最新更新日:2024/06/21 | |
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4/9 二十一世紀に生きる君たちへ君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 ー自分にきびしく、相手にはやさしく。 という自己を。 そして、すなおでかしこい自己を。 二十一世紀においては、特にそのことが重要である。 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。 人間は、助け合って生きているのである。 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。 (中略) このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。 「いたわり」 「他人の痛みを感じること」 「やさしさ」 みな似たような言葉である。 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根付いていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしでくらせる時代になるのにちがいない。 (引用終わり) いかがでしょうか。 現在でも十分に感じることの多い話だと思います。ぜひ、全文をお読みください。 (司馬遼太郎著 「十六の話」に収録されています。) |
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