最新更新日:2017/11/17
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校長講話(人権旬間に寄せて)

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               神を恐れて、人を恐れず
(生徒入場曲 ドヴォルザーク作曲「新世界より」第1楽章)
 作曲家ドヴォルザークにとっての新世界とは、アメリカ大陸のことです。作曲された1893年当時、アメリカ大陸は、ヨーロッパの人にとっては、開拓ムードいっぱいの希望と夢にあふれた大陸まさに新世界だったのです。ちょうどその頃、ドヴォルザークと同じようにアメリカを目指した日本人がいました。
 この写真は、アメリカでの生活が10年ほど過ぎた時のものです。今日の話の主人公ゴードン平林さんは写真中央の赤ちゃんです。父親は平林俊吾さんといいます。ここ安曇野穂高からアメリカへ渡った人の一人です。当時アメリカへのパスポートを取るためには、高等教育の修了証が必要でした。平林さんらは、研成義塾という学校に学び、終了証を得ました。その学校の塾長の名前を井口喜源治といいます。その学校は、今のヤマダ電機の道を挟んだ反対側にありました。跡地には、記念碑が建てられていますが、井口喜源治の功績を残したいという思いからその後、記念館が建てられました。
 この研成義塾は、明治時代の後半に開校しました。当時日本は、日清戦争という中国との戦いに勝利し、軍国主義への道を進み始めた頃です。研成義塾の教育のモットーは「よき人になる」そして精神、心の「自由と独立」を目指した教育が行われていました。それでは、話を本題であるゴードン平林さんに戻したいと思います。彼は、4年前、2012年5月29日、オバマ大統領から「アメリカ合衆国の国益や安全、また世界平和の推進に大きく寄与された」ということでアメリカ国民に与えられる賞としては最高位の「大統領自由勲章」が授与されました。残念ながら彼は、その年の1月2日に亡くなられています。彼の父、平林俊吾さんは、研成義塾で学んだ後、アメリカのシアトルに渡りました。シアトルは、アメリカ西海岸の都市です。今でも多くの日本人が暮らしています。イチロー選手は、シアトルマリナーズで12年間プレーをしました。今や日本で親しまれているスターバックスコーヒーもシアトルが発祥地です。日本にとってシアトルは、現在も身近なアメリカの都市のひとつです。
 そんな平林さんたちの平和な生活を大きく変える出来事が起こりました。1941年12月8日午前8時、ハワイオアフ島上空は、日本軍の飛行機で覆われました。真珠湾攻撃です。第二次世界大戦、太平洋戦争の始まりです。ルーズベルト大統領は「後世に残る屈辱の日」とアメリカ市民に訴えました。そして「日系人は敵国人種であり、アメリカで生まれ国籍を持っているとしても人種的血のつながりは薄まっていない」と強制収容所に収監されました。その数約12万人です。その中にゴードン平林さんはいませんでした。
 彼は、収容所に行くという日系人に対する指令に違反したために有罪とされ、刑務所に留置されていました。なぜ彼は、指令に従わなかったのでしょうか。彼は、「これらの命令に服することは、自分のアメリカ市民としての権利を放棄することになる」と訴えたのです。自分は、アメリカ市民であるから人種の違いを理由に他のアメリカ市民から差別する命令は、憲法違反であると主張しました。そしてさらに、国家の安全に脅威を与えているということで強制収容ならばわからないでもない。しかし、誰も私のことを危険人物と言わない。我々を退去させる根拠は、祖先の違いである。実際、同じ外国人でもドイツ系やイタリア系については、同じ地域に住んでいても強制退去の対象とはなっていませんでした。
 彼の主張は、認められないまま、終戦をむかえました。40年後のことです。彼の判決に対する再審請求(裁判のやり直し)が認められたのです。彼を支援する市民グループが粘り強く取り組んできた成果です。彼は、再審の法廷で「最初に命令に逆らうことを決意した時から、長い法廷の日々になるだろうと覚悟していました。そして、アメリカ市民として、憲法が私を守ってくれることを期待していました。敗訴となった後でも憲法に対する信頼は揺らいでいません。この裁判は、日系アメリカ人だけのものではありません。これはアメリカそのものが裁かれているのです。」ゴードン平林さんの主張です。
 再審請求から5年後の1987年無罪の判決がでました。翌年1988年レーガン大統領は「強制収容は、アメリカの歴史の中で一大汚点」と謝罪しました。そして、2012年オバマ大統領は「ヒラバヤシ氏のように間違ったことに対して立ち上がった市民のおかげで、アメリカはよりよい国になった」と彼の勇気を賞賛し、大統領自由勲章を授与したのです。新聞のコラムを紹介します。「平林さんの両親は、現安曇野市の出身で、共に研成義塾に学んだ。「よき人」となって息子を育て、その心に不当な権力に揺るがぬ太い幹を築かせたのだ。井口の信条が脈々と息づき、こうして認められたことを安曇野人ならずとも誇りとしたい。」
 実は、今日の主人公であるゴードン平林さんは、以前この穂高東中学校に来ているのです。そしてこのステージで話をされました。彼は「井口喜源治は、こう言って私たちを送り出しました。常に神を恐れて、人を恐れず。正義のために堂々と戦い、ゆるみなき勤勉を持って活動せよ、と。その言葉のごとく、私たちは神を恐れ、人を恐れず、多くの試練に耐えてきました。神が私たちを愛して下さったからです。」井口喜源治はクリスチャンでした。彼の言う神は、イエスキリストです。私たちが考えるとき、この神は、天の神様でもいいでしょうし、神社仏閣等、自分が信じるものに当てはめてみましょう。
 今日は、人権旬間のスタートのあたり、この穂高にゆかりのゴードン平林さんの生き方を通して、正義を信じてたくましく生きるについて考えてみました。
(生徒退場曲 ドヴォルザーク作曲「新世界より」第4楽章)

HELLO

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今年も登場!中庭アート
庁務員 望月先生のHELLO KITTYです。白文字は、サツキの白花です。

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