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「自由」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   自由

 自由とはどういうことだろう。人間の一生には、自由というのはあるのか、それとも今のようにただ勉強をするのが自由なのか、いやそうではないと僕は思う。
 僕の思う自由は、人から無理矢理押しつけられず、自分のやりたいことができるというのが自由だと思う。でも、こんな自由は今の世の中には有り得ないことだ。
 僕達は、今入試という一つの目標に向かって進んでいる。その目標が達成した時に、自由があるのかも知れない。だけど、その自由は一時の自由で、また自由のない生活を送らなければならない。
 しかし、僕は一つの大きな目標を持って進む。
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「中学校生活を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活を振り返って

 この3年間というものは、いろいろなことがありました。長いようで短い月日―。中学校に入ってからあっという間に過ぎてしまいました。
 中学1年生の時は、何が何だか分からないままに終わってしまい、2年生になってものんびり過ぎた。
 そして、3年生、義務教育最後の学年になってしまいました。今から考えてみると、あれもやりたい、これもやりたいと思ったりして、後悔が残るようです。けれど、やり甲斐のある楽しい日々を過ごしました。友だちと遊び、勉強し、悩み、そして友情も温め合った。それもみな、私達を成長させ、また思い出とさせた。これからは、この一つ一つの思い出を大切にしていきたいと思う。
 長いようで短かった3年間、私にとって忘れられない思い出です。いつまでもいつまでも忘れず、心に留めたいと思います。
 「紙に書かず、心に書き留む―。」
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「旅路」(昭和50年度卒業文集より)

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   旅路

 ”安達太良山の 東の里
  ふたばはかおる 希望のひろば”と
歌って通した 小学校生活
 ”安達太良山の けだかき姿
  はるかにあおぐ 平和の里に”と
歌って通した 中学校生活
 9年間、嬉しさと苦しさ、楽しさと寂しさにもまれながら、私達は同じ道を開き、同じ道を歩いてきた。
 これからは、みな”独立”し、自分なりの道を造っていかなければならない。
 
 明日がすばらしいことを信じて
 まっすぐ前を向いて一歩
 春 すばらしいことを信じて
 堂々と胸を張って一歩
 自分で自分を確かめながら
 真実だけに生きていく
 若者の心を持って 振り返らずに
 強く歩く
 いつまでも いつまでも
 目の前に続く道を
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「一炊の夢」(昭和49年度卒業文集より)

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   一炊の夢

 一炊の夢。一度飯を炊く間のはかない夢をいいます。私は、3年間という年月を過ごしてきました。今、それを考えてみると、一炊の夢ともいえるような時代だったのかもしれないと思うのです。悲しみに涙を流し、苦しみに悩み、喜びに笑う、これもほんの少し短い一時だけ、長く続かないそんなものではかない出来事のようにも思うのです。一つの青春時代に、恋という初めての感動に出会いもしました。楽しみに満ちた生活でも、やはり涙が流れてきた出来事もありました。でも、今はとても美しく輝かしい思い出として、私の心に残っています。青春の一炊の夢を見たように、またさめたときもやはりはかない時代だったと思うことでしょう。
 夢。私たちは、長いような短くはかない夢と言える時代を見て、そして、今さめてしまう夢の終わりに涙を流し、それぞれに別れて行くことでしょう。でも、清秋の一つとなった思い出は心の中に残り、懐かしさ、寂しさも思わせるでしょう。「あの頃はいろんなことがあった。」と
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「未来に向かう」(昭和50年度卒業文集より)

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   未来に向かう

 「卒業」という言葉を聞く度、寂しさが込み上げてきますが、その反面喜びも感じられます。
 友だちや先生方、そしてこのボロ校舎と別れることは辛いけど、このままの状態でいられるはずがありません。もうすぐ過ぎ去ろうとしていることを、考えても仕方がないと思います。今までのことは、私の心の一部屋に大切に仕舞っておきたいのです。いつの日か懐かしがることでしょう。しかし、今の私は未来を見つめることで精一杯です。その未来には何があるのか、何が起こるのか、私には何一つ分かっていません。しかし、私にはその未来が輝かしいものに見えます。そして、その世界に大きな夢を描いています。
 今の私たちは、ひよこのように思えてなりません。今まで固い殻の中に過保護のようにされて暮らしてきました。そして、今その殻を打ち破ったのです。自分の手で、固い殻を破ったと思うと嬉しくてたまりません。これから何でも打ち破っていこうと、ファイトがわいてきます。
 これから幾たび荒波にぶつかることでしょう。幾たびも涙を流すことでしょう。その度、一つ一つ乗り越えていきます。そして、いつか大空を飛び回ることができることを、信じて生きていきます。私は、その日のことを思うと、胸がいっぱいになります。
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「卒業を前にして」(昭和49年度卒業文集より)

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   卒業を前にして

 長いようで短かった3年間、大きな希望を膨らませて入学した日々から、もう3年間が過ぎようとしている。その間には、嬉しかったことや楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことなど、数え切れない程たくさんあった。それもこれも、クラスのみんなと共に味わってきたのである。泣いたこともある。でも、それ以上に笑ってきたのだから、寂しくなんかない。
 中学校に入った時から、いや、小学校の時からの夢であった修学旅行も楽しかった。でも、私にしてみれば、思いがけない3年になってからの志田浜でのキャンプの時が、ずっと楽しかったし思い出もある。それに、今年の学校祭は今までにない楽しさや面白さなどがあった。しかし、これからは受験勉強との戦いである。どこまでやれるかが、今私に課せられている大きな課題だと思っています。
 あとわずかな中学校生活を、充実した悔いのない生活で送ることが、私の最後の目標です。 
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「想い出」(昭和50年度卒業文集より)

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   想い出

 私は、今こう思います。今までに過ごしてきたこの長い時間の間、私たちは、いろんな想い出をたくさん作ってきました。でも、その内の幾つかのを、私たちは知らない間に忘れ去ってしまいます。
 私が忘れ去った想い出を今探そうとしても、そう簡単には見つかるものではありません。だから、今この時、この瞬間をもっともっと大事にしていかなければいけないのです。
 小学校に入学し、知らないうちに6年という長い時間が過ぎていき卒業、そして中学校に入学し3年が過ぎ去ろうとしています。でも、中学時代の3年間の間に、いろいろな所へ行ってきました。1年の時にあぶくま胴を見学に行き、2年の時は日光と少年自然の家に行きました。少年自然の家では、夜になるとキャンプファイヤーを囲んでみんなと楽しく過ごしました。でも、3年時の東京への修学旅行は、雨に降られてさんざんでした。
 でも、それもやっぱり想い出という箱の中に入れてしまっておいて、後になってから振り返ってみるつもりです。ただの想い出だけではつまらない。「悲しい想い出」「「楽しい想い出」「苦しい想い出」「初めて知った恋の想い出」。これらのことをいつまでもいつまでも楽しい想い出として、心の中に仕舞っておきたいものです。
 だから、これからも心に残る想い出をたくさんたくさん作っていきたい、作っていこうと思います。
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「顧みる3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   顧みる3年間

 入学してから卒業するまでの3年間の何と短かったこと。それでも1年の時は長いなあと思っていたけれど、その短い3年間の中でも印象に残っていることを並べてみるとたくさんある。あり過ぎて、その中から1つを取り出して書くなんて容易なことではない。学校行事の中の私。学級、委員会の中の私。それに部活動の中の私。
 先輩にトレーニングと球拾いばかりやらされていた1年の時、時には先輩を恨んだこともあった。まだ話はいっぱいあるけれど、それを書いていたら大変なことになる。でも、こんな風にたくさんのことを経験できるのは、とても素晴らしいことだと思うし、幸せだとも思う。それだけ成長し大人になっていくのだから。
 でも、私はあまり大人になりたいとは思わない。なぜなら、時々大人は汚いことをするから。私は自分ではそんな大人にならないようにと思ってはいるけれど、果たしてどうなるのだろうか。
 私達の前途に幸多かれ! 
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「永遠の友」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   永遠の友

 今の私たちは、未知と現実の境という悩みの多い時期にいる。その中から抜け出し、青春と自由を求め未知の世界へ羽ばたこうとしている。友達がいてこそ、旅立つことを覚え、愛が生まれ成長していくのかもしれない。そして、こういう理想を持ち「卒業」という第一歩を踏み出したいと思う。
 卒業を間近にした心境は、必ずしも正直な心を見、本当の心を知ることはできないと思う。それは複雑なもので、嬉しくもあり、また悲しい訪れでもあるからだ。
 3年間という長く、短かった中学時代に、やっと友達の愛を知り始め、温かい友情が芽生えた。私にとっては、かけがえのない、汚れを知らない純粋な時代になるだろう。いつまでも忘れることなく心に刻まれることだろう。
 こうしていろいろなことを考え思い出す上、懐かしい日々が太陽のように燃えている気がする。私にとって最高の思い出がある。それは、1年生の頃から憧れ、待ち遠しかった修学旅行だ。この3日間を楽しく過ごせたのは、友達という存在があったからこそだ。嫌ことを忘れさせてくれ、楽しい会話をし、何と素晴らしいものだったことか。胸が弾む思いがしてならない。けんかとは、人の心を改めて知ることができるのかもしれない。なぜかというと、男子は、女子にはない取っ組み合いという方法でけんかをし、体で友情を確かめ合うからだ。それに、けんかの後のさっぱりしたと感じる気持ちは素晴らしいものだ。
 今まで、学校生活の中で、悲しみ、喜びを分け合ってきた友と、卒業と共に別れを告げ、各自の道を歩んでいくことになるだろう。その友とは、一層強い絆で結ばれることを願い、新しい友との出会いを大切にしたい。我が悪友よ、そして良き友よ、永遠の友であってほしい。
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「クラスメート」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   クラスメート

 中学校生活の思い出を書くことになって、私は何を書いていいのかわからなく、考えた末、クラスメートのことについて書くことにした。
 クラス、そしてクラスメートが、私に中学校生活の良い思い出をつくってくれた。
 クラスメート、いろいろな人がいた。大人っぽい人、子どもっぽくてはしゃぎ回っていた人、髪の長い人、短い人、よくしゃべる人もいれば、めったにしゃべらない人もいた。それから私のように静かな人(?)もいれば、明るくていつもみんなを笑わして、楽しい気分、楽しい雰囲気をつくってくれた人もいた。みんな十人十色で個性豊かな人ばかり、家で嫌なことがあっても直ぐに忘れさせてくれる。素晴らしい人達。
 そして教室、ちょっと老朽化しているけれど、やっぱり思い出深いところ・・・。
 私はこの学校を卒業していく。きっと、それらは私にとって忘れられないものになるだろう。そして、限りない未来へ大きく羽ばたこう。(ちょっとキザだったかしら) 
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『卒業記念品贈呈式』並びに『同窓会入会式』が行われる

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 本日(4日(月))5校時目、体育館において『卒業記念品贈呈式』並びに『同窓会入会式』が行われました。
 前半は『卒業記念品贈呈式』として、PTA会長の佐々木幹夫様から、卒業生代表の渡辺くんと内池さんに、PTAからの卒業記念品の「印鑑と卒業証書ホルダー」を贈呈しました。PTA会長様からは、「印鑑は大人の第一歩、大切に使ってください。」とのあいさつがありました。その後は、卒業生代表の石川くんから卒業記念品として学校へ「デジタル一眼レフカメラ」(2台)が贈呈されました。
 後半は、同窓会入会式として、同窓会長の大内正男様から卒業生代表の大内くんに、同窓会からの卒業記念品の「朱肉」を贈呈しました。同窓会長様からは、同窓会入会の許可の後、「約8000人の同窓生として、これからは小浜中をバックアップする立場となってほしい。」というあいさつがありました。
 最後に、卒業生代表の前田さんから、お礼の言葉と「小浜中の同窓生として誇り持って生活します。」という決意を述べました。

「想い出」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   想い出

 今一つの鉄塔が完成しつつある。高く大きなとてつもない義務教育という鉄塔が。この鉄塔のボルト1本1本、鉄の棒にも数々の思い出が刻み込まれている。
 ある鉄塔の棒には、部の練習で汗まみれになって練習している自分。その近くの鉄の棒には、旭中との練習試合で連続三振して、先生に「勝ち気がじゃまだ」と叱られている所、二中に遠征し自分がピッチャー強襲で突破口を切ったことなど、いろいろな思い出が刻み込まれている。
 このボルトには、先輩の後を継いで放送したリクエストタイムの思い出が、刻み込まれている、内容が充実せず、いつも放送の時に焦ったものだった。しかし、今度は後輩が2倍も3倍も上手にやってくれるだろう。そして、リクエストタイムが後輩にバトンタッチされる頃は、もう鉄塔の最頂点のボルトを締め終わった頃だろう。
 しかし、これだけで終わったわけではない。今度は、前の鉄塔よりも2倍も3倍も大きく頑丈な鉄塔を築かなければならない。高く、大きな鉄塔を。
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「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の思い出

 私は今3年間を振り返ってみると、私の頭の中にいろいろと浮かぶのです。その中でも3つだけ挙げることにしました。
 第1番目は部活動です。私は卓球に入っていました。先輩は、卓球のこつは体力作り第一と、来る日も来る日も体力作りとラケット振りでした。時々、卓球台を1人何分かずつ使わせました。今でも頭の中に厳しい体力作りが残っています。
 第2番目には旅行です。キャンプや修学旅行や見学旅行など、それぞれ知らない土地を見学した。キャンプは、3年生よりは2年生の時の方が楽しかった。だって自分らで食事の用意をしたんですもの。旅行に行った時は、小学校よりは楽しくはなかったですが、見たことも知らない所もいろいろなことも見て来て勉強になりました。
 第3番目は、誰でも嫌いな勉強です。私は勉強は大嫌いです。勉強は大嫌いだから、特に一番思い出に残ると思います。
 思い出は今何年か過ぎると思い出になるのだ、と私は思う。 
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「部活動」(昭和50年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動

 中体連の準決勝はとても苦しかった。「負け」と諦めの気持ちが、みんなの目から感じられた。心の隅には「こんなことで負けたくない」。そんな気持ちがあったことはいうまでもない。しかし、私達は自分自身に勝った。中体連優勝の夢は叶ったのだ。みんな手を取り合って泣いた。本当に嬉しかった。
 私は忘れていない。負けるものかと友を憎み、負けたくないとボールを打った。日曜日の練習、試合前の早朝練習、そして暗くなってからも。そんなことから継続というものの力の強さを知った。卓球のために学校があるような毎日だった。しかし、今までの生活をくだらないとは思ってはいない。かえってすばらしい世界を見ることができたからだ。
 夢にまで見た県大会。すばらしい開会式は、今でも直ぐ思い出される。あの赤い土の上の行進、風船に埋まった空、そして頑張ろうと誓ったこと。
 試合は結局負けではあったが、無駄だったとは思っていない。ただ「井の中の蛙」であったことをつくづく思わされた。私は自分自身に負けた。まだまだ自分は何にしても力が弱いことを知った。そして、もう何もかも終わってしまったことを考えると、とても寂しかった。
 反省の時、先生は「高校に入っても卓球を続けろ」と言った。私はできるなら続けたいと思っている。今まで経験したことを土台として頑張っていくつもりだ。
 ただ一つだけ寂しいと言えば、いつも怒鳴っていた「先生」、そして時にはよい友に時には戦いあった「友達」。そんな人達と別れてしまうことがとても寂しい。
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「友達」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   友達

 私は、今までの思い出がある。楽しかった思い出、苦しかった思い出がいろいろあります。
 楽しかったことに修学旅行があります。今から思えば楽しい思い出なのです。その楽しかったことが繰り返し感じられます。私は一人考えてみると、友達ってとても素敵だなと思います。だって、悲しい時も一緒、楽しい時も一緒、振り返れば常に一緒に友達が居るのです。いくら嫌な人でも、やはり別れるとなるととても淋しいのです。私は、みんなと仲があまり良くありませんでしたが、今思えば、友達になれば良かったなと思います。私は先生に心配ばかりかけましたが、やっと3年生も最後を迎えようとしています。体に気をつけて頑張ってくださいね。私は、この小浜中学校を忘れはしないでしょう。私は、卒業しても友達を大切にしていきたいと思います。

    詩
 3年生も最後を迎えました
 なぜか私は淋しいのです
 楽しかった毎日 苦しかった毎日
 今思えば楽しい思い出
 短かった3年間でした
 別れ この言葉が
 私の
 私の最後の言葉なのです 
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「卒業に当たって」(昭和50年度卒業文集より)

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   卒業に当たって

 私達は、今義務教育の9年間を終えて社会へ飛び出して行こうとしている。それぞれの頭にはたくさんの想い出を秘めて、あまりにも短かったこの9年、そして卒業しようとして卒業の壁を通り抜ける。でも、中学校生活を続けたいという気持ちもある。しかし、この現代の流れに逆らえず、高校生活、社会生活へ飛び出さなければならないのかと自覚する。
 これから20年後、僕はどうなっているのだろうか。もうその頃は35歳になる。果たしてどんな人、どんな職を持つんだろうと楽しみかつ不安を持つ。これから高校を経て社会へ出て行く自分の思い通りの職に就けたら何て思う。この作文を20年後に読んで笑うのではないか、そんことがあってたまるか。だから、今のうち一生懸命頑張らなければならないのだ。
 何よりも不安なのが卒業前の第一の関門の高校入試だ。これから3ヶ月間それに向かって突き進む。果たして高校へ入っても直ぐに友達ができるのかなんて突然脳裏に浮かぶ。だって今の友達と別れて名も知らぬ、そして初めて会う人。まだよく決めていないが「平」に5年間も親元を離れて一人で生活しなければならない。しかし、そんな時就職して遠くへ一人で行く人の身になって考えてみれば、これぐらい頑張らなければならないんだと心に決める。そして、これからずっと一人で生きていかなければならないのだと・・・・・。
 こんなに友達と別れるのがつらいとは初めて知り、これが卒業の現象と諦め、いかに友達が大事か知りました。
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「マラソン」(昭和49年度卒業文集より)

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   マラソン

 私は今まで何をやってきたのだろうかと考えてしまう。自分の満足のいくことは、何一つやり遂げていないような気がする。今となってはしょうがないことである。
 この3年間で一番嬉しかったことは、マラソン大会で完走できたことです。1年生の時には直ぐに諦めてしまった。2年生の時は腹が痛くて学校を休んでしまった。だから、3年生になってマラソンをやっている時は、「最後なんだから完走しなくては」といつも自分に言い聞かせていた。そして、中学生での最後のマラソン大会が来たのだ。私は走った。初めは何を考えずに一心に走っていたが、そのうちに息が苦しくなって何度も何度も止めようかと思った。でも、頭の中で「完走しよう。完走しよう。」と何度も何度も言っていたのだ。苦しくなっては、また「完走しよう。」と言った。それを言っている内に学校に着いた。苦しかったけれど、完走できたことがとても嬉しくて嬉しくてたまらなかった。今思うには、私は私に勝てたような気がする。マラソンが終わった時、さわやかな感じがした。
 この思い出は一生残るような気がする。私はもう楽な道は行かない。自分で苦の道を選ぼう。自分に負けないようにしたい。
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「卒業」(昭和50年度卒業文集より)

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   卒業

 「卒業」この言葉を口にする番がとうとう来てしまった。たった2文字の漢字なのに、大変数々の意味を含んでいる。
 初めて小浜中学校の門をくぐり、そして今度は出て行かなければならない。我々は、卒業という言葉を一度経験している。それは小学校の時である。あの時は、卒業という言葉がそう余り苦にならなかった。それは、そのまま同じ人達で中学校へ進んでいくからであろう。一人一人がバラバラになり、社会へ踏み出さなければならないのである。9年間一緒に勉強したクラスメートたちと別れなければならないのである。だが、一生に一度は、この厚い壁を突き破り大人の社会へ飛び立たなければならないのだ。
 僕が初めて小浜中に入り、いろいろと小学時代とは違った生活をし、1年2年の時と先輩達をこの小浜中学校から送り出してきた。だが、今度は違う。我々が1年2年生に送り出される番が来たのだ。3年間という長いようで短い年月ももう終わりかけているのだ。僕は、1年の時と2年の時と2度の卒業式を経験している。その度に思うことは、先輩達があの美しいようで悲しい涙を流すことである。あの涙こそ友達と別れなければならない悲しい涙と、これから大人の世界へ入り立派な社会人になろうとする「希望」の涙ではないだろうか。あの美しい涙を流す人こそ本当の人間ではないだろうか。
 1年生の時に燃やしたロウソクももう消えかかっている。数々の想い出を残して!
 しかし、また新しいロウソクに火を付けなければならない。数々の新しい希望を思い!
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「キャンプの思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   キャンプの思い出

 僕は、キャンプのことが一番の思い出として頭に残っている。
 料理を作るのにいろいろあった。また、僕らの班は自衛隊の人の話を聞かなかったため、テントを張るのがなかなかできなくて、先生に指図されながら張った。よく話を聞くことの大切さを知った。
 自由時間での水泳は波が高く砂浜の近くで泳いだため、浅くてお腹に砂利が付くようで面白くなく残念だった。スイカ割りは、すごく楽しいものの一つでした。みんながワーワー騒いでどこか分からなくなり、惜しくも土の上をたたいてしまった。
 僕はこの3年間がとても短く感じました。もう少し1日が長ければと思いながら、わずかな日々を1時間1時間を大切にして授業に打ち込みたいと思う。
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「部活動の想い出」(昭和50年度卒業文集より)

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   部活動の想い出

 部活動の想い出というと、やはり6月25日に行われた安達地区中体連である。この試合が中学校最後の試合だったので、私は思いっきりぶつかっていった。
 しかし、今考えてみると、やはりみんなが少し油断していたと思う。最後の1本のサーブが自分たちの所に来た時、みんな自信がなくだめだと思ってしまったことが、私達の欠点だと私は思った。
 例えば、今まで勝っていても、あと1本という時になかなかその1点が取れなくて、ジュースになってしまって負けてしまう。私は、そこを乗り越えられなかったことが、私達の負けた原因だと思う。このことは高校進学をしても、大人になっても忘れないと思う。
 これからもバレーボールをやっていこうと思う。
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学校行事
3/22 修了式
3/26 新入生オリエンテーション
その他
3/22 職員会議
3/24 年度末休業(春休み)
3/25 年度末休業(春休み)
3/26 年度末休業(春休み)
職員会議
3/27 年度末休業(春休み)
部活動関係
3/22 部活動なし(一斉下校)
入試関係
3/22 県立3期選抜面接等
3/25 県立3期選抜合格者発表
3/27 県立通信制出願締切

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

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放射線関係

岩代学校給食センターより

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