最新更新日:2024/04/26
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ようこそ、愛知県知多市立八幡小学校へ  

1/27 春の選抜出場校が決定

 第89回選抜高校野球大会(3月19日から12日間・甲子園)の出場32校が決まりました。東海地方は、愛知県の至学館高校、静岡県の静岡高校が選ばれました。また、高校球界屈指の強打者・清宮幸太郎を擁する早実(東京)のほか、史上3校目の春連覇に挑む智弁学園(奈良)、昨夏に全国制覇した作新学院(栃木)なども選ばれました。

 愛知県から出場する至学館高校は、選抜では初出場になります。至学館高校は05年に男女共学となり中京女子大付から校名変更されました。有名なのは、女子レスリングですね。けれども、06年に創部された野球部も、11年夏に甲子園初出場を果たしています。

 また、戦力以外の要素を加味する21世紀枠では、多治見(岐阜)不来方(岩手)中村(高知)の3校が選出されました。
 
 この3校の中で、岩手県の不来方(こずかた)高校は、1988年(昭63)に開校した県立校で、野球部も88年の創部です。現在、野球部員は10人で、女子マネジャー3人です。けれども、昨秋県大会準優勝、東北大会は初戦敗退も八戸学院光星に0−2と善戦。その活躍があって、春夏通じて甲子園初出場を果たしました。

 今年の春はどんなドラマが待っているか、楽しみですね。
(写真は昨年の春選抜の中日新聞です。)
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1/26 教育研究論文発表会

 今年の教育研究論文入賞者の表彰と、特選の先生の発表があったので行ってきました。この会に参加するのも、本当に久しぶりです。特選を取ったのは、5名の先生方でした。

テーマは
・互いに認め合い、高め合い、自己をよりよく生かすことができる児童の育成
・図画工作科においてイメージを言葉に表現する鑑賞活動の工夫
・「運動の生活化」を通して、たくましく生き抜く児童の育成
・自らの生き方を考え、主体的に行動することができる児童の育成
・自分の考えにこだわりをもち、考えを深めていく児童の育成
です。

 5つの発表を聞きましたが、大変わかりやすく、まとめ方も簡潔明瞭でした。また、どの学校でも実践できる内容も多くあり、参加した先生方の参考になったのではないかと思います。
 すべてを紹介することはできませんので、2つだけ簡単に紹介します。6年生の物語文「海の命」の実践では、子どものもつ「問い」に焦点を当て、その問いを深く追求することによって、子どもの変容を促そうとするものでした。また、世界とのつながりを起点として、子どもたちにグローバルな世界観を育成しようとする実践では、「募金だけ?」という言葉から、様々な実践を行い、世界の現実と自分たちにできることを考えさせる実践でした。
 そのほかの実践もすばらしく、参考になることが多々ありました。

 久しぶりに参加することができ、刺激を受けることができた時間でした。
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1/25 第72代横綱誕生

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 大相撲の大関稀勢の里(30)の第72代横綱昇進が25日午前、正式に決定しました。日本相撲協会が東京都墨田区の両国国技館で大相撲春場所(3月12日初日・エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議後に臨時理事会を開き、全会一致で決まりました。1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱が誕生でした。

 伝達式の口上は、木訥な稀勢の里らしく、「横綱の名に恥じぬよう精進いたします」というシンプルなものでした。また、テレビを見ると分かりますが、実際の場面では「横綱の」という下りで少しかんだ感じになり、出来栄えについては「ちょっとかみましたね」と苦笑いしていました。けれども、これも稀勢の里らしいですね。シンプルなものを選んだのは、「今の自分の気持ちを伝えたかった。自分ひとりで考え、シンプルなものを選んだ」と述べていました。
 
 注目の土俵入りについて聞かれると「雲竜型をやります」。理由については「小さい時からあこがれてまねをしていたので」と話していました。大相撲春場所からは4横綱時代を迎えます。久々に誕生した日本人横綱。これからの活躍、そして、4横綱の真っ向勝負が楽しみです。
(写真は中日新聞より)

1/24 尾張小中学校PTA研究発表大会

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 今日の午後、一宮市民会館で尾張小中学校PTA研究発表大会が開催されたので、行ってきました。平成28年度の目標は「愛と知で 子どもたちの未来に 夢と希望を −共に学び 共に育ち 共に考動するPTA−」です。具体的には3つの大きな柱、「家庭教育力の強化を図る」「学校支援を積極的に進める」「地域社会との緊密な連携を築く」で、3つの学校が研究発表を行いました。

 発表は3つの学校ともすばらしいものでした。目新しいことをするのではなく、今まで行ってきたことの切り口を変えたり、ちょっと工夫を凝らしたりして、今まで以上の効果を上げているものでした。

 特に地域との連携については、今まで保護者だけで行ってきた活動を地域の方にも開放し、広く参加者を募る取り組みはなかなかできることではないように思いました。けれども、積極的にその取り組みを行い、多くの地域の方々に参加していただけたことはすばらしいことだと思います。
 学校・家庭・地域の連携の大切さが言われて久しくなります。どこかが一歩踏み出す勇気があれば、連携はできるという思いを持つことができました。
 今日は、ありがとうございました。
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1/23 涙の初優勝 そして・・・

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 昨日、大関稀勢の里が悲願の初優勝を果たしました。
 千秋楽で、横綱白鳳を破っての堂々とした優勝です。表彰式での涙で、これまでの苦労が報われたことがよく分かりました。
 稀勢の里は、貴乃花に次ぐスピード出世で駆け上がり、10代から「将来の日本人横綱」とうたわれました。けれども、幾度もあと1歩で阻まれた優勝。初土俵から所要89場所は史上4番目の遅さ、新大関から所要31場所は昭和以降では最も遅い優勝でした。日本人横綱筆頭候補と期待されながら、あと1歩及ばぬ日が続いた最強大関が、最後の壁を打ち破りました。

 そして今日、横綱審議委員会で横綱昇進問題について審議され、満場一致で推薦することを決め、第72代横綱の誕生がほぼ確定しました。この答申を受け、同協会は25日午前9時から開かれる大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)番付編成会議後の臨時理事会で、稀勢の里の横綱昇進を正式決定します。

 日本出身の横綱誕生は1998年夏場所後の3代目若乃花以来19年ぶり。03年初場所の貴乃花(現貴乃花親方)を最後に途絶えていた、日本出身横綱が14年ぶりに復活することになります。

 横綱昇進の理由としては入門から15年間で休場が1回しかない(この時は不戦敗として扱われたため、成績上では休場は0回である)ことや、大関昇進後の安定した成績、特に昨年度の年間最多勝はインパクトがあったようです。
 本当に、地道で着実で真面目で、すばらしい横綱昇進だと思います。
 稀勢の里関、本当におめでとうございます。そして、すばらしい横綱になって、これまで以上の活躍を期待しています。
(写真は中日新聞より)

1/23 朝会

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 風が強く寒かったので、急遽体育館で行いました。
 まずは表彰です。読書感想文、バスケットボール、柔道の表彰がありました。よく頑張っていますね。おめでとう。

 今日は、インフルエンザについて話をしました。
 近隣の小学校で学級閉鎖も出てきています。子どもたちの登校の様子を見てみると、予防のためにマスクをしている子も増えてきました。マスクをするのはいいことですね。また、大放課に保健委員会から教室の換気について毎回話がありますね。どの教室も、窓が開いています。本校でインフルエンザの子どもが少ないのは、きちんと換気をしているからかもしれません。また、そのときに手洗い、うがいの放送もしてくれています。外で遊んだ人もそうでない人も、大放課に手洗い、うがいをしっかりしましょう。
 インフルエンザにかかると高い熱が出て、苦しくなって大変です。予防をしっかりして、この冬を乗り切りましょう。

1/22 明日は学校

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 今日の日曜日はどのように過ごしたでしょうか。
 楽しく過ごすことができましたか?
 明日は学校です。
 準備をきちんとして、忘れ物がないようにして登校しましょう。

 ところで、インフルエンザが流行し始めています。下の画像を見ても分かるように、知多半島は警戒レベルになっています。本校では、金曜日までは多くありませんでした。けれども、明日から寒い日が続きそうですので、インフルエンザの流行が心配です。
 「早寝、早起き、3色朝ごはん」で体力をしっかり付け、手洗い、うがいを忘れないようにしましょう。また、マスクを着用するのも、インフルエンザ予防には最適です。予防をしっかりして、この冬を乗り切りましょう。
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1/21 “ニッポン”のあけぼの

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 今年のお正月、英雄たちの選択で取り上げられたのが、「“ニッポン”のあけぼの〜古代人のこころと文明に迫る〜」でした。録画してあったのですが、なかなか見る時間がありませんでした。
 番組は、弥生時代から飛鳥時代までを、新発見に基づいて解説していく内容で、大変興味深く見ることができました。以前から言われていたことですが、弥生時代に稲作が盛んになると、集落がつくられるようになります。集落ができると、その集落を統治するための組織ができ、王と言われる統治者が生まれます。稲作は天候に左右されます。大雨や干ばつで生産が減ると、たくさんとれたところに攻め込んで収穫物を簒奪する行為が起こります。これが、戦いです。
 人は食料がないと生きていくことができません。食料を得るために、集落に攻め込み、相手を殺して食料を奪うことをしたのです。こういう行為を行いながら、支配地域を広げ、集落からクニができてきました。こうして生まれた支配者が、卑弥呼であり、大王です。

 古代はまだまだ謎に満ちています。中国の歴史書に出てくる邪馬台国がどこにあるかさえ、まだわかっていません。けれども、数々の新発見によって、分かってきたことも徐々に増えてきました。それにともなって、古代人の心のありようも徐々に明らかになってきました。古代には夢とロマンがあります。これからも、新たな発見を期待していきたいと思います。
(写真は、ウィキペディアより 箸墓古墳です。)

1/20 大寒

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 今日は、二十四節気の一つ「大寒(だいかん)」です。
 大寒は、寒さが一段と厳しくなり、雪が降ることも多いです。天気予報では、今日から明日にかけて寒くなり、日本海側や東日本では雪の予報です。この地方では、雪ではなく雨の予報になっています。「大寒」にふさわしい天気となりそうです。

 この寒さからか、今週あちこちでインフルエンザによる学級閉鎖がおこっています。本校は幸いなことに今週増加することもありませんでした。けれども、明日、明後日の土日が心配です。学校で行っているような手洗い、うがいをご家庭でもしっかり行っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 実は、大寒から2週間後が「立春」です。まだそんな感じは全然しませんが、季節は春に向かって少しずつ進んでいます。インフルエンザ予防をしっかりして、冬を乗り切りたいですね。

1/19 月面を最後に歩いた人類

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 アメリカ合衆国のアポロ計画は、アポロ17号が最後の有人月面着陸となりました。アポロ17号は幾つかの記録も打ち立てています。
1 最も長く宇宙に滞在した。(当時)
2 最も長く月面活動を行った。
3 最も大量に月面からサンプルを持ち帰った。
4 最も長く月周回軌道に滞在した。 です。
 
 このときの宇宙飛行士、ユージン・サーナン船長が亡くなりました。月面を歩いた最後の人です。今日の中日春秋はその話題でした。紹介します。

(引用)
 1972年12月7日に打ち上げられたアポロ17号は順調に飛行を続け、月へと向かって行った。ユージン・サーナン船長は窓の外を見て、ユーモアたっぷりに管制センターに報告した。「新発見ではないが、アポロ17号は地球が丸いことを確認した」。

 この時、歴史に残る写真が、撮影された。4万5000キロ離れた宇宙からとらえた地球は、漆黒の闇に浮かぶ美しい、小さく、はかない球体。その写真は世界中の人々の目を見開かせる力を発揮した。

 だが、そんな写真でも決して伝えられぬものがあるのだと、サーナン船長は語っていた。それは、地球を取り囲む「真の暗黒」。「あの暗黒の深さは、地上の何ものをもってしても再現することはできないだろう」。

 「あの暗黒を見たときにはじめて、人間は空間の無限の広がりと時間の無限のつらなりを共に実感できる。永遠というものを実感できる」のだと(立花隆著『宇宙からの帰還』)。

 いくら技術が発達し、最果ての銀河まで撮影できるようになっても、写しきれぬものがある。人が実際に行き、その目で見なければ分からぬものがあると、確信していたのだ。

 アポロ17号以降、有人月探査は途絶え、サーナン氏は「月面を最後に歩いた人類」と呼ばれ続けたまま、82歳で世を去った。その「呼称」を返上できる日が来ることを心待ちにしながらの旅立ちだったという。
(引用終わり)

 次に人類が月面に立つときは来るのでしょうか。それとも月面ではなく、火星に降り立つのでしょうか。宇宙への夢はまだまだ続きます。
(画像はウィキペディアより、アポロ17号の月面探査機)

1/18 吹雪の女子駅伝

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 もうすでにご存じだと思いますが、第35回全国都道府県対抗女子駅伝は15日、京都市の西京極陸上競技場発着の9区間、42・195キロで行われました。京都は岡山の猛追をかわし、2時間17分45秒で3年ぶりの栄冠に輝き、最多の優勝回数を16に伸ばしました。

 今回、なぜこの話題を取り上げたかというと、昨日、インターネットに「馬は休みなのに、なぜ雪で駅伝」という記事が載っていたからです。この記事を見て、何か寂しいなと感じました。

 なぜか。これだけの選手を集めて行う都道府県対抗駅伝は、この日に行うことができなければ、当然中止になってしまいます。そのため、大会主催者は、開催するにはどうすればよいかを真剣に考えていたと思います。 

 記事に出ていましたが、大会を開催するに当たり、大会関係者、競技場担当者、行政、警察などの協力を得て、早朝から足元の除雪をして、十分に安全確保をした上で開催に至りました。そして、足元の安全確保のため、コースの長さも考慮に入れ、選手がそこに到達するまでの間、除雪を続けていました。スタッフである大会役員、競技会役員、そして補助員として地元の高校生を中心として、ありがたいことにコース沿道にお住まいの市民の方々にもご協力いただけたようです。

 大会を運営する側には実施するかどうか、大きな葛藤があったと思います。けれども、大会を実施したいという強い思いで、決して表に出ることなく、影となって活躍した方々がたくさんいると思います。そういう方々のことも考えて、「馬は休みなのに、なぜ雪で駅伝」という言葉が出るのでしょうか。何か、寂しい思いに駆られてしまいます。一つのことを実施するには、画面に映るものばかりではありません。影になって、目立たないところで努力をしている方も多くいます。そういう方々に、走り終わった選手の皆さんからいただいた、「走りきることができてよかった」という感想は、救いになるのではないでしょうか。

 優勝した京都の皆さん、本当におめでとうございます。そして、大会を運営し、成功に導いた皆さん、すばらしい感動を本当にありがとうございました。
(画像は中日新聞より)

1/17 祈り

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 6434人が犠牲になった阪神大震災(1995年)の発生から17日で22年。兵庫県内では、多くの人たちが地震発生の午前5時46分に黙とうし、犠牲者に鎮魂の祈りをささげました。会場には、希望の祈りを込めて「光」というメッセージが「1.17」の文字に加えられました。

 祖母を亡くした女性:「この年まで生きられたよって、元気で楽しくやっていますって(伝えにきた)」
 熊本地震の被災者:「きのう、ずっと夜景を見ていて、こんなに復興するんだって力もらいました」など、それぞれの思いをこめたメッセージもありました。

 また、「22年前の出来事は歴史の世界で済ますことはできない」と述べる遺族もみえ、最愛の人の命を奪われた悲しみや震災を風化させない決意を示していました。
 その背景には、神戸市の人口の半分以上が震災を経験していない人で、教訓を伝えることが難しくなってきた現状があります。けれども、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と各地で大きな地震が発生しています。阪神・淡路大震災の教訓を次の世代にどのように伝えていくか、大きな課題が残されています。
(写真は中日新聞より)

1/16 インフルエンザに注意

 先週の金曜日から寒くなり、土曜日、日曜日は雪。今日もはっきりしない天気でした。明日は天気が良さそうですが、まだ寒さは残ります。こうなると心配なのはインフルエンザです。愛知県では、1月11日からインフルエンザ警報を発令しています。

 知多市でも、インフルエンザが流行し始めて、他校では今日、早帰りをした学級も出てきました。幸いなことに、まだ八幡小学校ではインフルエンザは流行していませんが、今後急激に増える可能性もあります。

 いつも言われることですが、インフルエンザ予防には「手洗い・うがい・マスク」です。また、学校では、放課に換気をすることも行っています。ご家庭でも、ぜひ気をつけていただければと思います。
 なお、欠席者が増加した場合は、早帰りをする場合も出てきます。なるべく急な早帰りはしないようにしたいですが、状況によってはわかりません。早帰りをさせる場合は、メルマガやホームページでもお知らせします。ご協力をよろしくお願いします。

 下の画像は、「保健所別・定点医療機関当たりのインフルエンザ報告数マップ」から引用しました。今週、報告数が増えていることが分かりますね。
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1/16 朝会

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 今日は運動場が使えないので、体育館で行いました。まずは、水泳の表彰を行いました。よくがんばっていますね。おめでとう。

 先生の話は、阪神・淡路大震災の話でした。
 22年前の17日早朝に関西地方を襲った大地震は、6500人もの死者を出しました。ちょうど早朝だったので、火事もあちらこちらでおこりました。けれども、死者の70%以上が圧死でした。
 地震はいつ、どこで発生するかわかりません。常日頃から地震が起きたらどのような行動をとるのか、またどのように避難するのか考えてほしいと思います。
 先日、トイレと特別教室に、地震が起こったとき、どのような行動をとるといいか、掲示をしました。写真にあるような内容です。ぜひ、覚えておいて、正しい行動がとれるようにしましょう。

1/15 明日は学校

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 土曜日、日曜日と大荒れの天候となりました。大学センター試験を受ける高校生たちも大変だったのではないでしょうか。
 知多半島にこれだけ雪が積もったのも、久しぶりですね。午後からは日が照ってきましたので、雪も溶け始めました。我が家の屋根の雪も、大きな音を立てて滑り落ちてきました。

 学校はどうなっているでしょうか。
 運動場にはまだ雪が残っているかな。
 学校に来るのが楽しみになりますね。

1/14 坂本龍馬 新国家への思い

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 昨日、坂本龍馬が暗殺される5日前に書いた直筆の書簡が見つかった記事が掲載されていました。毎日新聞の記事から紹介します。

 この書簡は、将軍、徳川慶喜の大政奉還を受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、「新国家の御家計(財政)」という言葉を使いながら同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に出仕させるよう懇願。龍馬は「三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立は1日遅れてしまう」と強く訴えている。研究者は「『三岡が必要だ』という龍馬らしい行動力、説得力、勢いが、表現の強さから表れている。一級の史料」と話している。

 書簡では、新政府の財政担当者に推挙していた三岡が幕府に強硬な姿勢だったとの理由から藩内で謹慎させられていることに、「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候」と京都入りを強く求めている。龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのも初めて。

 龍馬は10月30日に福井を訪れて三岡と面会。新政府の財政担当者には「三八(三岡)を置かバ他ニ人なかるべし」と評価したと記した別の書簡の草稿が存在しており、今回の書簡の発見で、龍馬の行動の研究が進展すると期待できる。

 書簡を鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「『新国家』という言葉が幕末でどういう意味を持っていたかは検討が必要だが、恐らくは現代の意味の通り」と指摘する。高知県の尾崎正直知事も「龍馬が新たな時代をつくろうとしていた動きが分かる最重要史料。『新国家』に向けた意気込みが伝わってくる」と語った。

 三岡は龍馬が暗殺された翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。

 すばらしい資料が発見されました。
 龍馬が描いていた新国家の姿。どんなものだったのでしょうか。
(画像は、中日新聞より)

1/13 学校公開を終えて

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 本日の学校公開へのご参加ありがとうございました。
 授業を中心に見ていただきましたが、いかがでしたでしょうか。1年の子どもたちの成長を感じることはできたでしょうか。
 本年度も「授業を基盤とした学校経営」に取り組んできました。子どもたちと教師が一体となって授業をつくっていく。そのために、授業規律を整え、互いに学ぶことができる環境作りを行ってきました。ペア学習やグループ学習も取り入れ、ICTの活用も進めています。
 3学期は短いですが、最後のまとめをする大事な時期です。今日の学校公開の反省に基づいて、さらなる授業改善に取り組んでいきたいと思います。今日はありがとうございました。
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1/12 明日は学校公開日

 明日は学校公開日です。
 火曜日と水曜日に子どもたちが書いた書き初めも展示してあります。子どもたちの1年の目標が表されています。是非ご覧いただければと思います。
 また、明日は授業を中心とした参観となります。
 3学期になってすぐですが子どもたちの様子はどうか、1年間でどれくらい成長したかなど、実際に見ていただければと思います。なお、教室の前にアンケート用紙が置いてありますので、ぜひ記入にご協力いただければと思います。よろしくお願いします。
(写真は、以前の尾張万歳の時の様子です。)
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1/11 覚悟

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 今日も中日春秋の話題を。
 被災地でずっと医療に従事していた高野病院の院長・高野英男さんがなくなった記事が年末に出ていました。今日の中日春秋はそのことに関しての内容でした。紹介します。

(引用)
 ジョン・ササル氏は戦後長らく、英国南西部の貧しい村で地域医療に打ち込んだ医師だ。村に住み、患者一人一人の暮らしぶりまで知った上で、病と向き合った。

 先日、90歳で逝った英国の作家ジョン・バージャーさんは、ササル医師の姿を活写した名著『果報者ササル』(みすず書房)で、その医療の本質を描いている。<彼がいい医者だと見なされるのは、患者の心の底に秘められた、口に出されることのない、友愛を感じとりたいという期待に応えているからである>。

 しかし、そんな期待に応え、全人格的に患者と向き合い続ければ、医師はとてつもない喪失感とも向き合わねばならない。だからササル医師は、こんな覚悟で日々を送っていたという。

 「死のことを考えさせられるとき−それは毎日のことだが−わたしはいつも自分の死のことを考える。そうすると、もっと懸命に働こうという気になるんだ」。

 この方も、そういう覚悟で患者さんと向き合っていたのだろう。福島県広野町で地域医療の柱であり続けた高野病院の院長・高野英男さんが昨年末、81歳で亡くなった。原発事故後も患者一人一人に寄り添い、被災地に踏み留(とど)まって医療を支え続けた大黒柱の死である。

 院長の逝去で、高野病院は存続の危機にあるという。これは、一病院の問題ではない。被災地を国全体で支え続ける覚悟の問題だろう。
(引用終わり)

 2人はずっと医療活動に取り組んできた方です。それぞれ逆境にめげずにがんばってこられました。きっと大きな覚悟があったのではないでしょうか。この覚悟をだれが引き継いでいくのか。今、大きな問題が提起されています。

1/10 書き初め

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 「書き初め」は日本で昔から行われている風習です。通常は1月2日に行われます。1月2日に行われるのは、この日が「仕事始め」とされていたからです。
 この仕事始めのしきたりに習って、文字を書いたり絵を描いたりする「書き初め」が始まったそうです。
 昔は偉い人が行っていましたが、江戸時代に入り寺子屋で勉強をすることが必修とされて、一般にも「書き初め」が広まっていきました。書道は、昔からとっても大事な学習だとされていて、文字が一般に普及していくにつれて、文字を書く風習が広まりました。それが今の「書き初め」の始まりなんです。
 
 つまり、文字や詩を書くことにあたって、ちゃんとした綺麗な漢字やひらがなを書けることは大切なことなのです。そこで、神様に自分の書いた文字を納めることで、文字が綺麗にかけるようになることを願いました。さらに、昔は1月11日にドンド焼きという行事があり、その炎で文字を書いた紙を焼くことで、字が上手くなる!と言われていました。
 「書き初め」をすることによって、「文字を綺麗に書けるようになる」という意味が込められていたのです。

 実はもう一つ意味があったのです。
 それは、「今年1年の意気込みを表す」ということです。
 今年1年の頑張ることやしたいことを書道で書き、それを1月2日の仕事始めに行うことによって、この1年、仕事がとっても上手くいくと言われています。

 今日と明日、学校でも書き初めを行います。家で練習してきた言葉を、学校で清書するのです。学校では、「1年の意気込みを表す」ほうが重点になっていますが、字もきれいに書けるようになってほしいですね。少し欲張りかもしれませんが・・・。
 
知多市立八幡小学校
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