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「中学校の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校の思い出

 この3年間、いろいろなことがあった。その中でも一番心に残ったことは部活動のことである。
 私は、ブラスに入部してから約9ヶ月後、小太鼓のパートからテナーサックスに変えた。パートを変えた理由は―。「小太鼓」というパートに物足りなさを感じたからである。しかし、サックスに変わったからといって決して嬉しいとは言えなかった。むしろ苦労したと言った方が正しいと思う。ブラスに入部して何度か辞めようと思った。しかし、なかなか辞められなかった。私の心を引きつける「何か」があった。今になってもよく分からないが、多分―、自分自身音楽が好きだったことと、吹奏楽の講師に来てくださる先生の「言葉」である。この2つの言葉が心の隅に住み着いて辞められなかったのだと思う。今になって考えると「辞めないでよかった、よかった。」と思うのだ。ブラスによって得られたことは、「物事を考える時、好きなだけではできない。それにプラス苦労がある。」ということがわかった。また、ブラスによって、「心の勉強を多くした」ことである。
 あの古びた校舎、1番目だった3年2組の教室、その中で悲しみ、喜び、笑い、泣き、いろいろな思い出が心に残る。音楽室も同様に少し違った思い出としていつまでも心に残るだろう。
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「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 僕がこの小浜中学校に入学して、もう3年もの年月が過ぎ去ったのである。僕にとっては短いようなこの3年間だった。しかし、あの入学式の緊張した1日は、長いように思えた。緊張した日が何日か続いたが、先輩の温かい迎え入れによって緊張感が解きほぐれた。そして、5月に校内陸上競技会が開かれ、僕は100メートル走に出場予定であったが、その当日から4日前から学校を休んでいたので、棄権しようとして見学をしていたら、皆に出場するように言われたので、仕方なく出場、結果は思わしくなかった。11月に校内マラソン大会が行われた。僕にとって3000メートルという距離は、長くて苦しかった。しかし、このマラソン大会はよい思い出になるだろう。
 この作文を書いている僕は、今、もうすぐ卒業だという実感がこみ上げてきた。
 もう来年の3月には卒業するんだ。楽しかった中学校生活も終わりなんだ。
 もうすぐ新しい道に進むんだ。
 希望に胸をふくらませて。
 9年間勉学に励んだ友達も新しい道に進むんだ。
 希望を胸に秘めて。
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「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活の思い出

 今、中学校生活を振り返ってみると、たくさんの思い出が浮かんでくる。でも、やっぱり一番の思い出は中2の時入部したブラスバンド部である。クラリネットを手にして同級生に教えてもらい、音を出そうとして必死で吹いたが、全然音が出なくてとてもがっかりした。どうしてみんなは音が出るのかと思い、辞めたいとさえ思ったこともあった。そうして、初めて音が出て、だんだん曲が吹けるようになった時は一番嬉しかった。だんだんみんなと同じ曲もできるようになった。そして、二本松の音楽祭、平での県吹奏楽コンクールにも出場できるようになった。それには先生方や先輩方の指導があったお陰だと思った。感謝の気持ちでいっぱいです。
 でも、あっという間の3年間であった。悔いのない生活はできたであろうか。反省をしてみなくてはならない。3年間のいろいろな出来事、それももう過去、とても楽しかった中学校生活、ありがとう。これからの長い一生の踏み台として日々を大切に生きていきたい。
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「中学校時代の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校時代の思い出

 入学してもう3年間の学習を終えようとしている。この3年間は、僕にとってとても早い3年間であった。そこで、僕はこの3年間の部活動の思い出を書いてみた。
 1年生の時、バスケット部に入り、先輩の人達にいろいろ教えてもらい、一生懸命部活動に励んだ。
 2年生になってからは、新人戦もあるので、僕たちは努力した。その結果2位であった。そのうち3年生になってしまった。
 僕は、3年生にあっても部活動を続けていて、中体連目指してがんばっていた。辛い時もあって、部活動を辞めようかなと思ったこともあった。そして、部活動をさぼった時もあった。しかし、また思い直して、中体連目指してがんばった。その結果は4位であった。その時はとてもがっかりして、涙を流した人もいた。それは当然であると思う。中体連目指してがんばってきたのだから。
 これが、3年間の中でとても思い出に残ることであった。
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 私がこの学校に入学しからもう3年間が過ぎた。3年間とは長いようで短かった。それとともに部活動も短かった。短い間の思い出が、今頭の中に浮かんでくる。苦しかったこと、悲しかったこと、いろいろな思い出がある。でも、一番心に残っているのは、私が部活動が嫌になって、部活動をさぼったことである。さぼった次の日、先生が言った言葉が今でも頭に浮かんできます。あのことを思い出すと胸がジーンと熱くなります。こんなことがあっても部活動を続けてきて、今の私が生まれたのだと思います。1年目初めての大会の新人戦で優勝、2年目の新人戦で優勝であった。私たち最後の中体連、これを目指して練習をしてきた。その時の成績は、惜しくも2位でした。そして、このような成績を収めてきた。
 私は、これから高校へ行ってもバレーを続け、できれば社会人になってもバレーを続けていきたい。
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「寂しい入院」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   寂しい入院

 これから病院での生活について話してみたいと思います。
 今年の4月、3年になった時のことでした。身体の具合が良くなかったので病院へ行ったのです。そうしたら、腎臓病だと言われて、その時はどんな病気かも知りませんでした。そして、入院と言われた時はあっけにとられてしまいました。それから2ヶ月間同じ生活で飽きてしまいました。それからというもの毎日6時に起こされるのですからたまりません。時には4時に起こさされることもありました。それからは暇ですから、お茶をくんで回ったりしていました。そして、食事が終わると新聞を読むくらいですから、どのくらい暇か見当が付くと思います。それに漫画を画いたり、週刊誌を読んだりしました。そうしたことから入院なんかするものじゃないと心からしみじみと思いました。それから午後5時になると夕食ですから、9時頃になると腹が空くのも当然ですから、食堂に行ったりしたこともありました。夜は6時から9時までテレビを見るのが1日の日課です。退院してもよいと言われた時は、嬉しかったこと、声には表せない程でした。「1日も早く家に帰りたかった」のが、その時の気持ちでした。
 自分の家に帰ってみて、やっぱり家はいいなとしみじみと心の底から思いました。 
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

画像1 画像1 画像2 画像2
 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 短い3年間だったけれども、いろいろなことを思い出すと長いようにも思える。
 その中には1番楽しく、そして辛かった部活動があった。私はバスケット部に入った。初めてボールを持った時に、何てでかくかたいボールだなあと思った。入部した初めての日からパスの仕方を教えてもらった。ちょっと目をそらしていると、私の耳のそばから大きな声が飛んでくる。見ると3年生の先輩が恐い顔をして立っている。また、無断で部を休んだりすると大きな声がまた飛んでくる。その時は早く3年生になって、1年生に怒鳴ってみたりしごいてみたいと思った。
 部をやっていて楽しいことがたくさんあったけれど、家に夕方遅く帰って叱られるのが嫌だった。そんな時は部なんて辞めたいと思った。しかし、それも今は良い思い出になっていると思うと、今は何でもないように思える。
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「一番の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   一番の思い出

 46年の春に中学制服を着て中学校に通い始めた頃は、体が小さく服が大きく?て、ぶかぶかな服を着て何だかおかしな格好な時もありました。
 それが3年になったら急に伸びて、服が小さくなってしまいました。
 2年の時は、楽しいこと、嫌なことなどいろいろありました。それは、保体員で部長に選ばれ何をやって良いのか分からず、嫌な時もありましたが、先生や友達に教えられてやってきました。これからも自分のためになるのではないかと思います。
 これまでのことをいつまでも頭に入れて、これからの自分の道を前進していきたいと思います。
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学校行事
4/5 式場作成(新2、3年10:00登校)
その他
3/31 年度末休業(春休み)

学校だより「おばま」

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