最新更新日:2022/09/13 | |
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「わが郷土」(昭和47年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ わが郷土 私は福島県安達郡岩代町の中にある「下折長」という所を紹介しましょう。 この下折長は昔、長折だけであったが、明治の初め頃、上折長と下折長に分かれたそうです。ここは農業を中心とした、純農業地帯で、田が少なかったので養蚕を主とし、絹糸をとり、それを打ったりし、炭をたき、一部では紙の原料となる、こうずの木を煮て皮をむき、それを一里半もある上川崎に背負っていって、売ってきたこともあったそうです。 しかし、今は兼業農家が大部分をしめるようになり、夏には養蚕やたばこの他に、キュウリを栽培する家も増えてきて、少しずつではあるが、この下折長も、経済的に困らなくなってきている。また下折長付近には大正12年頃、発電所ができ、早くから電気が通るようになった。 ランプから電気になったときの喜びを、祖母はよく私たちに、語って聞かせてくれる。こうして今日のように発展した反面には、すたれた慣習などがある。下折長にはずっと昔安土桃山時代頃から諏訪神社があり、その祭礼として三匹獅子が踊り、横笛・太鼓などの楽器で演奏されるもので、その家の長男のみが踊ることができるものである。だが、その祭りの日は、初めは旧の7月27日になった。昔は年に2回も祭りがあったそうだ。そしてどの部落でも獅子を出し全部で、5組も出そろい、豊年を祝い、部落の悪払いをし、客を呼んで、にぎやかに過ごしたそうだ。が、現在では2組ほどしか出なくなった。残りの2組が出なくなったのは、人数が少なくなりあとを継ぐ人がいなくなってしまったからだそうだ。 私は本当に、残念な話だと思う。と同時に、私たちの世代で、なくすことなく、今後いつまでも残しておきたいと、強く願っている。 _________________________________ |
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