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「今までを振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   今までを振り返って

 今までの学校生活を思い出してみると、自分が口に出して「私はこれだけは人に負けないでした。」というのはなく、それに近いことはごく少数である。
 9年間の義務教育を終わろうとしている私には、ああ、あれだけはしてよかったと思い当たることがないように思えてくる。これは、とても悲しいことのように思えて自分が情けなくなってきそうである。
 ただ、毎年学年が上がる時に、形だけだけれども、希望だけは抱いていた。そして、やがて中学生となり、ごく普通に過ごしてきたら、もうこんな卒業文集を書くようになってしまった。これを書く前に、何かをしてみたかった。それが、まだまだ何だとは言えないが―。
 また、こんなことも中3になって思うことが多くなった。1日が短く思えてしまうことがある。これは、誰もが思うことではないだろうか。
 自分がしてきたことでよかったのは、部に入っていることだった。短い時間でも、1つのことを思い一生懸命やったことは忘れらないことだと思う。
 これから、私は、自分が納得できるような生活を送りたいとこの文章を書きながら感じている。
 希望 前進 
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「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 私の思い出、と言ったらやはり部活動のことが頭に浮かびます。
 私は、バトミントン部でした。私達の部は、今年できたばかりなので、部員もかなり多くいました。その中で、私は、幸運にも選手に選ばれました。練習の時、あまりみんながスマッシュが決まらないので、先生に怒られたことも何度かありました。
 私達、バトミントン部では、練習試合を白岩中・戸沢中の2校としましたが、力が足りずどちらも負けてしまったのです。それで、中体連には、と思って懸命になって練習しました。が、これもまた惜しくも負けてしまいました。でも、私には、不思議にあまり悔しい気持ちは残っていませんでした。かえって、ホッとした気持ちが多かったように思われます。
 そして、今、そのことがすごく懐かしく感じられます。
 この思い出は、私の中学時代の思い出として、いつまでも取っておきたいと思っています。
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出

 野球、それは私が中学になって初めて熱中できたものです。野球を始めて3ヶ月間ぐらいはボールも握れず、ただグランドを走ったり、ボールを拾ったり、グランド整備ぐらいしかさせてもらえなかった。こんなことばかりでなく、ボールを持ち、バットを持たせて練習させればいいのにと先輩を恨んだこともあった。
 今思い出として1番覚えているのは、いくら頑張っても勝つことのできなかった試合と、苦しくとも頑張った練習のことである。夏は太陽のさんさんと照りつける中で、ユニフォームをびしょびしょにしながら広いグランドを走り、うさぎ跳びをし、ノックを受け、スライディングをして体中泥だらけにしてやり通した。冬は寒い雪の中、寒くてよく手が動かないのに、素振り、キャッチボール、その他の基礎練習をした。このような練習があってこそ強いチームになれたのだと思っている。
 これからも私にとって苦しいこと、悲しいことはたくさんあると思う。しかし、それにくじけず、中学時代に鍛えた体力と精神で乗り越えていきたい。人生七転び八起き、苦しいことばかり続くはずがない。強く生きたいと思う。
 栄光の背番号2 
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 1年生に入学したと思ったら、たちまち3年間が過ぎてしまった。僕はこの3年間を何が何だか分からないで過ごしてしまったような気がする。
 だがよく考えてみると、今までにない多くの経験をしてきたと思う。嬉しいこと、悲しいことなど思い出は尽きない。
 卒業に当たって思い当たることだが、あのまま、あの学校に居たなら、何も分からないで終わったかも知れない。
 先生方の支えがあったからこそ、これまでになったのだと思う。
 これが僕の中学校時代の最後の作文となる。涙をこらえて思い出の作文を終わりにする。
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「遠々の友情」(昭和49年度卒業文集より)

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   遠々の友情

 今、新たな希望を持ち、僕は、巣立ちをする。
 思えば楽しく、苦しく、波乱に満ちた学校生活であった。
 今から3年前、初めて中学校の門をくぐり、なぜか不安でたまらぬ中学校生活、やることなすことが総て珍しくいつの間にか、溶け込んでしまった。また、新しい友だと、初めて受けた授業、友と共に力を合わせ、精一杯戦った部活動などと、今僕の頭の中に数々の忘れえぬ思い出として渦のように、後から後からと吹き出すかのように浮かんでくる。
 でも、この忘れえぬ思い出の立ちこめる学び舎を巣立っていく日が来てしまった。そしてまた、数々の忘れえぬ、友情の足跡を堅くきざんだ浜中を、今、新たに飛び立とうとしている。たとえ、前途にどんな障害があろうと、我々40の仲間は、決して離れたりはしないだろう。見えない1本の強い糸が、遠々の友情がある限り。 
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「中学生活3年間」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   中学生活3年間

 長いようで短かった3年間。私の1番の思い出は、何と言っても修学旅行の思い出だろう!中でも印象に残ることは外人に話しかけたことだ。それが不幸にも「I don't speak English !・・・・・」と、こんな失敗をした私は、友達の笑いものになってしまった。本当にバツの悪い話だ。それにこんな事があってから、英語の時間は自信なし!前にも増して悪くなったのは、このためだと思っている。
 でも楽しい楽しい修学旅行だった。こんな私の失敗談も楽しい思い出として私の心に残ることだろう!
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出

 長いようで短かった3年間、ガブガブの制服を着て、初めてくぐった校門。3年生がとても大きく見えた。
 初めて出た部も、ちょっと辛かったけど楽しかった。数々の試合も、多くの練習も、もう浜中生徒としてすることができない。
 私も今は3年生。でも3年生という年ももう数ヶ月で終了。3年生という年と一緒に、小浜中生徒としての年も終わる。
 私はこの1年の間、3年生としての自覚を持ったことは、ほとんどない。ほとんど毎日学校に通うことで、ときどき「3年生だな」と感じるくらいだった。
 今私がこの3年間を振り返って思うことは、人間はどんな寂しさにも、耐えられないと思われるくらいの苦しさにさえ、耐えることができるということだ。そして、その忍耐の支えになるのは、友達であり、友情である。
 人間は、はかないようでも強く生きることができるということである。 
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「ぼくの思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   ぼくの思い出

 この小浜中学校に入学して、もう3年間が終わろうとしている。楽しかったことや悲しかったことがたくさん思い出される。
 例えば、1年生になったばかりに友達とあだ名を言ったりしてふざけ合ったこと。宣誓がとても優しそうに見えたけれど、とてもこわくてうるさかった。
 2年生になると中学校生活に慣れて、先輩とだんだん仲良くなったこと、でも、時々けんかをしたっけ、そんな時、後でやらなければよかったと思ったものだ。
 3年生になると、なんといっても修学旅行である。旅館で友達と女の子の話や、面白い話をしたものだ。また、秋のいも煮会は楽しかった。宣誓と水入らずで、どんぶりを平らげたっけ。
 ソフトボール大会、ショートをやったが自分ながらよくやったと思う。校内マラソン、結果はよくなかったが、ゴールを踏むまで頑張り抜いた。・・・・
 思い出は尽きない。もうすぐ中学校を卒業するが、最後まで頑張りたいと思う。 
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「中学校生活をふりかえって」(昭和49年度卒業文集より)

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   中学校生活をふりかえって

 中学校生活をふりかえって、僕はいろいろなことがあった。それは、僕達が、この小浜中学校に入学した時、先輩達が、僕達を優しく迎えてくれたこと。それから修学旅行に行ってきたこと。学校で雨にぬれながらいも煮会をしたこと。
 猪苗代湖へキャンプに行ってきたことは、僕にとって一番楽しい思い出であった。僕にとってゆかいな楽しいキャンプであった。夕方になると、みんなで米をといだり、じゃがいもをむいたりして、晩飯を作ったことが思い出される。僕にとってキャンプは生まれて初めてでした。キャンプの時に間違って持ってきて、大騒ぎをした僕は、このとき笑ってしまった。3年生になってもキャンプに行けたことをうれしく思っている。前のキャンプより楽しく過ごせたし、ためになったこともあった。今までにない生活だったと思いました。
 僕は、通学に自転車を使用していた。自転車といっても、楽しい時と苦しい時とがあった。僕は、自然とのたたかいをしてきた。
 僕は、小学校より中学校の方がいいなと、しみじみとわかりました。 
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「入学式から卒業式まで」(昭和48年度卒業文集より)

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   入学式から卒業式まで

 4月4日それは、僕達が、心うきうきした入学式の1日だった。
 友達には、父や母がついてくるが、僕には来なかったのが心に残る。しかし、そんなことなどは、1学期が終わる頃には、吹っ飛んでしまった。
 こうしているうちに、楽しかった1年間は終わり、その中には、苦しかったこと、うれしかったことなどいろいろあった。
 そして、2学年になり、出版部で活躍しない方が多かったのである。このころは、まだ進路は決めてはなく、どこに進学するか、どこに就職するか、よく母と話し合ったり、また、よくけんかもした。そのころは、よく反抗もした。言うことを聞くのは、自分の都合のいいことばかりだと、よく母はこぼしていた。
 そんな、ことばかりしていた2学年、こんなことばかり頭に浮かんできた。
 そして3年生、進学、就職を先生にうるさく言われても、何にも感じなかったが、テストが多くなるにつれて意識した。がんばろうと思ったのは1回もなかったが、テストの前日は一夜漬けが多かった。そんなことをしているうちに、とうとう卒業式をあと少しに迎えるのであった。 
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「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 入学式で自分の名前が呼名されてから、もう3年間が過ぎて卒業だ。本当のことを言うと3年間を省みてズバ抜けておもしろかった学年はありませんでした。しかし、友達や先生、授業や部、それにクラブ活動などの学校生活で楽しかったり自覚したことはたくさんありました。
 その中でも自分が特に良かったと思うことは、友達とのつき合いが予想以上に有意義だったことでした。それは、たくさんの人と親しくなり、親友やいろいろな面でライバルができたということでした。スポーツで競い合ったり、勉強などではわからない問題があると「あっ!!ここ、ここはこうすればいいぞ。」なあんて言って教え合いました。シャレを言ったり、気にならないアダナで呼び合うということは楽しいものでした。
 また、僕は友達から飛行機を画くのがうまい、と言われてよく画いてあげましたが、それはどれも第2次世界大戦で活躍した戦闘機ばかりだったので、そういう面では「戦キチ」なあんて言われてこともありました。
 このようなことから、忘れたくないできごとやたくさんのことを経験させられました。
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「気ままなエッセイ」(昭和48年度卒業文集より)

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   気ままなエッセイ

 青春とはいったい何だろう
 その答えは
 人それぞれで違うだろう
 ただ一つ
 これだけは言えるだろう
 僕達は
 大人より時間が多い
 大人より
 多くの時間を持っている

 拓郎と僕、僕とタクロー
 僕の中学時代の大きな転機に、フォーク・ソングという大きなものとの出会いがある。おそらく、現在の僕には、フォークとやらを聞きあさった者としての要素をたっぷりと含んでいると思う。
 事実、フォーク、特に「巨匠、拓郎」との出会いは、僕を別な人間に仕立て上げてしまった。
 藤村の詩もいいが、それ以上に拓郎の詩の方が僕にはマッチしているという感じで、ストレートにハートに伝わってくる。
 吉田拓郎氏、大した人間です。
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出

 中学校に入学して、早くも3年の月日が流れた。飾り付けられた体育館で、担任の先生に名前を呼ばれて、席を立ったのが、ついこの間のことのように思われる。
 長いようで短い3年間だった。やはり、一番の思い出は、キャンプのようだ。2年生の時は猪苗代湖、3年生の時は鹿島町にある右田浜、2年生の時は食事の用意をしたが、3年生の時は食事の用意がなかった。その分、海で思う存分泳いだり、遊んだり、中学校最後の催し物だと思ったら、張り切らずにはいられなかった。
 赤々と燃え上がるキャンプファイヤーを囲み、肩を組み合い、みんなが一つになって歌った時の感動を、今も忘れずにいる。こんな時、友達っていいなってしみじみと思った。フォークダンスもした。父兄や先生方、踊れないのに輪に加わって足を踏み踏み大奮闘!キャンプの時のいろいろな光景が、まぶたの裏によみがえる。楽しかった、あの時は―。
 私は、よりよい多勢の友人を持ち、よりよい先生に恵まれて3年間を過ごしてきた。時には、けんかをし、悪口を言い、また時には、喜び、悲しみをわかちあい、大声で笑い、大声で泣き、3年間を共に過ごした彼らに心から感謝したい。私と共に歩んできた彼らに―。 
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「部活動を通して」(昭和48年度卒業文集より)

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   部活動を通して

 今、この3年間を振り返ってみて思い出らしきものは、部活動を通してである。
 よくもこんな女の腐った(友達の一人がそう言った)ような俺が、3年間もよく続けられたと思うと、我ながら感心する。だが、その間にもいつくかのトラブルはあった。特に一番大きかったのは、2年の時、ブラスバンドが出来るという頃であった。この頃の俺は、ノックをすればエラーをするし、バッティングはまるで駄目であったので、いっそブラバンにでも入ろうかと思った。しかし、それはできなかった。何故かはわからない。自分の本心がそうさせなかったのかも知れない。
 そして、中体連がやって来た。俺は、思いもよらぬ程の好調子であった。しかし、そんな俺にも運は尽き、左腕を骨折し退場した。俺の夢だった県北大会出場は破れてしまった。
 それからの2ヶ月というものは、左手の自由がきかず、ずいぶん不自由をした。俺の好きなスポーツも全然といっていいほどできなかった。
 でも、これも中学時代の思い出の一コマとして心に止めて置きたい。もし、忘れたとしても、この文章を読むことにより、うっすらと思い出すことだろうと思う。そして、その頃の自分をなつかしく思うことだろうと思う。 
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「帰らざる3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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   帰らざる3年間

 じっとまぶたを閉じると浮かんでくる。中学3年間の思い出が。
 
 希望に満ちて入学した3年前、あっという間に過ぎ去った3年間。学校祭、陸上競技大会、修学旅行、部活動、生徒会活動、お昼の校内放送、どれ一つとっても思い出深いものばかりだ。先輩たちも、こんな思い出を残して中学3年間にピリオドを打ったのだろうか?
 その間に得た友情、協力、責任など、これからも大切にしよう。
 中学生活を送った上で、つくづく大切だと思ったことは、自分を甘やかしてはいけない、自分にかたなければならない、克己だ。己に克つことは、できそうでできないものだ。しかし、これから長い人生を送る上で必要だ。
 又、これからの人生は、どんなものか、どんなことがあるか、わからないが、苦しいこと、悲しいことにぶつかったら、くじけずに中学時代の友達の顔や先生の顔を思い出して、どんなことにも前のめりに進んでいきたい。あの有名な坂本竜馬は、死ぬ時も前のめりになって死にたいと言ったという。前のめりの精神でこれから生きていきたい。いや、生きていくことに努力したい。
 最後に、3年間お世話になった先生方にお礼を言いたい。
 「本当にありがとうございました。」 
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「中学時代の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学時代の思い出

   中学1年(1組)
 中学生活が始まる4月4日は緊張ばかりの思い出だ。中学生活に慣れた頃、中間テストが始まった。成績はとても悪かった。夏休みに入り、入水の鍾乳洞へ行った。初めてなので、楽しい思い出が残っている。テニス部に入った。1年間ボール拾いばかりで、嫌な時もあった。合唱祭も1位になって嬉しかった。

   中学2年(2組)
 2年になって、やはり先生方は少し厳しくなった。1年1組の仲間も数人いた。部でも選手となり、初試合に出られて嬉しかった。部に入って初めての感激だった。マラソンも2年になって順位が上がって7位になった。合唱祭も1位と優秀をとって嬉しかった。夏休みのキャンプも楽しい思い出である。

   中学3年(2組)
 最上級生としての自覚も自分自身としてはしたが、やはり根気よくは続かなかった。部でも、最後の試合が始まり、マラソンもベスト順位の2位になった。合唱祭も最優秀賞をとり最後の感激だった。修学旅行は、今までで一番楽しい思い出である。こんな単純なことしか書いていないが、やはり楽しく、苦しかった中学時代の思い出である。 
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 中学校3年間を振り返って、いろいろな事がありました。
 中学校に入ったばかりには、職員室へ行って先生を間違えたり、よく暴れたりもしました。それに、1年の時は、来たばかりの先生にげんこを4、5回ももらったりしました。
 2年の時には、自転車で転んでケガをしたり、趣味で釣りをやるようにもなりました。でも、勉強の方は、授業もまじめに受けなかったので、少しも成績は上がりませんでした。
 そして3年、中学最後の修学旅行、学校祭、いも煮会などがあった。そして今、卒業の作文を書いている。
 中学校3年間には、いろいろなことがあった。2年連続、合唱で優秀、最優秀などをもらった思い出など。
 そして今昭和48年12月18日(火)午後8時15分、作文のでき上がり。 
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「学生服」(昭和48年度卒業文集より)

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   学生服

 僕は、今、兄の着ていた学生服を着ている。前のそれは、今では薄汚れて小さくなっている。中学生になった時分は、学生服のにおいをプンプン漂わせ、「中学生になったんだな。」と深く思わせた。そしてその服は、今ではかすかなにおいもさせはしない。歌、勉強、運動、喜び、汗、涙を共にしたそれは、僕の生活に耐えきれないで寂しく沈んでいったような気がする。
 ヒジはテリ光りして、つめえりは汗でしみになっている。裏地はやぶれ、ポケットは穴が開いている。校門をくぐるのに必ず身につけたものが、今はあわれな感じである。しかし、今は違う。兄の着た学生服がある。
 少しは汚れているものの、ポケットは穴が開いていない。
 残り少ない中学校生活をこれを着て胸を張って歩く。何となく希望と勇気が自然とわき出るような気がするこれを、そして来春も、一段と大きく真っ黒な学生服を着る。勝利に心を固くして、またペンを取り服を着る。
 「くる春や 小さきペンの 持ちごころ」 
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「ソフトボール」(昭和48年度卒業文集より)

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   ソフトボール

 最も思い出に残るのはソフトボールの練習だ。始めた時は下手だったので、2年間もBチームのキャッチャーをやった。最初はボールが怖くて、捕ることもできなかった。
 2年になってボールに慣れた僕は、Aチームに入れると思ったがBチームだった。来年はAチームに入れるだろうと思った。
 3年になってやっとAチームに入った。しかし、練習は厳しかった。中でも、バッティングについてだいぶしぼられた。僕は、家に帰ってからもバッティングの練習を続けた。その効果があって、当りが良くなった。それは僕にとって大きな喜びだった。
 そして、大会では4年連続優勝を果たした。
 このことは、いつまでも僕の思い出に残るだろう。 
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   思い出

 中学生活ももう終わる。真新しいセーラー服に胸を躍らせながら通学し始めたあの日のこと、何も知らぬ所でのことに不安と期待に包まれていた日のこと、今はもう3年も昔のことになってしまった。短かった3年間、その中にもたくさんの思い出がある。
 「小名浜・日光への旅」目的地が遠いために、バスに乗っている時が多くて退屈した。でも、やっぱり楽しかった。
 1つの鍋を囲んで食べた「芋煮会」煙に目を痛めながら作った。おいしい!
 キャンプにも行った。自分たちで火を焚き、飯を作って食べた。泳いだ。泳いだとよりは、水の中で遊んだというべきかも知れない。すいか割りもした。キャンプ・ファイヤーを囲んでのゲーム・ダンスも楽しい。その他にもたくさんある。文化祭、合唱祭・・・そして、3日という日程の中で何百という思い出を作り出した「修学旅行」宿舎のこと、汽車のこと、動物園でのこと、東京タワーでのこと、後楽園でのこと。このように思い出は尽きることはない。それに、思いでと言っても、楽しいことばかりではないはずだ。しかし今となってみると、楽しいようなことにも思えてくる。
 明日という日がいつか楽しい思い出となるように、今の努力を大切にしたい。 
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学校行事
3/4 朝会、卒業式予行・同窓会入会式
その他
3/7 3年給食なし(弁当持参)
3/8 3年給食なし(弁当持参)
部活動関係
3/6 部活動休止
入試関係
3/7 県立2期選抜学力検査

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
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