最新更新日:2022/09/13 | |
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「浜中創立50周年に寄せて」(創立50周年記念誌より)歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 浜中創立50周年に寄せて 戦後の混乱と疲弊の中で教育の機会均等の理念のもとに「学校教育法」が昭和22年3月に施行公布され、県下一斉に新制中学校が発足してから、今年で50年の節目の年を迎えました。 我が母校小浜中学校においても昭和22年5月に設置され、創立50周年を迎えました。 この50年の間には七千有余の卒業生を送り出し、それぞれの分野において活躍されておられることは申すまでもなくご承知の通りであります。その陰には、財政的に恵まれない時代にあって学校建設等教育環境の整備を担当されている行政当局、あるいは教育力向上に熱心に当たられた学校関係者、そして、それを支えてきた地域社会の諸先輩の方々が、戦後の荒廃した社会にあって、先進諸国に追いつけ追い越せとの意識・情熱が力となって小浜中の伝統を築かれた結果だろうと思います。 さて、戦後半世紀が過ぎ、世界有数の経済大国に成長してゆく過程で失われた自然環境・人間関係・そしてその地域にしかない伝統文化がそのまま残されている我が郷土小浜を、どう子供たちに伝えてゆくかを考える今日このごろです。 讃たる栄光小浜中学栄えあれ! _________________________________ 先人の並々ならない努力と苦労があって現在の素晴らしい小浜中があります。伝統はきちんと引き継がれてきています。 「むかしの はなし」(創立50周年記念誌より)歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ むかしの はなし 創立50周年、まことにおめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。この歴史は、たくさんの人々の、長〜い努力と、協力があったればこそと、確信いたします。 当時を振り返ってみますと、昭和32年4月、小浜中学校へ入学致しました。春はふき取り、秋は、いなご捕り、養蚕多忙時の農繁休業等がありました。 又当時から運動も盛んで、私はテニス部に所属していました。郡の大会では、我が小浜中は、常に上位の成績で、小浜中同士で決勝を戦ったこともありました。私達が3年の時から、県大会が開催されることになり、小浜中より、本多・大内組が会津若松市で開かれた、最初の県大会に出場したのが、つい昨日のように、懐かしく思い出されます。 _________________________________ 中体連県大会の歴史はここから始まったのですね。 「創立50周年記念に憩う」(創立50周年記念誌より)
学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 創立50周年記念に憩う 今、振り返り思えば、自分が在学していた頃は半分が木造校舎であり、冬は石炭のストーブでした。私は昭和35年度卒で、子供3人が中学校にお世話になりました。過ぎ去る歳月は本当に早いものです。私自身は10年間PTA活動に携わりました。その間には数知れないほどの思い出があります。バレーの県大会(相馬)女子ソフト(新舞子)どちらも浜通りの会場でマイクロバスで応援に行きました。バスの中は大人の遠足そのものです。出来る限りの声をあげて応援しました。5年度は、会津喜多方プラザで吹奏楽の応援でした。これは声も物音も出せません。結果がどうか全然分からず不安の中、ゴールデン金賞の受賞。飛び上がり、抱き合って喜んだことが目に浮かびます。 視聴覚室にはパソコンが設置され、素晴らしい教育機材が充実しました。 この永き歴史と伝統のある浜中が力強く邁進しておりますのも、町の教育を始め、歴代校長、諸先生方々、PTA役員、保護者、生徒の努力と協力の賜物であると思います。 数千人の人が浜中の学び舎を後に、社会で活躍されていることと思います。今後も文武両道、忍耐と創造力を秘めた前途洋々たる生徒が、浜中の15の春を迎え、希望を胸に巣立つことを期待し、浜中の益々のご発展をお祈り申し上げ、お祝いの言葉と致します。 _________________________________ 今でも各種大会には、子どもたちに熱い声援をおくる保護者や地域の方々の姿がいつでも見られ、とてもありがたく思います。 「私の思い出」(創立50周年記念誌より)歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 私の思い出 私が会長の時の思い出の一つに、校長先生はじめ顧問の先生方のご協力により、各部活全体に保護者会が出来たということです。きちんとした保護者会も一部ありましたが、どのようにしてよいかわからなかった保護者会もあったようであります。ある時、保護者会長さんから他の部の保護者会はどういうふうになって、どんな事をしているんですかと相談がありました。それでは一度すべての保護者会長さんを集めて話を聞こうではないかと考えて、学校に集まってもらうことにしたんです。すると、いろんな意見がありました。役員はこうするとか又、中体連、新人戦の時はこうするとか、私達の部ではこういうものがほしいですとか、とても有意義な会になりました。それから現在まで、各部とも素晴らしい保護者会が続いていると聞く時は、すべての部に保護者会を作って本当に良かったなと、思っています。 保護者会が出来てからは、生徒達の活躍は素晴らしいものがありました。県大会、県北大会と、それぞれの部の今後益々の活躍と小浜中の発展をお祈り申し上げます。 _________________________________ 現在ある各部保護者会の歴史はここから始まったのですね。先人のご尽力にとてもありがたく思います。 「遠い想い出」(創立50周年記念誌より)同窓会代議員の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 遠い想い出 私たちは、敗戦という悲惨な毎日を送る昭和21年4月高等科1年入学か希望者は旧制中学へ進む往時の世相を思うと、シベリヤなど外国からの引き揚げ者が毎日何万人と舞鶴や呉の港で、ごった返しであった。 国内にあっては、食料や衣料不足で都会から地方へ来て、痛ましい想い出の衣料を持って米などと交換に汽車に毎日満員であった。(当時1ドル360円)『米よこせ』のデモが東京を始め都市部で大騒ぎだった。 昭和22年マッカーサー元帥の指導により教育基本法が公布され現在の6・3制となる。 私たちは、新制中学2年となり初めて男女共学になった。校舎は、小学校北校舎の一部を借用して新制中学校がスタートしました。 教科書はなし、たとえば音楽でしたら先生は小学校兼務の松本正二先生、歌「異国の丘」など木製のオルガンをひき本がないので耳で覚えた。 国語は、大内貞先生が島崎藤村や松尾芭蕉などの本を数多く読んでくれました。また本がなく作文をひんぱんに書かされたことが記憶に残っている。 スポーツでは、野球が戦争中禁止であったが終戦後間もなく人気をとりもどした。しかし用具が購入できず手づくりの「バットやグローブ」でしばらくの間は我慢してやった。学校ではイナゴとりなどして野球用具一式を購入していただいた時の喜びは生涯忘れることはできません。 私も野球部へ入る。監督は、柔道の達人でもある佐藤哲雄先生がなったが、野球はまったくの素人で本を読みながらよく指導してくれた。 当時、早稲田大学の現役選手を招き本場野球を教わったりして小浜中は、郡内でも強かったです。 今振り返って当時を思うとき、苦しかったという印象は私にとってそんなにない、むしろ波瀾万丈の時代、今とはうらはらの時代、青春に富む中学時代、先生と楽しく過ごした想い出は語り尽くせなく、50年過ぎたいま恩師が減っていくのが淋しい。 _________________________________ 当時の物資不足で苦労したことがよくわかります。「物を大切にする」ということは、不易でありこれからも大事にしていきたいです。 「私の思い出」(創立50周年記念誌より)歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 私の思い出 「光陰矢の如し」という言葉があります。早いもので母校が創立してから50年の月日がたちました。この学び舎から数千名の人々が社会に出て、それぞれの地域においてご活躍されておりますことは、誠に素晴らしく小浜中学校の誇りとするところでしょう。 戦後50年が過ぎ、さらには地方自治法が施行されて50年がたち、記念すべき創立50周年の事業であること誠に喜ばしいかぎりであります。 この母校が創立された頃の思い出は沢山あります。自宅の近くで遊んでいると本宮(旧グンゼ工場)が、爆撃されているのを、間近に見た思い出があります。 とても恐ろしい光景でした。又『蟻とキリギリス』の話のように、夏になると準備をしなければならない物がありました『薪』です、冬の暖房の為の燃料です。今の成田町田から約4キロの道を歩いて運ぶのです。今ではとても考えられないことです。 当時の私たちの学年は4クラスありました。今は全学年で9クラスと聞いております。小浜中に限らず全国的に少子化が問題となっております。又、以前は今のような「イジメ」等も無く狂気的な犯罪も無く平和な時代だったと思います。 今後も我々が学んだ母校を守り皆さんと共に継承し、小浜中学校が限りなく発展されますようご祈念を申し上げますと共に、50周年記念事業に際し、ご苦労されました、同窓会役員始めPTAの役員並びに教職員の皆々様に感謝を申し上げまして私の思い出の一言と致します。 _________________________________ 昔の苦労が実感できます。これからも「イジメ」のない明るく元気な学校にしていきたいと思います。 昭和61年度卒業生年直し同級会寄付贈呈式同級会は、1月2日に浜の湯で行われ、49名と恩師の先生方2名が参加し、盛大に行なわれたそうです。同級会の中で震災があり大変な年であったので、同級生一同として母校に記念品を贈ろうということになり、同級会に参加できなかった方々全員に声をかけ、寄付を募ったそうです。 贈呈式では、移川様、渡辺様から「これからの生徒のみなさんの活動で使っていただいて、さらに良い小浜中になってほしい。」というあいさつがあり、その後生徒会役員の皆さんに、「体育館ワイヤレスマイクシステム一式」が贈られました。 生徒会長の石川君から、「これから様々な行事で大切に使わせていただきます。」というお礼の言葉で式を締めくくりました。 同級生の皆様、本当にありがとうございました。 「創立50周年にあたって」(創立50周年記念詩より)当時の校長が書いたあいさつ文が目に止まりました。以下に原文の一部抜粋して紹介します。 _________________________________ 創立50周年にあたって 小浜中学校が創立されて50周年を迎えることとなりましたが、誠に意義深く、ご同慶に堪えません。 顧みますに、本校は飽和22年4月15日小濱町立小濱中学校として創立、同年5月1日開校、以来50年の歳月を経るなか、幾多の苦難を乗り越えつつ輝かしい歴史と伝統を築きながら、約7千名に及ぶ卒業生を送り出してまいりました。これも偏に、本校教育の充実発展に尽力された郷土の先人と奉職された先輩教職員各位の努力と、行政当局、地域住民のご理解とご協力の賜であり、これら多くの方々に対し心より敬意と感謝の意を表わす次第であります。 本校の沿革詩並びに学事報告記録を総覧して強く思うことは、「不易流行」という言葉です。ちなみに昭和23年度の教育目標には、『「社会の要求に応じ、正義感と責任感とが強く、自主的精神に富む」「真理を探究し個人相互の評価を尊ぶ」「正しい職業観をもち勤労を愛する」「明朗にして健康である」国民を育成する』と掲げられていますが、現在の教育目標と何かわることなくまさに不易であります。一方、学事報告に記載されている行事や進路やスポーツ(現在の部活動)の状況などはその年度その年度で変化がありまさに流行であります。そして、さらに思うことは、その時代その時代に対応すべく不易と流行の調和を図ってきた先輩教職員各位の英知と努力の姿であります。 今、学校教育は21世紀を目前にして大きく変わろうとしておりますが、創立50周年を迎え、これを機にこれまでの経緯を振り返り、先人の労苦と偉業を回顧するとともに、新たな世紀に向かって力強く前進しなければと、その意を固めておるところであります。そのためにも、日々の教育活動を停滞させないよう肝に銘じ、生徒一人一人に心豊かで社会の変化にたくましく対応する能力を育成し、郷土を愛しその発展に寄与する人間の育成に努めてまいりたいと考えております。 以下略 _________________________________ 小浜中学校創立以来、ずっと引き継がれ大切にされてきた不易をこれからも大切にしたいものです。 「小浜中学校創立50周年に寄せて」(創立50周年記念誌より)歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 小浜中学校創立50周年に寄せて 昭和22年学制改革により、6・3・3制がしかれ、私が第1回生とし30余人が尋常高等科より中学3年生として入学しました。 校舎は現在の小学校の体育館の所にあった旧校舎を小学校より借り、急こしらいの名ばかりの小浜中学校校舎で学んだ1年間でしたが、私たちは希望に燃えて、新しい勉強に新しい学校作りに励んだことが走馬燈のように思い出されます。 昭和26年学校教育も軌道に乗り学校設備も充実し、生徒の情操教育に是非、吹奏楽部を作りたいとの話があり、時のPTA会長さんが町に陳情したところ予算が少なく、何かよい方策がないかと・・・。私が1回生なので相談を持ちかけられて来たので、それでは同窓会を組織してみようと町内在住の卒業生に呼びかけ予算不足分を同窓生にお願いしたのが同窓会の出発でした。 同窓会も郡内では1番早く結成され、吹奏楽の楽器の購入資金も同窓生の後輩を思う心により、郡内1の吹奏楽の楽器を購入でき、生徒達の熱心な練習により、昭和26年県中学校音楽祭に参加し『最優秀校』に輝くことが出来たことが記憶に残る思い出であります。 _________________________________ 同窓会の原点がわかりました。「小浜中の子どもたちのために」ご尽力いただいたことに感謝申し上げます。 |
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