最新更新日:2019/03/27
本日:count up1
昨日:5
総数:150660
いわき生徒会長サミット サミット宣言「 はばたこう いわきから 日本へ 世界へ 未来へ 」  平成30年度サブテーマ 「 すべては 挑戦から 」

小島中学校平和祈念集会その7

画像1画像2
閉会行事として、実行委員長のあいさつ、サミット代表として、議長の鈴木ひとみさんのあいさつがあり、その後お互いにメッセージを書いた記念品を渡し合いました。私たちがいただいたメッセージボードには、小島中学校の生徒からのメッセージがびっしりと貼ってありました。メンバーも大感激でした。

小島中学校平和祈念集会その7

画像1画像2
祈念集会の最後に小島中学校の大塚校長先生からお話をいただきました。
校長先生からは、サミットの発表をお褒めいただくとともに、「福島と長崎は同じ空でつながっている。手を携えて、未来の平和へ貢献していこう。」とメッセージを送られました。
また、祈念集会終了後、控え室に長崎市教育委員会の大石先生が訪ねてくれました。大石先生は、この長崎派遣の第1回からサミットの受け入れに携わってくださった方で、サミットの長崎派遣の歴史をすべて知っていらっしゃいます。今回の世界こども平和会議や小島中学校平和集会のコーディネートもしてくださいました。
大石先生、本当にありがとうございました!

小島中学校平和祈念集会その6

画像1
平和学習実行委員会が提案した平和宣言文が発表されました。
「平和への思いを強く持ち続けること」「身近なところから平和を築き上げていくこと」「平和希求の精神を持ち、世界へと発信すること」の3つを守り、育み、行動するというもの。全校生徒の賛成で、採択されました。
全校をあげて平和を求める姿に感心しました。

小島中学校平和祈念集会その5

画像1画像2
休憩後、原爆投下の時間が近づいて来ました。全員が投下された方向を向き、そして11時02分、町中にサイレンが鳴り響き渡りました。サイレン以外には、セミの鳴き声しか聞こえません。70年前のこの日を思い、全員で黙祷を捧げました。

小島中学校平和祈念集会その4

画像1画像2
次はいよいよサミットの発表です。
到着するギリギリまで練習してきたすべてを 出し切りました。
また、震災からの復興と原爆投下からの復興での共通点として、よく知ること、それを伝えること、そして続けることをコアメッセージとして発表したことに、長崎の中学生にも共感してもらったようです。
素晴らしい発表だったと思います。

進行状況

途中ですが、ここで現在の進行状況を報告します。
定刻通り、フェリーに乗船し、夕食中です。
この様子は後ほどアップします。

小島中学校平和祈念集会その3

画像1画像2
2年生の発表は「戦争当時の人々の生き様を伝えよう」として、自分たちで戦争体験者への聞き取りを行い、その悲惨さを訴えました。
3年生の発表は「平和希求の詩」として、クラスごとに作った詩をクラス全員で発表しました。
いずれの学年も、平和について真剣に考え、戦争反対と核兵器の廃絶を求める熱がありました。涙を流しながら聞き入る派遣メンバーもいて、ここでも多くのことを学び、感じ取ったようです。

小島中学校平和祈念集会その2

画像1画像2
小島中学校の平和祈念集会では、オープニングとして詩の群読と福山雅治さんが作詞作曲した「クスノキ」の動画が流されました。
その後、1年生から順に学年ごとの平和教育の発表を行いました。1年生は、「被爆遺構めぐりについて」として、自分たちが調査した被爆遺構の説明やそこから学んだ平和についての考えを発表しました。

小島中学校平和祈念集会その1

画像1画像2
長崎派遣最後の訪問先、長崎市立小島中学校へ到着しました。
長崎市の高台に位置し、素晴らしい眺望を持つ360名ほどの中学校です。玄関先には、私たちサミットメンバーを出迎えるウェルカムボードが掲示されていました。

7日目スタート

画像1画像2
残り2日となりました。7日目のスタートです。
6日間お世話になった日吉青年の家を後にしました。
写真は所員の方への挨拶をしている場面と、長時間過ごし、メンバーで納得するまで話し合いや練習をした202号室です。

稲佐山夜景鑑賞番外

画像1画像2
少しがっかりして乗りこんだ帰り道でしたが、地元バス会社の運転手さんのはからいで、中腹の鑑賞スポットでバスを停車してくださいました。これには、メンバーも大喜び。ガスの影響を受けない綺麗な夜景をバッグにたくさん写真を撮っていました。
運転手さん、ありがとうございました。

稲佐山夜景鑑賞

画像1画像2
夕食後、新世界三大夜景の一つ、長崎の夜景を鑑賞しに、稲佐山に向かいました。
一昨年は大型バスが上がれず、昨年は台風の影響でロープウェイが運休。
三度目の正直。今年こそとのぞんだ稲佐山でした。
結果は写真の通り。すごいガスで何とも言えない夜景となってしまいました。おそらく3年連続引率している者に何かあるのかもしれません。サミットメンバーには、大人になってから右側のような夜景を見てほしいと思います。右側の写真は展望台に掲示してあるイメージ写真です。

夕食後のミーティング

画像1画像2
切り替えが上手なのもサミットの良いところです。
議長の一声で、一気に本日の反省を行う研修モードになりました。
話し合う時間も短く、発表もシンプルながら的確なところを捉えています。成長してます。

長崎最後の夕食

画像1画像2
長崎最後の夕食は、「四海楼」で中華をいただきました。
とても美味しい中華で、あちらこちらからメンバーの楽しい会話が聞こえてきます。
また、よっぽど美味しかったのか、大皿を自分の前に置いて食するメンバーもいました。

青少年ピースフォーラムその5

画像1画像2
フィールドワーク終了後、ガイドをしてくれたボランティアの高校生と大学生に、なぜこの活動をしているのか聞きました。
高校生は、平和のことを自分で伝えていきたいから、大学生は、将来小学校の先生になって、教え子にしっかり伝えていきたいから、ということでした。。二人に共通することは伝える、ということ。
サミットメンバーのプレゼンのコンセプトにもつながる内容です。とても共感していました。
ボランティアの皆さん、ありがとうございました。

青少年ピースフォーラムその4

画像1画像2
フィールドワーク中は、サミットメンバーからどんどん質問が出てきます。
少しでも長崎の原爆について理解しようという姿勢が素晴らしいと感じます。

青少年ピースフォーラムその3

画像1画像2
被爆体験講話の後は、原爆遺構を見学するフィールドワークにでかけました。
爆心地の塔、浦上天主堂の柱、刑務所跡地、平和祈念像などを見ながら、ピースボランティアとして参加している高校生と大学生のガイドにしっかり耳を傾けていました。
黙っていても汗が吹き出してきます。しかし、この暑さの中で、原爆がさく裂したことを思うと、当時の悲惨さが一層深く感じます。

青少年ピースフォーラムその2

画像1画像2
次は被爆体験講話を聞きました。
講師は中村一俊さん。中村さんは当時11歳、爆心地から1.5キロのところで被爆し、母や弟達を含む6人の家族を亡くしました。その後、ご自身も被爆の影響で体調を崩し、たくさんの手術を受けられたそうです。
講話の中で「戦争は、モノや財産を奪うだけではなく、人の心にも大きな傷を残す。」「すべての核兵器を無くしたいと、被爆者で思わない人はいない。」と、戦争や核兵器への思いを語りました。
最後に「みなさんは立派な人になります。核兵器を無くす人になって欲しい。」と、参加した子供たちにメッセージを送りました。

青少年ピースフォーラムその1

画像1画像2
長崎市が主催する青少年ピースフォーラムに参加しました。北海度から沖縄まで全国から多くの小中学生が集まっています。
このフォーラムを運営するのは、ピースボランティアの若者たち。原爆や戦争について、次の世代にしっかり引き継がれていきます。
開会行事では、田上市長があいさつされ、自分で思ったことや感じたことを、周囲に伝えること、今日会った参加者と友だちになること、友だちになることが、平和につながることを伝えました。

出島ワーフで昼食

画像1画像2
昼食はたくさんの船が停泊している出島ワーフでとりました。
潮風が薫る爽やかな場所です。
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
いわき市教育委員会学校教育課
〒970-8026
住所:福島県いわき市平字堂根町4-8
TEL:0246-22-7542
FAX:0246-22-7563