最新更新日:2022/09/13 | |
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「外から見た小浜中学校の歩み」(創立40周年記念同窓会詩より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
歴代校長が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 外から見た小浜中学校の歩み 私が初めて中学校の教員として教壇に立ったのは、昭和25年である。最初の勤務校は岳下中学校。当時、未だ戦争の傷跡が癒えず、物資食料など極端に不足しており、運動具などもなかなか手に入らず、しかも粗悪であった。そうした中にあっても生徒のスポーツへの意欲は旺盛であった。その頃、安達郡には26の中学校があった。学校数が多いことから、中体連大会や各種コンテストに入賞することなど容易なことではなかった。しかも郡大会に出場するためには、方部大会という関門を通り越さなければならなかった。従って安達郡を制覇するということが、各校の監督や選手達にとって見果てぬ夢であった。 こうした状況の中、ひときわ光っていたのは小浜中学校チームであった。文字通り小浜中チームは郡大会の常連であった。当時、郡大会の会場は例年二本松であった。小浜中チームが会場に現れると、一種独特の威圧感があった。身長は概ね粒が小さかったが、それにもかかわらず小浜中のユニフォーム姿を見ると皆の視線が集まった。また、抽選が行われ、小浜中とぶつかると、皆一様に嫌な顔をしたものである。私は今でも小浜中のプレーの姿を覚えている。決してスマートなチームではなかったが、粘り強くてしぶとくて、監督の指示通り一糸乱れず動いていた。また、基本には極めて忠実であったことも、部外者であった私達の良いお手本であった。 野球ばかりでなく、ソフトも男子テニスもバレーもいいチームであった。特に、ソフトチームの強さは群を抜いていた。押しても引いても動かない岩のような重さを持っていた。スポーツは同情されるようになったらおしまいである。小浜中は真面目なチームカラーであったが憎まれることが多かった。強かったからである。郡七連覇の快挙も決して偶然ではなかったのだ。 昭和33年、私は住み慣れた岳下中から白岩中に転任した。白岩では、野球部・ソフト部を連れて、自転車でよく小浜中に練習試合にきたものだ。やられて生徒と一緒に成田の道をとぼとぼ帰って行った。「強いなあ」と云うのが実感であったし、僅差の接戦をした後など満足であった。 去年(昭和61年)私は縁あって小浜中にお世話になることになった。夢よもう一度!「君達の先輩は強かった。君達もその強さ逞しさを見習ってほしい。」私はそう云い続けて生徒を激励している。嬉しいことに眠っていた小浜魂がやっと目を覚ましたようだ。勝つ味と喜びを覚えてきたようだ。勉強もぐんぐん力をつけてきている。もう一歩だ。もう一息だ。 生徒が奮い立つ陰には、小浜中学校40年の歴史と伝統の重みがある。このどっしりした重みを支えに生徒達は、弛みない歩みを続けていくと信じている。 _________________________________ 今後も小浜中のよき伝統を継承し、子どもたちが弛みない歩みを続けられるよう指導・支援していきたいと思います。 |
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