最新更新日:2022/09/13
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「3年間の学校生活」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の学校生活

 私は、約120人の友と一緒にこの学校に入学しました。次の日、私達は自己紹介をしました。その日は、いろいろ本を渡されました。私はあまり学校が好きではない。時々学校を欠席し、先生方に迷惑をかけました。その時の先生を忘れてはいけません。
 私達は、いろいろ見学旅行に行きました。その半年後にも行きました。そして、いろいろ作文も書かされました。また、2年になってからも学校をだいぶ欠席しました。けれど、そんなことにくよくよしてはいられません。
 見学旅行に行きました。見学旅行と言っても、遊びに行った感じです。それにしてもよく行きました。
 私は写真クラブに入り、いろんな人の写真を撮り、しおり作りをしたりしてとても面白く過ごしました。クラブの仕事がとても楽しく木曜日が待ち遠しかった。2年の時の卒業式には、今度は3年生になるという実感がわいてきました。4月1日に先生方が転任していきました。その時の先生の中に私の習った先生が混じっていました。その時はとても辛かった。でも、そんなことでくじけられません。こういう気持ちで3年になりました。
 3年になってからもだいぶ欠席しました。先生と友達の友情で何とか学校に出て来ました。そこで私はお世話になった人に年賀状を出しました。きっと卒業もできるでしょう。
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「我ら青春」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   我ら青春

 「青春」という言葉を辞書で調べてみると、「若くて元気のいい時代」と書いてあった。しかし、青春は若い時代だけにあるものなのだろうか。そうではないと思う。
 中年、年寄りの人達にも青春はあるのではないだろうか。もちろん外側から見れば若いという言葉は出はしないが、内側から見ればどこかにあるのではないか。
 先日、60歳以上の老人達が長い道のりを走ったではないか。誰にでも青春はある。ただ、それを無駄にしているに過ぎないのだ。「青春」それは本当の人間の姿、ありのままの姿ではないだろうか。人生は長い。それは我らの宿命なのだ。
 我らが歩まねばならない道なのだ。それは、辛く苦しく涙あり喜びありの喜怒哀楽を十分に分かち合える道なのである。それを分かち合えるために「青春」というものがあるのではないだろうか。
 「我ら青春」
 自分の願望をぶつけ合え。そうすれば青春というすがすがしさが全身に満ちあふれる。
 友よ、一緒にぶつけ合おう。
 青春に向かって「我ら青春」と。
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「この3年間を振り返って」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   この3年間を振り返って

 この3年間を振り返ってみると、短いものだった。
 1年の時が一番短く感じられ、あっという間に過ぎたようだ。まだ入学したばかりで不安と喜びでいっぱいで、やることを覚えることもいっぱいだった。部活動は放課後になるのが待ち遠しく、ボール拾いも毎日だけどとても楽しかった。1年の時は部がとても印象に残っている。
 2年に進級した時は、不安もなく足がしっかり地に着いていた。進級したとたんに「3年生になったら」「3年生になったら」という言葉を毎日耳にしていた。今思うに、2年生の時によく勉強しておけばよかったと今後悔している。後半はただ時間の流れに押し流されただけだった。
 3年生になると1学期の最初から忙しく、修学旅行や中体連などいろいろな行事があった。1学期には、中体連で勉強など全然と言っていい程しなかった。でも、夏休みが終わってからは、急に受験戦争が始まった。点数は少し上がったが、やはり限界があるのか上昇しなくなった。10月下旬には学校祭とテストでかけ持ちになってしまっている。テストは何回も受けているのであまり焦らなくなった。もうあとわずかで9年間の義務教育が終わってしまう。短い少ししかない貴重な時間を勉強で縛られてしまっていいのだろうか。
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「中学校の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   中学校の思い出

 3年間の思い出を振り返ってみて、1年生での思い出は夏休みの宿題をきちんとやってこなくて棒でたたかれた思い出。
 2年生の思い出は、クラブで最初は男が僕一人だけだったので、友達を演劇部に入れた。それから、僕たちはクラブの時間になると逃げ回っていた。
 3年生の思い出は、校内陸上大会だ。優勝を逃したが、リレーは1位だったので嬉しかった。
 それから部のことだ。柔道部だった。何と言っても忘れられないのは練習だ。冬はとても寒く厳しかったが、みんな一生懸命だったので疲れるように練習した。しかし、にんな寒いから辞めようと言った時もあったが、友達の一人が最後までやると言って引っぱっていってくれたので最後までやり通した。そして、中体連、僕たちは優勝チームの本宮とやって点数の差で負けてしまった。その時の試合では僕が勝っていれば優勝したかと思うと、僕は悔やまれてならない。みんな全力で戦って敗れはしたが、この思い出が僕にとって素晴らしい思い出だと思うし、それに友情が深まった。
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「心に残ったこと」(昭和50年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   心に残ったこと

 私は、今卒業文を書かされる身になって、3年間とは何と短くあっけないものなのだろうと思う。一つ一つのことがまるで昨日のことのように思えて仕方がない。が、それを文章に言い表すなどとは、作文が苦手な私にとって最も困難な仕事の一つなのである。
 まず思い出の1番は、何と言っても退屈な入院生活である。私は1年生生活の3分の1を薬臭い病院で過ごした。その単調な生活の中で特に印象深かったことが一つある。それは、私の隣にいた若い女の人のことだ。一生治らない病気を持ったその人は、私にいろんな話をしてくれた。でも、私はその時、その話をあまり心に止めておかなかった。
 退院してからも私は大事にしなければならなかったので、皆とは違う生活をした。差別待遇される、私はそんな自分が嫌だった。逃げ出したかった。しかし、そんな時思い出したのがあの女の人の言葉である。「どんな事があってもくよくよ悩むな。そんな暇があったら何かしなさい。もっと不幸な人がたくさんいるのだから。」その通りなのだ。私はまだまだ幸福だ。そう思ったとたんに、私の胸のわだかまりは消え去った。
 私は2年生になった。そして2学期。2年生は体育館に呼び出された。そして生徒会立候補の話を聞かされたのだ。友達から出てみたらと言われ、がぜん勇気が湧いてきた。今考えてみると、あんなに本気になったことがおかしく思われる。開票の日、私は胸をときめかしながら開票結果を発表を待っていた。私の名前のそばに当選の当と書いてあるのを、その時私の手を握って「よかったね。」と行ってくれた友のあの笑顔は今でも忘れることができない。
 まだまだ心に残ったことはたくさんある。私はそれらを大切にしながら未来に向かって歩いていこう。
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「3年間のあやまち」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間のあやまち

 この3年間を有意義に過ごせただろうか、今になってこんなことを考えてみる。毎日毎日、「明日がある」「まあいいや」なんて思って過ごしていた俺は、今はどうしようのないせっぱ詰まった気持ちでいっぱいだ。今日一日一日を無駄に使い、そして自分を甘やかす、たまにはこれでは駄目だと何度かやり直そうとする、そしてまた時間の無駄使いをする。こんなことをして過ごしてきたこの3年間が悔やまれたならない。そして、また明日も、その明日もそんなにしていくと思ったら無性にやるせない気持ちになってしまう。そして、一丁前に自分を良く見せようと飾る気持ちだけが今思う。もう一度この無駄にしていた日が返ってきたら、今度は、今度は有意義に過ごしてみせる。一日一日を大切に使っていってみせる。でも無理かな、ちくしょう、自分で自分が嫌になる。本当に何が残ったこの3年間に。何を覚えた、この3年間に。もう一度、もう一度1年生に戻り、何もかもやり直したい。あとわずかなこの3年間を、今日一日一日を大切に過ごしていくことができたら、それだけで俺は満足だ。明日を考えず、今日一日だけを大切にしていきたい。
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23日(水)に行われた『歴代PTA正副会長会』の記事が新聞に掲載されました!

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 去る23日(水)18:30〜、相模屋に於いて『歴代PTA正副会長会』が開催され、前半は小中学校別に行い、後半は小中合同の懇親会が行われました。その記事が本日(30日(水))発行の福島民報新聞に掲載されましたので、紹介(上の写真)します。

小浜中学校昭和52年度卒同級生の皆さまへ(実行委員会一同より)

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 拝啓、新春の候、すますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 さて、去る1月2日(水)に行われた同級会に際しまして、ご多忙中のところお集まりいただきありがとうございました。昔話に盛り上がり大笑、時間の過ぎるのを忘れ楽しく過ぎました。遠方、女性方が多く参加していただき開催して良かったと思います。皆さんがどう変貌するか5年後の再会を楽しみにしています。
 今回、参加者全員で記念撮影した写真、住所、緊急連絡先を同封いたしました。同級生の連絡先がわかる方、また、住所が変更になった場合は実行委員会まで連絡をお願いします。
 まだまだ寒さが続きます。健康には留意してお過ごし下さい。再開を楽しみにしています。   
                                    敬具

平成25年1月吉日
                     小浜中学校昭和52年度卒同級会
                     実行委員会一同

「今までを振り返って」(昭和50年度卒業文集より)

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   今までを振り返って

 中学校生活3年間、振り返ってみると、いろいろ反省しなければならない点や思い出となっていること、楽しかったことなどいろいろ目に浮かんできます。
 反省しなければならない点は、ふざけていて先生に叱られたこと、忘れ物をしたとき家が近いからといって戻ったことや自習の時間に友達と一緒になって騒いだりしたことなどの繰り返しばかりで、全然進歩しませんでした。それから家が近いのに遅刻してしまって悪いと思っています。それらが、反省として目立つところです。
 思い出となっていたことや楽しかったことは、まず3年の時に行った修学旅行です。忘れられない思い出となっていますが、2日間も雨降りだったのががっかりです。その雨の中をいろいろ見学したり、家に電話をかけたり、他校とテレビの番組を奪い合ったり、10時頃まで寝ないでみんなと話をしたりしてとても楽しかったです。せっかく東京に行ったのに、タレントに会えないのがとても残念でした。
 年に1回の学校祭の歌に備えて、新校舎の中で厳しい練習を行って、見事金賞を受賞した時は嬉しかったです。
 まだまだ数え切れない程たくさんあります。生涯一度の中学校生活をよい思い出として残しておきたいものです。
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「5千469日」(昭和49年度卒業文集より)

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   5千469日

 生まれてから卒業するまでに5千469日ある。僕にとって、この5千469日は辛く、悲しい日でもあり、楽しい日でもあった。その1日1日が、思い出となって頭の中に浮かんでくるのです。時々夢にも出てくるのです。
 夢の中で一番多いのは、何といっても小学生の夢です。先生に立たされている時や残されている時などがはっきり出てくるのです。夢を見た後で今度は反省です。だから思い出とはいいものです。中学生の時の思い出は、小学生の時とまるで違った夢なのです。また、そんな夢を見ると反省するのです。
 こんなことが何十回、何百回と続いていくので、人間はだんだん良くなっていくのです。だから、僕にとって5千469日というのは、反省でもあり、大人への望みでもあり、かつまた思い出なのです。
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「制服」(昭和50年度卒業文集より)

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   制服

 20ヶ月も着た制服。それは、私の喜びや悲しみ、そして苦しみ、その他の思い出を私と共に生活してきた。私には切っても切れない中学校の思い出です。入学式の時、1、2年の楽しかった研修旅行にも、3日のうち2日半はびしょびしょだった修学旅行にも着ていきました。当然のことでも、毎日の通学にも着ました。
 今はもうよたよたで乱れていて、私は恥ずかしくなることがあります。しかし、私にとってはどれよりも着慣れている洋服なのです。私は、この制服というものがなぜあるのか、分かりませんでした。今も分かりません。みんなが同じデザインのものを着て、どこがよいのかなあと思ったこともありました。でも、3年になって全員が同じものを着ていてよかったなあと思います。一人一人が自分の制服を着ているのを見るたびに、心の通い合いがあるみたいに思ったからです。だが、その思い出を変えるということは許せないような心持ちになったこともありました。その反面、自分自身もデザインなどをかえてみたいなあと思ったこともありました。
 制服は私達の中学校生活の思い出となるものだから、みんな大事にして、後に会った時でも思い出してもらいたいと思っています。制服がある限り、心のつながりもあってほしいと思います。
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「印象」(昭和49年度卒業文集より)

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   印象

 3年間、3年間、何度も口に出しても3年間いろいろな出来事があった。悲しい時、嬉しい時もあった。やっぱり中学時代は、僕にとって一生一代心に深く残りゆくだろう。中学時代で絶対に忘れることのできないのは部活である。最初、やっぱり球拾いが基本だった。こんなことに僕は頭にきて、部を辞めてしまった。そんな自分にあきれかえったような気がした。でも、僕はそんなことに勝ち、再び野球部に入り根性をたたき直したわけです。
 もう一つ印象に残ったことは、友達が僕のことをかばってくれたことです。嬉しくたまらず涙が出そうになっちゃったんだよ。そんな友達が僕を励ましてくれた。僕にとって成長の鍵となることだろう。
 これでだいたい3年間の思い出でもあったわけであります。
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「試練」(昭和49年度卒業文集より)

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   試練

 昭和47年、この浜中に入学していろいろなことがあり、いろいろなことを経験した。その中で新人戦と中体連は、僕の心の中に深く刻み込まれている。入学して何もためらわず野球部に入部した。
 部の練習は、グランド整備で始まって、グランド整備で終わった。その間、球拾い、用具の後片付け、その他いろいろあった。それで、初め15人いた部員も1人2人と減っていった。しまいには9人になってしまった。
 その年の新人戦。1年から2人メンバーに入ることができた。その2人に僕が選ばれた。その新人戦は1位だった。その次の年、先生が替わった。その年の中体連は郡で2位になって県北大会に行った。しかし、1回戦で負けた。そして、新人戦は1位になった。しかし、2校だったので余り嬉しくなかった。そして最後の中体連。
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「協力し合ったこと」(昭和48年度卒業文集より)

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   協力し合ったこと

 今、卒業の作文を書くに当たっていろいろ考えました。そして、嬉しかったことの中では、学級がまとまってやった校内球技大会です。私達のクラスが学年総合1位だったこと、女子が2位、男子が1位だったことです。男子が1位だとわかった先生が、大喜びして私達女子の所にやってきたら男子も大喜びでした。女子のバレーボールは上手くはありませんが、みんなで協力しまとまったから2位までいけたのだと思います。
 できないことでもみんなで協力していけば、良いチームワークができ何でもできると思いました。そして、やればできる、できない時は最後まで諦めずにやる、それでもできない時はみんなに協力してもらうことが大切だと、その時ほど思ったことはありませんでした。先生も教えてくれました。自分達で力を合わせてやれば、何でもできることを―。
 今、私はこのクラスはとてもいいクラスだと思っています。そして、先生も。
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「できるならばもう一度」(昭和49年度卒業文集より)

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   できるならばもう一度

 3年間の思い出。3年間という長いはずの中学校生活。時間が光の背にまたがって、呼び止めるより速く流れ過ぎ去ったようだ。
 これが「思い出だ。」と言えるような事があったのだろうか。平凡にこの3年間をただ費やしてしまったような気がする。
 敢えて思い出を言うなら、種目は違ってもスポーツを好んで共に同じ汗を流した。求めるものは違っても、また一人一人の持つ気持ちが違っていても、それは楽しいものだった。そして苦しくもあった。これは中学時代の一番の思い出だと言えるだろう。
 それからもっと細かいことを言えば、友達との語らい。クラブやその他のグループでの活動。けんかをし、大きな声で笑い、時には笑いすぎて顔が崩れてしまったり、お互いに楽しみ、苦しみ合った友達との生活。嫌だ嫌だと思っていたテストや勉強も思い出かもしれない。
 なんだかんだ書いているうちに随分思いでらしきものがでてきたなあ〜。やっぱり長かったのかも知れない中学生活。この長いはずの時間。誰が盗んだのか。「できるならばもう一度戻ってほしい。」
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「中学生活を振り返って」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学生活を振り返って

 今思えば、中学校に入学する時、胸をわくわくさせながら入ってきてから、いろいろなことがあったと思います。
 1年の時は、何もかもが初めてなので失敗ばかりしていました。私達にとっては初めての菊作りなどもあり、どの花もきれいに咲いたりしました。また、学校祭、旅行、いも煮会などもあり、私の嫌なマラソン大会もありました。
 2年の時は、私にとって初めてのキャンプがありました。キャンプの時は、たくさんの班が歌や劇などをしたりしました。
 3年の時は、修学旅行で中学校生活の最後の思い出になりました。松川浦での潮干狩りは、私にとって初めてでしたが、貝をたくさんとってきたことも楽しいことでした。
 今、私はこのことがまるで昨日のように思えてきます。
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「過去へのタイム=トラベル」(昭和49年度卒業文集より)

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   過去へのタイム=トラベル

 「卒業」ついに来るべき所まで来た。この短かった3年間いろいろな思い出がある。
 勉強のことについてもいろいろ思い出がある。宿題を忘れたりして先生に叱られ、叱られやってきた勉強。そうして自分の進路につないでいった。
 中1に部に入った。3年生や2年生などにしごかれながら、とにかく頑張って新人戦に出られた。新人戦は、どうにか団体1位、個人戦は惜しくも2位にとどまった。しかし、部の中で一番の思い出は、中体連の敗北である。これだけは、悔しくて悔しく、部の中での一番の思い出であった。
 でも今までの中で一番の思い出は先生である。僕には欠かせない。それはなぜか、1年から3年まで何と同じ先生が担任なのである。修学旅行の時に叱られたこと、球技大会などでの楽しいことや辛いことなどいろいろなことがあった。そうして僕らは、この思い出を心の隅に残し覚えていたい。
 ああ何と短かった3年間。
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 もう入学して3年が過ぎてしまいました。この3年間には、いろいろな思い出がありました。
 1つはマラソン大会です。苦しくて、苦しくてもう歩きたくなることもありました。そんな時は、いつも苦しいのは私だけではない、みんなだって苦しいのに違いないと思い一生懸命走ったことです。
 もう1つは、何と言っても中学校最後の旅行の修学旅行です。東京タワー、夜にバスの中から見た銀座、鎌倉の大仏、羽田空港で見た大きなジェット機、いろいろ見てきました。この他にも数多くの思い出がありました。先生に叱られたこと、友達と楽しく遊んだ事、もう一度その思い出に会って同じ思い出を作ってみたいと思う。
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「幻のユーちゃん帝国」(昭和49年度卒業文集より)

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   幻のユーちゃん帝国

 「閣下、お食事の用意ができました。」と余り背の高くない中年紳士が言った。閣下とは勿論我輩のことである。我輩の所有する”ユーちゃん帝国”は全世界の3分の2を入手し、あと残りの3分の1を我が手中に治めるべく、”サブロー王国”との戦闘中にあるのである。しかし、我国の戦力をもって臨めば勝てぬ相手ではないのである。
 閣下ともなると夜毎の食事はビフテキである。我輩とて人間、毎晩同じでは飽きてしまう。たまにはサンマでも食べたいものだ。
 腹がふくれてくると、日課通りリンカーンコンチネンタルに乗りドライブである。運転手はメガネをかけた英語のできそうな男で、彼の運転には定評がある。芝の手入れをしていた小肥りの中年女が手を振り「行ってらっしゃいませ。」と言ったようだ。我輩も一応は手を振ってみたものの極度の眠気に誘われた。後部座席にいつの間にか秘書のオーリモ(決してオーモリ等という名ではない)が居るではないか。奴は我輩の頭にピストルを突きつけ「しめしめ、計画は成功だ。睡眠薬入りのビフテキとも知らず。」とぬかしおった。あいつが”サブロー王国”のスパイダとは、我輩も少々うかつだった。「ああ神様・・・。」ピストルの引き金のきしむ音、とその瞬間「早く起きなさい。」「なんだもう朝か。」
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「中学生活を振り返って」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学生活を振り返って

 今ここに卒業を控えていろいろなことが頭に浮かんでくる。特に、思い出というと1年の時から図書の貸し出し係をやっているということだ。
 私が初めて図書館に入った時、小学校では広かったせいか、何となく狭いように感じた。でも本は案外たくさんあるように思った。私は、その時から読書に興味を持つようになった。それから私は、図書の貸し出し係になり、上級生の係の人に係の仕事についていろいろ教えていただいた。この係は、借りに来る人といろいろな会話ができるし、またどんな本があるのかがわかる。それで私は、2年、3年とこの係をやってきた。そして今、この係をやってきて本当によかったと思う。
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学校行事
4/5 式場作成(新2、3年10:00登校)
その他
3/31 年度末休業(春休み)

学校だより「おばま」

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岩代学校給食センターより

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