最新更新日:2022/09/13 | |
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『切り絵で物語の世界』(その6)(美術室前掲示板より)子どもたちの作品を順次紹介してきましたが、これが最後となります。(写真左から) タイトルから物語を想像していただきたいと思います。 _________________________________ ・うさぎをたいほ「殺人未遂、放火の容疑」 〜『カチカチ山』〜 ・3羽の白鳥と湖 〜『白鳥の湖』〜 _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「6度」「卒業するに当たって」(昭和47年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 卒業するに当たって 今、私は義務教育9ヶ年、中学校生活3ヶ年、という課程を修了するところです。私は、この長いようで短かった学校生活を振り返り、いったいこの期間に私は何を学び、そして何を学び得たかという疑惑の目を持つようになりました。この問いに対し、答えが分かりません。いや、分からないのが当然だと思っています。この問いの答えはこれから先、数年後、何十年後かの、自分の行動や生活によって知ることができるし、年月が過ぎ去る毎に、この問いの答えに近づき、そして、この答えがはっきりとした姿、形になっていくのだと確信しています。 近頃、私の耳には「卒業」という言葉がやけに多く聞かれます。私は興味心にもかられ、この意味を辞典を持ち出し調べたら、次のように書かれていました。(学校の教育などの課程を終えること)私はこの終えるという言葉に疑問を感じています。私の考えはおよそ次のようなものです。「卒業」とは、終了することではなく、これから先の新しい世界への旅立ち、出発点になるのではないだろうかという考えです。 そして今、私たちは、いたずらや何か失敗を起こしては、怒られまた、注意をされたりして、よい助言をくださった先生や、共に学び、共に遊んだよき友、あの古き良き校舎に私たちは、さようならを告げようとしている。この3年間中学校で学んだいろいろなことを土台として、これからの新しい社会に進んで行こうとしている、私たち。たとえ、一人一人の道は違っていても、ひな鳥が初めて大空へ羽ばたく時、翼を一生懸命動かすように、今、私たちは、小さい一歩ではあるが、後には大きな一歩になるであろう第一歩を、大きく、そして力強く歩もうとしている。私たちが悩み苦しんでいる時、励まし元気づけてくれた、両親や先生たち。どうにか私たちは、実社会の出発点にたどり着いたようです。今、卒業を間近に控え、私たちは、希望に満ちあふれています。先生、どうかこれからも、私たちを見守っていてください。 _________________________________ 校舎裏の下水管工事が本日終了毎年4月2日は国連の定めた「世界自閉症啓発デー」下記に、世界自閉症啓発デー日本実行委員会<公式サイト>より【知ってもらいたいこと】について掲載いたします。この機会に、自閉症についてご理解いただきたいと思います。 _________________________________ <自閉症を知っていますか?〜誤解されやすい自閉症〜> 自閉症は、「常に自分の殻に閉じこもっている状態」と考えられたり、「親の育て方が冷たかったということが原因ではないか」と思われることがありますが、これは正しくありません。 脳の発達の仕方の違いから「他の人の気持ちや感情を理解すること」「言葉を適切に使うこと」「新しいことを学習すること」などが苦手であり、一般的な「常識」と思われることを身につけることも苦手です。このため、真面目に取り組んでいても、誤解されることがあります。 なお、自閉症の人たちは、とても「純粋」で、自分の感じたままに話したり、行動したりすることがあり、感覚が過敏であったり記憶が抜群な人もいます。 このような、自閉症の人たちの行動や態度の意味を理解していただき、愛情をもって支援していただくことを願っています。 自閉症の人たちは、周囲の愛情と支援によって大きく育つことができるのです。 <応援してください〜自閉症の人が暮らしやすい社会へ〜> 私たちは皆、それぞれに異なる感性と個性を持っておりますが、それを認め合い、互いに支え合いながら暮らしています。 自閉症の人々はアンバランスな発達の仕方をしており、まわりの人たちには理解できない行動をあらわすことがあります。多くの人々の目には変わった行動に映るかもしれませんし、理解しにくい人たちと思われるかもしれません。そのために偏見や誤解が生じてくるのです。自閉症の人々の行動の意味を考え、「よい点」を見つけるようにして頂くと、自閉症の人々は社会の中で生き生きと暮らすことができるのです。 自閉症の人々は、まっすぐに純粋に生きています。私たちが見失ってきた純粋さを持ち続けているのです。自閉症の人々と共に生きることで、私たちは純粋さを取り戻すことができるのです。「絆」で結ばれた真の意味での「共生(共存)社会」になることを心から願っております。 <こうしてもらえると助かります〜自閉症の人を見かけた時の対応〜> 自閉症の人には、会話が苦手な人が多くいます。このため、その人の発達に応じたわかりやすい説明をお願いします。例えば、その人が理解している言葉を知り、その言葉を使うことや、写真や絵などを添えて説明する、抽象的な表現をさけて、短い表現で話すことなどで、理解しやすくなります。 また、過敏で、人混みや大きな音、光といった刺激を苦手とする人が多くいます。このような刺激による不快感を増幅させないよう安心できる環境を調整して作ってあげてください。 新しい事や、いつもとやり方が違う時に、困って混乱することがあります。また、「できない時」「間違っていた時」に叱って教えようとすると、本人が混乱して余計に理解できなくなったり、将来に悪影響を及ぼすこともあります。どうすればよいのか、正しい方法をできるだけ具体的に教えることを基本に、穏やかに根気よく接して、良い関係を作るようにしてください。 _________________________________ 「修学旅行」(昭和47年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 修学旅行 いよいよ待ちに待った修学旅行。いつになく家を出るときから、そわそわして落ち着かなかった。 学校発7時、郡山で特急ひばり2号に乗った。中からのながめは私の地方のような山村から開けた都市へと変わっていった。 11時40分、上野に着く。上野付近だけでも福島とは違い、高層ビル、そして多くの人、あた限りなく続く車の行列から、ここが東京なんだという実感がわいてきた。 最初に見学したのは、羽田空港である。ゴオーという激しい音が聞こえた。空港内には大型ジェット機とかジャンボジェット機など大きな飛行機があった。ここですまして記念写真を撮る。 5時、三浦ケープシャトウに着く。1泊目の宿である。嬉しさの余り友だちと夜中まで騒いだ。 2日目、朝食の前に海岸を散歩した。朝のさわやかな潮風が肌にしみて気持ちがよかった。 慌ただしい朝食を済ませ、バスは宿をあとにして鎌倉へと出発した。 鎌倉の大仏の大きさは日本第2で、慈悲深い顔容のバランスのよさで知られているという。 次に見学したのは白糸の滝である。絶壁を数千条の銀糸が落ちてくるような滝水であった。そして岩石ででこぼこしているので、転びそうになったり、滝水がしぶきををあげ、体に押しかかってくるようだった。 ここで昼食をしていると、数人の先輩が私たちにあいさつに来てくれた。先輩の紹介や話をしているうちに出発の時間が来てしまったので、別れを惜しみながらも、白糸の滝をあとにして富士スバルランドに入っていった。入るにつれて両端が赤松の並木が続き、その間にはつつじなどの高山植物が咲き乱れていた。3合目辺りになると気温が下がり、窓から入ってくる風も冷たくなった。4合目になると果てしなく広い雲海がひらけた。遠くには、雲海を望むように日本アルプスが見えた。この辺りの景色だけでも「わぁ、きれい」と私たちは目を見張った。 間もなく5合目に着いた。「すごい」の一声だった。雪解けした所が紺色に、雪が残っている所は白というように紺と白で形取られた鮮やかな富士山が目の前に見られた。この雄大な日本一の山に私たちは今登っているんだという喜びに、胸がいっぱいだった。 みやげ売り場では、空気の缶詰など珍しい物がいっぱいだった。 私たちは、まだ富士山の素晴らしさを胸に、スバルラインをハイランドホテルへと下った。 宿に着くと直ぐ、遊園地で遊んだ。ジェットコースターやスリラー館に入ったが、話に聞いていたより恐くなく、むしろ面白かった。 3日目、「早く起きて見てごらん」という声に、目を覚ました。富士山が見えるというのだ。窓に寄ると、昨日登った富士山が、雲一つない朝日の輝く中に、絵に描いたような素晴らしい姿を見せていた。何という素晴らしい富士だろう。 朝食を済ませバスに乗る。いよいよ修学旅行も終わりに近づく。 山中湖、東京タワーと見学を終えて、特急会津号に乗った。疲れが出たのか、特急の中でうとうとしてしまった。 長かったようであっという間に過ぎてしまった3日間の旅・・・。その中でも一番印象的だった富士の山。この数々の素晴らしい思い出を私は一生忘れることができないでしょう。 _________________________________ 今朝の小浜は○晴れ模様○〜気温「3度」5名の先生方が着任しました!
この度の人事異動により、下記の5名の先生方が着任されました。
教頭 加藤 広明 教諭 伊藤 正浩 教諭 伊藤 高義 主査 本多 要子 講師 廣瀬 奈津子(4月6日からの勤務) 教職員一丸となって、「子どもたちのために」全力を尽くして参りたいと思います。よろしくお願いします。 昨晩の地震による影響はありませんでした!
昨日(1日(日))午後11時4分頃、浜通りで震度5弱の地震があり、二本松市は震度3でした。
今朝、校舎内外を巡視点検しましたが、地震による影響や異状はありませんでした。 「わが郷土」(小浜町)(昭和47年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 「わが郷土」(小浜町) 昔から、小浜には人が住んでいたらしい。 300年前のころの「上だけ」、今の成田の競石に、伊達輝宗が住んでいた。そして「下だけ」、今の小学校のあたりに、輝宗の子ども正宗が住んでいて、そのころの二本松城の畠山氏より力があったという。それから少したった明治20年頃、今の小浜町は、下長折村、上長折村、成田村、西勝田村、小浜村と5つの村にわかれていた。 そして、明治30年頃、5つの村が、合併したという。そのころの産物というのは、木や養蚕が特にさかんであった。今はそれに加わってたばこやいろいろな産物が作られるようになった。 また、公害問題などとさわがれている今、この小浜は、空気はいいし、公害や排気ガスなどがなく、環境にめぐまれている。これこそ都会の人々が求めている、ふるさとではなかろうか。それにともなって、この小浜を別荘の町にしたいと思っている。 _________________________________ 地域安全ヤングボランティア「リリーバーズ」隊員募集中「リリーバーズ」は、地域の安全のため各種犯罪や交通事故の未然防止及び少年の非行防止等の活動を積極的に行うものです。 応募資格など詳細につきましては、トップページ右側の<配布文書>の中の【スクールサポーターからのお知らせ】又は<配布文書一覧>をご覧ください。 スクールサポーター通信 No.17(幼稚園向)〜21(中学校向)先週末(3月30日(金))、スクールサポーターの星和夫様が来校され、スクールサポーター通信 No.17〜21(5枚)を持ってきていただき、新年度スタートに当り子どもたちの交通事故防止についての指導助言をいたさきました。 スクールサポーター通信の主な内容は、下記の通りです。 【No.17】<幼稚園向> ・ルール(きまり)を守る心を育てよう! 【No.18】<小学校向> ・犯罪・交通事故・災害から児童を守ろう! 【No.19】<中学校向> ・犯罪や非行から生徒を守ろう! 【No.20】<小学校向> ・道路には、危険がいっぱい! 【No.21】<中学校向> ・中学生のみなさん、こんな乗り方していませんか 【自転車安全利用五則】 詳細につきましては、トップページ右側の<配布文書>の【スクールサポーターからのお知らせ】又は<配布文書一覧>の中をご覧ください。 ☆新年度スタート☆(笑顔)いつも小浜中のホームページを応援していただき、ありがとうございます。 本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日(火)にスタートしました。 お陰さまで多くの方から好評をいただき、昨年度は、アクセス目標である13000件を大幅に超えることができました。(笑顔) 今年度も元気いっぱいの子どもたちの様子、学校のさまざまな取り組みを保護者・地域の皆さまに積極的に発信していきたいと思います。 なお、2011年度(平成23年度)に掲載された記事に関しましては、ホームページ左下の◇過去の記事「2011年度」メニューをクリックすると閲覧が可能となっております。 また、ホームページ右上のカレンダーを操作することで、過去の記事をご覧いただくこともできますので、ぜひご利用ください。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ |
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