最新更新日:2022/09/13
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23日(水)に行われた『歴代PTA正副会長会』の記事が新聞に掲載されました!

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 去る23日(水)18:30〜、相模屋に於いて『歴代PTA正副会長会』が開催され、前半は小中学校別に行い、後半は小中合同の懇親会が行われました。その記事が本日(30日(水))発行の福島民報新聞に掲載されましたので、紹介(上の写真)します。

小浜中学校昭和52年度卒同級生の皆さまへ(実行委員会一同より)

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 拝啓、新春の候、すますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 さて、去る1月2日(水)に行われた同級会に際しまして、ご多忙中のところお集まりいただきありがとうございました。昔話に盛り上がり大笑、時間の過ぎるのを忘れ楽しく過ぎました。遠方、女性方が多く参加していただき開催して良かったと思います。皆さんがどう変貌するか5年後の再会を楽しみにしています。
 今回、参加者全員で記念撮影した写真、住所、緊急連絡先を同封いたしました。同級生の連絡先がわかる方、また、住所が変更になった場合は実行委員会まで連絡をお願いします。
 まだまだ寒さが続きます。健康には留意してお過ごし下さい。再開を楽しみにしています。   
                                    敬具

平成25年1月吉日
                     小浜中学校昭和52年度卒同級会
                     実行委員会一同

「今までを振り返って」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   今までを振り返って

 中学校生活3年間、振り返ってみると、いろいろ反省しなければならない点や思い出となっていること、楽しかったことなどいろいろ目に浮かんできます。
 反省しなければならない点は、ふざけていて先生に叱られたこと、忘れ物をしたとき家が近いからといって戻ったことや自習の時間に友達と一緒になって騒いだりしたことなどの繰り返しばかりで、全然進歩しませんでした。それから家が近いのに遅刻してしまって悪いと思っています。それらが、反省として目立つところです。
 思い出となっていたことや楽しかったことは、まず3年の時に行った修学旅行です。忘れられない思い出となっていますが、2日間も雨降りだったのががっかりです。その雨の中をいろいろ見学したり、家に電話をかけたり、他校とテレビの番組を奪い合ったり、10時頃まで寝ないでみんなと話をしたりしてとても楽しかったです。せっかく東京に行ったのに、タレントに会えないのがとても残念でした。
 年に1回の学校祭の歌に備えて、新校舎の中で厳しい練習を行って、見事金賞を受賞した時は嬉しかったです。
 まだまだ数え切れない程たくさんあります。生涯一度の中学校生活をよい思い出として残しておきたいものです。
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「5千469日」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   5千469日

 生まれてから卒業するまでに5千469日ある。僕にとって、この5千469日は辛く、悲しい日でもあり、楽しい日でもあった。その1日1日が、思い出となって頭の中に浮かんでくるのです。時々夢にも出てくるのです。
 夢の中で一番多いのは、何といっても小学生の夢です。先生に立たされている時や残されている時などがはっきり出てくるのです。夢を見た後で今度は反省です。だから思い出とはいいものです。中学生の時の思い出は、小学生の時とまるで違った夢なのです。また、そんな夢を見ると反省するのです。
 こんなことが何十回、何百回と続いていくので、人間はだんだん良くなっていくのです。だから、僕にとって5千469日というのは、反省でもあり、大人への望みでもあり、かつまた思い出なのです。
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「制服」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   制服

 20ヶ月も着た制服。それは、私の喜びや悲しみ、そして苦しみ、その他の思い出を私と共に生活してきた。私には切っても切れない中学校の思い出です。入学式の時、1、2年の楽しかった研修旅行にも、3日のうち2日半はびしょびしょだった修学旅行にも着ていきました。当然のことでも、毎日の通学にも着ました。
 今はもうよたよたで乱れていて、私は恥ずかしくなることがあります。しかし、私にとってはどれよりも着慣れている洋服なのです。私は、この制服というものがなぜあるのか、分かりませんでした。今も分かりません。みんなが同じデザインのものを着て、どこがよいのかなあと思ったこともありました。でも、3年になって全員が同じものを着ていてよかったなあと思います。一人一人が自分の制服を着ているのを見るたびに、心の通い合いがあるみたいに思ったからです。だが、その思い出を変えるということは許せないような心持ちになったこともありました。その反面、自分自身もデザインなどをかえてみたいなあと思ったこともありました。
 制服は私達の中学校生活の思い出となるものだから、みんな大事にして、後に会った時でも思い出してもらいたいと思っています。制服がある限り、心のつながりもあってほしいと思います。
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「印象」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   印象

 3年間、3年間、何度も口に出しても3年間いろいろな出来事があった。悲しい時、嬉しい時もあった。やっぱり中学時代は、僕にとって一生一代心に深く残りゆくだろう。中学時代で絶対に忘れることのできないのは部活である。最初、やっぱり球拾いが基本だった。こんなことに僕は頭にきて、部を辞めてしまった。そんな自分にあきれかえったような気がした。でも、僕はそんなことに勝ち、再び野球部に入り根性をたたき直したわけです。
 もう一つ印象に残ったことは、友達が僕のことをかばってくれたことです。嬉しくたまらず涙が出そうになっちゃったんだよ。そんな友達が僕を励ましてくれた。僕にとって成長の鍵となることだろう。
 これでだいたい3年間の思い出でもあったわけであります。
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「試練」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   試練

 昭和47年、この浜中に入学していろいろなことがあり、いろいろなことを経験した。その中で新人戦と中体連は、僕の心の中に深く刻み込まれている。入学して何もためらわず野球部に入部した。
 部の練習は、グランド整備で始まって、グランド整備で終わった。その間、球拾い、用具の後片付け、その他いろいろあった。それで、初め15人いた部員も1人2人と減っていった。しまいには9人になってしまった。
 その年の新人戦。1年から2人メンバーに入ることができた。その2人に僕が選ばれた。その新人戦は1位だった。その次の年、先生が替わった。その年の中体連は郡で2位になって県北大会に行った。しかし、1回戦で負けた。そして、新人戦は1位になった。しかし、2校だったので余り嬉しくなかった。そして最後の中体連。
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「協力し合ったこと」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   協力し合ったこと

 今、卒業の作文を書くに当たっていろいろ考えました。そして、嬉しかったことの中では、学級がまとまってやった校内球技大会です。私達のクラスが学年総合1位だったこと、女子が2位、男子が1位だったことです。男子が1位だとわかった先生が、大喜びして私達女子の所にやってきたら男子も大喜びでした。女子のバレーボールは上手くはありませんが、みんなで協力しまとまったから2位までいけたのだと思います。
 できないことでもみんなで協力していけば、良いチームワークができ何でもできると思いました。そして、やればできる、できない時は最後まで諦めずにやる、それでもできない時はみんなに協力してもらうことが大切だと、その時ほど思ったことはありませんでした。先生も教えてくれました。自分達で力を合わせてやれば、何でもできることを―。
 今、私はこのクラスはとてもいいクラスだと思っています。そして、先生も。
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「できるならばもう一度」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   できるならばもう一度

 3年間の思い出。3年間という長いはずの中学校生活。時間が光の背にまたがって、呼び止めるより速く流れ過ぎ去ったようだ。
 これが「思い出だ。」と言えるような事があったのだろうか。平凡にこの3年間をただ費やしてしまったような気がする。
 敢えて思い出を言うなら、種目は違ってもスポーツを好んで共に同じ汗を流した。求めるものは違っても、また一人一人の持つ気持ちが違っていても、それは楽しいものだった。そして苦しくもあった。これは中学時代の一番の思い出だと言えるだろう。
 それからもっと細かいことを言えば、友達との語らい。クラブやその他のグループでの活動。けんかをし、大きな声で笑い、時には笑いすぎて顔が崩れてしまったり、お互いに楽しみ、苦しみ合った友達との生活。嫌だ嫌だと思っていたテストや勉強も思い出かもしれない。
 なんだかんだ書いているうちに随分思いでらしきものがでてきたなあ〜。やっぱり長かったのかも知れない中学生活。この長いはずの時間。誰が盗んだのか。「できるならばもう一度戻ってほしい。」
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「中学生活を振り返って」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学生活を振り返って

 今思えば、中学校に入学する時、胸をわくわくさせながら入ってきてから、いろいろなことがあったと思います。
 1年の時は、何もかもが初めてなので失敗ばかりしていました。私達にとっては初めての菊作りなどもあり、どの花もきれいに咲いたりしました。また、学校祭、旅行、いも煮会などもあり、私の嫌なマラソン大会もありました。
 2年の時は、私にとって初めてのキャンプがありました。キャンプの時は、たくさんの班が歌や劇などをしたりしました。
 3年の時は、修学旅行で中学校生活の最後の思い出になりました。松川浦での潮干狩りは、私にとって初めてでしたが、貝をたくさんとってきたことも楽しいことでした。
 今、私はこのことがまるで昨日のように思えてきます。
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「過去へのタイム=トラベル」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   過去へのタイム=トラベル

 「卒業」ついに来るべき所まで来た。この短かった3年間いろいろな思い出がある。
 勉強のことについてもいろいろ思い出がある。宿題を忘れたりして先生に叱られ、叱られやってきた勉強。そうして自分の進路につないでいった。
 中1に部に入った。3年生や2年生などにしごかれながら、とにかく頑張って新人戦に出られた。新人戦は、どうにか団体1位、個人戦は惜しくも2位にとどまった。しかし、部の中で一番の思い出は、中体連の敗北である。これだけは、悔しくて悔しく、部の中での一番の思い出であった。
 でも今までの中で一番の思い出は先生である。僕には欠かせない。それはなぜか、1年から3年まで何と同じ先生が担任なのである。修学旅行の時に叱られたこと、球技大会などでの楽しいことや辛いことなどいろいろなことがあった。そうして僕らは、この思い出を心の隅に残し覚えていたい。
 ああ何と短かった3年間。
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の思い出

 もう入学して3年が過ぎてしまいました。この3年間には、いろいろな思い出がありました。
 1つはマラソン大会です。苦しくて、苦しくてもう歩きたくなることもありました。そんな時は、いつも苦しいのは私だけではない、みんなだって苦しいのに違いないと思い一生懸命走ったことです。
 もう1つは、何と言っても中学校最後の旅行の修学旅行です。東京タワー、夜にバスの中から見た銀座、鎌倉の大仏、羽田空港で見た大きなジェット機、いろいろ見てきました。この他にも数多くの思い出がありました。先生に叱られたこと、友達と楽しく遊んだ事、もう一度その思い出に会って同じ思い出を作ってみたいと思う。
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「幻のユーちゃん帝国」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   幻のユーちゃん帝国

 「閣下、お食事の用意ができました。」と余り背の高くない中年紳士が言った。閣下とは勿論我輩のことである。我輩の所有する”ユーちゃん帝国”は全世界の3分の2を入手し、あと残りの3分の1を我が手中に治めるべく、”サブロー王国”との戦闘中にあるのである。しかし、我国の戦力をもって臨めば勝てぬ相手ではないのである。
 閣下ともなると夜毎の食事はビフテキである。我輩とて人間、毎晩同じでは飽きてしまう。たまにはサンマでも食べたいものだ。
 腹がふくれてくると、日課通りリンカーンコンチネンタルに乗りドライブである。運転手はメガネをかけた英語のできそうな男で、彼の運転には定評がある。芝の手入れをしていた小肥りの中年女が手を振り「行ってらっしゃいませ。」と言ったようだ。我輩も一応は手を振ってみたものの極度の眠気に誘われた。後部座席にいつの間にか秘書のオーリモ(決してオーモリ等という名ではない)が居るではないか。奴は我輩の頭にピストルを突きつけ「しめしめ、計画は成功だ。睡眠薬入りのビフテキとも知らず。」とぬかしおった。あいつが”サブロー王国”のスパイダとは、我輩も少々うかつだった。「ああ神様・・・。」ピストルの引き金のきしむ音、とその瞬間「早く起きなさい。」「なんだもう朝か。」
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「中学生活を振り返って」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学生活を振り返って

 今ここに卒業を控えていろいろなことが頭に浮かんでくる。特に、思い出というと1年の時から図書の貸し出し係をやっているということだ。
 私が初めて図書館に入った時、小学校では広かったせいか、何となく狭いように感じた。でも本は案外たくさんあるように思った。私は、その時から読書に興味を持つようになった。それから私は、図書の貸し出し係になり、上級生の係の人に係の仕事についていろいろ教えていただいた。この係は、借りに来る人といろいろな会話ができるし、またどんな本があるのかがわかる。それで私は、2年、3年とこの係をやってきた。そして今、この係をやってきて本当によかったと思う。
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「野球」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   野球

 僕は中学校へ入学して野球部に入部した。それは小学校の時からの希望で、一度野球をしてみたいと思っていたからである。今部活動を振り返ってみると、いろいろなことが思い出される。その中で一番心に残っているのは、旭中との一戦である。
 延長9回に打ったあのサヨナラホームランは、野球のことを思う度思い出される。そして、野球をやっていてよかったなあとつくづく思う。でも残念だったのは、県北大会に2年連続出場することができなかったことである。
 しかし、野球部みんなと鍛えた根性、そしてみんなと流した汗、それはいつまでも忘れないことであろう。
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「楽しかった行事」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   楽しかった行事

 春、東京へ修学旅行に行った。初めての大旅行だった。部屋は6人で、いろいろ食べたり、話をしたりしてとても面白かった。残念ながら富士山がはっきり見えなかった。今度行ったら、ぜひ富士山を見たいと思った。
 夏休みに入る前に、潮干狩りに行った。私は友達と一緒に居た。貝を入れる袋に貝をいっぱい拾った。波が行ったり来たりしていた。もう少しで服装が波で濡れそうになったので、私は友達と「キャッ!キャッ!」と大声を出してしまった。あちらこちらで私達と同じように大声を出していた。みんなの顔も嬉しさで満足そうな顔をしていた。貝袋の方もだんだんいっぱいになってきた。男子達の中には、私達の倍も拾った人がいた。海水浴もとても楽しかった。私は泳げないけれど、海に入っているだけで面白かった。泳ぎの上手な人もいたので見とれている時もあった。
 この3年の時の修学旅行と潮干狩りがとても楽しかった。
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「勉強とスポーツ」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   勉強とスポーツ

 中学になって直ぐ陸上部に入部した。ついてないことに腕を折ってしまった。その時またかと思った。小学生の時は額にけがをした。そして、ふと考えたことは、どうして俺ってついてないのかなと思った。その上、中学になって最初の中間テストもわるかったなあ。でもこんな生活ばかりではなかった。
 2年の時、200メートル走で優勝、ソフトボール大会もよくがんばったと思う。それに、一番苦しかったのはマラソン大会であった。そして、ふと考えたことは、勉強とスポーツが比例するのではないかということである。
 人間勉強の調子がよいと気分がよくなって、スポーツや遊びも活気づいてくる。でも、人生はこんな生活ばかりではない。この中学時代の苦難に耐えてきたことを基盤にして、どんな苦境も耐えていけると思う。そして、笑う時は笑う、泣く時は泣くといった人間になっていく。
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「一番の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   一番の思い出

 この3年間、本当に短く思われる。でも、とても楽しかったのは修学旅行だった。見学ではなく、旅館での一時だった。でも暖房器具に頭をぶつけた時はとても痛かった。何とも言えない気持ちだった。朝になって、朝日が出た時は、とてもスッキリしたようだった。散歩に行った時は、海に向かって浜中の校歌を思い切り歌った。三浦ケープシャトウは山の上にあり、海がパーッと見えてとても景色が印象的だった。2日目の旅館は、窓を開けるとネオンがとてもきれいだった。その日の夜中に目が開いた時だった。そうしたら、みんなのすてきな様子を見た時は、とてもおもしろかった。こんなことがとても印象に残った。でも今は、それどころではない。進路について、これからはいろんなことが私を待っている。でも、負けないでいきたいと思った。みんなも元気でガンバってね。この本大事にしてネ!
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「友だち」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   友だち

 僕の中学生としての思い出としては、中学1年生のときが一番思い出がある。それは自由にふざけたり暴れたりしたからである。一番の思い出と言っても、その中に2つある。
 第1には、ある日、けんかが起こって校内中を追いかけ回ったことがあった。けんかといっても遊びというくらいのものであった。その日の放課後技術室に残された。僕はいつものように先生に怒られるのだとばかり思っていたが、先生が机にニスを塗れと言ったので少しズッコケたようだった。2人でニスを塗っていると、けんかのことなどは忘れて仲良くなった。このときは本当に友達だと思った。
 第2には、中学1年生のときに4人ぐらいでグループを作り、勉強したり遊んだりして楽しく過ごしたことがある。でも、2年、そして3年になると、2年のとき組替えがあったせいかもしれないが、今までは1年のときとはだいぶ変わったと思った。
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「中学時代」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学時代

 ああ〜、もう3年間が過ぎてしまった。懐かしい思い出のある学校を去るのです。思い出はたくさんあります。その中でも、初めて出場した中体連、もうあがってしまい、いろいろミスをして先輩や同級生に迷惑をかけてしまった。今年の中体連は、中学時代最後の試合になった。
 マラソン大会は、苦しい大会です。私は体力がないので、みんなの後についてなるべく歩かないように努力しました。マラソン大会の当日は、最初から最後まで苦しい試合でした。マラソンは自分との戦いですね。3年間は、自分に勝ったのです。それは3回とも最後まで歩かなかったからです。
 楽しい思い出といったら修学旅行です。友達とお土産を買ったことなど、特に思い出に残ったことは、ジェット機を自分の目で見たこと、ジェット機の飛び立つ時の騒音には驚きました。
 このようなことが中学時代のよい思い出となりました。
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学校行事
3/4 朝会、卒業式予行・同窓会入会式
その他
3/7 3年給食なし(弁当持参)
3/8 3年給食なし(弁当持参)
部活動関係
3/6 部活動休止
入試関係
3/7 県立2期選抜学力検査

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236