最新更新日:2024/07/03
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ようこそ、愛知県知多市立八幡小学校へ  

7/10 失敗から学ぶ

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 「教室は失敗するところだ。」
 よく言われる言葉です。
 今までの数ある発明は、失敗の積み重ねから生み出されたものです。
 
 イギリスの思想家 スェイルズも、
 「われらは成功によってよりも、失敗によってこそ多くの知恵を学ぶ。」
 と述べています。

 失敗の積み重ねが真理につながっていく。
 教室で、失敗を重ねたものが、本当の真理につながっていくのかもしれません。心にとめておきたい言葉だと思います。                     

7/9 個の確立

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 教育界に様々な実践の光を投げかけた東井義雄先生は、様々な言葉を残しています。

 ・ぼくだけじゃない。
 ・だれ君だってやっている。
などと、集団をかくれみのにして、どんどん自分をだめにする若者は、集団の甘さの中で育てられたものです。「個」は「集団」の中に埋没してしまい、だめな「個」になっているのです。
 「個」が生きてこねばなりません。しかも、その「個」の中に「仲間」みんなが、いきいきと生きてくるような「個」をめざすべきでしょう。

 この言葉も東井義雄先生の言葉です。
 「ぼくだけじゃない」「誰々もやっている」、今でも時々耳にする言葉です。この言葉は、自分をだめにする言葉です。自分を磨き、自分という個を確立するために何を為すべきか、考えていきたい言葉です。 

7/8 講演会を聞いて

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 今日、愛知県校長会常任委員会・評議員会が愛知県教育会館で開催されました。その中で、NHK津放送局アナウンサー 村竹勝司氏の話を聞きました。村竹氏は知多市の出身の方です。

 演題は「報道から見た、東日本大震災 〜直後の状況、その後の復興等〜」です。
 まず、東海地震・東南海地震・南海地震の話がありました。その中で、「2メートルの津波」はどんな様子なのか、東日本大震災の映像を見せていただきました。すさまじい勢いで波が迫ってくる映像で、「これで2メートルの津波です」と言われたのにはびっくりしました。また、内陸にはじわじわと時間をかけて津波が襲ってくることも見せていただきました。「津波はすぐ押し寄せてくるわけではないので、早く高い所に避難する」ことの大切さをあらためて教えられました。
 ある程度時間が経ったとき、絶対に必要なのは、心のケア。教職員も子どもも同じですが、「身内をなくした人」「家をなくした人」「何事もなかった人」が出てくる。そして、この三者に区別される。震災のことについて、話ができなくなる。どう言葉をかけていいか分からなくなり、心に大きなストレスを抱えてしまう。そういうときに、被災地とは関係ないところから派遣されてくるカウンセラーが必要になることも教えていただきました。

 50分の講演でしたが、映像も含めて、強烈な印象を受け、あらためて大規模災害の対応について考えさせられました。

7/8 身近に手本が

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 今日は本来、水泳は予定されていませんでした。けれども、雨天が続き、プールができなかったため、臨時に行いました。
 そういう事情もあり、本来は消防の方の練習が入っていました。無理を言って2コースだけ使用するようにしていただきました。

 子どもたちにとっては、身近に素晴らしい泳ぎをする方を見ることができました。見ることで、「あのようにするといいんだな」と、これからの参考にすることができました。「見る」ということは「聞く」よりも、頭に残ります。これからの目標ができました。今日は、ありがとうございました。

7/7 なでしこ

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 なでしこジャパンの活躍がまだ心に残っていることでしょう。
 
 今日の中日春秋に次のような言葉がありました。

 「彼女たち自身の言葉に、思いが詰まっていた。敗れた直後に、澤穂希選手は「本当に悔いなく、自分自身はやりきった」と言った。主将の宮間あや選手も「後悔はない。自分がやれることはすべてやった」と語った。そう言い切れる瞬間をもつことができた、すごみと美しさ。」

 人生の中で、「やりきった。」「すべてやった。」と思える瞬間がどれくらいあるでしょうか。人間は、そう思った瞬間が一番輝いて見えるときかもしれません。なでしこジャパンのように。
 (写真はYahoo画像より)

7/7 今日は七夕

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 今日は七夕。あいにく雨が降ったりやんだりです。

 七夕の伝説は皆さんよくご存じですね。

 韓国では、牽牛と織女が1年ぶりに会ってうれし涙を流すため、絶対に雨が降ると信じられているそうです。その日の晩に雨が降れば、牽牛と織女が流すうれし涙、2日間、夜に雨が続けば別れを惜しむ涙だと言われているそうです。(ウィキペディアより)

 地域によって伝説もいろいろですね。
(下の写真は、歴史民族博物館のものです。)
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7/6 けじめをもって

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 今日は、一日雨が降り続き、プールで泳ぐことができませんでした。
 明日は、天気はどうでしょう。
 天気予報は曇りなので、何とかできるのではないでしょうか。

 昨日引用した「校長の覚悟 関根正明著」から、「けじめ」について、述べているところがありましたので紹介します。

「今日、一口に『けじめなき時代』と言われているが、たいていの人は自分の『けじめのなさ』には気づかない。そのくせ他の人たちの『けじめのなさ』はよく目に付いて『ひどい』とか『嘆かわしい』とか言っている。他の人の公私混同を『けしからん』と息巻く人も自分の公私の区別には甘くなりやすい。……というよりも、近頃、おおむね公共心が希薄になった背景にはそういうものがありそうだ。よく例に出される携帯電話だが、その中身はこうなる。かつては家に一台しかなかった電話、それは主に職業上の必要から設置されていた。
 だから家業以外に子どもが電話を使うなど許されなかった。どうしても電話したいときは、『ちょっと電話いい?……・』などと声をかけ承諾を得てから使ったものだ。
 だが、携帯電話になってその気兼ねがなくなった。子どもだけではない。気兼ねなく電話がかけられ便利にはなったが、人々の心には知らず知らずのうちに他の人への気遣いの心が薄れていった。『いつでも、どこでも、すきな時に』とはケータイ電話の商品としての宣伝は魅力だったが、それが現実のものになってくると『いつでも、どこでも、けじめなく』になってしまったようだ。
 大人たちにも、私的なことと公共の場での事の区別、プライベートとパブリックのけじめが、ぼやけてきている。

 いかが思われるでしょうか。
 「子は親を映す鏡」とも言われます。大人である我々が、けじめをもって行動する必要性をあらためて感じさせられました。

7/6 朝会

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 今日の先生の話は、9月1日の防災の日にちなんだ話でした。

 東日本大震災の時に岩手県にいた先生は、震度6強の揺れを感じ、大変怖い思いをしたそうです。
 その経験から、リュックに防災グッズをいれて、置いてあるそうです。中身を少し紹介してくれましたね。覚えていますか。今日聞いた話を家に帰ってからして、夏休みの間に保護者の方と一緒にそろえるのも良いですね。

7/5 ありがとう

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 「ありがとう」
 いい言葉です。
 この言葉を一日に十回言えたら、心が豊かに、暖かくなるのではないでしょうか。

 こんな話があります。

 「A子さんが、教室の真ん中に何か丸まった紙屑に気づいて、それを拾おうと手を伸ばしたのですが、つぎに入ってきたB君が一瞬早くその紙屑を拾うとパッと屑箱に投げ入れたのです。
 するとA子さんは『あ、ありがとう!』とさわやかな声で言ったものです。自分が落とした紙屑ではありません。誰が落としたかわからない紙屑です。それなのに、ごく自然に『ありがとう』という言葉が出てきたのです。私は、この『ありがとう』は素敵な『ありがとう』だと感じました。」(校長の覚悟 関根正明著)

 すばらしいですね。
 「ありがとう」
 この言葉があふれる学校をめざしたいと思います。 

7/4 にんげんだもの

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 相田みつおさんの本が好きで、よく読み返します。
 「にんげんだもの」も彼の代表作です。

 つまづいたって
 いいじゃないか
 にんげんだもの


 ぐちをこぼしたっていいがな
 弱音を吐いたっていいがな
 人間だもの
 たまには涙を見せたっていいがな
 生きているんだもの

 この本の中の一つ一つが心に残ります。
 一度読んでみてはいかがでしょうか。

7/3 「い、き、た、あ、か、し」

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 今日の中日新聞夕刊に掲載された記事なので、もう読まれた方もみえるかもしれません。

 「28年前、甲子園の春夏連覇を成し遂げたPL学園高校の正捕手だった伊藤敬司さんが、野球人生を振り返る著書[PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って」(講談社刊)を出版した。野球を離れた後、体を動かす神経が破壊されていく難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)となった伊藤さんの野球にかける思いと、野球で培った忍耐力にこだわる姿が描かれている。」

 彼が、ALSかもしれないと知ったのは2008年3月。それから病状は悪化し、現在、動かせるのは眼球とまぶた、左足の親指。唇も少し動くが声を発することはできません。そんな状態で、本を執筆しようとしたわけは「い、き、た、あ、か、し(生きた証)」です。

 彼は、「病名を知ったときは、『なぜ自分なんだ』と受け止められず、『できることが一つずつなくなっていくことは堪え難いものでした』と述べています。野球を愛し、グラウンドを走り回っていた自分が、動けなくなってしまった。軽々しく言うことではありませんが、彼の悩み、苦しみはさぞ大きかったことでしょう。

 
 教員にとっての「生きた証」は何だろう。
 ふと考えてしまいました。
 教育者である教員にとって、「生きた証」は学校を巣立っていく子どもたちではないかと思いました。子どもたちの成長をしっかりと支えていく教員でありたい、この記事を読んで、こんな思いを強く持ちました。

7/2 名も知れぬ少女の言葉

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「詩人で翻訳家の加島祥造(かじましょうぞう)さんによる『英語名言集』(岩波書店)は、滋味あふれる百の言葉を紹介しているが、冒頭を飾るのは、名も知れぬ少女の言葉である。『これを見つけた人を、誰であれ、わたしは愛します』。
 孤児院にいる少女が、この言葉を紙片に書き付けては、窓から外へ投げる。いく枚も、いく枚も。この少女にとって、誰かに差し出すことができる唯一のものが、『愛』だった…。加島さんはそんなことを米国の友人に聞かされ、心を揺さぶられたという。
 私たちの目に見えないだけで、この国の街角にも、子どもたちの叫びが書かれた無数の紙片が落ちているのかもしれない。最も愛してほしい人に傷つけられてしまう子どもたちの声にならぬ声である。(後略)」(中日新聞 中日春秋より)

 虐待児童の相談件数が増加しています。虐待で亡くなる子どもも後をたちません。悲しい出来事です。虐待の件数が少しでも減少するように、この名も知れぬ少女の言葉を心に刻んでいきたいと思います。

7/1 国民安全の日

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 今日は国民安全の日だということを知っていましたか?
 
 国民安全の日は「日本国民の一人一人が施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日」として制定されました。制定されたのは、1960年(昭和35年)5月6日で、毎年7月1日と定められました。(ウィキペディアより)

 もう制定されてから55年が経過しています。
 最近は、火山の噴火や地震などの自然災害が各地でおこっています。また、減少してきたとはいえ、交通事故もおこっています。今日の日を機会に、自分や家族の安全を考える日にできると良いですね。

6/30 研修会に参加して

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 知多地方小中学校長会研修会がエスペランス丸山で開催されました。講師は、名古屋大学大学院工学研究科技術補佐員 竹内幸久氏、演題は「世界で活躍できる人材の育成」でした。

 内容は多岐に及んでいましたが、少し紹介させていただきます。
 人間の記憶はまず一時記憶脳に入ります。それを永久記憶脳に知識を移動させます。そうして、知識は定着していきます。そのとき、記憶するスピードを上げて、判断脳・創造脳を同時に活用するように体の鍛練をします。
 その方法として
 ●目が360度スムースに動く。(動くものを瞬時に記憶)
 ●右手・左手を同時に動かし、左脳・右脳を同時活用。(左脳:キーワード、計数能力 右脳:イメージ記憶)
 また、脳が疲れない様に、脳の活性化(脳に栄養分を送る。)ために、肩の凝らない姿勢、深呼吸・腹式呼吸(肺活量:3000ccを狙う)

 ほかにも、今後の学校教育の在り方、生活リズムの作り方、日本人に足りない能力とその鍛え方などを教えていただきました。参考になる内容が多い研修会でした。 

6/29 朝会

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 始業式に話をした「みんなが集まったときは静かにする」ことが守れなくなってしまった子がいます。気持ちがゆるんでいる証拠です。気持ちがゆるむと、けがや事故が起きやすくなります。明日からプールですし、来週は保護者会で半日になります。今一度気持ちを引き締めて、後3週間を過ごしてほしいと思います。

 私からは、「けじめと集中力」の話をしました。遊ぶときは思い切り遊ぶ、学習するときはしっかりと気持ちを入れて取り組む。そのけじめをつけてほしい。授業中も、気持ちが遊びの方にいっていたのでは、学習したことが定着しません。
 また、先生の話を聞く、友だちの話を聞くとき、集中して聞いてほしい。よそ事をしたり、何かしながらの「ながら聞き」は頭に残りません。学校で、より多くのことを頭に入れるのに、集中力は欠かせません。後3週間、けじめと集中力をもって過ごしてほしいと思います。

6/28 1学期も後3週間

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 ふと気がつくと、1学期も後3週間になりました。。
 授業を大切にして、この3週間で、1学期のまとめをしましょう。そのため、学校に来る1日1日が大切になります。
 
 また、30日(火)からは水泳が始まります。
 梅雨のさなかなので、天候が心配です。
 何とか天気が良く、予定通りできるといいです。

 明日は月曜日。また、みんなの笑顔に会えることを楽しみにしています。

6/28 何事かを成し遂げようとすることは・・

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 孟子の言葉に「為すこと有らんとする者は、辟(たと)えば井(せい)を掘るが若(ごと)し」という言葉があります。

 分かりやすく訳すと、「何事かを成し遂げようとすることは、井戸を掘るようなものである。」となります。「井戸を掘るようなもの」というたとえはよく聞くと思います。

 教職研修(教育開発研究所発行)2015年3月号の中で、弘前大学教授 山田史生氏は次のように書いています。

 「学問を治めるということは、井戸を掘るようなもので、やればやるほど困難にでくわす。辛抱づよくやらないと、とうてい成功できない。
 掘っても水が出るとはかぎらないが、掘らなければ決して水は出ない。ただ掘ればいいってもんじゃなく、どこを掘るかってことが問題だし、また水が出るまで掘らねばならない。何事かを成し遂げるというのは難儀なことである。」

 今、「井戸」を知っている人が少なくなりました。けれども、「井戸を掘るようなもの。」という言葉は、まだ時々聞かれます。まず行動しなければ何も始まりません。そして、行動したら根気強くやってみる。学問とは、そういうものだと私も思います。

6/27 一日一日にけじめをつける

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 土光敏夫氏を知っていますか?
 1950年に石川島重工業の社長に就任し、大赤字・給料遅配・スト続きで苦しむ会社を経営合理化し再建を果たしました。その後、1965年に業績低迷の東京芝浦電気(現東芝)の社長に就任、1972年、会長となりました。また、中央財界にあっては、経済団体連合会会長として指導力と行動力を発揮し、日本経済の発展に尽くしました。決して奢ることはせず、食生活も質素で、おかずは味噌汁とめざしであったそうです。

 その土光敏夫氏に「土光敏夫 信念の言葉」 PHP研究所 編 があります。その中の一番初めに出てくるのが「一日一日にけじめをつける」です。少し長いですが、引用します。

 きょうという日は、すべての人にとって平等に訪れるかけがえのない一日である。自己の人生にとって初めて訪れた日であり、またけっして再び訪れることのない日でもある。
 だから、この一日を粗末に過ごす人は、毎日を粗末に過し、一生を粗末に過ごすことに通ずる。
 一日一日にけじめをつけていこう。きょうのことは、きょうやってしまおう。これは、忙しいとか暇があるとかの時間の問題ではない。志の問題である。
 「あしたにしよう」という弱い心に、自ら鞭を打て。あしたという日には、またあしたやるべきことが待っている。

 そのとおりですね。「けじめをつけていくこと」を大切にしていきたいと思います。

6/26 うかつあやまり

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 先日の朝会で「江戸しぐさ」の話が出ていました。そこで、少し調べてみたら、こんなものがありました。それは、「うかつあやまり」です。紹介します。(越川禮子著 暮らしうるおう江戸しぐさ 朝日新聞出版)

 たとえば人に足を踏まれたとき、踏んだ人はもちろん謝りますが、踏まれた人も「こちらこそうっかりしまして」と、口には出さなくともそぶりを見せると、その場が何となくいい雰囲気になります。江戸ではこういったしぐさを、「うかつあやまり」と言いました。
 (中略)
 「うかつあやまり」の真意は、トラブルを事前に察知し、素早く対処できなかった自分のうかつさを反省することにあるのですから、きびしいものです。
 現代は、ますます物騒になってきましたし、家の中では安全で自由でも、一歩外に出れば何が起こるかわからない世の中です。
 (後略)

 いかがでしょうか。
 江戸の人は、心にゆとりがあったのですね。
 こんな「うかつあやまり」の気持ちをみんなが持っていれば、トラブルは起こりませんね。

6/25 もうしないでね

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 今日の中日新聞の中日春秋に次のような内容が書かれていました。

 名彫刻家だった父親の死後、せがれが跡を継いだが、どうにも腕が悪い。かつて父親に世話になった店の主人が恩返しで、せがれの不出来な作品を買い取ってきたが、ある日、せがれが持ってきた作品を見て堪忍袋の緒が切れる。人情噺の名作「浜野矩随(はまののりゆき)」の一席である。
 せがれが彫ったのは馬だったが、足が3本しかない。店の主人が問うと「ウトウトしていて1本落としてしまった」。主人はそんな代物を持ち込んできた了見が許せず、ひどく叱る。 
 こっちの話は「1本落とした」ではなく1本増やしてしまった。小学校1年生が使う国語の教科書の挿絵。少女の腕が3本あるように誤って描き、1万冊弱を回収する騒ぎになった。
 (中略)
 間違いは誰にでもあり、それは教科書とて例外ではないということか。
 あの人情噺で不器用なせがれは母の命をかけた励ましに奮起、父をしのぐ名工となる。
 少々甘い話に聞こえるかもしれぬが、教科書が間違えたと笑い、こき下ろすよりも「もうしないでね」と、静かに声をかける方がよほど失敗した人の了見を変えるということもあろう。

 いかがでしょうか。「もうしないでね」と優しく声をかけることはむずかしことかもしれません。ただ、失敗した人の気持ちを考えると、優しく声をかけることは、その人との人間関係をつくるためにも良いことではないでしょうか。 
 
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