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「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の思い出

 入学してからいろいろな思い出があります。3年間の思い出、今から考えれば短かったような長かったようです。
 1年の時は、あと3年間もあるのかと思っていたが、もうすぐになってしまった。楽しかったこと、悲しかったこと、いろんな思い出がたくさんあります。
 修学旅行の中で一番楽しかったのは、東京タワーや東京のいろいろな所を見たことです。
 学校祭の教室の展示などは、面白いものや上手なものがたくさんあった。ステージ発表なども面白かった。
 就職のことは、まだ3年もあると思っていたが、もう決まってしまった。決める時は、どこに行ったらいいのかわからなかったが、やっと決まった。先生にもいろいろ心配をかけましたが、これからは心配をかけないように頑張りたいと思います。
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「3年間を振り返って」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間を振り返って

 私は、中学校の義務教育の最後の段落である3年間を、充実したものだったとは思えません。でも、今思えば、懐かしさや思い出が頭の中にいっぱいなのです。
 小学校から中学校に来た時、今から違う世界に出て行くのだと思ったら、胸の中が破裂しそうに何もかも不安だった。そして、1年生としての実感もわかないうちに、1学期、2学期と過ぎていった。それでやっと学校に慣れてきた。
 でも、私は学校に来て一番楽しかったのは、部活動でした。2年生や3年生は、思ったより親切で親しみやすかった。でも、小学校とは違って、勉強は毎日の予習、復習をやらなくては追いつけないのです。
 そしてもう1年過ぎ、2年の中ごろには、部活動などは中心になって活動するようになった。やはり、一番心に残るのは部活動ばかりです。
 2年生頃になると学校にも慣れてきて、学校の面白さや楽しさがあり、小学校とは違っていた。
 そして、3年、「もう3年か」と思って毎日を過ごしているうちに、進路の問題などで悩む時期になってしまった。自分ではまだそんなに過ぎていないと思っていても、時間は待ってくれないのです。
 自分でも、3年間は短く最も大切で自由な時期であると思います。
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「またいつの日か」(昭和49年度卒業文集より)

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   またいつの日か

さらばわが友
 またいつの日か

 9年間
 共に笑い
 共に泣き
 共に学んできたわが友
 一緒に走り
 一緒に学び
 一緒に泣いてきたわが友

ほらキャンプで
沈む夕日を一緒に見たよね
ほらあの日
マラソンを最後まで走り遂げ
2人で肩をたたき合ったっけ
キャンプの時だって
一緒にご飯を作り
1つのテントに寝て
釣りだってしたよね
ね 覚えてる?
2年のキャンプの時
朝早くみんなで散歩に行って
カニをいっぱい集めたこと

 思い出すことは
 楽しいことばかり
 これからの人生
 そんなもんじゃないはず
 そんな時
 思い出してよ
 私のことを

また会う日まで
 またいつの日か・・・
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「思い出」を思う(昭和50年度卒業文集より)

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   「思い出」を思う

 つい最近まであんなに暑かったのに、今はもう本格的な冬。一日一日と卒業に近づいていく。こんな中で、私は入試の不安や苛立ちで心が揺れ動いている。そんな心の揺れからかどうかわからないが、最近中学3年間の出来事をふと思い出すことがある。
 入学式は雨だった。対面式で代表としていろいろと述べたこと、卓球部での厳しい練習、何十人といた部員がたった3人になってしまった。3人でよく頑張ったが、中体連では負けてしまった。それから、1年の時、副会長に立候補して落選したが、2年で会長に立候補して当選した。このことは今でもはっきりと覚えている。
 会長の仕事は大変だった。特に、私は人の前に立つと直ぐ上がる方なので、仕事を始めたばかりの頃のあいさつの時は大変だった。でも、今はもう上がらなくなった。たった1年で消極的な自分から積極的な自分に変わったのだ。会長をやってよかったこともある。それは、行事をやるに当たって、準備することが楽しかったからだ。特に、学校祭の時は自分なりに精一杯頑張ったつもりだ。それは、私の最後の大切な仕事として悔いの残らないように頑張ったのである。こんなことから、自分はこの3年間でずいぶん成長したのではないかと思う。
 最後に、日頃考えていた「なぜ、私たちは勉強するのか」ということについて、結論を述べたい。「勉強するのは、他人を負かし自分本位の小さな目標を達成するためではなく、人類の進歩のためなのだから、やりたいものをとことん研究するのが望ましい。」私はこのように考えるのである。
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「入学してからの3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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   入学してからの3年間

 入学してもう3年間が過ぎようとしています。この3年間、いろいろなことがありました。その中でも思い出になるのは、入学式、キャンプ、校内球技大会、いも煮会、修学旅行、文化祭、その他たくさんの思い出を一つ一つ思い浮かべたら切りがない程です。でも、この3年間の一番の思い出は、やはり修学旅行と文化祭だと思います。
 修学旅行での思い出は、みんな出かける前からウキウキしていて、ちっとも落ち着きがないことでした。もちろん私もです。東京へ行ってみて東京タワーから周りを見たら、やっぱり東京なんだなあと思いました。それから、夜、学生旅館から周りを見たら、ネオンが輝いていてとてもきれいでした。
 文化祭では、ギターを弾く時、もうドキドキしていて間違いはしないかと思う程でした。文化祭を見ている時、一番面白かったのは演劇とヤング・ヤングサーティなどでした。今までになかった面白さがありました。
 3年間を振り返ってみて、自分は何をしてきたのか分かりませんが、みんあと勉強したり遊んだりしていい思い出になりそうです。
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「思い出」(昭和50年度卒業文集より)

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   思い出

 3年間の中学校生活も、もうピリオドを打つ時期がとうとう来てしまった。長いようで短い3年間であったが、その中にはいろいろな思い出がある。
 一番印象に残っているのは中体連のことだ。中体連になるまでには、3年間もの苦しい練習があった。その練習も1年生の半分位は球拾いばかりで、たまにトスバッティングのピッチャーをするとライナーのピッチャー返しが来て顔に当たって鼻血を出したこともあった。ようやくトスバッティングができるようになった時は、とても嬉しかった。
 2年生になってからは、新人戦があるので毎日厳しい練習が続きとても大変だった。新人戦では太田中と引き分けてしまい、優勝することができなかったのがとても悔しかった。中体連では、強豪の本宮一中と戦い3対2と接戦の末、我が浜中が勝利をおさめた。その時は、とても嬉しかった。2回戦は二本松一中と戦い、惜しくも負けてしまった。試合に負けた時はとても悔しく、もう少し勝ち進みたいという気持ちでいっぱいだった。
 この試合で勝負の世界で勝つ抜くには、並大抵の努力では栄光を手にすることができないということがつくづく分かった。
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「これから」(昭和49年度卒業文集より)

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   これから

 私の3年間
 すばらしいものであった
 未知数菜気持ちで乳が詩
 そして 今まで
 たいへん困ったことも
 また
 たいへん嬉しかったことも
 そんな時
 いつも友だちがいてくれて
 幸せだな―って

 部活動
 練習がきつかった
 でも 終わった時の
 すがすがしさ 忘れられない
 語り合い 励まし合い
 時にはぶつかり合うことも
 すてきな仲間たち
 今ではみんな いい思い出

 しかし すべてはこれから
 「就職」
 まだピンとこないけど
 やっていけるかな・・・
 とっても不安
 反面
 中途半端じゃいけない
 まだ何も知らないのに
 社会人になる
 頑張らなければならないんだ
 「やってみせる」という気持ちとで
 複雑である
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「修学旅行の思い出」(昭和50年度卒業文集より)

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   修学旅行の思い出

 修学旅行の第1日目は、科学技術館とよみうりランドがたいへん印象に残った。技術館では、原子のモデルや360度回転の映画、私にはとてもためになった場所だった。技術館の中には外人がたくさんいた。私と友達は、屋上へ行ってみた。そしたら、外国の夫人がいたので、サインをもらった私は、たいへん嬉しかった。見学する場所を終えて、第1日目の旅行最後の場所、よみうりランドに着き、いろいろな乗物に乗った。ジェットコースターに乗り、みんながキャーキャーと声を張り上げ、とても面白く楽しかった。
 第2日目、旅館から出ると雨が降ってきた。2日目の印象に残ったことは、一日中雨降りだったことと、東京タワーが印象に残った。2日目の見学最後の場所では、買い物をしたり、外の風景を見たりした。外の風景は、雨降りで見ても余り面白くなかった。買い物は、品物が豊富で、買うことよりも見て驚くことが多かった。家にほんの少しのお土産しか買わなかった。買うことより見て驚いている方が面白かった。
 第3日目、最後の日も雨降りだった。この日は上野動物園を見学した。見学をしたのは良かったが、靴の中がぐちゃぐちゃでとてもひどかった。とても惜しかったのは、パンダが見られなかったことだ。一目だけでも見たかった。後は、国際空港だった。ジャンボジェットが飛んだり、着陸していったりとてもかっこよかった。店内で買い物をして、モノレールに乗り、次の見学場所へ行った。
 雨が降っていたことはとても残念だったが、いつまでも記念に残る思い出だろう。
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「出発(たびだち)」(昭和49年度卒業文集より)

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   出発(たびだち)

 「卒業」という言葉を前にして、私は今まで自分が歩んできた道を振り返ってみた。すると、そこは細い細い道になっていた。そして、それにはどこにも私が歩んできた足跡が無数に付いていた。しかし、その足跡はとてもまばらである。悩んだり、苦しんだりした時は、何度も何度も足踏みをしやっとの思いで前に進んでいるし、15歳になったのだからもう少し大人に見られたいと背伸びをした時など駆け足もしている。また、この細い道から足を踏み外しそうになったり、転げ落ちそうになったり、さまざまである。こんな足跡ではあるが、この一歩一歩が全て私の青春であり、私がここに到達するまで歩んできた道なのである。そして、私はここでこの小さな一歩が、私のこれらかの人生にとって大きな一歩となることを確信した。
 これからの私は、この足跡を土台として、自ら選んだ道を大きく羽ばたこうとしている。胸には道への期待、不安、そして希望をいっぱい秘めて・・・。
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「自由」(昭和50年度卒業文集より)

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   自由

 自由とはどういうことだろう。人間の一生には、自由というのはあるのか、それとも今のようにただ勉強をするのが自由なのか、いやそうではないと僕は思う。
 僕の思う自由は、人から無理矢理押しつけられず、自分のやりたいことができるというのが自由だと思う。でも、こんな自由は今の世の中には有り得ないことだ。
 僕達は、今入試という一つの目標に向かって進んでいる。その目標が達成した時に、自由があるのかも知れない。だけど、その自由は一時の自由で、また自由のない生活を送らなければならない。
 しかし、僕は一つの大きな目標を持って進む。
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「中学校生活を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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   中学校生活を振り返って

 この3年間というものは、いろいろなことがありました。長いようで短い月日―。中学校に入ってからあっという間に過ぎてしまいました。
 中学1年生の時は、何が何だか分からないままに終わってしまい、2年生になってものんびり過ぎた。
 そして、3年生、義務教育最後の学年になってしまいました。今から考えてみると、あれもやりたい、これもやりたいと思ったりして、後悔が残るようです。けれど、やり甲斐のある楽しい日々を過ごしました。友だちと遊び、勉強し、悩み、そして友情も温め合った。それもみな、私達を成長させ、また思い出とさせた。これからは、この一つ一つの思い出を大切にしていきたいと思う。
 長いようで短かった3年間、私にとって忘れられない思い出です。いつまでもいつまでも忘れず、心に留めたいと思います。
 「紙に書かず、心に書き留む―。」
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「旅路」(昭和50年度卒業文集より)

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   旅路

 ”安達太良山の 東の里
  ふたばはかおる 希望のひろば”と
歌って通した 小学校生活
 ”安達太良山の けだかき姿
  はるかにあおぐ 平和の里に”と
歌って通した 中学校生活
 9年間、嬉しさと苦しさ、楽しさと寂しさにもまれながら、私達は同じ道を開き、同じ道を歩いてきた。
 これからは、みな”独立”し、自分なりの道を造っていかなければならない。
 
 明日がすばらしいことを信じて
 まっすぐ前を向いて一歩
 春 すばらしいことを信じて
 堂々と胸を張って一歩
 自分で自分を確かめながら
 真実だけに生きていく
 若者の心を持って 振り返らずに
 強く歩く
 いつまでも いつまでも
 目の前に続く道を
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「一炊の夢」(昭和49年度卒業文集より)

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   一炊の夢

 一炊の夢。一度飯を炊く間のはかない夢をいいます。私は、3年間という年月を過ごしてきました。今、それを考えてみると、一炊の夢ともいえるような時代だったのかもしれないと思うのです。悲しみに涙を流し、苦しみに悩み、喜びに笑う、これもほんの少し短い一時だけ、長く続かないそんなものではかない出来事のようにも思うのです。一つの青春時代に、恋という初めての感動に出会いもしました。楽しみに満ちた生活でも、やはり涙が流れてきた出来事もありました。でも、今はとても美しく輝かしい思い出として、私の心に残っています。青春の一炊の夢を見たように、またさめたときもやはりはかない時代だったと思うことでしょう。
 夢。私たちは、長いような短くはかない夢と言える時代を見て、そして、今さめてしまう夢の終わりに涙を流し、それぞれに別れて行くことでしょう。でも、清秋の一つとなった思い出は心の中に残り、懐かしさ、寂しさも思わせるでしょう。「あの頃はいろんなことがあった。」と
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「未来に向かう」(昭和50年度卒業文集より)

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   未来に向かう

 「卒業」という言葉を聞く度、寂しさが込み上げてきますが、その反面喜びも感じられます。
 友だちや先生方、そしてこのボロ校舎と別れることは辛いけど、このままの状態でいられるはずがありません。もうすぐ過ぎ去ろうとしていることを、考えても仕方がないと思います。今までのことは、私の心の一部屋に大切に仕舞っておきたいのです。いつの日か懐かしがることでしょう。しかし、今の私は未来を見つめることで精一杯です。その未来には何があるのか、何が起こるのか、私には何一つ分かっていません。しかし、私にはその未来が輝かしいものに見えます。そして、その世界に大きな夢を描いています。
 今の私たちは、ひよこのように思えてなりません。今まで固い殻の中に過保護のようにされて暮らしてきました。そして、今その殻を打ち破ったのです。自分の手で、固い殻を破ったと思うと嬉しくてたまりません。これから何でも打ち破っていこうと、ファイトがわいてきます。
 これから幾たび荒波にぶつかることでしょう。幾たびも涙を流すことでしょう。その度、一つ一つ乗り越えていきます。そして、いつか大空を飛び回ることができることを、信じて生きていきます。私は、その日のことを思うと、胸がいっぱいになります。
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「卒業を前にして」(昭和49年度卒業文集より)

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   卒業を前にして

 長いようで短かった3年間、大きな希望を膨らませて入学した日々から、もう3年間が過ぎようとしている。その間には、嬉しかったことや楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことなど、数え切れない程たくさんあった。それもこれも、クラスのみんなと共に味わってきたのである。泣いたこともある。でも、それ以上に笑ってきたのだから、寂しくなんかない。
 中学校に入った時から、いや、小学校の時からの夢であった修学旅行も楽しかった。でも、私にしてみれば、思いがけない3年になってからの志田浜でのキャンプの時が、ずっと楽しかったし思い出もある。それに、今年の学校祭は今までにない楽しさや面白さなどがあった。しかし、これからは受験勉強との戦いである。どこまでやれるかが、今私に課せられている大きな課題だと思っています。
 あとわずかな中学校生活を、充実した悔いのない生活で送ることが、私の最後の目標です。 
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「想い出」(昭和50年度卒業文集より)

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   想い出

 私は、今こう思います。今までに過ごしてきたこの長い時間の間、私たちは、いろんな想い出をたくさん作ってきました。でも、その内の幾つかのを、私たちは知らない間に忘れ去ってしまいます。
 私が忘れ去った想い出を今探そうとしても、そう簡単には見つかるものではありません。だから、今この時、この瞬間をもっともっと大事にしていかなければいけないのです。
 小学校に入学し、知らないうちに6年という長い時間が過ぎていき卒業、そして中学校に入学し3年が過ぎ去ろうとしています。でも、中学時代の3年間の間に、いろいろな所へ行ってきました。1年の時にあぶくま胴を見学に行き、2年の時は日光と少年自然の家に行きました。少年自然の家では、夜になるとキャンプファイヤーを囲んでみんなと楽しく過ごしました。でも、3年時の東京への修学旅行は、雨に降られてさんざんでした。
 でも、それもやっぱり想い出という箱の中に入れてしまっておいて、後になってから振り返ってみるつもりです。ただの想い出だけではつまらない。「悲しい想い出」「「楽しい想い出」「苦しい想い出」「初めて知った恋の想い出」。これらのことをいつまでもいつまでも楽しい想い出として、心の中に仕舞っておきたいものです。
 だから、これからも心に残る想い出をたくさんたくさん作っていきたい、作っていこうと思います。
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「顧みる3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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   顧みる3年間

 入学してから卒業するまでの3年間の何と短かったこと。それでも1年の時は長いなあと思っていたけれど、その短い3年間の中でも印象に残っていることを並べてみるとたくさんある。あり過ぎて、その中から1つを取り出して書くなんて容易なことではない。学校行事の中の私。学級、委員会の中の私。それに部活動の中の私。
 先輩にトレーニングと球拾いばかりやらされていた1年の時、時には先輩を恨んだこともあった。まだ話はいっぱいあるけれど、それを書いていたら大変なことになる。でも、こんな風にたくさんのことを経験できるのは、とても素晴らしいことだと思うし、幸せだとも思う。それだけ成長し大人になっていくのだから。
 でも、私はあまり大人になりたいとは思わない。なぜなら、時々大人は汚いことをするから。私は自分ではそんな大人にならないようにと思ってはいるけれど、果たしてどうなるのだろうか。
 私達の前途に幸多かれ! 
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「永遠の友」(昭和50年度卒業文集より)

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   永遠の友

 今の私たちは、未知と現実の境という悩みの多い時期にいる。その中から抜け出し、青春と自由を求め未知の世界へ羽ばたこうとしている。友達がいてこそ、旅立つことを覚え、愛が生まれ成長していくのかもしれない。そして、こういう理想を持ち「卒業」という第一歩を踏み出したいと思う。
 卒業を間近にした心境は、必ずしも正直な心を見、本当の心を知ることはできないと思う。それは複雑なもので、嬉しくもあり、また悲しい訪れでもあるからだ。
 3年間という長く、短かった中学時代に、やっと友達の愛を知り始め、温かい友情が芽生えた。私にとっては、かけがえのない、汚れを知らない純粋な時代になるだろう。いつまでも忘れることなく心に刻まれることだろう。
 こうしていろいろなことを考え思い出す上、懐かしい日々が太陽のように燃えている気がする。私にとって最高の思い出がある。それは、1年生の頃から憧れ、待ち遠しかった修学旅行だ。この3日間を楽しく過ごせたのは、友達という存在があったからこそだ。嫌ことを忘れさせてくれ、楽しい会話をし、何と素晴らしいものだったことか。胸が弾む思いがしてならない。けんかとは、人の心を改めて知ることができるのかもしれない。なぜかというと、男子は、女子にはない取っ組み合いという方法でけんかをし、体で友情を確かめ合うからだ。それに、けんかの後のさっぱりしたと感じる気持ちは素晴らしいものだ。
 今まで、学校生活の中で、悲しみ、喜びを分け合ってきた友と、卒業と共に別れを告げ、各自の道を歩んでいくことになるだろう。その友とは、一層強い絆で結ばれることを願い、新しい友との出会いを大切にしたい。我が悪友よ、そして良き友よ、永遠の友であってほしい。
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「クラスメート」(昭和49年度卒業文集より)

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   クラスメート

 中学校生活の思い出を書くことになって、私は何を書いていいのかわからなく、考えた末、クラスメートのことについて書くことにした。
 クラス、そしてクラスメートが、私に中学校生活の良い思い出をつくってくれた。
 クラスメート、いろいろな人がいた。大人っぽい人、子どもっぽくてはしゃぎ回っていた人、髪の長い人、短い人、よくしゃべる人もいれば、めったにしゃべらない人もいた。それから私のように静かな人(?)もいれば、明るくていつもみんなを笑わして、楽しい気分、楽しい雰囲気をつくってくれた人もいた。みんな十人十色で個性豊かな人ばかり、家で嫌なことがあっても直ぐに忘れさせてくれる。素晴らしい人達。
 そして教室、ちょっと老朽化しているけれど、やっぱり思い出深いところ・・・。
 私はこの学校を卒業していく。きっと、それらは私にとって忘れられないものになるだろう。そして、限りない未来へ大きく羽ばたこう。(ちょっとキザだったかしら) 
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『卒業記念品贈呈式』並びに『同窓会入会式』が行われる

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 本日(4日(月))5校時目、体育館において『卒業記念品贈呈式』並びに『同窓会入会式』が行われました。
 前半は『卒業記念品贈呈式』として、PTA会長の佐々木幹夫様から、卒業生代表の渡辺くんと内池さんに、PTAからの卒業記念品の「印鑑と卒業証書ホルダー」を贈呈しました。PTA会長様からは、「印鑑は大人の第一歩、大切に使ってください。」とのあいさつがありました。その後は、卒業生代表の石川くんから卒業記念品として学校へ「デジタル一眼レフカメラ」(2台)が贈呈されました。
 後半は、同窓会入会式として、同窓会長の大内正男様から卒業生代表の大内くんに、同窓会からの卒業記念品の「朱肉」を贈呈しました。同窓会長様からは、同窓会入会の許可の後、「約8000人の同窓生として、これからは小浜中をバックアップする立場となってほしい。」というあいさつがありました。
 最後に、卒業生代表の前田さんから、お礼の言葉と「小浜中の同窓生として誇り持って生活します。」という決意を述べました。
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学校行事
3/29 離任式
その他
3/29 年度末休業(春休み)
3/30 年度末休業(春休み)
3/31 年度末休業(春休み)

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

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放射線関係

岩代学校給食センターより

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