最新更新日:2024/08/02 | |
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7/6 朝会東日本大震災の時に岩手県にいた先生は、震度6強の揺れを感じ、大変怖い思いをしたそうです。 その経験から、リュックに防災グッズをいれて、置いてあるそうです。中身を少し紹介してくれましたね。覚えていますか。今日聞いた話を家に帰ってからして、夏休みの間に保護者の方と一緒にそろえるのも良いですね。 7/5 ありがとういい言葉です。 この言葉を一日に十回言えたら、心が豊かに、暖かくなるのではないでしょうか。 こんな話があります。 「A子さんが、教室の真ん中に何か丸まった紙屑に気づいて、それを拾おうと手を伸ばしたのですが、つぎに入ってきたB君が一瞬早くその紙屑を拾うとパッと屑箱に投げ入れたのです。 するとA子さんは『あ、ありがとう!』とさわやかな声で言ったものです。自分が落とした紙屑ではありません。誰が落としたかわからない紙屑です。それなのに、ごく自然に『ありがとう』という言葉が出てきたのです。私は、この『ありがとう』は素敵な『ありがとう』だと感じました。」(校長の覚悟 関根正明著) すばらしいですね。 「ありがとう」 この言葉があふれる学校をめざしたいと思います。 7/4 にんげんだもの「にんげんだもの」も彼の代表作です。 つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの ぐちをこぼしたっていいがな 弱音を吐いたっていいがな 人間だもの たまには涙を見せたっていいがな 生きているんだもの この本の中の一つ一つが心に残ります。 一度読んでみてはいかがでしょうか。 7/3 「い、き、た、あ、か、し」「28年前、甲子園の春夏連覇を成し遂げたPL学園高校の正捕手だった伊藤敬司さんが、野球人生を振り返る著書[PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って」(講談社刊)を出版した。野球を離れた後、体を動かす神経が破壊されていく難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)となった伊藤さんの野球にかける思いと、野球で培った忍耐力にこだわる姿が描かれている。」 彼が、ALSかもしれないと知ったのは2008年3月。それから病状は悪化し、現在、動かせるのは眼球とまぶた、左足の親指。唇も少し動くが声を発することはできません。そんな状態で、本を執筆しようとしたわけは「い、き、た、あ、か、し(生きた証)」です。 彼は、「病名を知ったときは、『なぜ自分なんだ』と受け止められず、『できることが一つずつなくなっていくことは堪え難いものでした』と述べています。野球を愛し、グラウンドを走り回っていた自分が、動けなくなってしまった。軽々しく言うことではありませんが、彼の悩み、苦しみはさぞ大きかったことでしょう。 教員にとっての「生きた証」は何だろう。 ふと考えてしまいました。 教育者である教員にとって、「生きた証」は学校を巣立っていく子どもたちではないかと思いました。子どもたちの成長をしっかりと支えていく教員でありたい、この記事を読んで、こんな思いを強く持ちました。 7/2 名も知れぬ少女の言葉孤児院にいる少女が、この言葉を紙片に書き付けては、窓から外へ投げる。いく枚も、いく枚も。この少女にとって、誰かに差し出すことができる唯一のものが、『愛』だった…。加島さんはそんなことを米国の友人に聞かされ、心を揺さぶられたという。 私たちの目に見えないだけで、この国の街角にも、子どもたちの叫びが書かれた無数の紙片が落ちているのかもしれない。最も愛してほしい人に傷つけられてしまう子どもたちの声にならぬ声である。(後略)」(中日新聞 中日春秋より) 虐待児童の相談件数が増加しています。虐待で亡くなる子どもも後をたちません。悲しい出来事です。虐待の件数が少しでも減少するように、この名も知れぬ少女の言葉を心に刻んでいきたいと思います。 7/1 国民安全の日国民安全の日は「日本国民の一人一人が施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日」として制定されました。制定されたのは、1960年(昭和35年)5月6日で、毎年7月1日と定められました。(ウィキペディアより) もう制定されてから55年が経過しています。 最近は、火山の噴火や地震などの自然災害が各地でおこっています。また、減少してきたとはいえ、交通事故もおこっています。今日の日を機会に、自分や家族の安全を考える日にできると良いですね。 6/30 研修会に参加して内容は多岐に及んでいましたが、少し紹介させていただきます。 人間の記憶はまず一時記憶脳に入ります。それを永久記憶脳に知識を移動させます。そうして、知識は定着していきます。そのとき、記憶するスピードを上げて、判断脳・創造脳を同時に活用するように体の鍛練をします。 その方法として ●目が360度スムースに動く。(動くものを瞬時に記憶) ●右手・左手を同時に動かし、左脳・右脳を同時活用。(左脳:キーワード、計数能力 右脳:イメージ記憶) また、脳が疲れない様に、脳の活性化(脳に栄養分を送る。)ために、肩の凝らない姿勢、深呼吸・腹式呼吸(肺活量:3000ccを狙う) ほかにも、今後の学校教育の在り方、生活リズムの作り方、日本人に足りない能力とその鍛え方などを教えていただきました。参考になる内容が多い研修会でした。 6/29 朝会私からは、「けじめと集中力」の話をしました。遊ぶときは思い切り遊ぶ、学習するときはしっかりと気持ちを入れて取り組む。そのけじめをつけてほしい。授業中も、気持ちが遊びの方にいっていたのでは、学習したことが定着しません。 また、先生の話を聞く、友だちの話を聞くとき、集中して聞いてほしい。よそ事をしたり、何かしながらの「ながら聞き」は頭に残りません。学校で、より多くのことを頭に入れるのに、集中力は欠かせません。後3週間、けじめと集中力をもって過ごしてほしいと思います。 6/28 1学期も後3週間授業を大切にして、この3週間で、1学期のまとめをしましょう。そのため、学校に来る1日1日が大切になります。 また、30日(火)からは水泳が始まります。 梅雨のさなかなので、天候が心配です。 何とか天気が良く、予定通りできるといいです。 明日は月曜日。また、みんなの笑顔に会えることを楽しみにしています。 6/28 何事かを成し遂げようとすることは・・分かりやすく訳すと、「何事かを成し遂げようとすることは、井戸を掘るようなものである。」となります。「井戸を掘るようなもの」というたとえはよく聞くと思います。 教職研修(教育開発研究所発行)2015年3月号の中で、弘前大学教授 山田史生氏は次のように書いています。 「学問を治めるということは、井戸を掘るようなもので、やればやるほど困難にでくわす。辛抱づよくやらないと、とうてい成功できない。 掘っても水が出るとはかぎらないが、掘らなければ決して水は出ない。ただ掘ればいいってもんじゃなく、どこを掘るかってことが問題だし、また水が出るまで掘らねばならない。何事かを成し遂げるというのは難儀なことである。」 今、「井戸」を知っている人が少なくなりました。けれども、「井戸を掘るようなもの。」という言葉は、まだ時々聞かれます。まず行動しなければ何も始まりません。そして、行動したら根気強くやってみる。学問とは、そういうものだと私も思います。 6/27 一日一日にけじめをつける1950年に石川島重工業の社長に就任し、大赤字・給料遅配・スト続きで苦しむ会社を経営合理化し再建を果たしました。その後、1965年に業績低迷の東京芝浦電気(現東芝)の社長に就任、1972年、会長となりました。また、中央財界にあっては、経済団体連合会会長として指導力と行動力を発揮し、日本経済の発展に尽くしました。決して奢ることはせず、食生活も質素で、おかずは味噌汁とめざしであったそうです。 その土光敏夫氏に「土光敏夫 信念の言葉」 PHP研究所 編 があります。その中の一番初めに出てくるのが「一日一日にけじめをつける」です。少し長いですが、引用します。 きょうという日は、すべての人にとって平等に訪れるかけがえのない一日である。自己の人生にとって初めて訪れた日であり、またけっして再び訪れることのない日でもある。 だから、この一日を粗末に過ごす人は、毎日を粗末に過し、一生を粗末に過ごすことに通ずる。 一日一日にけじめをつけていこう。きょうのことは、きょうやってしまおう。これは、忙しいとか暇があるとかの時間の問題ではない。志の問題である。 「あしたにしよう」という弱い心に、自ら鞭を打て。あしたという日には、またあしたやるべきことが待っている。 そのとおりですね。「けじめをつけていくこと」を大切にしていきたいと思います。 6/26 うかつあやまりたとえば人に足を踏まれたとき、踏んだ人はもちろん謝りますが、踏まれた人も「こちらこそうっかりしまして」と、口には出さなくともそぶりを見せると、その場が何となくいい雰囲気になります。江戸ではこういったしぐさを、「うかつあやまり」と言いました。 (中略) 「うかつあやまり」の真意は、トラブルを事前に察知し、素早く対処できなかった自分のうかつさを反省することにあるのですから、きびしいものです。 現代は、ますます物騒になってきましたし、家の中では安全で自由でも、一歩外に出れば何が起こるかわからない世の中です。 (後略) いかがでしょうか。 江戸の人は、心にゆとりがあったのですね。 こんな「うかつあやまり」の気持ちをみんなが持っていれば、トラブルは起こりませんね。 6/25 もうしないでね名彫刻家だった父親の死後、せがれが跡を継いだが、どうにも腕が悪い。かつて父親に世話になった店の主人が恩返しで、せがれの不出来な作品を買い取ってきたが、ある日、せがれが持ってきた作品を見て堪忍袋の緒が切れる。人情噺の名作「浜野矩随(はまののりゆき)」の一席である。 せがれが彫ったのは馬だったが、足が3本しかない。店の主人が問うと「ウトウトしていて1本落としてしまった」。主人はそんな代物を持ち込んできた了見が許せず、ひどく叱る。 こっちの話は「1本落とした」ではなく1本増やしてしまった。小学校1年生が使う国語の教科書の挿絵。少女の腕が3本あるように誤って描き、1万冊弱を回収する騒ぎになった。 (中略) 間違いは誰にでもあり、それは教科書とて例外ではないということか。 あの人情噺で不器用なせがれは母の命をかけた励ましに奮起、父をしのぐ名工となる。 少々甘い話に聞こえるかもしれぬが、教科書が間違えたと笑い、こき下ろすよりも「もうしないでね」と、静かに声をかける方がよほど失敗した人の了見を変えるということもあろう。 いかがでしょうか。「もうしないでね」と優しく声をかけることはむずかしことかもしれません。ただ、失敗した人の気持ちを考えると、優しく声をかけることは、その人との人間関係をつくるためにも良いことではないでしょうか。 6/24 先輩から後輩へ つなぐ善意毎週火曜日に目の治療のために地下鉄に乗って病院に通う人がいました。この人は白い杖をもち、目もほとんど見えません。昨年の冬、この人は駅のホームで、降車する人並みにさらわれそうになってしまいました。そのときに声をかけたのが銀行員の山口さんです。それから毎週火曜日、山口さんは、この人に腕を貸し車内へ乗り込むようになりました。 けれども、3月に山口さんは市内の別の支店に転勤になってしまいました。 「つらい話が多い中で、助けてもらえるのがありがたくて、ありがたくて」という思いを感じていた山口さんは、転勤に当たり、こっそり後輩に「引き継ぎ」をしていたのです。先輩から後輩へ、バトンは引き継がれました。そして、毎週火曜日、バトンを渡された後輩は、腕を貸して一緒に電車に乗り込み、会話の花を咲かせていることでしょう。 心温まる話ですね。優しさはこういうところに表れるものなのですね。 6/23 遊ぶこと 学ぶこと聞いたことは忘れる。 見たことは覚える。 体験したことは理解する。 老子の言葉です。 情報蓄積のための手段の一つが「遊び」です。哺乳類の子どもはよく遊ぶことで、さまざまなものに興味を持ち、挑戦したがる好奇心を養うのです。遊ぶことは生きるための知恵を「学ぶこと」なのです。 もし人間の子どもたちが遊ぶ場所や時間を奪われているとするならば、自らを最も進化した生物だとおごることは少しおこがましいかもしれません。(引用終わり) いかがでしょうか。遊ぶことの重要性はよく言われます。最近は、一人で遊ぶことも多くなってしまいました。でも、遊びの基本は複数ですね。複数で遊べば、老子の終わりの二つの言葉「見たことは覚える。体験したことは理解する。」につながってきます。遊びの大切さ、考えたいですね。 6/22 朝会先生の話は、「八幡小しぐさ」でした。 「江戸しぐさ」は知っていますね。多くの人口を抱えていた江戸では、お互いがいさかいなく住みやすくするためのしぐさがいろいろとありました。よく語られるのは、「傘かしげ」ですね。傘をさしているもの同士がすれ違うとき、傘からのしずくで相手がぬれないように傘を反対側に傾けてすれ違うというものです。 八幡小学校でも、給食のおかわりの時、廊下をすれ違うとき、お互いを気遣う様子が見えました。「八幡小しぐさ」といっても良いかもしれませんね。 お互いを思いやるしぐさが、これから増えていくと良いですね。 6/21 どのように過ごしましたか?何をして過ごしたでしょうか? 体調を崩していませんか? 一学期も後4週間です。 早いですね。 明日は元気に登校しましょう。 その前に、明日の準備もしっかりしておきましょう。 6/21 父の日父の日は1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけだといわれています。 最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われました。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったそうです。(ウィキペディアより) 日本やアメリカなどの国は6月の第3日曜日を父の日と定めていますが、国によって違いがあります。また、母の日はカーネーションですが、父の日はバラだそうです。 今日は、家族で、たくさんのお話ができる日になるといいですね。 6/19 勉強は誰のためにするの?凡(およ)そ学をなすの要(かなめ)は己がためにするにあり、 己がためにするのは君子の学なり。 人のためにするのは小人の学なり わかりにくいので、現代語にすると、 本来、学問を学ぶのは自分のためであるべきで、自分を磨くことは人格者として当然のことである。逆に人のために学問を学ぶというのは、小人物がやることだ。 (「心を強くする名指導者の言葉」PHP文庫 より) 今、勉強をしているのは、当然、先生や親のためではありません。自分のためにするのです。そのことを忘れずに、勉強に励みましょう。 6/18 運運は味方する プロゴルファーのゲーリー・プレイヤーの言葉です。 ゲーリー・プレイヤーはゴルフの神様といわれ、メジャー大会を始め、数々の大会で優勝した人です。 勝負に勝つためには運も必要だ。運を味方に付けられるのは、自分に自信を持って努力をしている人だけ。そして、努力をすればするほど運は微笑んでくれる。 苦労をして、数々の栄光をつかんだ人の言葉なので、心に響きますね。 (「心を強くする名指導者の言葉」PHP文庫 より) |
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