最新更新日:2022/09/13 | |
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「40年前に戻って」(創立50周年記念誌より)同窓会代議員の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 40年前に戻って 創立50周年を迎えるにあたり、40年前に戻ってみようと思います。 昭和32年の春、中学1年生になり毎日を楽しく過ごしたように思われます。 学校行事で、スポーツ関係ですとクラス対抗のソフトボール大会があり、各クラスとも昼休みの時間は、校庭でソフトの練習をしていました。大会のルールで、上級生との対抗には、ハンディがあり私達は優勝候補の3年生と決勝戦をやり、ハンディのおかげで優勝したことが思い出されます。 校内マラソン大会では、上級生にはかないませんがそれでも我がクラスの橋本君は、2年生や3年生にまじって上位入賞し皆で喜びあいました。 また、運動会の仮装行列では、全員で闘牛士をやったことや校内合唱コンクールでは、クラス毎にクラスの歌を作詞作曲して発表したことなど懐かしく思い出されます。 校内一斉テストでは、毎回50番まで総合点数と氏名が各学年の廊下に張り出されましたが2年か3年生になった時、総合点と順位だけで氏名の発表はなくなり話題もややうすれてきました。 フキ取りでは、何時でもクラスの本間さんが、リヤカーに積み運んでくるのでクラスの仲間は、どうしてこんなに取れるのか不思議でした。 当時、フキやイナゴ取りの収益は、部活動の運営費になるので各部が予算を出していかに多く獲得するか代表者によって、獲得合戦がなされました。こうした、奉仕作業を勉強しているより好きな仲間もおりました。 2年生の時、担任の佐藤先生が、校舎裏のゴミ捨て場をどうにかしようと提案され皆で土を運んで畑をつくり、サツモ芋の苗を持ち寄って植え収穫した芋を皆で食べたり、小麦をつくりそれをパンと交換したことなど昨日のように次から次へと思い出され、すっかり中学校時代に戻ってしまいました。 楽しい思い出がいっぱいの我が母校、小浜中学校が今後も、後輩達がよい学舎として発展し前進することを願っております。 _________________________________ 先輩方は、今では考えられないような大変な苦労と努力をしてきたのですね。 「野球と蕗とりの思い出」(創立50周年記念誌より)同窓会代議員の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 野球と蕗とりの思い出 小浜中の野球と言えば、佐々木先生を、当時校長先生であった鈴木先生が惚れこんで野球部の顧問として安達商より迎えて3年目で私達は、東達大会優勝、郡大会優勝、県北大会3位という成績を収めることができた。 当時を振り返ると県北大会は信夫ヶ丘球場で開催され私は、レフト前とライト前に2安打した記憶があり、あの有名な広い運動場で試合をしたことが、今でも信じられない。 夏休みは学校で合宿が行われ、ドンブリ飯でおかずもなく食べたことやある時は、雨降りの大会で、本多君が目の上にデットボールを受け大きな青たんこぶをつくり、目がかすんで見えなくても最後までがんばった姿は今でも忘れることができない。野球を通しても、又人生も同じだと思うが、最後までがんばる姿が人間として最も美しいと感じたことか。 毎日の練習も厳しく佐々木先生に「お前は足が遅いからグラウンドをもう1周回ってこい」等と言われたことも思い出される。 又、もう一つの思い出は、学校行事の1つであった蕗とりの思い出である。父の生まれた家に泊まりがけで蕗とりに行き、自分で取った蕗を何回も休み休み運んだ事。自分でも驚いているが小浜中の町内の生徒の中で1番量を取ったことである。あの苦しい経験や情熱を燃やした頃を思う時、何事においても努力しなければとつくづく思う。 _________________________________ 「努力は裏切らない」という言葉を思い出しました。努力が人を成長させるのですね。 |
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