最新更新日:2024/05/02
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1/14 坂本龍馬 新国家への思い

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 昨日、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いた直筆の書簡が見つかった記事が掲載されていました。毎日新聞の記事から紹介します。

 この書簡は、将軍、徳川慶喜の大政奉還を受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、「新国家の御家計(財政)」という言葉を使いながら同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に出仕させるよう懇願。龍馬は「三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立は1日遅れてしまう」と強く訴えている。研究者は「『三岡が必要だ』という龍馬らしい行動力、説得力、勢いが、表現の強さから表れている。一級の史料」と話している。

 書簡では、新政府の財政担当者に推挙していた三岡が幕府に強硬な姿勢だったとの理由から藩内で謹慎させられていることに、「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候」と京都入りを強く求めている。龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのも初めて。

 龍馬は10月30日に福井を訪れて三岡と面会。新政府の財政担当者には「三八(三岡)を置かバ他ニ人なかるべし」と評価したと記した別の書簡の草稿が存在しており、今回の書簡の発見で、龍馬の行動の研究が進展すると期待できる。

 書簡を鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「『新国家』という言葉が幕末でどういう意味を持っていたかは検討が必要だが、恐らくは現代の意味の通り」と指摘する。高知県の尾崎正直知事も「龍馬が新たな時代をつくろうとしていた動きが分かる最重要史料。『新国家』に向けた意気込みが伝わってくる」と語った。

 三岡は龍馬が暗殺された翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。

 すばらしい資料が発見されました。
 龍馬が描いていた新国家の姿。どんなものだったのでしょうか。
(画像は、中日新聞より)
 
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