最新更新日:2022/09/13
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「バトミントン部の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   バトミントン部の思い出

 私が今、一番心に残っていることと言えば部活動のことである。
 私は去年からできたバトミントン部に入っていた。他の部では伝統などいろいろあったが、私たちの部にはまだなかった。それで、私たちが伝統を作ろうということで、一生懸命練習してきた・・・。
 そして、中体連で県北大会、県大会という成績を残すことができた。それもくじ運が良かったからだと思う。
 大会が終わってから自分が反省したことは、もっとまじめに、そしてもっと根性を作ればよかったと思いました。
 これから中体連新人戦の選手として出る人、また出られない人も一生懸命やっていれば、きっと最後には喜びという感激がこみ上げてくることでしょう。私はそう思っています。
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「白い季節」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   白い季節

 12月の半ば、木の葉は散ってしまった。
 あの夏、青々と大木の枝についていた、木の葉は今はない。
 朝日が、裸の大木を照らす。朝日が、鳴いているスズメを照らす。
 そこで思う。「ああ、もう冬か。2学期も終わりだなあ。」
 木枯らしがヒューヒューとポプラを鳴らす。
 冬の1日は早い。もう夕方、真っ赤な夕焼けが、裸の大木を赤く染める。
 カラスは、鳴きながら家に帰っていく。
 そこで思う。「ああ、もう2学期も終わりだなあ。そろそろ卒業だなあ。」
 寒い夜、チラホラと白い魔女が舞い降りてくる。
 広い大地に、白い魔女は踊り狂う。
 月の光に照らされて、キラキラ光りながら、踊り狂う。
 太陽と戦いながら、白い魔女は死んでいく。
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「卒業」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   卒業

 いつのことであろうか
 母に連れられて入学したのは
 いつのことであろうか
 夢中になってやった体育祭・学校祭は
 そして、私は卒業するのである。今振り返ってみれば、3年間など「アッ」という間の生活であった。
 小学校から中学校。入学したばかりの頃は、3年生がとても大きく見え、また自分の制服姿を見ては大人になれたと喜んだものでした。あれからもう3年が過ぎ、私には卒業が残されているだけとなった。今の私を私が入学した時に感じたように、今の1年生も「立派だ。大人だ。」と見てくれているであろうか。それほど私は成長したであろうか。そう思うと恥ずかしいが、私は私なりに楽しみ、苦しみを味わい、成長し思い出として残された。
 中でも、まず浮かんでくるのは部活動であろう。1年生は球拾いばかり、私はそれが嫌で隣の部がとても楽しそうに見え何度部を変えようと思ったことか。また、自分よりも上手い友だちがいると、悔しくてたまらなかったこともあったが、3年間やり通せたのだ。これからも部を思い出して、どんな苦労にも負けず、楽しい春が来るのを信じてがんばっていきたい。
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「中学校生活の記録」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学校生活の記録

 僕の脳裏には、中学校生活におけるいろいろなできごとが、奥深く刻み込まれている。
 1年の時の記録には、あまり印象に残るような想い出が少なかった。それは、1年に入学できという感激の気持ちで胸がいっぱいだったので、いつの間にか1年が過ぎてしまったことなど見当もつかなかったが、ただ僕の心の隅に忘れることのできない2つの思い出があった。
 1つには、今まで知らなかった友だちを得ることができたこと。もう1つは、小学校でもそうだったが、中学校生活に飛び込んできた時に、特に校長先生を始め、諸先生方が温かく迎え入れてくれたのには、胸がジーンとなる思いがした。
 2年に進級してからは、組替えなどがあったので、1年の時は別の雰囲気が生まれたことなど、記録に残っているだけである。
 3年に進級してからは、最上級生としての誇りを持ったことと、その日その日とテストで明け暮れて頭が痛かったことなどが、印象として記録に残っていることなど、過去の経験を大事にし卒業してからも忘れないように心の中に記録しておこう。そして、これからの経験を一つ一つ記録していこうと思う。

 時くれば彼きて見えし山かげの
 桜も花の咲きにおひつつ・・・・・
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「楽しかった中学校生活」(昭和49年度卒業文集より)

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   楽しかった中学校生活

 私は中学校に入って、この3年間長いようで短かった中学校生活が終わろうとしている。また、私の一つの思い出の中に、楽しく辛かった部活動や辛かったテスト勉強など、忘れることのできない思い出の数々です。
 それから私の最も大きい思い出は、書道で表彰されたことや美術の展覧会に出して入選した時のあの感激、私には二度と味わえない喜びとなることでしょう。
 これまでに教え導いて下さった諸先生方。私の心の土台となって下さった先生方。私はこの先生方の苦労は忘れません。また、私と仲良く過ごしてくれた友達。心からありがとうと言える友達。私はこのいろいろな思い出を胸に秘めて大きく前進していきたいと思います。
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   思い出

  2年の時のキャンプ
 とても楽しかったキャンプ
 自分たちが作った手作りの料理
 その味は格別だった
  夜のレクリエーション
 キャンプファイヤーを囲んで
 歌ったり踊ったりにぎやかに過ごした
  舟津浜の夜は静かで美しかった
 夜空を彩る美しい花火
 今も忘れることができない
  これからも時々思い出すだろう
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「3年間を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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   3年間を振り返って

 もう今は過ぎ去ろうとしている3年間。初めて中学校の制服を着てみんなとはしゃぎ回ったのも、もう過ぎ去ろうとしている。この3年間で、みんなと仲良く話をしたあの日、笑ったり、泣いたり、励まし合ったりしたあの日が過ぎ去ろうとしている。
 今思うと、もうあの日あの時のことは返ってこないのだなと考えてしまう。
 私には、1番思い出になったことは別にない。ただ、みんなと2年3年の時行ったキャンプくらいだ。
 この3年間、振り返ってみて、もう返ってこないと思うと寂しくなってきた。お世話になった先生方、ありがとうございます。卒業してからも、真っ直ぐな心を持って生きていきたいと思います。
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「若さ」(昭和48年度卒業文集より)

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   若さ

 ただ一つのことに脇目もふらずたた一直線に自分の道を、激しさや情熱、そして青春という新鮮で生き生きとして胸がわくわくするような言葉である。それは、「若さ」という言葉の裏には、喜び、悲しみや苦しみが数知れないほどあると思う。
 私たちには、青春という新鮮で生き生きとした言葉が与えられるのだと感じ、人は努力するのです。また、若いということは悩みが大きい。だから、若さに夢を結ぶため人は精進することだ。
 何か得るところがあれば、僕は幸いです・・・
 青く輝く空を見上げて、自分の行く道を広く、大きく、掴む若へ・・・
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「私の3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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   私の3年間

 中学校生活も後わずかとなった今、3年間の思い出がありありと浮かんでくる。
 入学して、何もかも新しく見えた学校生活が、今では私の3年間の思い出の中にある。その中で、部活動が最もよい思い出です。それは、2年生の夏休み、猛練習したかいあって、中体連の時に優勝し県大会に行ったことです。県大会に行ったものの、1回戦で負けてしまった。でも、県大会まで出場したことはすばらしいことと思って、私の心の中に一生残っていることでしょう。
 次に学校祭のことです。合唱の時に伴奏をしたことです。私は何も習っていなかったのに、こんな大役をしたことです。マラソンで息が苦しくなっても走り通した時の気持ちが、この3年間の中に入っているのです。
 私の3年間の思い出はこれだけではありません。まだまだ書き足りないくらいあるのです。
 私は、後わずかとなった中学校生活をよりよいものにしていきたい。
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   思い出

 僕の思い出は数え切れないほどある。その一つ一つが胸に焼きついている。1年生の時には、一日一日が緊張の塊であったような気がする。そして今となっては、味もそっけもない思い出として残っている。
 ところが、2年生の思い出となると、キャンプのこと、日光への見学の旅、その他いろいろなことが頭に浮かぶ。特に、キャンプは最も充実したサークル活動であった。
 初夏の夕方、湖畔のテント脇、昼吹いていた風は止み、快い冷気が言わば夕凪と化して顔を吹き通る。級友たちとの楽しく、そして有意義な会食。それらが、今くめども尽きぬ次元の世界となって頭中を駆け巡る。短かった2日間が、卒業を間近に迎えた僕の頭を波打つ。
 級友と共に寝、共に笑い、共に歩いたあの修学旅行も、今ではただ一つの懐かしい思い出となってしまった。
 ここで築き上げてきた3年間を、あと90余日で完遂のたまものとして、僕の胸が体全体が掌握するのだ。僕は、この残された数ヶ月を充実感に満ちたものにしなければならない。そのために一歩一歩確実に歩んでいこう。 
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「中学校の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校の思い出

 この3年間、いろいろなことがあった。その中でも一番心に残ったことは部活動のことである。
 私は、ブラスに入部してから約9ヶ月後、小太鼓のパートからテナーサックスに変えた。パートを変えた理由は―。「小太鼓」というパートに物足りなさを感じたからである。しかし、サックスに変わったからといって決して嬉しいとは言えなかった。むしろ苦労したと言った方が正しいと思う。ブラスに入部して何度か辞めようと思った。しかし、なかなか辞められなかった。私の心を引きつける「何か」があった。今になってもよく分からないが、多分―、自分自身音楽が好きだったことと、吹奏楽の講師に来てくださる先生の「言葉」である。この2つの言葉が心の隅に住み着いて辞められなかったのだと思う。今になって考えると「辞めないでよかった、よかった。」と思うのだ。ブラスによって得られたことは、「物事を考える時、好きなだけではできない。それにプラス苦労がある。」ということがわかった。また、ブラスによって、「心の勉強を多くした」ことである。
 あの古びた校舎、1番目だった3年2組の教室、その中で悲しみ、喜び、笑い、泣き、いろいろな思い出が心に残る。音楽室も同様に少し違った思い出としていつまでも心に残るだろう。
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「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 僕がこの小浜中学校に入学して、もう3年もの年月が過ぎ去ったのである。僕にとっては短いようなこの3年間だった。しかし、あの入学式の緊張した1日は、長いように思えた。緊張した日が何日か続いたが、先輩の温かい迎え入れによって緊張感が解きほぐれた。そして、5月に校内陸上競技会が開かれ、僕は100メートル走に出場予定であったが、その当日から4日前から学校を休んでいたので、棄権しようとして見学をしていたら、皆に出場するように言われたので、仕方なく出場、結果は思わしくなかった。11月に校内マラソン大会が行われた。僕にとって3000メートルという距離は、長くて苦しかった。しかし、このマラソン大会はよい思い出になるだろう。
 この作文を書いている僕は、今、もうすぐ卒業だという実感がこみ上げてきた。
 もう来年の3月には卒業するんだ。楽しかった中学校生活も終わりなんだ。
 もうすぐ新しい道に進むんだ。
 希望に胸をふくらませて。
 9年間勉学に励んだ友達も新しい道に進むんだ。
 希望を胸に秘めて。
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「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 今、中学校生活を振り返ってみると、たくさんの思い出が浮かんでくる。でも、やっぱり一番の思い出は中2の時入部したブラスバンド部である。クラリネットを手にして同級生に教えてもらい、音を出そうとして必死で吹いたが、全然音が出なくてとてもがっかりした。どうしてみんなは音が出るのかと思い、辞めたいとさえ思ったこともあった。そうして、初めて音が出て、だんだん曲が吹けるようになった時は一番嬉しかった。だんだんみんなと同じ曲もできるようになった。そして、二本松の音楽祭、平での県吹奏楽コンクールにも出場できるようになった。それには先生方や先輩方の指導があったお陰だと思った。感謝の気持ちでいっぱいです。
 でも、あっという間の3年間であった。悔いのない生活はできたであろうか。反省をしてみなくてはならない。3年間のいろいろな出来事、それももう過去、とても楽しかった中学校生活、ありがとう。これからの長い一生の踏み台として日々を大切に生きていきたい。
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「中学校時代の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学校時代の思い出

 入学してもう3年間の学習を終えようとしている。この3年間は、僕にとってとても早い3年間であった。そこで、僕はこの3年間の部活動の思い出を書いてみた。
 1年生の時、バスケット部に入り、先輩の人達にいろいろ教えてもらい、一生懸命部活動に励んだ。
 2年生になってからは、新人戦もあるので、僕たちは努力した。その結果2位であった。そのうち3年生になってしまった。
 僕は、3年生にあっても部活動を続けていて、中体連目指してがんばっていた。辛い時もあって、部活動を辞めようかなと思ったこともあった。そして、部活動をさぼった時もあった。しかし、また思い直して、中体連目指してがんばった。その結果は4位であった。その時はとてもがっかりして、涙を流した人もいた。それは当然であると思う。中体連目指してがんばってきたのだから。
 これが、3年間の中でとても思い出に残ることであった。
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   部活動の思い出

 私がこの学校に入学しからもう3年間が過ぎた。3年間とは長いようで短かった。それとともに部活動も短かった。短い間の思い出が、今頭の中に浮かんでくる。苦しかったこと、悲しかったこと、いろいろな思い出がある。でも、一番心に残っているのは、私が部活動が嫌になって、部活動をさぼったことである。さぼった次の日、先生が言った言葉が今でも頭に浮かんできます。あのことを思い出すと胸がジーンと熱くなります。こんなことがあっても部活動を続けてきて、今の私が生まれたのだと思います。1年目初めての大会の新人戦で優勝、2年目の新人戦で優勝であった。私たち最後の中体連、これを目指して練習をしてきた。その時の成績は、惜しくも2位でした。そして、このような成績を収めてきた。
 私は、これから高校へ行ってもバレーを続け、できれば社会人になってもバレーを続けていきたい。
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「寂しい入院」(昭和48年度卒業文集より)

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   寂しい入院

 これから病院での生活について話してみたいと思います。
 今年の4月、3年になった時のことでした。身体の具合が良くなかったので病院へ行ったのです。そうしたら、腎臓病だと言われて、その時はどんな病気かも知りませんでした。そして、入院と言われた時はあっけにとられてしまいました。それから2ヶ月間同じ生活で飽きてしまいました。それからというもの毎日6時に起こされるのですからたまりません。時には4時に起こさされることもありました。それからは暇ですから、お茶をくんで回ったりしていました。そして、食事が終わると新聞を読むくらいですから、どのくらい暇か見当が付くと思います。それに漫画を画いたり、週刊誌を読んだりしました。そうしたことから入院なんかするものじゃないと心からしみじみと思いました。それから午後5時になると夕食ですから、9時頃になると腹が空くのも当然ですから、食堂に行ったりしたこともありました。夜は6時から9時までテレビを見るのが1日の日課です。退院してもよいと言われた時は、嬉しかったこと、声には表せない程でした。「1日も早く家に帰りたかった」のが、その時の気持ちでした。
 自分の家に帰ってみて、やっぱり家はいいなとしみじみと心の底から思いました。 
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 短い3年間だったけれども、いろいろなことを思い出すと長いようにも思える。
 その中には1番楽しく、そして辛かった部活動があった。私はバスケット部に入った。初めてボールを持った時に、何てでかくかたいボールだなあと思った。入部した初めての日からパスの仕方を教えてもらった。ちょっと目をそらしていると、私の耳のそばから大きな声が飛んでくる。見ると3年生の先輩が恐い顔をして立っている。また、無断で部を休んだりすると大きな声がまた飛んでくる。その時は早く3年生になって、1年生に怒鳴ってみたりしごいてみたいと思った。
 部をやっていて楽しいことがたくさんあったけれど、家に夕方遅く帰って叱られるのが嫌だった。そんな時は部なんて辞めたいと思った。しかし、それも今は良い思い出になっていると思うと、今は何でもないように思える。
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「一番の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   一番の思い出

 46年の春に中学制服を着て中学校に通い始めた頃は、体が小さく服が大きく?て、ぶかぶかな服を着て何だかおかしな格好な時もありました。
 それが3年になったら急に伸びて、服が小さくなってしまいました。
 2年の時は、楽しいこと、嫌なことなどいろいろありました。それは、保体員で部長に選ばれ何をやって良いのか分からず、嫌な時もありましたが、先生や友達に教えられてやってきました。これからも自分のためになるのではないかと思います。
 これまでのことをいつまでも頭に入れて、これからの自分の道を前進していきたいと思います。
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「私の中学校生活」(昭和49年度卒業文集より)

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   私の中学校生活

 「3年間って長いなあ」と1年の頃は思っていたけど、今思えば、もう3年生も終わりに近づいている。あっという間に過ぎてしまった中学校生活。1年の頃は心にゆとりがあって遊びに夢中だった。その頃は、まだ長いと思っていて、授業中なんか友達と騒いでたけど、今になっても気が焦るばかりで何も変わっていない。
 2年の頃は、私にとって一番深い思い出のある楽しい時だった。中体連で、付き添いで杉田中へ行った時、テニスをしている人達を見ていて、何故か感激のような気持ちでいた。テニス部にいたのも数ヶ月だけど楽しかった。
 3年生になんかなりたくなかった。ずっと2年生でいたかった。3年になってから、悩みや不安が多くて頭が痛い日が多かった。
 ちょっとオーバーかな?
 1・2年の頃より大人になったからかも知れない。でも・・・?
 3年になって、今度はバトミントン部に入部した。この頃も楽しかった。憧れがあったからかな。その頃は毎日が楽しみだった。
 今一番悔やんでいるというか、自分が嫌にも思える部活動も、入ったり抜けたりして自分の移り気で忍耐がないのを考えさせられた。中学生活は苦しく楽しい思い出だ。中学生活はもう二度とこない。その日を大切にしたい。
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「部活動について」(昭和48年度卒業文集より)

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   部活動について

 部活動とはこういう姿ではないだろうか。スポーツを通して親しい友や共同生活に慣れるという意義である。また、スポーツによって何を教えられるか、それは苦しさにも負けぬ強い意志や根性などをスポーツによって教えられると思う。しかし、やるからには勝利を目指してやるのが当然である。しかし、みんなはスポーツと勉強とが両立しないなどと言う。それは、「スポーツをやっているから勉強が疎かになる」と言う。俺は箏だとは思わない。
 みんなが遊ぶ時、勉強すれば成績面で劣らず向上する。部活動もそれと同じである。他の学校が練習しない冬にみっちり練習すべきである。また、他の人にはない優れた運動神経の持ち主が集まる場でもある。だから、指導者の人はその人の個性を引き出し、その人の限界を超えるくらいの練習が必要ではないだろうか。いや、必要なのだ。でも、この練習に耐えられず部をやめる者も多い。その練習を乗り越えてこそ、県北大会、いや県大会という大きな勝利をつかむことができるのではないだろうか。 
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学校行事
3/4 朝会、卒業式予行・同窓会入会式
その他
3/7 3年給食なし(弁当持参)
3/8 3年給食なし(弁当持参)
部活動関係
3/6 部活動休止
入試関係
3/7 県立2期選抜学力検査

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236