最新更新日:2024/07/01 | |
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12/2 給食の献立フランクフルト、牛乳 今日はチキンライス。皆大好きですね。 4年生のこの学級も、楽しく食べていましたよ。 12/2 大好きな物語 3年生どんな物語が好きなのでしょうか。 完成が楽しみですね。 12/2 寺本保育園生活発表会
寺本保育園の生活発表会に行ってきました。
年少園児の発表を見ましたが、びっくりするくらい上手でした。年少さんだと、保護者の皆さんが気になるところですが、そんな姿もほとんど見られずに、一生懸命演じていました。4月の入園から8ヶ月・成長の様子がよくわかりました。 12/2 村まつり 2年生お祭り気分で、のりのりで歌いました。 学習した後は、音楽ノートでまとめました。 12/2 着替えの後 1年生丁寧にたたんでありますね。 1年生もこんなにできるようになりました。素晴らしいですね。 12/1 水木しげるさん逝く朝の連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」を知っている方もみえるのではないでしょうか。この「ゲゲゲの鬼太郎」の作者であり、「ゲゲゲの女房」の旦那である水木しげるさんが亡くなりました。93歳だそうです。 今朝の中日新聞の「中日春秋」にこんなことが書いてありました。少し長くなりますが引用します。 「声を出して、子どもに絵本を読んできかせることは、人生をもう一度生きることである」と、随想録「思い出袋」に記したのは、思想家の鶴見俊輔さんです。そんな鶴見さんがわが子に読み聞かせ、「自分自身の人生の戸口にふたたび立っていることを感じた」という傑作が、水木しげるさんの漫画「河童の三平」です。 (中略) 三平にゲゲゲの鬼太郎、悪魔くん…。水木さんは、その漫画を「妖怪たちが自らの存在を知らせるため、自分に描かせている」と語っていたそうだが、亡き戦友たちに描かされたという作品もある。第二次大戦の激戦地ラバウルを描いた『総員玉砕せよ!』だ。 水木さん自身はそこで左腕を失いながらも生還したが、あまりに多くの兵が誰にみられることもなく、誰に語ることもできないまま死に、忘れ去られた。 だから戦後長く、水木さんは他人に同情することもなく、「かわいそう」という言葉も使わなかったという。そういう言葉や同情の念は、戦場に消えた兵たちのものだと考えたからだ。 水木さんはきのう、九十三歳で逝った。しかし、その作品を開けば間違いなく、「失われたものたち」が動き、語りだすだろう。 作品を通じて戦争の悲惨さを伝えた水木しげるさん。深く哀悼の意を表します。 (画像は、中日新聞デジタル版より) 12/1 人権集会に向けて 3年生学習する中で、人権についての考えが深まってきました。グループでも相談しましたね。 12/1 人権集会に向けて 5年生
人権集会に向けて、人権標語を考えました。
グループで協力して、人権にふさわしい標語をつくることができましたね。 12/1 しかけカード 2年生どんな仕掛けを考えたのでしょうか。 12/1 カタカナ 1年生
ちょうど見に行ったときは、カタカナの「ナ」を練習していました。カタカナもどんどん進んでいきますね。
12/1 卒業文集 6年生もう卒業の準備。早いですね。 12/1 なわとび 4年生前回し跳び、後ろ回し跳びを1分間跳びます。 後ろ回し跳びは、難しかったですね。 12/1 本日の給食12/1 師走この月を「師走」というのはなぜでしょうか。 調べてみると、いろいろな説があります。 少し紹介します。 「師が走る」説とは師が走る季節だからということなのですが、この「師」が誰なのかによってまたいくつかの説に別れます。その中に、「師=先生」というのがあります。12月は日頃落ち着いている学校の先生も忙しく走り回る月だというところからきた説です。現在でも年末は学校の先生にとって、1年の締めくくりとして、通知表の作成や行事、生活指導などとてもいそがしい月です。 もう一つ、「師=お坊さん」というのがあります。年末になるとお坊さんが家に来てお経をあげるという習慣が日本にはあります。ですので12月になるとお坊さんがとても忙しくなり、そこから来ているのではないかというのがこの説になります。 調べてみると、まだまだあります。 皆さんも一度調べてみてはいかがでしょうか。 |
知多市立八幡小学校
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