最新更新日:2022/09/13
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「遠い想い出」(創立50周年記念誌より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 同窓会代議員の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   遠い想い出

 私たちは、敗戦という悲惨な毎日を送る昭和21年4月高等科1年入学か希望者は旧制中学へ進む往時の世相を思うと、シベリヤなど外国からの引き揚げ者が毎日何万人と舞鶴や呉の港で、ごった返しであった。
 国内にあっては、食料や衣料不足で都会から地方へ来て、痛ましい想い出の衣料を持って米などと交換に汽車に毎日満員であった。(当時1ドル360円)『米よこせ』のデモが東京を始め都市部で大騒ぎだった。
 昭和22年マッカーサー元帥の指導により教育基本法が公布され現在の6・3制となる。
 私たちは、新制中学2年となり初めて男女共学になった。校舎は、小学校北校舎の一部を借用して新制中学校がスタートしました。
 教科書はなし、たとえば音楽でしたら先生は小学校兼務の松本正二先生、歌「異国の丘」など木製のオルガンをひき本がないので耳で覚えた。
 国語は、大内貞先生が島崎藤村や松尾芭蕉などの本を数多く読んでくれました。また本がなく作文をひんぱんに書かされたことが記憶に残っている。
 スポーツでは、野球が戦争中禁止であったが終戦後間もなく人気をとりもどした。しかし用具が購入できず手づくりの「バットやグローブ」でしばらくの間は我慢してやった。学校ではイナゴとりなどして野球用具一式を購入していただいた時の喜びは生涯忘れることはできません。
 私も野球部へ入る。監督は、柔道の達人でもある佐藤哲雄先生がなったが、野球はまったくの素人で本を読みながらよく指導してくれた。
 当時、早稲田大学の現役選手を招き本場野球を教わったりして小浜中は、郡内でも強かったです。
 今振り返って当時を思うとき、苦しかったという印象は私にとってそんなにない、むしろ波瀾万丈の時代、今とはうらはらの時代、青春に富む中学時代、先生と楽しく過ごした想い出は語り尽くせなく、50年過ぎたいま恩師が減っていくのが淋しい。
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 当時の物資不足で苦労したことがよくわかります。「物を大切にする」ということは、不易でありこれからも大事にしていきたいです。
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2/14 期末テスト(第1・2学年)
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PTA行事
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