![]() |
最新更新日:2022/09/13 |
本日: 昨日:61 総数:239933 |
3学期始業式も全学年の無遅刻記録更新中!(笑顔)![]() ![]() 本日で、第1学年は◇149日◇(2011年4月6日スタート)、第2学年は◇166日◇(2011年2月9日スタート)、第3学年は☆543日☆(2009年4月7日スタート)となっております。 このまま継続し全学年で記録更新することを大いに期待したいと思います。(期待)(笑顔) 始業式の朝はうっすら雪化粧![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 学校周辺の道路は所々凍結しておりますので、学校近くを車で通行する際は、スリップなどしないよう十分注意いただきたいと思います。 【豆知識】1月9日は「風邪の日」です
1795(寛政7)年のこの日、相撲興隆の祖といわれる近代無比の名横綱・谷風(谷風梶之助)が感染のため死去したことから「風邪の日」と言われています。
体力のあるお相撲さんでも、病気には勝てない時があります。谷風も生前「自分は土俵の上では倒されない。俺を倒せるのは風邪くらいかな」と豪語していたという伝説がありますが、1794(寛政6)年の年末にインフルエンザで倒れ高熱との奮戦もむなしくこの日帰らぬ人となりました。そこでインフルエンザのことを「風」にひっかけて「谷風」と呼ぶようになったとも言われています。「無敵の風邪」という意味です。 「現役からのお便り<女子テニス部>」(創立40周年記念同窓会誌より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時現役の女子テニス部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 部活動の現況報告<女子テニス部> 私達女子テニス部は、念願の県大会へ出場することができました。 県大会での1回戦は、吾妻中という学校でした。吾妻中は私達と同じくらいの力でした。同じくらいの力なのですから最後は気迫で勝負しなければなりません。私達は自分の力を信じて、精いっぱいやりました。応援の方も郡大会の時よりも迫力がある応援でした。全員が一つになってやってるんだなあと思いました。浜中のテニス部が一丸となってやったおかげで1回戦は無事突破できました。あの時の喜びは、今まで試合をやって勝った時の喜びとはどこかが違いました。この調子で2回戦もと思っていました。2回戦は惜しくも負けてしまいましたが、自分達の力を出し切って負けたのですから、悔いはありませんでした。 この試合を最後に3年生は引退しました。 私は、もっとたくさんの練習をしておけばよかったと今、後悔しています。ボールが思うようなところに決まらなくて、悩んでいた日もありました。でも良かったこともたくさんありました。ボールがスパーンと決まった時の気持ちの良さ、試合に勝った時の喜び。後輩にも、私達が体験して良かったと思うことを早く経験してほしいと思います。 _________________________________ 充実感や達成感は、一生懸命に取り組んだ時に得られるものなのですね。 【豆知識】1月8日は「平成スタートの日」です
1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、翌8日から新しい元号がスタートしました。「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で、初めて政令により新元号が定められました。
「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味です。 「現役からのお便り<卓球部>」(創立40周年記念同窓会誌より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時現役の卓球部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 部活動の現況報告<卓球部> 思い出、それは何といっても、練習中のことが一番印象深いと思います。こんなことを書くのがおかしいと思われるかも知れませんが、これが私にとって、一番思い出深いことなのです。 私が部長になってから、数日たったくらいで、他の部活との差が出てしまったのです。 私は、そもそもあまりリーダー性や積極性がなく引っ込み思案でした。それで部長になったのだから、まとまりなどあるはずがありません。それに、私の家は、ちょっと遠いので、練習をおろそかにしたことがありました。それでも、副部長の協力で私のいない時は代わってもらい、ずいぶん助かったこともありました。 部長になって慣れてきてからも、まだ先生に甘えて、先生のいない時は、ずいぶん楽をしたり遊んだりして先生に怒られたこともありました。 新人戦では、あまりにもひどい成績で、先生もがっかりさせてしまいました。 しかし、中体連では県北大会に出場することができました。1回戦で負けたとはいえ、中学校生活の最高の思い出の一つとなりました。部活動で学んだことをこれからの生活に生かしていきたいと思っています。 後輩たちの頑張りに期待します。 _________________________________ 部活動から学ぶことはたくさんあるのですね。先輩のエールのように、子どもたちの頑張りに大いに期待したいです。 【豆知識】1月7日は「七草、七草粥」です
1月7日は、「七種、七種粥」です。春の七種を刻んで入れた七種粥を作って、万病を除くおまじないとして食べます。
七種は、前日の夜、俎(まないた)に乗せ、囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れます。呪術的な意味ばかりでなく、おせち料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能があります。 「春の七種」とは以下の7種類です。 ・芹(せり)〜現在名: 芹(せり) ・薺(なずな)〜現在名: なずな(別名・ぺんぺん草) ・御形(ごぎょう)〜現在名: 母子草(ははこぐさ) ・繁縷(はこべら)〜現在名: 繁縷(はこべ) ・仏の座(ほとけのざ)〜現在名: 小鬼田平子(こおにたびらこ) ・菘(すずな)〜 現在名:蕪(かぶ) ・蘿蔔(すずしろ)〜 現在名:大根(だいこん) 「現役からのお便り<男子バスケット部>」(創立40周年記念同窓会誌より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時現役の男子バスケット部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 部活動の現況報告<男子バスケット部> 僕はこの中学校に入学してから3年間、バスケットボールに打ち込んできました。嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことなどたくさん心に残っています。3年前、他の部には目もくれず、迷いもせずに、体育館に飛び込んでいったことが、今でも懐かしく、いい思い出として、心に残っています。 やがて2年生になり、中体連も終わり、いよいよ新チームを作る時、僕は、部長に選ばれました。不安と嬉しさがまじって複雑な気持ちでした。少しでも強くなろうと、自分なりに頑張ってはみたものの、チームをまとめることは難しく、だいぶ苦労しました、しかし、先生の指導のもと1日1日練習を積重ねる内に、みんなの心が通じ合い、やがて、どこのチームの先生からも、 「まとまりのある 良いチームだ!」 と、言われるまでになりました。 大会では良い成績をおさめることは出来ませんでしたが、この3年間やってきたことは無駄ではなかったと思っています。協力する大切さ、友だちの励ましの心強さ、その他にもいろいろなすばらしいことを心の支えにして、これからも頑張っていきたいと思っています。 _________________________________ 部活動からいろいろなことを学ぶことができるのですね。大切なのは、何事にも一生懸命に取り組むことだと思います。 【豆知識】1月6日は「東京消防庁出初め式」です
1月6日は、「東京消防庁出初め式」(年の初めに東京消防庁の消防署員らが消防動作の型等を演習・披露する行事)です。
出初式の起源は、今から約350年ほど前の江戸時代、1659(万治2)年にさかのぼります。当時、江戸の町は、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火により未だ焦土のなかにあって、苦しい復興作業にあたる町民は、絶望的な状態にありました。このような状況のもと、1月4日、時の老中稲葉伊予守正則が定火消総勢4隊を率いて、上野東照宮前で「出初」を行い気勢をあげたことが、市民に大きな希望と信頼を与えました。これが契機となり、お正月の恒例行事として現在まで受け継がれています。 「現役からのお便り<ソフト部>」(創立40周年記念同窓会誌より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時現役のソフト部主将の書いた文が目に止まりました。(残念ながら現在ソフト部はありません) 以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 部活動の現況報告<ソフト部> 私達ソフト部は、先生方の厳しいご指導のもとで、ひたすら”勝つ”ことを目標に頑張ってきました。1・2年生とも仲が良いので、協力生はすばらしいと思います。ソフト部の部活動は、とても楽しく感じたものです。時には、野球部の球が頭にぶつかったり、テニス部のボールが時々ならよいものの、何回も転がってきたり・・・。ソフト部独特の返事『オーライ』は、私は好きです。3年生は4人ということで、とてもハンデがあったと思いますが、監督の先生の教えのうまさと、2年生の頑張りのおかげで、中体連では2位、そして県北大会出場することができました。あと1勝すれば県大会への道も開けたのに、残念です。 私達にとって部活動は、正に青春でした。3年生はもう部活動を引退しましたが、あとに残っている1・2年生に言いたいです。今という時間はもう帰ってきません。1日1日を大切に、部活動もその心構えで頑張ってください。私達が果たせなかった『優勝』も今の1・2年生ならできると思います。部長を中心に何事も強気でぶつかっていってほしいと思います。そして、3年生になってきっと、とてもすばらしい思い出として、返ってくるはずです。 最後に、浜中ソフト部は永久に不滅です―。 _________________________________ 残念ながら、現在ソフト部はありませんが、先輩が言っている「今という時間は帰ってこない」「1日1日を大切に」は、後輩達へのメッセージです。大切にしていきたい言葉です。 【豆知識】1月5日は「夏目漱石が生まれた日」です
日本の小説家、評論家、英文学者である夏目漱石は、慶応3年1月5日(1867年2月9日)に生まれました。本名は夏目金之助と言います。
著書には、『吾輩は猫である』『こゝろ』『坊っちゃん』『倫敦塔』『行人』『硝子戸の中』などがあります。 1984(昭和59)年から2004(平成16)年まで発行された日本銀行券D千円券に肖像が採用されました。 「現役からのお便り<ブラスバンド部>」(創立40周年記念同窓会誌より)
学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時現役のブラスバンド部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。 _________________________________ 部活動の現況報告<ブラスバンド部> 僕はブラスバンド部に、この3年間所属していた。その3年間の中には、いろいろな思い出がたくさんある。楽しかったこと、辛かったこと。 楽しかったことと言えば、いつもの放課後の練習だった。みんなで助け合い、理解できないところがあればお互いに教え合ったり。時々、羽目を外し過ぎて先生に注意を受けたこともあったが、それも一つのいい思い出として残っていく。 辛かったことと言えば、コンクール前の夏休みの練習だった。毎日あの暑い中、学校に来て練習したことだ。3階の音楽室は非常に暑く、みんなだらけ気味だった。その中で練習の結果完成したコンクール曲。しかし、その結果の成果がむなしく、僕達が学校に入ってきての3年間、コンクールではずっと銀賞という結果に終わってしまった。一度ぐらいは金賞ととって、県大会に出場したかった。 でも、これから後輩達には頑張ってもらい、僕達の果たせなかった念願の金賞をとって欲しい。 和枝先生、3年間いろいろ指導してくださって本当にありがとうございました。 後輩達よ、これから一生懸命練習して、来年こそは金賞をとって県大会に出場してください。 _________________________________ 先輩たちの念願の金賞受賞と県大会出場を目指して、頑張って欲しいと思います。 【豆知識】1月4日は「取引所大発会」です
1月4日は証券取引所での新年初めての立ち会いで、この日は午前中(前場)で取引を終了します。
かつては1月6日でしたが、証券業界の業績不振から少しでも営業日数を増やすために大納会が12月28日から30日へ、大発会が1月6日から4日へ変更されました。1月4日が土・日曜日の場合は、その直後の営業日となります。大発会日の取引は株価が上昇することが多いようです。 スクールサポーター通信No.14
二本松警察署スクールサポーターの星和夫様には、いつも地域の安全や安心のためにご尽力いただいております。
新年早々の本日、スクールサポーターの星和夫様が来校され、スクールサポーター通信No.14を持ってきていただき、更に子どもたちの事故防止について指導助言をいたさきました。 スクールサポーター通信の内容は、「生徒の笑顔を絶やさない年に!」「辰年にはこんな事件が!」「親子で危機感を共有しましょう!」「「3つの心」で非行防止」「有事に備えた心構えを!」など盛りだくさんです。 詳細につきましては、トップページ右側の<配布文書>の【各種情報】又は<配布文書一覧>の中をご覧ください。
|
|