最新更新日:2024/04/26 | |
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学年の総まとめ
画像は本日の1年生の理科、2年生の国語の様子です。
どちらの学年も真剣に問題に取り組んでいました。 1年生の理科では、先日の県立入試の問題の中で1年生でも取り組める問題を見つけて解くという内容でした。 1年生の学習内容からの出題や1年生の学習内容を土台として考える内容も多く、そういう意味では「高校受験は1年生から始まっている」とも言えます。 今日は県立高校の合格発表です。 全員の合格を祈っています。 60名が飯舘中学校から旅立つ「感謝の式」となるよう卒業生から保護者の方にメッセージをお渡ししました。 義務教育最後の1年がこのような過酷な状況となりましたが、正面から向き合い、りっぱに卒業を迎えた頼もしい姿に涙する保護者や来賓の方も多くいらっしゃいました。 卒業生の未来が光り輝くものであることを信じています。 なお、「ゆず」のお二人と日本テレビ東日本大震災特別番組「復興テレビ みんなのチカラ3.11」の皆様より、サプライズの演出として、映像でのメッセージをいただき、花を添えていただきました。 本日を迎えるまで本校にご支援をいただきましたすべての方々に厚く感謝いたします。 涙、涙の卒業式の様子は明日以降本HPでも、お知らせいたします。 特別皆勤賞誰にでも、具合が悪かったり、気分が優れなかったりして、「今日は休みたいなぁ」という日があります。本日表彰されたこの10名の皆さんにも、中学校生活の三年間の中には、おそらくそんな日が数日はあったことと思います。 しかし、積極的な健康管理により体調を維持・管理できたこと、そして何より丈夫な体と「学校は休まない、休めない」という強い意志があったことにより達成できたすばらしい記録です。 本当におめでとうございます。 同窓会入会式式では小山同窓会長様より式辞をいただき、また、記念品として卒業証書ホルダーをいただきました。 卒業生の皆さんには、今後は伝統ある飯舘中学校の同窓生として、後輩達の目標となるよう活躍してほしいと思います。 祈りと鎮魂の一日
昨日は3月11日、東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りする一日となりました。
以下に先週金曜日に本校で行われた「東日本大震災追悼集会」の2年生代表生徒の作文を紹介します。 震災から1年がたとうとしています。わたしと家族は保原町に避難しました。避難をしてすぐのころは、近くに店が多く、電車などの交通機関もあるので便利だなあと思うこともありましたが、今はやっぱり飯舘村に帰りたいと思うことが多いです。そして、飯舘中学校の校舎でみんなと生活したことをよく思い出したりしています。 震災前は、川遊びをしたり、犬と散歩に出かけたり、楽しいことやリラックスできることがたくさんありました。でも、そういったことができなくなったことが残念で、心が暗くなってしまうこともたくさんありました。 この1年間に全国からたくさんの支援をいただきました。「ゆず」さんに歌を歌ってもらったこと、パティシエの方々にクレープを作ってもらったこと、そして数々の支援物資をいただいたこと、そのおかげで、心がなごんだり、元気をもらったりしました。 また、自分の周りには家族がついていてくれること、支えてくれる仲間がたくさんいること、そういった温かい心づかいに「感謝」という気持ちを今まで以上に感じました。 この感謝の気持ちは、この震災で得た大きなものだと思います。 今は避難していますが、わたしたちが飯舘村民であることに変わりはありません。村民としての誇りを持ち、いつか飯舘村に帰れることを信じて、みんなと力を合わせて、今できることに精一杯取り組んでいきたいと思います。 なお、3年生の作文は「学校だより9号」に掲載いたします。 東日本大震災追悼集会今日は、東日本大震災により亡くなられた多くの命に、同じ被災地の学校として哀悼の意を表し、全国からの支援への感謝と力強く復興に歩む決意を新たにするための集会を行いました。 以下は1年生の代表生徒による、この1年を振り返っての作文(一部略)です。 他の作文は本HPまたは「学校だより9号」で紹介します。 あの大震災があってもうすぐ1年が経ちます。今まで仲の良い友達と離れてしまい笑顔が消えつつありました。しかし、また新しい出会いがたくさんありました。原発事故でつらい避難生活をしていますが、そばにいて私を支えてくれる友達がいました。相談にのってくれたり、メールをくれたり、友達の笑顔に毎日励まされました。 私は原発事故が起こってから最初に栃木県に避難しました。栃木県の中学生が一緒に遊んでくれたり、温かい食べ物をくれるのがとてもうれしく感謝の気持ちでいっぱいでした。 この避難生活はとてもつらいことになりました。あの美しい飯舘村を離れ、そして家族も離ればなれになり、悲しい気持ちで涙が止まりませんでした。 そして、学校生活。入学式は飯舘村でやることができてよかったと思います。しかし、飯舘村に住むことはできないので、隣の川俣高校の仮校舎で勉強をしています。 あのりっぱな中学校で勉強できなかったのが残念でした。行事も少なくたいへんでしたが、この1年はみんな助け合い絆は深まったと思います。 避難したアパートは狭く、勉強する自分の部屋がないのがとても不便でしたが、毎日勉強を頑張っています。つらい思いをしているのは私だけでなくみんな同じなので、これからも頑張っていきたいです。 どの生徒の作文にも「感謝」と「復興に向けての決意」が感じられました。 この後、全員で1分間の黙祷を捧げました。 改めてご冥福をお祈りいたします。 3年生 社会科〜貿易ゲーム〜今日は、3年1組の社会科最後の授業で、「貿易ゲーム」を行いました。貿易ゲームとは、グループごとに渡された用具や用紙を使って、決められた図形を作製してお金を稼いでいくゲームです。ただし、グループによって、スタート時に配布される用具や用紙は違い、不平等な条件のもとでの貿易がどのような結果をもたらすかを体験し、それぞれのグループ(国)の状況を理解することが目的です。 最初は、どのグループにも戸惑いが見られましたが、他のグループと交渉したり、能率よく作製を進めるために役割分担をしたり、徐々に工夫が見られ、教室は大変盛り上がりました。 授業後の感想をいくつか・・・ ●資源(用紙)を無駄なく使い、手早く製品を作れた。 ●楽しかった。でも、現実は厳しいと思った。 ●発展途上国と先進工業国の貿易の違いがよくわかった。 これまでの国際問題の授業の理解が深められたようです。 飯舘村より
本日、飯舘村本校に卒業式に使う校旗やパイプイス等を取りに行きました。
気温は4度くらいありましたが、依然として正面玄関前は積雪があり長靴が必要でした。しかし、飯舘に向かう道路脇は少しずつ雪解けも進み、遠くから春の足音が聞こえてくるようでした。 画像は上から、本日2時頃の正面玄関、懐かしい生徒昇降口、そして先生方の机だけが寂しく残っている職員室です。 卒業式場下見 その2
昨日、2回目の式場下見を実施しました。
川俣町中央公民館で行う卒業式の細かい位置関係や音響等の打合せを行いました。 初めての会場での式となりますので、保護者の皆様や来賓の皆様にはご不便をおかけすることもあるかもしれませんが、ご容赦ください。 「感謝」をテーマとした卒業式が感動に包まれた式となるよう、生徒と共に頑張っておりますので、当日のご出席よろしくお願いします。 画像左はステージ上から見た保護者席、右は緞帳のしまった状態のステージです。 当日、この幕が開き、第24回の卒業証書授与式が始まります。 卒業式全体練習式は川俣町の中央公民館で行われます。式場での練習は当日の午前中のみで、ほぼ、ぶっつけ本番となりますが、礼法や式歌など今できる限りの練習に真剣に取り組みました。 予行と同窓会入会式は来週の12日(月)の予定です。 雨具について左は本日朝の「傘立て」の画像です。 30本位しかありませんので、100人程度は傘を持ってこなかったことになります。 生徒に聞くと、 「朝は降っていなかったから」 「車で送ってもらっているから」 という返事が返ってきますが、それにしても少なすぎますね。「面倒くさい」のが本心でしょうか。 中学生ですから、天気予報を見て雨具を用意することぐらいはできますが、ご家庭でも一声かけてください。 右は本日の2年生の下足箱の様子です。きちんとそろえられていてすばらしいですね。 本日のような路面状況で濡れている靴が多くありました。学校では路面状況により、濡れても大丈夫な「ブーツ」「長靴」やその他の履き物も認めています。 本日の下校午前中まで降った雪は、昼頃から雨に変わり、降り積もった雪が解けて、足下は最悪の状態です。 スクールバスのせいもあって、傘をささない生徒もいます。 受験生が風邪などひいてはたいへんです。傘を持つよう、ご家庭でも声をかけてください。 飯舘村から その2大きく、明るく、りっぱな体育館です。体育や部活動、様々な行事がここで行われました。生徒の皆さんには、本当に懐かしく感じられることと思います。 ここで昨年3月11日の午前中に卒業式が行われました。 そして、午後2時46分の大震災…。 校舎の被害はほとんどありませんでしたが、この体育館の天井のパネルが数枚落下しました。現在は補修工事も終わりきれいな状態に戻っています。 天井の落下の危険があり、避難所にはなりませんでしたが、災害復旧のために派遣された自衛隊の宿泊所として使われました。 持参した線量計では、アリーナ内で0.42マイクロシーベルト/時でした。 飯舘村から その1県道50号線の路面もシャーベット状で滑りやすく危険です。通行される場合は十分に注意が必要です。 画像は今日2時半頃の飯舘村本校前庭リアルタイム放射線測定器の様子です。積雪のため、値はいつもより低くなっています。 現在の値はHP右の「リアルタイム測定結果」をクリックしてご覧ください。 2年生 給食の準備写真は、2年生の給食準備の様子です。3校時目の授業終了後15分間を目安に、みんなで準備に取り掛かります。運搬する人、配膳する人、並んでスムーズに準備を進めていく人…みんなのチームワークがなければ、15分で38人分の給食を準備することはできません。男子も女子もそして先生方も協力しながら準備に取り組んでいる様子が、写真からも伝わると思います。 最近は、給食をおかわりする人も増えてきました。あと1カ月あまりで、3年生に進級します。心も体も成長させながら、みんなで堂々とした最上級生になりましょう! 1年生 国語1年生も1ヶ月後には2年生です。 4月からは先輩として、学校の中核としての活躍を期待しています。 卒業式に向けた練習始まる!
3月1日(木)
卒業式まであと12日となりました。例年より少し遅いスタートとなりましたが、本日、第1回目の卒業式に向けた練習を行いました。卒業式の会場が川俣町中央公民館というこで、本会場での練習ができない分「1回1回の練習を充実させて本番に臨もう。」という心構えを確認しました。「♪今 別れの時 飛び立とう 未来信じて・・・♪(卒業生の式歌「旅立ちの日に」より)」3年生の歌に「卒業」という言葉が実感され、ほんの少し寂しい気持ちになりました。いろいりな経験をした分、より豊かな心をもった大人へとなってもらいたい・・・と願うばかりです。 「旅立ちの日に」この日はテレビの取材もありましたが、真剣に練習に取り組んでいました。 多くの学校の卒業式で歌われている、この「旅立ちの日に」は、ある中学校の校長先生と音楽担当の先生によって、たった一日で作られた曲なのだそうです。 埼玉県秩父市立影森中学校の小嶋校長先生は、荒れていた学校を立て直すために「歌声の響く学校」にすることを目指しました。 3年目にあたる1991年、音楽科の坂本教諭は「卒業する生徒たちのために、何か記念になる歌を残したい」との思いで、作詞を小嶋校長先生にお願いしました。 翌日、書き上げられた詞を見た坂本教諭は、その内容に感激し、すぐに楽曲制作に取り組み、たった15分で書き終えたという話です。 出来上がった曲はたった一度だけ「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための曲でしたが、その翌年からは生徒たちが歌うようになり、その後まわりの小中学校でも使われ、全国で歌われるようになったということです。 残念ながら、歌詞は著作権の関係で紹介できませんが、卒業式当日に思いを込めて3年生が歌う「旅立ちの日に」を今から楽しみにしています。 今日から3月3年生はあと9日で卒業、1・2年生もあと16日で今年度修了となります。 画像は今朝の登校風景です。 左後方には「卒業証書授与式式場」の看板が見えます。 今日は県立高等学校の卒業式です。 雪!雪!!教室から見える桜の木にも雪が積もり、春の訪れが一歩遠のいたようです。 そんな飯舘中に、ステキなマスコットが登場しました! 飯舘中サッカー部(2年生)による作品。4段重ねの雪だるまです。 生徒達、雪でも元気です!! |
飯舘村立いいたて希望の里学園
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