最新更新日:2022/09/13
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「友情」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   友情

 僕が今一番心の中に焼きついて残っているのは、小学校からこの古く伝統的な中学校に来て、悲しいこと楽しかったことや悔しかったことがたくさんあることです。
 でも、僕にとってもそれは米粒くらいしかありません。しかし、僕はこの中学生の生活内でもっと大きく価値のあるものを学びました。
 それは、友情、責任感、体力、精神力・・・の4つを、この小浜中学校から学び取ったことです。体力?そう言えば部活動でやっと選手になり中体連でたった1試合で補欠、僕にとってそれはすごいショックと悔しさであり、この小さな胸はいっぱいでした。
 アッ、そう言えばもう一つありました。それは僕に欠かせない友情です。小学、中学と本当の親友ができなくて、僕は困っていました。何でも話せる、何でも聞いてもらえる、そういう親友が僕には必要だったのです。それが、この中学校の生活内の一番、終りである年の3年生にやった芽生えたのです。これは何よりも僕にとって一番心に残っていることでもあり、僕が一生涯忘れることのできない人たちでもあり、忘れたくない人たちでした。
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「中学校の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学校の思い出

 この3年間を振り返ってみると、俺にはいろいろなことがあった。入学式を行ったと思えば、もう中学生活はさようならだ。中学生活の思い出を残したいと思いながらも、思い出も残されなかった。ああ、何て残念なことだと今思います。だが、俺はこの中学生活に役に立つことはいくらでもあったことは、俺にはわかっている。でも、俺はこの3年間に苦労してきたこともあった。また、これからも身体に気をつけて頑張っていきたいと思いっている。だから、世の中をもっと厳しく考えながら、これからの人生を悔いのないような生き方をしていきたいと思っている。

 詩

     朝の光
 
 高原に 朝日が昇る
 すばらしい朝の光は
 ガラスの窓に差し込み
 俺の心を勇気づけてくれる
 ああ 何てすばらしい朝なのであろう 
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「回想」(昭和49年度卒業文集より)

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   回想

 はじめて、1年4組の遠藤先生を見た時、誰かに似ているなと思いましたが、今でも思い出すことができません。
 部に入ったのは2学期の時で、部にはもっと早めに入るつもりでした。僕の入部したのはテニスで、入ったわけは僕に合っていると思ったからです。しかし、あまり真面目にやらなかったことは、今思うと残念です。
 クラブは、1年は電気、2年は模型、3年は囲碁将棋、3年間ともみんな違うクラブに入ったのは、自分に合ったクラブを探すためでしたが、自分に合ったクラブにとうとう入ることができませんでした。おそらくなかったのでしょうけれど。
 楽しかったことは、おそらくたいていの人は修学旅行のことでしょう。僕の場合もそうでした。初日の晩、例のことがなければもっと楽しかったのでしょうけれど。そのためか2晩目の時はすっかりよく眠りました。見学した中で最も印象に残ったのは国際空港を見た時で、とても広いなとビックリしたことは今でも思い出します。
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「幼い私」(昭和48年度卒業文集より)

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   幼い私

 加藤木の山の中から、毎日毎日通い続けて3年間、「少しは成長したかしら。」と思うのですが、ほんの少しも成長していないのです。いまだにスヌーピーにお熱を上げている私は、身体ばかりが大きくなって、心はいつも幼いのです。そんな私が卒業することになって考えたことは、「卒業しちゃうと好きな人に会えなくなるので嫌だな。」ということでした。中3にもなってスヌーピーや初恋の人に好意を持っている私が、卒業したらどんな風になるのだろうと思う人も少なくないと思います。私にはどんな人生が待っているのかわかりません。でも自分で選んだ道、何も分からなくても何もできなくても、私にできることならば精一杯一生懸命にやっていこうと思っています。 
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「あすに向かって」(昭和49年度卒業文集より)

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   あすに向かって

 今 私は
 卒業しようとしている
 過ぎ去ってみると
 三年間など 実に短かった
 しかし
 私にとっては かけがえのない年月であった
 何年か後ふり返ってみると
 なつかしくてならないだろう
 また 愉快でならないだろう
 気の合った友達もできたし
 恋もした
 けんかをしたことさえも
 今では楽しい思い出だ
 それに
 スポーツに コーラスに
 クラブ活動に
 惜しみなく若い力を注いできた
 先生におこられたことも
 たまにほめられ 喜んだことも
 失敗して泣いたことも
 中体連では 皆 抱き合って喜んだこと
 みな楽しい思い出だ
 そして
 この愉快な中学生時代を終え
 新たな門出を迎えようとしている
 中学時代の思い出をにぎりしめ
 一歩一歩 堂々と
 前向きに進んでいきたい
 本当の幸せを見つけるために
 あすに向かって
 進んでいきたい
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「小さな恋の物語より」(昭和48年度卒業文集より)

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   小さな恋の物語より

 あなたのみちばたの
 私は花になりたい
 毎日毎日
 あなたの足音をたのしみに
 いっしょけんめい咲いていた
 いつの日か
 あなたが私に気づき
 たちどまって
 つみあげてくれる
 その日まで
 私は名なしの花でありたい 
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「俺の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   俺の思い出

 俺の3年間の思い出はどんなものだったのだろうか。特に一番心に残ったことと言えば、部活動でのことだ。俺は卓球部に入った。初めは「一人も美人がいないな。」などと行っていたが、俺がこの部に入ったのは何のためなのか、そして何の理由で入ったのかとうことを俺はその時気づいた。部のトレーニングは厳しかった。だから、俺は始めの10分ぐらいは球拾いをし、先輩の目を盗んでさぼっていた。それは先生に見つかって説教をくらったこともあった。俺は一度この部をやめようかと思ったこともあった。しかし、俺は「今やめたら今までやってきた練習が水の泡になってしまうのではないか。」と思い、気を取り直した。他の部員たちも一度はそう考えたに違いない。俺たちは無心で練習をした。そのかいがあったのか、俺たちはすばらしい成績を残したのだ。部活動をやっていてよかったと思った。これくらいで部活動の思い出を打ち切らせてもらう。「変身」
 俺は卒業する。新たな決意に燃えて、勇気、断行、努力、精進に成就することを思っている。ここで俺の好きな名言の中で一番好きなやつ「正しい行為と真の考えとはそれを行い、これを抱く毎に、その人の要望風采に美を加う。」俺は明日に向かって黄金の翼を広げる。
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「義務教育を終えようとして」(昭和48年度卒業文集より)

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   義務教育を終えようとして

 今、義務教育を終えようとして、私はこんなことを思う。
 私たちは、小・中学校ともに「今の何年生は、今の何年生は」とくどくどと言われてきました。それは、私たちの行いが悪かったからそう言われたのでしょうが、私たちは幼さがまだ残っていて、しかも何でも調子に乗ってやってしまう性格ではないかと思います。
 そんな中でももう卒業という日まで来てしまいました。自分の分からない未来を一つ一つ乗り越えていき、将来の結果を恥ずかしいことにならないようにやらなければと思います。そのためにも、残り少ない義務教育を無駄なく過ごし、新しい未来に向かって行きたいと思います。 
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「思い出の野球試合」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出の野球試合

 3年間を通して思い出の野球は3回ある。まず1回目は、2年の時の夏である。郡大会の決勝(対二中戦)に先輩が骨折して私が出るようになった。そして、最終回に打席が回ってきた。体はとてもふるえていて足がガクガクしたのを覚えている。この試合は負けたが、県北大会に出場することができた。その試合の打席で思い出になったのは、ピッチャーライナーだった。とられはしたが、芯でとらえたのでとても嬉しかった。
 2回目は、2年の時の新人戦である。場面は、ランナーを二塁において、私がツースリーから誰が見てもボールとわかる球を、大根切りで打ったことです。また、それが幸運に左中間の真ん中に落ちてヒットになった。そして、私は二塁手のグローブをけって二塁をも落とし入れたのです。これが2回目の思い出です。
 3回目は、3年の夏、私にとって最後の大会です。この大会は、ショート兼ピッチャーでした。特に印象深かった試合は、旭中戦でした。2点を入れられてしまって4対4の同点となってしまい、延長戦にもつれ込みましたが、8回、9回と無難におさえ、9回の裏に味方が決勝ホームランを打ってくれました。嬉しく、また苦しい試合だったので印象深かった。
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「ブローチ」(昭和48年度卒業文集より)

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   ブローチ

 僕らの教室にはいろいろな機械がたくさんある。それを利用して、今メタアクリルでブローチを作っている。メタアクリルの貼り合わせ方によって、いろいろなブローチを作ることができる。
 数々のメタアクリルを貼り合わせ、グラインダーでだいたいの形を整え、やすり、サンドペーパーを使って磨き上げる。最後に布にチョークの粉を付けて根気よく磨き上げると、すばらしくつやのあるブローチができる。光り輝くブローチができあがった時の気持ちは何とも言えないすばばらしいものだ。 
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「我道」(昭和49年度卒業文集より)

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   我道

 私は今中学校生活を終えようとして、多くの出来事が思い出されてなりません。
 私の中学校3ヶ年の生い立ちは、時には喜び、時には悲しみ、時には涙の誘うような有意義な一時であった。そんなことが、今不思議に頭中を駆け回ってくるのです。
 そんな出来事の中で忘れることの出来ない一つの事件があった。
 あれは!
 中2の秋の淋しい日の午後でした。それは私に「愛」という「芽生え」を教えてくれたのでした。日曜日というのに、私はとある街角を歩いていました。何も考えずに!私は一通りの少ない公園で一瞬足を止めてしまった。見ると女の人が泣いているではないか。私は素知らぬ顔をして通り抜けようとしたが、彼女が声を掛けてきたのでした。そこで私たちはコーヒーショップに入って多々の話をしたのです。このことがきっかけで、以来「友達として付き合っていこう。」と約束したのです。そして私たちには友情が芽生え、清純な愛を見つめるようになったのです。
 私はこの美しい思い出といっしょに、中学校生活の思い出を心の奥深くで守り続けるでしょう!!そして私の我道に明るい光を射し与えることでしょう。
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「二十世紀の出来事」(昭和48年度卒業文集より)

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   二十世紀の出来事

 「1959年」2月8日、それは大変な出来事があった。それは、一生に1つしかない命が誕生し何を覚え何をしたか。それは分からない。それは過去が知り、現在も知り、未来は知らない。でも、私たちが生きていくには現在の状態では、「人間も動物も滅びてしまうだろう」。この状態をどうにか切り開かなければならないけれど、1人2人ぐらいでは公害をなくしましょうと言っても、大きい会社では利潤を上げればいいと思っているが、それが公害の元なのである。交通問題、石油問題は、どうして石油やガソリンが早くなくなったのかは、2つの世界大戦で石油を掘りすぎ、わずか60年間ぐらいでなくなるのは早すぎるのではないのかと僕は思う。未来に生きるためには、石油やガソリンに変わる化学エネルギーを発明することが、未来に生きる人類のつとめではないかと思っている。 
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「部活動」(昭和49年度卒業文集より)

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   部活動

 僕は、1年の時、いろいろな部に入りました。一番最初に入った部は陸上部でした。それは、1ヶ月ぐらいでやめました。その次に入った部はバスケット部です。それもボール拾いばかりやらされるので、1週間ぐらいでやめてしまいました。次はソフト部に入りましたが、1回行って直ぐにやめてしまいました。ソフト部をやめてから、少しの間何の部にも入らないでいました。そして柔道部に入って1ヶ月ぐらい経っておもしろくないのでやめてしまいました。
 2年になって、またバスケット部に入りました。バスケット部に入ってからは、毎日休まずに行きました。一番辛かったのは、夏休みの練習でした。暑くてすごく辛かったです。それを乗り越えて、僕は毎日部活動を続けました。遅い時には、真っ暗になってから家に帰ったこともありました。中体連の時は、惜しくも負けてしまいましたが、この3年間の部活動の思い出は、決して忘れないようにしたいと思います。
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「部活動の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   部活動の思い出

 私は、中学1年生の時に部活に入部しました。それも1年の3学期頃に入ったの。私の友達に誘われてバスケットに入ってみました。私が初めにやらされたのは、いろいろなパスの練習でした。でも先輩にいろいろ注意されて、もうバスケットなんかやめようと思ったことも何回かあった。それに、私の友達が1日か3日くらい来てバスケの練習に来なくなったの。私は何となく心細かったの。体力作りで塩松神社の周りをおんぶして1人5周も回った。バスケなんか、私はもう二度とやらないと思った。でも今では、部活動の思い出になると思うのよ。ああバスケであんなにおもしろかったことや悲しかった時、そして辛かった時、私にはいろいろあった。私は本当にバスケに入ってから終りまでいろいろあった。私が部活動の思い出になった。 
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   部活動の思い出

 今、私たちは中学校生活を終えようとしている。振り返ってみると、いろいろな思い出があった。
 楽しかったこと、苦しかったこと、今までに3年間がこれほど短く感じたことはなかった。
 私は、部活動をやって本当によかったと思う。考えてみると、部活動をしなかったら、あんなに汗を流せたろうか?また、楽しい思い出が出来ただろうか?
 あの団体生活の中で自分自身の存在を自分自身でかみしめ、本気で体をぶっつけたこともあった。また、ある時は突き指をしたこともあったけれども、本気に部活動をやっていいて本によかったと思う。
 私は、今中学生活を終えようとしているが、また、新たな門出に向かって一前進しなくてはならないところまできている。
 私は、今までに中学生活で経験したことや体験したことを教訓にして、精一杯がんばっていきたいと思う。
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「みなさんへ」(昭和48年度卒業文集より)

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   みなさんへ

 私は9年間学校へ通ったのです
 飽きもせず通ったのです
 短かったような気もします
 友だちとも別れるのです
 少しさびしい気もします
 先生方とも別れるのです
 お礼を言いたい気持ちです
 思い出と言ったら 9年間のできごとがみんな思い出です
 一番の思い出と言ったらあります でも言いません
 胸の中にしまっておきます
 感心したことが一つあります
 飽きないで学校へ通ったことです
 楽しかったと聞かれたら 楽しかったとは言えません
 つまらなかっとも言えません
 先生方は忘れません 習ったことは忘れるかもしれません
 先生におわびします
 私は9年間学校へ通ったのです
 それはそれは 長かったのです
 この9年間は もうすぐ終わるのです 
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「決断」(昭和49年度卒業文集より)

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   決断

 私・・・
 今・・・
 悩んでおります
 それは
 自分が 人間としても
 男としても あまりにも
 恥ずかしい人生を歩んで
 今日まで来たからです

 私
 今
 その原因を思いつきました
 私には、2つ3つの長所と
 何千何万という短所がある
 また その中で
 一番私の恐れていることは
 それは 自分の意志
 そう 自分の意見がとっても
 弱いのだ
 そのため何度も失敗し
 苦い経験を味わいました

 今
 私
 決心したのであります
 それは これからの
 私の歩む未知の世界に
 何が起ころうと
 何があろうと
 自分の思ったとおりに
 この 人生を過ごしたい

 自分が思ったとおり
 自分が決断したとおり
 子の人生に 生きる
 何が待っていようと
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「飛び立つ僕たち」(昭和48年度卒業文集より)

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   飛び立つ僕たち

 今 僕たちは
 何もわからない
 大きな世界へ飛び立っていきます
 お父さん お母さん
 そして 数多くの諸先生方
 今までの事を思い出してみると
 数限りがありません
 この3年間
 誠にありがとうございました
 何もわからない大きな世界へ
 飛び立つ僕たち
 たとえこの翼が折れようと
 いつまでも
 いつまでも
 僕たちは
 飛び続けます
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「私の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   私の思い出

 思い出と言っていいのか分からないが、まず初めに、1年生の入学当時の喜びと中学校に対しての不安とでごっちゃになっていた。でも、中学生活に慣れるとその心配もなくなってきた。
 しかし、私にはもう一つの不安があった。それは、部に入った時に感じられた。私は、3年生の親しい友に紹介された柔道部に入った。その練習はこたえた。こんなにしてまでやりたくはないと思った当時、今になってみればそれも懐かしい気がする。
 それから4ヶ月後に、私は柔道部をやめてブラスバンド部という吹奏楽の部に入った。それは作られたばかりの部であった。理由はなかったが、何となく入りたかった。その部はできたばかりだったので、吹奏楽の指導の先生に指導してもらった。そして、私は心の中まで指導してもらったという感じがした。ありがたい。この部に入って良かったと思う。
 それから1年経って修学旅行があった。軽い気持ちで行ったのが間違いで、ある事件を犯した。その夜の先生になぐられた感情の悔しさというか失敗したという感じは、今も残っている。その時、二度とこんなことは繰り返さないと心に誓った。もう中学生活の日々も少ないので、悔いのない生活を送っていきたいと思っている。
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「3年間の奇談、講談!?」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の奇談、講談!?

 中学校に入学してからというもの、明けても遅刻、暮れても遅刻と続いた。最も自転車が遅いだけだが、ある日黒板に友達と芸術ならぬ落書きを書き、うっかり消すのを忘れ、ほっといたら何と担任の先生に目撃され、アッという間に頭は白毛と化した。つまり黒板消しで1発やられたのである。2年になると妙に腹がへり、休み時間であろうと昼休みであろうと玉嶋屋へ行きミソパン、コーラなどを食い荒らした。3年ともなればたれ化した動物となり人知れず他のクラスに行ったのもだ。ここにいると清掃時にさぼっても週番に名を書かれない。このクラスは女子に清掃をすべて任せられているようだった。しかしこうした話も悪くないのだが、助け人が終わらぬうちに卒業とは・・・涙。
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学校行事
4/5 式場作成(新2、3年10:00登校)
その他
3/31 年度末休業(春休み)

学校だより「おばま」

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岩代学校給食センターより

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