週間後の5月31日、第5回の「ももの里コンサート」が開催されました。大盛況でした。伊達市内の11の合唱団と保原高校の合唱部が出演しました。どの合唱団も素晴らしい歌声とハーモニーを披露しました。楽しいコンサートで心が豊かになりました。6月そして未来への意欲が湧いてきました。
                  伊達市教育長 湯田 健一

新年度のご挨拶 〜後ろ姿で導く〜

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 官公庁含め多くの企業、会社は、4月1日が「新しいスタート」です。特に異動や採用になった人は、意欲満々の新しい気持ちでいるものと思います。
私はこの4月1日の朝は、1月1日の初詣と同じように特別に神社にて祈ります。昨日までの26年度のお礼、そして今日からの27年度のご加護を祈るのです。
 言わずもがなですが、教育委員会は「教え育む」委員会と書きます。子どもたちを含め市民の方々を教え育むことを目的とする委員会と私は解釈しています。私は教員になり立ての頃、先輩から「後ろ姿で導く教師であらねばならぬ」と指導を受けました。児童生徒に言葉遣いをよくしろと指導するなら指導する自分も言葉遣いをよくすること、良いあいさつを求めるなら自分が良いあいさつをせねばならないし、勉強しろというなら自分が勉強せねばならないというのです。正直「後姿で導く」のは、なかなか大変です。なぜなら、本来の自分と指導している内容の多くは一致してないからです。近くには教え子たちがいっぱいいて、今もその人達は「先生」とよんでくれます。それゆえ本来の自分ではないという自嘲を持ちながら、先生として行動するよう努力をしています。
 さて、平成27年度がスタートしました。教育にかかわる仕事をしている皆様には、人々を「教え育む仕事をしている」ということを心に留め、今年度のご活躍と頑張りをおおいに期待しております。 
                   伊達市教育長 湯田 健一
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