最新更新日:2022/09/13
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「部活動の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 私は、小学校の時から、ソフト部に入ることを夢見ていた。そのことが実現され、毎日部に行くことが楽しかった。だが、練習は厳しく、帰りがいつも遅かった。それに、中体連の県大会を目指すために、校庭に水たまりがあった時なんかは、雑巾で水をすくい取ったりして練習をした。もっとひどい時は、小雨の中、練習をやった時もありました。
 しかし、中体連は準決勝までいって惜しくも負けてしまい、もうその時は悔しさの余り、みんなで泣いてしまいました。でも今思うと、最後まで一生懸命頑張ったのでよかったと思いました。
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「思い出と希望」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出と希望

 この3年間を振り返って思い出してみると、悲しかったことや辛かったことばかりになってしまう。別に楽しかったことがなかったわけでもないのに・・・。長いようで短かった3年間、辛くまた楽しかったことは、やはり部活動だったと思う。
 辛かった練習、そして中体連安達郡方部で優勝し県北大会へ出場できた。県北大会では3位で終わったが、郡で優勝できたことは嬉しかった。その時、初めて今までやってきて良かったという実感が出てきた。
 私は、これからの道を今までの生活で得た良いことをもとにし、強く正しく生きたい。
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「小熊ちゃん」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   小熊ちゃん

 あれは、私が小学2年生の頃でした。私達の担任の先生は、小川先生でした。
 小川先生は、私の手を見ると、「順子ちゃんの手は熊の手みたいだね。」と言った。
 それからは、私は熊というあだ名になった。その頃は、熊と言われるのが嫌で嫌でしかたがなかった。でも、今ではそのあだ名が嫌いではない。逆に、可愛らしい良いあだ名だと思うようになってきた。
 そして、このあだ名が今も続いている。このあだ名は、一生忘れることのないあだ名になるかもしれないと思う。
 今は、このあだ名を生かしてマンガを書いたりしている。
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出

 毎日カバンを背負って通ったこの3年間、とても楽しかった。「入学式」それは中学生活の第1日目、初めてセーラー服を着て、校門をくぐったその時を、私はこれから一生忘れることはできない。でも卒業間近になった今、3年という長い年月が短く感じられる。今まで親しくしていた親友たちと別れるのかと思うと、悲しさが満ちあふれてくる。みんなと過ごした修学旅行、学校祭も終わってしまった。楽しいことは終わってしまい、これからやってくるのは勉強だけだ。嫌だと言っても、そんなことは許されない今、悩んでいる暇もない。でも後悔はしない。自分で探した自分の道だから。その道を、私は一歩一歩歩み始めている。自分で切り開きながら。 
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「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 私の中学校生活の思い出は、やはり合唱祭のことです。小学校では合唱祭というものがなかったので、私は合唱祭というのは歌を歌えばよいのではないかと思っていました。そのうちどういうものか分かってきた。休み時間も放課後も自習の時間も練習をしました。
 その結果、1年生で1位と取りました。2年になり組替えをして、私は2年2組になり合唱祭が近づいてきて、やはり1年と同じように休み時間も放課後も自習の時間も練習して、また良い成績で1位と優秀賞を取りました。3年生になって音楽の時間にモルダウの歌を勉強しました。この曲が課題曲です。それから学級で自由曲を決めて練習に入りました。そして、やはり1、2年と同じように練習を続けて、ついに合唱祭が来ました。もう歌う前からドキドキしていました。それから合唱祭が終わり、時間が余ったので教室へ戻りました。その結果、最優秀賞を取った。とても嬉しかった。この合唱祭は、中学校生活では1番の思い出になります。
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「あの日 あの時」(昭和49年度卒業文集より)

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   あの日 あの時

 私のこの思い出は、いつまでも忘れられないし、思い出すと悔しくなる。
 それは中学1年の12月頃だと思う。今でも昨日起こったことのようだ。その時間はクラブの時間で、私は図書館の下の階段の所で友達と話をしていた。その時、窓ガラスに背中が触れたのか、ガラスが離れて下に落ちていった。アッという間にガチャンという音を立てて割れてしまった。その時、男の人たちが大声を出して「割った!割った!」とさわいだ。私は恥ずかしかった。
 確かに私が割ったのかも知れないけど、そのガラスもテープでねばしてあったし、ガラスを支える板も取れていた。私達が、先生への説明が悪かったのか、勝手に割れてしまったととられた。先生が職員室で私達のことを話したのか、先生が私達の教室にまで来てそんなことを話していた。その度に胸の奥がズキンとくる。初めて学校でガラスを割った私には涙がにじみそうだった。
 これが私の中学校へ来て忘れられない思い出です。 
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「中学生の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学生の思い出

 私は、今こうやって中学生になってからのことを考えてみると、3年間の間には、懐かしい思い出が、楽しかった思い出などが頭の中に浮かんでくる。
 1年の時のことは、2年も前のことでも一層懐かしく頭の中に浮かんできます。1年の頃はよかった。勉強のことなんかあまり考えず、のん気だった。あの頃は夢を持って中学校に入学してきたのに、今考えてみると、どこかで変わっていた。こうして考えてみると、3年間は長いようで短かった。
 中学校で1番頭を痛めるのは、やはりテストです。テストの日が近づいて来ると、何から手をつけてよいかわからなくなってしまう。中間テスト、模擬テストなどがありますが、その結果が出るのが嫌でした。
 やはり3年間を通して修学旅行が1番思い出に残りました。2番目は校内合唱祭で最優秀になったことなどいろいろありましたが、これからも思い出に残るように、残り少ない中学校生活を楽しく過ごしていきたいと思います。
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出

 中学校に、新たな気持ちで入学
 
○桜咲く 校門入り 胸張りて
  やるぞ意気込む 心中にあり

 初めて受ける授業に、期待がわいてくる。授業を受けるのが待ち遠しく「どんな先生かな。」と、ちょっと不安でもあった。英語は「どんなかな。」それも不安だったが、それよりも期待が大きく不安なんて吹っ飛んだくらいだった。こんな気持ちで、1年はすぐ終わってしまった。
 2年生になった。遊んでばかりいた。1日が終わり家に帰っても復習などやったことがない。こんなことをしていたのでは、テストの順位も上がるはずがない。
 3年生になった。修学旅行の思い出は、夜、枕ぶつけをして眠れなかった。動物園では、だれ君に似ているなどと言ってからかい合いながら見学して回った。
 あ!という間に1学期が過ぎ2学期になったら進路について忙しかった。
 こんなことが、僕の3年間だった。

○苦楽あり 3年間の 思い出は
 長いようだが 短かったな 
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「クラブ活動」(昭和48年度卒業文集より)

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   クラブ活動

 私は、1、2年と茶道クラブに入っていました。なぜ私が『ガラ』にもなく茶道クラブなんかにと思う人もいるでしょう。私も初めは、おもしろ半分位にしか思っていなかったと思います。それにテレビなんかで、お茶をたてている所などを見て一度あんな事をやってみたいと思ったのも入った理由の一つです。
 数日後、入学以来初めてのクラブの日、驚いたことに、私の入ったクラブの人数はたったの7人でした。他のクラブは人数が多くてジャンケンまでして入った人もいるのになんと情けない。それに先生も華道・茶道と二つにかけもちであっちへ行ったりこっちへ来たり忙しかったろうと思います。人数が少ないせいもあって先生や先輩にみっちり教えてもらうこともできました。そのせいか『メキメキ上達』ということもありませんでしたが、一応の事はできるようになりました。
 それから夏休みには先生の家へみんなで行ったこともありました。でも、私はなんでもすぐ飽きてしまうので『お茶なんか習ってもだめだ』なんて言われたこともありましたが、こんな私でも1年間やることができました。残念なことに私が入ってから3年目に前にも書いたように人数が少ないので茶道クラブはなくなってしまいました。
 でもできることならこれからも私は続けるつもりです。
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「別れ」(昭和49年度卒業文集より)

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   別れ

 別離・・・・・
 それは だれもが
 必ず味わう
 人生の宿命であろうか
 そして
 その悲しみを乗り越えて
 成長していくのだ

 しかし・・・・・

 青春の日の
 つらい別れは
 大きなきずあとを
 残すかもしれない 
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   思い出

 入学してから、もう3年が過ぎようとしている。いろいろなことがあった。
 私はソフト部に入っていた。成績が下がったと言って、部をやめたこともあった。でも結果は、部をやめたから成績が上がったというようにうまくはいかなかった。そのことがやっとわかり、また親友部員として入部させてもらった。
 練習は、とてもつらかった。いつも家に着くのは、夜の7時頃になっていた。いつも汗をビッショリかいて練習に励んでいた。これも中体連の優勝のためだった。出場した以上は、やっぱり優勝したい・・・・・。
 私達ソフト部員は、一致団結して試合に臨んだ。1回戦ではどうにか勝てたが・・・準々決勝で惜しくも負けてしまった。負けてしまった時には、みんな悔し涙を流したが、今では中学校生活での最高のよい思い出となっている。
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「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 私たちの楽しかった中学生時代も、もう少しで終えてしまおうとしている。この3年間を振り返ってみると、いろいろなことが頭に浮かんでくる。その中でも、最初に頭に浮かんでくるのは、一生懸命に剣山に花をさしたことだ。
 花をさしている時は、今までの嫌なこともみんな忘れることができた。花にもいろいろな種類がある。例えば、正月の花、床の間に飾る花もある。その他にもいろいろな花がある。自分でどうやったらよいか分からない時には、人の真似をした時もあった。何時間も経った後、人を頼りにしないで自分一人でやった。やはり自分で自分のをやるのは、とても良い気分だった。
 「人を頼りにしてやるより、自分でやるのが、大人になっても自分のためになるからだ。」 
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「中学生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学生活の思い出

 私はバレー部に入部していました。私はバレー部の中では数えきれないくらいたくさんの思い出があります。でもその中で1番の思い出は、何度もバレー部をやめようと思った事があることです。
 2年生にレギュラーの座を取られてしまったり、後から入ってきた3年生が先にレギュラーになったりして、私はその人達を憎んだり、悔しがった事があります。
 どんなに頑張っても、練習試合には数えるくらいしか出られず、出てもミスばかりするので、いつも席で見ている方が多かったと思います。試合を見ている私の心の中では、部員達よりも自分は下手で役立たずだと思いました。そんな時自然と涙が出てきて、部員達に笑われるのではないかと思って、練習が終わって家に帰ってから何度も泣いたことがあります。
 でも今思うと、自分にはバレー部に向いてないと思っています。でもバレー部に入ってとてもよい体験をしたと自分では思っています。
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「今までを振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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   今までを振り返って

 今までの学校生活を思い出してみると、自分が口に出して「私はこれだけは人に負けないでした。」というのはなく、それに近いことはごく少数である。
 9年間の義務教育を終わろうとしている私には、ああ、あれだけはしてよかったと思い当たることがないように思えてくる。これは、とても悲しいことのように思えて自分が情けなくなってきそうである。
 ただ、毎年学年が上がる時に、形だけだけれども、希望だけは抱いていた。そして、やがて中学生となり、ごく普通に過ごしてきたら、もうこんな卒業文集を書くようになってしまった。これを書く前に、何かをしてみたかった。それが、まだまだ何だとは言えないが―。
 また、こんなことも中3になって思うことが多くなった。1日が短く思えてしまうことがある。これは、誰もが思うことではないだろうか。
 自分がしてきたことでよかったのは、部に入っていることだった。短い時間でも、1つのことを思い一生懸命やったことは忘れらないことだと思う。
 これから、私は、自分が納得できるような生活を送りたいとこの文章を書きながら感じている。
 希望 前進 
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「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学校生活の思い出

 私の思い出、と言ったらやはり部活動のことが頭に浮かびます。
 私は、バトミントン部でした。私達の部は、今年できたばかりなので、部員もかなり多くいました。その中で、私は、幸運にも選手に選ばれました。練習の時、あまりみんながスマッシュが決まらないので、先生に怒られたことも何度かありました。
 私達、バトミントン部では、練習試合を白岩中・戸沢中の2校としましたが、力が足りずどちらも負けてしまったのです。それで、中体連には、と思って懸命になって練習しました。が、これもまた惜しくも負けてしまいました。でも、私には、不思議にあまり悔しい気持ちは残っていませんでした。かえって、ホッとした気持ちが多かったように思われます。
 そして、今、そのことがすごく懐かしく感じられます。
 この思い出は、私の中学時代の思い出として、いつまでも取っておきたいと思っています。
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出

 野球、それは私が中学になって初めて熱中できたものです。野球を始めて3ヶ月間ぐらいはボールも握れず、ただグランドを走ったり、ボールを拾ったり、グランド整備ぐらいしかさせてもらえなかった。こんなことばかりでなく、ボールを持ち、バットを持たせて練習させればいいのにと先輩を恨んだこともあった。
 今思い出として1番覚えているのは、いくら頑張っても勝つことのできなかった試合と、苦しくとも頑張った練習のことである。夏は太陽のさんさんと照りつける中で、ユニフォームをびしょびしょにしながら広いグランドを走り、うさぎ跳びをし、ノックを受け、スライディングをして体中泥だらけにしてやり通した。冬は寒い雪の中、寒くてよく手が動かないのに、素振り、キャッチボール、その他の基礎練習をした。このような練習があってこそ強いチームになれたのだと思っている。
 これからも私にとって苦しいこと、悲しいことはたくさんあると思う。しかし、それにくじけず、中学時代に鍛えた体力と精神で乗り越えていきたい。人生七転び八起き、苦しいことばかり続くはずがない。強く生きたいと思う。
 栄光の背番号2 
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 1年生に入学したと思ったら、たちまち3年間が過ぎてしまった。僕はこの3年間を何が何だか分からないで過ごしてしまったような気がする。
 だがよく考えてみると、今までにない多くの経験をしてきたと思う。嬉しいこと、悲しいことなど思い出は尽きない。
 卒業に当たって思い当たることだが、あのまま、あの学校に居たなら、何も分からないで終わったかも知れない。
 先生方の支えがあったからこそ、これまでになったのだと思う。
 これが僕の中学校時代の最後の作文となる。涙をこらえて思い出の作文を終わりにする。
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「遠々の友情」(昭和49年度卒業文集より)

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   遠々の友情

 今、新たな希望を持ち、僕は、巣立ちをする。
 思えば楽しく、苦しく、波乱に満ちた学校生活であった。
 今から3年前、初めて中学校の門をくぐり、なぜか不安でたまらぬ中学校生活、やることなすことが総て珍しくいつの間にか、溶け込んでしまった。また、新しい友だと、初めて受けた授業、友と共に力を合わせ、精一杯戦った部活動などと、今僕の頭の中に数々の忘れえぬ思い出として渦のように、後から後からと吹き出すかのように浮かんでくる。
 でも、この忘れえぬ思い出の立ちこめる学び舎を巣立っていく日が来てしまった。そしてまた、数々の忘れえぬ、友情の足跡を堅くきざんだ浜中を、今、新たに飛び立とうとしている。たとえ、前途にどんな障害があろうと、我々40の仲間は、決して離れたりはしないだろう。見えない1本の強い糸が、遠々の友情がある限り。 
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「中学生活3年間」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学生活3年間

 長いようで短かった3年間。私の1番の思い出は、何と言っても修学旅行の思い出だろう!中でも印象に残ることは外人に話しかけたことだ。それが不幸にも「I don't speak English !・・・・・」と、こんな失敗をした私は、友達の笑いものになってしまった。本当にバツの悪い話だ。それにこんな事があってから、英語の時間は自信なし!前にも増して悪くなったのは、このためだと思っている。
 でも楽しい楽しい修学旅行だった。こんな私の失敗談も楽しい思い出として私の心に残ることだろう!
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出

 長いようで短かった3年間、ガブガブの制服を着て、初めてくぐった校門。3年生がとても大きく見えた。
 初めて出た部も、ちょっと辛かったけど楽しかった。数々の試合も、多くの練習も、もう浜中生徒としてすることができない。
 私も今は3年生。でも3年生という年ももう数ヶ月で終了。3年生という年と一緒に、小浜中生徒としての年も終わる。
 私はこの1年の間、3年生としての自覚を持ったことは、ほとんどない。ほとんど毎日学校に通うことで、ときどき「3年生だな」と感じるくらいだった。
 今私がこの3年間を振り返って思うことは、人間はどんな寂しさにも、耐えられないと思われるくらいの苦しさにさえ、耐えることができるということだ。そして、その忍耐の支えになるのは、友達であり、友情である。
 人間は、はかないようでも強く生きることができるということである。 
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学校行事
3/26 新入生オリエンテーション
3/29 離任式
その他
3/24 年度末休業(春休み)
3/25 年度末休業(春休み)
3/26 年度末休業(春休み)
職員会議
3/27 年度末休業(春休み)
3/28 年度末休業(春休み)
3/29 年度末休業(春休み)
入試関係
3/25 県立3期選抜合格者発表
3/27 県立通信制出願締切

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236