最新更新日:2022/09/13
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ホームページを移転いたします。二本松市の新しいホームページhttps://www.city.nihonmatsu.lg.jp/school/page/page000025.htmlへご移動をお願いします。

全学年の無遅刻記録更新中!(笑顔)

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 全学年で無遅刻運動を実施していて、今日も継続中です。
 本日で、第1学年は◇147日◇(2011年4月6日スタート)、第2学年は◇164日◇(2011年2月9日スタート)、第3学年は☆541日☆(2009年4月7日スタート)となっております。
 このまま継続し全学年で記録更新することを大いに期待したいと思います。(期待)(笑顔)

「マスク・帽子」着用率100%(継続中)

 今朝はかなり冷え込み、学校周辺は霜が降りました。そんな寒い中、子どもたちは今日も元気に登校しました。(笑顔)
 本校では、子どもたちの放射性物質による内部被ばくをできるだけ軽減するために、マスク・帽子の着用を励行しています。マスク・帽子の着用率は100%(継続中)です!
 今後も子どもたちの安全安心のために、マスク・帽子の着用を励行するよう指導していきたいと思います。
 ご理解とご協力よろしくお願いします。

学校周辺に『霜』

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 今日は、すっきりとはいきませんが朝から青空が見えています。今朝はかなり冷え込みました。学校周辺には『霜』が・・・見るだけで寒くなります。
 これから冷え込みが厳しくなってきますので、子どもたちの健康管理面には十分注意していきたいと思います。

【豆知識】12月20日は「霧笛記念日」です

 1879(明治12)年の12月20日、津軽海峡の本州側東海岸にある尻屋崎灯台(青森県東通村)に、日本で初めて霧笛(霧や吹雪などで視界が悪いときに船舶に対し音で信号所の概位・方向を知らせるもの)が設置されました。

事故防止について(スクールサポーターより)

 二本松警察署スクールサポーターの星和夫様には、いつも地域の安全や安心のためにご尽力いただいております。
 本日、星様が巡回来校していただき、最近の携帯電話の無料ゲームに関わる問題と声かけ事案についてのお話をいただきました。
 携帯の無料ゲームの登録から個人情報が漏れたり、フィルタリングを通さない出会い系サイトにつながったりするなどの事例があるため、冬休み中の子どもたちの携帯電話の使い方について注意するよう指導助言をいただきました。
 また、最近の声かけ事案について、被害対象はほとんどが中学生や高校生であること、被害時の行動はほとんどが下校時であること、被害時の場所が路上であること、発生時間帯は午後3時〜午後7時が多いことなどから、子どもたちの声かけ事案については「いつどこで起きるかわからない」という危機意識を持ち、子どもたちには防犯ベルを携帯させるよう指導助言いただきました。
 スクールサポーターの星様から指導助言いただいたことを、冬休み前に子どもたちにも指導徹底し事故防止を図っていきたいと思います。

長崎県対馬市立豆酘中学校の全校生18名の子どもたちからの心温まる☆メッセージ☆

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先ほどご紹介しました長崎県対馬市立豆酘中学校の3年生の子どもたちからの<激励の詩>に引き続き、全校生18名の子どもたちからの心温まる☆メッセージ☆を下記にご紹介します。
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○まだ、放射能など、その他にも問題があって大変だと言うことはよく知っています。遠くはなれているので、できることは少ないですが、少しでも協力していくので、みんなで、復興まで一緒にがんばりましょう!!!

○心を一つにして、これからも一緒にがんばっていきましょう。

○みんなであたたかい気持ちで前に進もう!

○これから大変だと思いますが、頑張りましょう!

○みんなでいっしょにがんばりましょう!

○心は一つです。みんなで一緒に頑張っていきましょう。遠い所に住んでいますが、共にがんばっていきましょう。

○皆さんに会ったことはなくても、心はつながっていると思っています。「一陽来復」ともに明日へ・・・

○テレビで今の状況があっていますが、もっとひどい状況ということは、すごく分かっています。でも、少しでもできることがあると思うので、一緒にがんばっていきましょう。

○東北のみなさん一緒にがんばろう。

○放射能が出てたいへんだと思います。私もがんばるので福島の方も一緒にがんばりましょう。

○放射能に負けないでいっしょにがんばりましょう!

○東北を応援しています。一緒にがんばりましょう。

○この地震があったことは、絶対忘れません。そして、私達にできることを、少しずつ行動にうつしていきます。一緒に頑張っていきましょう。

○直接は何もできないけど、このメッセージや詩を読んで元気づけられたらうれしいです。一緒にがんばろう。

○あきらめないでいっしょにがんばりましょう。

○いつも一緒に頑張ってます。これからも明るい未来を目指して力を合わせて頑張ろう。

○震災で大変だと思いますが、遠い対馬から応援しています。なのでいっしょにがんばりましょう。

○今、自分のしたい部活や勉強などができない状況だと思うけれど、かならず復興できると思うので、一緒にがんばりましょう。
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 子どもたちも職員も温かいメッセージに元気をいただきました。ありがとうございました!(感謝)

長崎県対馬市立豆酘中学校の子どもたちから<激励の詩>及び<メッセージ>をいただきました(感謝)

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 先日、長崎県対馬市立豆酘中学校の子どもたちから、<激励の詩>及び<メッセージ>が届きました。
 これは、国境の島、長崎県対馬市の豆酘(つつ)中学校の子どもたちが、今回の震災の報を耳にして、報道で被害の状況が明らかになっていく中で、ほるか西の島に住む自分たちに中学生として何かできないかと考え、3年生が11月の学習発表会で震災をテーマにした劇に取り組み、その中で自分たちの思いを紡ぎ発表した詩を、東北三県の沿岸地域の市町村の中学校及び特別支援学校にメッセージを送ることになったものです。
 3年生がつくった<激励の詩>『かならず』と全校生16名の<メッセージ>には、温かい励ましの言葉や気持ちが込められています。
 下記に、<激励の詩>『かならず』を紹介します。

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   『かならず』

「本当にこんなことが起こっているのか」
いや何が起こっているのかさえわからなかった
テレビを前にして言葉を失った
現実とは思えなかった
圧倒的な自然の力の前に
世界が変わったあの日
「何かできることはないか」
しかし、遠いところに住む自分は何もできなかった
募金をしても 何ができるんだろうと 心が苦しかった
自分の無力さに気づかされたあの日

東の広く豊かな地を
心優しき人の住む地を
暗く重たい運命が襲った
深い海の底に
大切なものも人もそして心も引きずり込まれた

わかっていたつもりだった
その悲しみ その苦しみ
ニュースを見て大変なんだなと思っていた
でも ずっと見ているうちに当たり前になっている自分に恐ろしくなった
無関心じゃいけない
知らなきゃいけない
慣れてはいけない
だって「世界がぜんたい幸福にならないうちに個人の幸福はあり得ない」から

これからの復興の歳月は
私たちがこの国の未来を作っていく歳月
失ったものはあまりに多かったけれど
未来と希望は残されている
悲しみの果てに
時計の針を進めなくては

代償はあまりにも大きかったけれど
優しさとたくさましさを手に入れた
今はまだ苦しくても
明るい未来をみんだで作れる

みんなが何かしたいと思っている
太陽のように温かく世界を照らし
流星のように人々の願いを乗せ
美しい月のように優しく包み込む
その思いを束ねていけば
希望が生まれるはず
一人の一歩が集まればきっと大きなものになる
心をひとつにしてつないでいこう
「私たちは私たちの場所でその一歩を踏み出す
 あなた達はあなた達の場所で力強く一歩を踏み出して」

かならず・・・
笑顔で暮らせる未来が来る
今日もその階段をひとつ上ったことをかみしめよう
今は信じることしかできなくても
今は祈ることしかできなくても

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 ありがとうございました!(感謝)

<今年のビッグニュース>(1分間スピーチより)

 本校では、子どもたちの表現力(コミュニケーション力)の向上を目指すために、朝の短学活で「1分間スピーチ」を行っています。
 ある教室を訪問すると、教室の後の掲示板に子どもたちの「1分間スピーチ」の原稿が掲示してあり、次のように書いてあります。
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 僕の今年のビッグニュースは、金正日総書記が亡くなったということです。
 金正日総書記が亡くなった時、朝鮮の人々は大泣きしていました。朝鮮の人々にとって金正日総書記は、大事な人だったということがわかります。
 僕の今年のビッグニュースはもう一つあります。それは「東日本大震災」です。その東日本大震災で、太平洋側の人々は津波で流され、多くの死者、負傷者を出しました。それに伴い、福島第一原発が爆発して放射能が飛散し、僕達は苦しんでいるからです。
 今年は震災などいろいろなことがありましたが、そのおかげで学校にいろいろなものが付いたりしたのでよいところもありました。
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 今年の夏の猛暑は、エアコンの設置で快適に過ごせましたね。(笑顔) 
 今年はいろいろなことがありました。早期解決が困難な事もありますが、夢と希望を持って頑張りましょう!

全学年の無遅刻記録更新中!(笑顔)

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 全学年で無遅刻運動を実施していて、今日も継続中です。
 本日で、第1学年は◇146日◇(2011年4月6日スタート)、第2学年は◇163日◇(2011年2月9日スタート)、第3学年は☆540日☆(2009年4月7日スタート)となっております。
 このまま継続し全学年で記録更新することを大いに期待したいと思います。(期待)(笑顔)

「マスク・帽子」着用率100%

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 学校周辺はうっすらと雪化粧となりました。学校前の道路は凍結してツルツルです。そんな寒い中、子どもたちは今日も元気に登校しました。(笑顔)
 本校では、子どもたちの放射性物質による内部被ばくをできるだけ軽減するために、マスク・帽子の着用を励行しています。マスク・帽子の着用率は100%です!
 今後も子どもたちの安全安心のために、マスク・帽子の着用を励行するよう指導していきたいと思います。
 ご理解とご協力よろしくお願いします。

小浜は◇雪化粧◇

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 今朝は、小浜は◇雪化粧◇となりました。気温が低いため、校舎周辺の道路はツルツルです!学校にお越しの際は、スリップなどしないように十分にご注意願います!

感嘆符 アクセス数が☆8000件☆を超えました(スタートして96日目)(笑顔)

 いつも本校のホームページをご覧いただきありがとうございます!(感謝)
 本校のホームページは、9月13日(火)にスタートしました。スタートしてから96日目の12月17日(土)でアクセス数がついに☆8000件☆を超えました。(笑顔)
 これからもホームページの充実に努めて参りたいと思います。今後も引き続きご覧いただきたいと思います。

【豆知識】12月19日は「日本人初飛行の日」です

 1910(明治43)年12月19日午前、東京・代々木錬兵場(現在の代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が日本初飛行に成功しました。飛行時間は4分、最高高度は70m、飛行距離は3000mでした。

小浜中美術館

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 生徒昇降口を入って右側の壁に「浜中ギャラリー」があり、過去に様々なコンクールに出品し、入賞した作品を展示してあります。今回、「大山賞小中学生絵画コンクール」入賞した作品を新たに展示しました。学校にお寄りの際にはご覧ください。
 また、現在美術室前には、1年生の美術作品の「手」が全員分展示してあります。針金やひもなどで骨格を作り、そこに粘土で肉付けをし、最後に特殊な塗装してブロンズ調に仕上げてあります。どの生徒の作品もリアル感十分で、すばらしい作品ばかりです。

可愛らしいクリスマス飾り

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 本校では、校舎内の至る所に各種の掲示物や飾りがあります。各階段の踊り場のコーナーに、可愛らしいクリスマス飾りがあり、子どもたちや職員の心を和ませています。(笑顔)

「我等の頃のPTA時代を顧みて」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長様の一人が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   我等の頃のPTA時代を顧みて

 小生は尋常小学校最後の「ハナ・ハト・マメ・マス」の読本で一年生に入学しました。次の一年生からは「サイタ、サイタ、サクラガサイタ。」の色刷りの読本でした。小学校入学時から旧制達中の五年卒業まで、戦争に次ぐ戦争で学校生活を過ごし、終戦の月日が運命の境で、八月十五日の終戦が遅れれば命は沖縄特攻で「トウー」に無かった筈でした。幸か不幸か、現在、未だに生き長らえています。あれから四十二年の歳月は流れ、終戦後は「特攻の生き残り」という事で、三年位は要注意人物として監視されているなと感じました。
 その後、その感じも薄らぎましたが、今浜中四十年の同窓会誌を発刊するとの報を受け、寄稿依頼され有難く思っております。小生がPTAに出始めたのは、子供達が中学校に入学してからであり、小学校の時は殆ど出席せず家内任せでした。PTA会長の職を遂行出来たのも、当時の役員の方々の並々ならぬ協力があったからこそ出来たのであり、当時の役員の方々を列挙すると大変な数になりますので割愛させて頂きますが、その方々には改めて感謝の気持ちで一杯です。旧制中学時代よりも、浜中PTA当時の方が思い出が多く且強烈に残っています。今当時を振り返り、知る人ぞ知る、いろんな事がありました。裏話も多く口外する事は出来ませんが、特に思い出なのはブラスバンドの楽器購入の資金作りに、先生・生徒・PTAの会員が一緒になり「フキ取り」を行い、その代金と同窓会からの一部の協賛金を加え、購入の基とした事、又当時の先生方のストライキに依る宿直代行を、役員で割り振って宿直を行った事、ピアノの問題等々。部活の為に体育等後援会を作ったり、新入生からは長髪を禁止し、息子からも猛反対を受けたり、「一に学力、二に学力、三四がなくて五に学力。」ということで、有り余る生徒の精力を部活で発散させながら、学力向上一途に「ツッ走った」事等、当時の役員の方々の協力には万腔の感謝の念で一杯です。当時は日教組運動の盛んな頃で先生方の意志の疎通の事もありましたが、生徒諸君の非行等の問題は有りませんでした。しかし、今となっては良きにつけ悪しきにつけても良い思い出であり、永遠に浜中が優秀校として発展し続けることを祈願しております。
 古き良き時代を顧みながら、改めて当時の役員の方々に感謝申し上げますと共に、浜中のより一層の発展をお祈り申し上げます。 

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 いろいろな苦労があったのですね。

【豆知識】12月18日は「東京駅完成記念日」です

 1914(大正3)年のこの日、東京駅の完成式が行われました。
 日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908(明治41)年から工事が行われ、6年半かけて完成しました。12月20日に開業し、東海道本線の起点が新橋駅から移されました。
 さらに、1919(大正8)年に中央本線が、1925(大正14)年に東北本線が乗り入れ、1929(昭和4)年には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していきました。

「外から見た小浜中学校の歩み」(創立40周年記念同窓会詩より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代校長が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   外から見た小浜中学校の歩み

 私が初めて中学校の教員として教壇に立ったのは、昭和25年である。最初の勤務校は岳下中学校。当時、未だ戦争の傷跡が癒えず、物資食料など極端に不足しており、運動具などもなかなか手に入らず、しかも粗悪であった。そうした中にあっても生徒のスポーツへの意欲は旺盛であった。その頃、安達郡には26の中学校があった。学校数が多いことから、中体連大会や各種コンテストに入賞することなど容易なことではなかった。しかも郡大会に出場するためには、方部大会という関門を通り越さなければならなかった。従って安達郡を制覇するということが、各校の監督や選手達にとって見果てぬ夢であった。
 こうした状況の中、ひときわ光っていたのは小浜中学校チームであった。文字通り小浜中チームは郡大会の常連であった。当時、郡大会の会場は例年二本松であった。小浜中チームが会場に現れると、一種独特の威圧感があった。身長は概ね粒が小さかったが、それにもかかわらず小浜中のユニフォーム姿を見ると皆の視線が集まった。また、抽選が行われ、小浜中とぶつかると、皆一様に嫌な顔をしたものである。私は今でも小浜中のプレーの姿を覚えている。決してスマートなチームではなかったが、粘り強くてしぶとくて、監督の指示通り一糸乱れず動いていた。また、基本には極めて忠実であったことも、部外者であった私達の良いお手本であった。
 野球ばかりでなく、ソフトも男子テニスもバレーもいいチームであった。特に、ソフトチームの強さは群を抜いていた。押しても引いても動かない岩のような重さを持っていた。スポーツは同情されるようになったらおしまいである。小浜中は真面目なチームカラーであったが憎まれることが多かった。強かったからである。郡七連覇の快挙も決して偶然ではなかったのだ。
 昭和33年、私は住み慣れた岳下中から白岩中に転任した。白岩では、野球部・ソフト部を連れて、自転車でよく小浜中に練習試合にきたものだ。やられて生徒と一緒に成田の道をとぼとぼ帰って行った。「強いなあ」と云うのが実感であったし、僅差の接戦をした後など満足であった。
 去年(昭和61年)私は縁あって小浜中にお世話になることになった。夢よもう一度!「君達の先輩は強かった。君達もその強さ逞しさを見習ってほしい。」私はそう云い続けて生徒を激励している。嬉しいことに眠っていた小浜魂がやっと目を覚ましたようだ。勝つ味と喜びを覚えてきたようだ。勉強もぐんぐん力をつけてきている。もう一歩だ。もう一息だ。
 生徒が奮い立つ陰には、小浜中学校40年の歴史と伝統の重みがある。このどっしりした重みを支えに生徒達は、弛みない歩みを続けていくと信じている。
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 今後も小浜中のよき伝統を継承し、子どもたちが弛みない歩みを続けられるよう指導・支援していきたいと思います。

「追憶」(創立40周年記念同窓会詩より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 卒業生が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   追憶

 昭和27年4月、晴れて小浜中学校に入学した。入学式は、体育館がなく、教室の境の戸を外し、机、椅子を廊下に出しての入学式であった。卒業式ももちろん同じであった。朝の会は、校庭でやり、雨の日は休みであり、この繰返しが2年続いた。
 27年は、福島国体開催の年でもあり、小浜中から女子の4百メートルリレーが出場した記憶がある。
 冬の暖房は薪ストーブで、薪は夏のうちに、山より切り出された松を背で運び、又、リヤカーで運び、クラス毎に積重ね冬に備える。
 体育館も、校歌も、なかった小浜中に、29年、待ちに待ったその時が来た。しかし、体育館の基礎工事に、何と男子生徒が、松杭打のヨイトマケの作業を、体育の時間にさせられた事、今では考えられない事である。同年に、小浜中校歌が、作詞源後三郎、作曲古関裕而両先生で出来上がった。
 中学校生活3年間のうちに、数多くの思い出があったが、30余年過ぎた今でも、同級会等で顔を合わせると走馬燈のように甦ってきます。
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 小浜中の先輩方は、たいへん苦労して伝統を築き上げてきたんですね。

生徒手作りのマトリョーシカ

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 3年の教室に、生徒手作りのマトリョーシカが置いてあります。材料からすべてが生徒の手作りで、色塗りも鮮やかで、とても可愛いマトリョーシカになっています。(笑顔)
 
 『ロシア・ソ連を知る事典』には以下のような記述があります。

 ロシアの代表的な民芸品として知られる木製の人形。ザゴルスク、キーロフ、カリーニン、ゴーリキーなど木工品で有名な地で作られるものが名高い。その名が女性の名前マトリョーナ Matryona の愛称形であることが示すとおり、ロシア庶民の娘をかたどっていて、頭にはプラトークと呼ばれるネッカチーフを、身体にはサラファンと前掛けを着け、手には穀物の束、鎌、鶏などを持つ姿が極彩色であざやかに描かれるのが一般的である。胴の部分で上下に二分され、中から同形の小さなものがいくつも出てくる(<入れ子式>)のが特徴である。全体のなめらかな曲線、顔の表情などの点で日本のこけしとの類似点が多い。ロシアで作られるようになったのは1890年代半ばで、モスクワ郊外アブラムツェボにサークルをつくって芸術家のパトロンとなったS. I. マーモントフ夫人が発案、画家S. V. マリューチンとザゴルスクのろくろ師V. ズビョズドチキンによってモスクワの工房<子どもの教育>で制作されたのが最初である。その際に日本のこけしのデザインや、だるまの入れ子(箱根細工<七福神>)のアイデアがとり入れられたと考えられている。(川端香男里ほか監修『ロシア・ソ連を知る事典』平凡社、1989年、562ページ:「マトリョーシカ」坂内徳明)
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PTA行事
2/6 PTA監査会、PTA・体育等後援会合同役員会
その他
2/1 学校安全の日
2/2 県立高等学校1期選抜面接等実施日
2/3 (県立高等学校1期選抜面接等実施日)
節分
2/4 立春
あだたら杯東北中学校バレーボール大会(第1日目)
2/5 あだたら杯東北中学校バレーボール大会(第2日目)
2/7 県立高等学校1期選抜合格内定通知

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236