最新更新日:2022/09/13
本日:count up1
昨日:7
総数:240257
ホームページを移転いたします。二本松市の新しいホームページhttps://www.city.nihonmatsu.lg.jp/school/page/page000025.htmlへご移動をお願いします。

「部活動の思い出」(昭和50年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   部活動の思い出

 中学生時代で一番の思い出に残っているのは部活動のことです。
 僕の所属していた部は剣道部で、1年になって直ぐ入部して基礎練習からやらされました。始めの頃は「基礎練習なんてもう小学校の頃からやっているのになあ」と思いました。けれども、何と言っても基礎が大事です。
 僕達は、ホームルームが終わると、直ぐに今の給食室である部室に行きました。時間のある時は家に戻ったり、校庭でふざけ合ったりしました。他の部には先生が来ているのに、剣道部にはなぜ来てくれないのかなと思ったりしました。僕達は部員の人数が少なかったので、1年生の時からレギュラーになれました。初めての試合だったので上がってしまい1回戦で敗れました。そして、去年も1回戦で敗れました。今年こそは優勝するぞとは行ったものの、またもや敗れましたが、去年より成績は良かったのだからそれでいいと思いました。
 この3年間の経験を生かして、社会に大きく役立てていきたいと思います。
_________________________________

「1095日を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   1095日を振り返って

 ついこの間入学したような感じがまだ心の奥に残っています。でも、もう中3で卒業である。3年間なんて短い気がします。
 中学生の思い出は、1年生の時によく遊んでその日を送ったような気がします。授業中はよく先生に注意を受けて、恥ずかしい思いをしたことを覚えています。それからこんなこともありました。あれは1年生の時で、僕はテニス部に入りました。でも2〜3ヶ月で辞めました。
 2年生の時はバトミントン部に入りました。あの時は、この部なら自分の持つ力を十二分に発揮できると思い入りました。自分がでれだけできるかと思ったのでした。部活動は毎日がとても楽しくなったのです。何しろテニス部を辞めて何もしなかったせいか、部に熱中して新人戦、中体連は3位、最後の中体連は6位、でもやるだけやったと心の中で思いました。
 これが僕の中学校生活の思い出、そしてこれが僕自身の青春でした。
_________________________________

「思い出」(昭和50年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   思い出

 3年間の思い出、中学1年に入学して初めて1年1組という教室に入った。この教室が、思い出を作る最初の基地である。最初の受け持ちの先生が、僕達にいろいろな事を教えてくれた。ガラスを割る事は悪い事とは知りながら、つい割ってしまう。そして怒られる。その他に板を折ったり、廊下を走って怒られたり、いろいろなことがあった。
 1年生の時は3年生が恐いと思っていたけれど、いざ3年生になってみると1年生が僕達を見てどう思っているかがわからない。
 話は変わって、中学1年で初めて社会科見学であぶくま洞へ行った。その他、日光見学や少年自然の家でのキャンプ、2年の思い出も様々な事があった。
 2年生になって思い出と言えば、どんなことがあるだろうか。印象に残る事と言えば校舎が少し新しいと言うこと。一に遊び、二に遊び、三四がなくて、五に遊びというように勉強なんてあまりやりませんでした。
 ところが、3年になったとたんに、一に勉強、二に勉強、三四がなくて、五に勉強ということでしたが、そんな合間に修学旅行がありました。修学旅行が終わると、またテストや勉強の繰り返しでした。
 3年生になれば必ず来るのが卒業、そして就職や進学です。先生やその他の人に迷惑をかけながら就職や進学が決まっていきます。こういうことをして、3年間の間に懐かしい思い出や嬉しい思い出、悲しい思いで、痛かった思い出、たくさんの思い出が作られてきました。僕達は、そういう思い出を残して卒業していくのです。
_________________________________


「四季の詩」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   四季の詩

 僕は、社会の地理を習ってこう思った。僕達の住んでいる日本列島やその他のいろいろ四季が見られる所はいいが、赤道付近やその反対の南極や北極に近い所は四季の変化が見られない。ただ、見られるのは白い雪か乾いた砂か雨の多い所しかない。それでは楽しくないなあと思った。そこで、僕はこんな詩を作った。

 春
 春には うぐいすが鳴く
 はっきりしているのはつくし
 つくしは小さくて
 なかなか目に入らない
 とてもかわいい草である

 夏
 夏の 太陽の元気強さ
 ひまわりの花のように
 暑さに負けず 遊ぶ子どもたち
 帰ってくるともう7時
 日が長く感じる季節

 秋
 秋は 柿の実の時期
 その他 読書の秋
 野菜の実の時期
 稲の実の時期
 いろいろな実の時期

 冬
 大地の色が変わる時
 静かな静かな毎日を送る
 一年の最後の季節
 みんなにとって
 忙しい月で一年が終わる
_________________________________

「3年間の学校生活」(昭和50年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   3年間の学校生活

 私は、約120人の友と一緒にこの学校に入学しました。次の日、私達は自己紹介をしました。その日は、いろいろ本を渡されました。私はあまり学校が好きではない。時々学校を欠席し、先生方に迷惑をかけました。その時の先生を忘れてはいけません。
 私達は、いろいろ見学旅行に行きました。その半年後にも行きました。そして、いろいろ作文も書かされました。また、2年になってからも学校をだいぶ欠席しました。けれど、そんなことにくよくよしてはいられません。
 見学旅行に行きました。見学旅行と言っても、遊びに行った感じです。それにしてもよく行きました。
 私は写真クラブに入り、いろんな人の写真を撮り、しおり作りをしたりしてとても面白く過ごしました。クラブの仕事がとても楽しく木曜日が待ち遠しかった。2年の時の卒業式には、今度は3年生になるという実感がわいてきました。4月1日に先生方が転任していきました。その時の先生の中に私の習った先生が混じっていました。その時はとても辛かった。でも、そんなことでくじけられません。こういう気持ちで3年になりました。
 3年になってからもだいぶ欠席しました。先生と友達の友情で何とか学校に出て来ました。そこで私はお世話になった人に年賀状を出しました。きっと卒業もできるでしょう。
_________________________________

「我ら青春」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   我ら青春

 「青春」という言葉を辞書で調べてみると、「若くて元気のいい時代」と書いてあった。しかし、青春は若い時代だけにあるものなのだろうか。そうではないと思う。
 中年、年寄りの人達にも青春はあるのではないだろうか。もちろん外側から見れば若いという言葉は出はしないが、内側から見ればどこかにあるのではないか。
 先日、60歳以上の老人達が長い道のりを走ったではないか。誰にでも青春はある。ただ、それを無駄にしているに過ぎないのだ。「青春」それは本当の人間の姿、ありのままの姿ではないだろうか。人生は長い。それは我らの宿命なのだ。
 我らが歩まねばならない道なのだ。それは、辛く苦しく涙あり喜びありの喜怒哀楽を十分に分かち合える道なのである。それを分かち合えるために「青春」というものがあるのではないだろうか。
 「我ら青春」
 自分の願望をぶつけ合え。そうすれば青春というすがすがしさが全身に満ちあふれる。
 友よ、一緒にぶつけ合おう。
 青春に向かって「我ら青春」と。
_________________________________

「この3年間を振り返って」(昭和50年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   この3年間を振り返って

 この3年間を振り返ってみると、短いものだった。
 1年の時が一番短く感じられ、あっという間に過ぎたようだ。まだ入学したばかりで不安と喜びでいっぱいで、やることを覚えることもいっぱいだった。部活動は放課後になるのが待ち遠しく、ボール拾いも毎日だけどとても楽しかった。1年の時は部がとても印象に残っている。
 2年に進級した時は、不安もなく足がしっかり地に着いていた。進級したとたんに「3年生になったら」「3年生になったら」という言葉を毎日耳にしていた。今思うに、2年生の時によく勉強しておけばよかったと今後悔している。後半はただ時間の流れに押し流されただけだった。
 3年生になると1学期の最初から忙しく、修学旅行や中体連などいろいろな行事があった。1学期には、中体連で勉強など全然と言っていい程しなかった。でも、夏休みが終わってからは、急に受験戦争が始まった。点数は少し上がったが、やはり限界があるのか上昇しなくなった。10月下旬には学校祭とテストでかけ持ちになってしまっている。テストは何回も受けているのであまり焦らなくなった。もうあとわずかで9年間の義務教育が終わってしまう。短い少ししかない貴重な時間を勉強で縛られてしまっていいのだろうか。
_________________________________

「中学校の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   中学校の思い出

 3年間の思い出を振り返ってみて、1年生での思い出は夏休みの宿題をきちんとやってこなくて棒でたたかれた思い出。
 2年生の思い出は、クラブで最初は男が僕一人だけだったので、友達を演劇部に入れた。それから、僕たちはクラブの時間になると逃げ回っていた。
 3年生の思い出は、校内陸上大会だ。優勝を逃したが、リレーは1位だったので嬉しかった。
 それから部のことだ。柔道部だった。何と言っても忘れられないのは練習だ。冬はとても寒く厳しかったが、みんな一生懸命だったので疲れるように練習した。しかし、にんな寒いから辞めようと言った時もあったが、友達の一人が最後までやると言って引っぱっていってくれたので最後までやり通した。そして、中体連、僕たちは優勝チームの本宮とやって点数の差で負けてしまった。その時の試合では僕が勝っていれば優勝したかと思うと、僕は悔やまれてならない。みんな全力で戦って敗れはしたが、この思い出が僕にとって素晴らしい思い出だと思うし、それに友情が深まった。
_________________________________

「心に残ったこと」(昭和50年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   心に残ったこと

 私は、今卒業文を書かされる身になって、3年間とは何と短くあっけないものなのだろうと思う。一つ一つのことがまるで昨日のことのように思えて仕方がない。が、それを文章に言い表すなどとは、作文が苦手な私にとって最も困難な仕事の一つなのである。
 まず思い出の1番は、何と言っても退屈な入院生活である。私は1年生生活の3分の1を薬臭い病院で過ごした。その単調な生活の中で特に印象深かったことが一つある。それは、私の隣にいた若い女の人のことだ。一生治らない病気を持ったその人は、私にいろんな話をしてくれた。でも、私はその時、その話をあまり心に止めておかなかった。
 退院してからも私は大事にしなければならなかったので、皆とは違う生活をした。差別待遇される、私はそんな自分が嫌だった。逃げ出したかった。しかし、そんな時思い出したのがあの女の人の言葉である。「どんな事があってもくよくよ悩むな。そんな暇があったら何かしなさい。もっと不幸な人がたくさんいるのだから。」その通りなのだ。私はまだまだ幸福だ。そう思ったとたんに、私の胸のわだかまりは消え去った。
 私は2年生になった。そして2学期。2年生は体育館に呼び出された。そして生徒会立候補の話を聞かされたのだ。友達から出てみたらと言われ、がぜん勇気が湧いてきた。今考えてみると、あんなに本気になったことがおかしく思われる。開票の日、私は胸をときめかしながら開票結果を発表を待っていた。私の名前のそばに当選の当と書いてあるのを、その時私の手を握って「よかったね。」と行ってくれた友のあの笑顔は今でも忘れることができない。
 まだまだ心に残ったことはたくさんある。私はそれらを大切にしながら未来に向かって歩いていこう。
_________________________________

「3年間のあやまち」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
_________________________________

   3年間のあやまち

 この3年間を有意義に過ごせただろうか、今になってこんなことを考えてみる。毎日毎日、「明日がある」「まあいいや」なんて思って過ごしていた俺は、今はどうしようのないせっぱ詰まった気持ちでいっぱいだ。今日一日一日を無駄に使い、そして自分を甘やかす、たまにはこれでは駄目だと何度かやり直そうとする、そしてまた時間の無駄使いをする。こんなことをして過ごしてきたこの3年間が悔やまれたならない。そして、また明日も、その明日もそんなにしていくと思ったら無性にやるせない気持ちになってしまう。そして、一丁前に自分を良く見せようと飾る気持ちだけが今思う。もう一度この無駄にしていた日が返ってきたら、今度は、今度は有意義に過ごしてみせる。一日一日を大切に使っていってみせる。でも無理かな、ちくしょう、自分で自分が嫌になる。本当に何が残ったこの3年間に。何を覚えた、この3年間に。もう一度、もう一度1年生に戻り、何もかもやり直したい。あとわずかなこの3年間を、今日一日一日を大切に過ごしていくことができたら、それだけで俺は満足だ。明日を考えず、今日一日だけを大切にしていきたい。
_________________________________
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    
学校行事
2/13 期末テスト(1・2年)
2/15 PTA授業参観
2/18 朝会
PTA行事
2/15 PTA・体育等後援会役員慰労会・受賞者感謝会
PTA総会
その他
2/14 第3回学校評価委員会
部活動関係
2/13 部活動実施
学力向上
2/19 基礎学力コンクール(社会)
生徒会関係
2/18 3年生を送る会
入試関係
2/13 県立2期選抜出願受付(〜18日)
2/14 県立2期選抜出願受付(〜18日)
2/15 県立2期選抜出願受付(〜18日)
2/18 県立2期選抜出願受付最終日
2/19 県立2期選抜出願先変更(〜21日)

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236