最新更新日:2022/09/13 | |
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教室訪問から戻ってくると校長室でバッタが待って(?)いました!(笑顔)窓やドアを全開にしていたためか、校長室が居心地がよいためかバッタが外から入ってきたようです。人が近づいても動こうとも逃げようともしません。バッタを優しくつまんで外に放そうとしましたが、なかなか手から放れようとしません。校長室がよほど気に入ったようです!?(笑顔) 夏休み課題確認テスト(1・2年)・実力テスト(3年)に子どもたちは真剣に取り組んでいますプール再開はモニタリングの結果待ち自然豊かな小浜〜生徒昇降口前に野鳥が待っていましたアクセス数が☆28000件☆を超えました!(スタートして351日目)(笑顔)本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日にスタートしました。 スタートしてから351日目の昨日(27日(月))でアクセス数が☆28000件☆を超えました!(笑顔) 今年度のアクセス件数目標は『18000件』です。昨年度はアクセス件数が15000件(昨年度目標の13000件を超えることができました)でしたので、合計で<33000件>を目標にしています。(笑顔) 今年度のホームページは【日本一】を目指し、現在子どもも参加(作成)するホームページが進行中(<子どもたち自身が作るホームページ>をご覧ください)です。現在、保護者も参加するホームページ(<保護者からのメッセージ・コメント>をご覧ください)が進行中です。 これからもホームページの充実に努めて参りたいと思いますので、引き続きご覧いただきたいと思います。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「24度」今日も子どもたちが明るく元気よく登校してくるでしょう!(笑顔) 学校だより「おばま」第31号〜第33号を発行記事の内容は、下記のようになっております。 ○第31号 ・「さあ、2学期のスタートです!気持ちを新たに!」 ・「『いわしろ夏祭り補導』ありがとうございました」 ・「8・9月の主な行事予定」 ○第32号 ・「女子バレー部が県大会出場し善戦しました!」 ・「県中体連水泳競技に1年生の白岩さんと和田くんが出場し、和田くんが東北大会出場を果たす!(拍手)」 ・「県吹奏楽コンクールで吹奏楽部が最高の演奏をする」 ・「二本松少年隊に関する作品コンクールで3年生の前田さんが☆最優秀賞☆を受賞!(拍手)」 ○第33号 ・「夏休み中に校地内除染(表土除去)が行われ、放射線量が除染前の半分以下となりました!!!」 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 長澤先生からの熱いメッセージ2学期スタートに当り、新たなメッセージが次のように書いてあります。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 二学期スタート 今、大切なこと それは、具体的な目標です いじめのない学校にするために 学力向上のために 進路達成のために 新人戦で勝つために あすなろ祭を成功させるために 健康でいるために さあ、あなたはどうしますか? 今、真剣に考えなさい この夏、話題になったこと・・・・ やっぱり いじめのある学校って 最低ですね ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ このメッセージを見ると心が熱くなります! 「いじめはいつでもどこでも(誰にでも)起こり得る」という危機意識を持って、いじめ防止に全力で取り組んでいきたいと思います。 英語弁論の練習成果の発表が行われる体育館内に大きく響きわたる校歌♪本日行われた始業式でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、代五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 2学期始業式が行われ無事にスタートしました!(笑顔)始業式の中で、各学年代表の子どもたちからは、「夏休みの反省と2学期の抱負」について発表があり、2学期に向けて力強い抱負を述べていました。 2学期が無事にスタートしました!(笑顔) 校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあり、本日2学期のスタートに当り、新しい生花が飾ってあります。 この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 本校では、職員一人ひとりが「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践しています。この生花もその実践の一つだと思います。(笑顔) 2学期のスタート〜子どもたちは明るく元気に登校!(笑顔)当たり前のことが当たり前にできることは、とても素晴らしいことです!(笑顔) 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「24度」「短かった3年間」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 短かった3年間 短かった3年間、そんな日を過ごしてもう3年。長いようで短かった3年間。その3年間の中にいろいろなことが頭の中にびっちりと残っている。入学の時に校長先生に「初心を忘れずに」と言われて、自分は中学校というところがとても厳しいように思えた。 1年の時は、何も知らないでただ遊んだりしていた。初めて「中学校ってこんなところ」と思って、1年が過ぎてしまった。 2年生になるとだんだんと学校というものが分かってきた。生徒会や奉仕委員会などいろいろなことが分かってきた。そして、2年生になって出版委員長として、毎月1回新聞を出すことになっていたはずだが、出さずに失敗に終わった。そして、2年の後半、セミナーやテキストがだんだん増えてきた。2年生が一番早く終わったみたいに感じた。 そして3年生、「3年生ってテストばかりでおもしろくない。」なんて先輩が言っていたけれど、そうは思わなかった。3年生の初めは、2年生とはあまり変わらなかったけれど、8月になって進路のことについての面接やテストなど、だんだん苦しくなってきた。その時は「3年は嫌な生活」と思った。早く卒業したいとも思った。そして今は卒業したいなんて思わなくなってしまった。今が楽しい。 _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「23度」「中学校生活」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活 中学校に入学してから3年、もうその3年が終わろうとしている。小学校生活に別れを告げ中学校生活に心弾ませながら入学、慣れない中学校生活によくいろいろ悩んだりもしたし、一方大人になったような感じで気持ちがよかった。1年の時は菊作りもした。夏休みも交代で水やりに行った。これも忘れられない思い出の一つだ。2年の時は、何と言っても「キャンプ」が楽しかった。私にとっては初めての体験だった。なのでいつまでも忘れることができない。3年になってからは、目の前を何もかもが早く通り過ぎていってしまった。でも一つ一つ考えれば、どんなことでも思い出としてよみがえってくるのである。私は、これから苦しいことなどあったら、中学校生活を思い出して乗り越えようと思っている。 _________________________________ 「つり」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ つり 僕はつりが大好きです。川の水につり糸をたれて、じっと浮きを見ていると、浮きが水の中に引き込まれます。つりざおにぐっと手応えが感じられます。この時僕はとてもどきどきします。 糸の先でおどっている魚を見た時が一番うれしい。つった魚は池に放しておきます。 先日は、コイをつりましたが、その大きさは50センチもありました。つり上げた僕自身驚きました。これからも魚つりをしていきたいと思っています。 魚をつっている人を見たら、僕を思い出してください。 _________________________________ 「3年間の中で」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 3年間の中で 1年の時の入学式から、今までが早く過ぎて行くように感じられた。まず、1年生の時は野球部に入部したが、苦しかった時も楽しかった時もあった。だが、自分はそれに耐えていくだけの力はあった。そして、2年に進級して新人戦があった。その新人戦で優勝をした。また、3年になって間もなく修学旅行があったが、それに続いて中体連で1戦1戦勝ち進んでいったのである。だが、決勝戦で二本松二中に敗れはしたが、県北大会出場権を得たのである。それからというものは、練習がいっそう厳しくなった。そして、飯坂球場で、第1戦、北信中と戦って敗れはしたが、全力を尽くして敗れたのだから悔いはないと思った。 _________________________________ <子どもたち自身が作るホームページ>(夏休み前に子どもたちが記事を作成)を適宜掲載中〜ぜひご覧ください!記事は夏休み前に作成したものなのでやや新鮮度に欠けるかもしれませんが、子どもたちの新たな視点で学校を紹介(子どもたちが撮影した写真付き)しておりますので、ぜひご覧いただきたいと思います。(笑顔) 子どもたちが作成した記事は、トップページ左側の【カテゴリ】の<子どもたち自身が作るホームページ>をクリックすると今までの記事がご覧いただけます。 |
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