最新更新日:2022/09/13 | |
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初めての★給食試食会★が開かれ、8名の方に参加いただきました!この『一日自由参観デー』にあわせて、初めての★給食試食会★(メニュー:ポークカレーライス・甘夏かんのサラダ・福神漬け・ヨーグルト・牛乳)を開きました。8名の方に参加いただき、試食は子どもたちと一緒に教室で食べていただきました。普段のクラスの給食の様子をご覧いただけたかと思います。 給食試食会に参加された方々に感謝申し上げます。 なお、当日の給食の詳細につきましては、トップページ左側の【カテゴリ】の中の<今日の給食>の中をご覧ください。写真入りで掲載してあります。 「入学式から卒業式まで」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 入学式から卒業式まで 4月4日それは、僕達が、心うきうきした入学式の1日だった。 友達には、父や母がついてくるが、僕には来なかったのが心に残る。しかし、そんなことなどは、1学期が終わる頃には、吹っ飛んでしまった。 こうしているうちに、楽しかった1年間は終わり、その中には、苦しかったこと、うれしかったことなどいろいろあった。 そして、2学年になり、出版部で活躍しない方が多かったのである。このころは、まだ進路は決めてはなく、どこに進学するか、どこに就職するか、よく母と話し合ったり、また、よくけんかもした。そのころは、よく反抗もした。言うことを聞くのは、自分の都合のいいことばかりだと、よく母はこぼしていた。 そんな、ことばかりしていた2学年、こんなことばかり頭に浮かんできた。 そして3年生、進学、就職を先生にうるさく言われても、何にも感じなかったが、テストが多くなるにつれて意識した。がんばろうと思ったのは1回もなかったが、テストの前日は一夜漬けが多かった。そんなことをしているうちに、とうとう卒業式をあと少しに迎えるのであった。 _________________________________ 「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活の思い出 入学式で自分の名前が呼名されてから、もう3年間が過ぎて卒業だ。本当のことを言うと3年間を省みてズバ抜けておもしろかった学年はありませんでした。しかし、友達や先生、授業や部、それにクラブ活動などの学校生活で楽しかったり自覚したことはたくさんありました。 その中でも自分が特に良かったと思うことは、友達とのつき合いが予想以上に有意義だったことでした。それは、たくさんの人と親しくなり、親友やいろいろな面でライバルができたということでした。スポーツで競い合ったり、勉強などではわからない問題があると「あっ!!ここ、ここはこうすればいいぞ。」なあんて言って教え合いました。シャレを言ったり、気にならないアダナで呼び合うということは楽しいものでした。 また、僕は友達から飛行機を画くのがうまい、と言われてよく画いてあげましたが、それはどれも第2次世界大戦で活躍した戦闘機ばかりだったので、そういう面では「戦キチ」なあんて言われてこともありました。 このようなことから、忘れたくないできごとやたくさんのことを経験させられました。 _________________________________ 「気ままなエッセイ」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 気ままなエッセイ 青春とはいったい何だろう その答えは 人それぞれで違うだろう ただ一つ これだけは言えるだろう 僕達は 大人より時間が多い 大人より 多くの時間を持っている 拓郎と僕、僕とタクロー 僕の中学時代の大きな転機に、フォーク・ソングという大きなものとの出会いがある。おそらく、現在の僕には、フォークとやらを聞きあさった者としての要素をたっぷりと含んでいると思う。 事実、フォーク、特に「巨匠、拓郎」との出会いは、僕を別な人間に仕立て上げてしまった。 藤村の詩もいいが、それ以上に拓郎の詩の方が僕にはマッチしているという感じで、ストレートにハートに伝わってくる。 吉田拓郎氏、大した人間です。 _________________________________ 『出陣式』での★サプライズ★〜◇教員だけによる特別応援!◇そこで、本日の出陣式で、★サプライズ★(子どもたちは誰も分かっていませんでした)として、◇教員だけによる特別応援◇をすることにしました。壇上に3名の教員が上がり、残りは全員子どもたちの前に一列に整列し、更に自由参観デー来校していたPTA会長様にも混ざっていただき、各部に熱いエールを送りました。 子どもたちは、この★サプライズ★に驚き、感動していたようです。 そして、教員の熱い応援に対し、各部の子どもたちが大きな声で「お願いします!」「ありがとうございました!」と応えていました。 自由参観デーで来校していた方々も感動していたようです。 正に、子ども、教員、保護者が一体となった瞬間でした! 日本一の応援だったと思います! 危機回避能力を高めよう!(スクールサポーター通信から)本日、スクールサポーターの星和夫様が来校され、『スクールサポーター通信』を持ってきていただき、不審者による”声かけ”や”強制わいせつ”の被害を未然に防ぐために危機回避能力を高めることの大切さなどについて指導をいただきました。特に、子どもたちに、学校や自宅から一歩外に出たら「自分の身は自分で守る!」という意識を持つことが大切だと強調されていました。 詳細につきましては、トップページ右側の【配布文書】の中の<スクールサポーターからのお知らせ>にある『スクールサポーター通信 第24号(小学校)』『スクールサポーター通信 第25号(中学校)』『スクールサポーター通信 第26号(幼稚園・保育所』をご覧ください。 学校だより「おばま」第18号を発行記事の内容は、「今週(5/28〜6/1)の本校の空中放射線量」「小浜元気プロジェクトの一環として、全校生による『第1回ボランティア活動』(校舎内清掃)が行われる〜子どもたちは素晴らしい取り組みでした!」「プールサイドの除染が始まりました」「学区内で不審者事案が発生しました(ご注意を!)」「古紙回収へのご協力ありがとうございました!(感謝)」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「13度」長澤先生からの熱いメッセージ新たなメッセージは次のように書いてあります。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 宣誓 私たち小浜中生一同は スポーツマンシップにのっとり 母校の名誉に懸け 正々堂々戦うことを誓います 平成二十四年六月五日 小浜中生一同 スポーツマンシップ 公正なプレーを尊重し、相手の選手に 尊敬や賞賛すること 母校の名誉 伝統ある小浜中の代表である意識 正々堂々 今までの練習と、自分を信じ、自信を 持って戦うこと いよいよ中体連 「練習は裏切らない」 「あきらめからは、何も生まれない」 を心にとめ 精一杯戦ってきなさい ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ このメッセージを見ると心が熱くなります! 6月5日(火)〜6月6日(水)に行われる安達支部中体連総合大会での子どもたちの活躍を大いに期待します!(期待)(笑顔) 校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあり、本日、また新しい生花に入れ替わっています。 この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 小浜の名物?の蜘蛛(くも)の巣本校では環境整備委員会の活動計画の中に、「くもの巣取り」があります。くもの巣のピークは8〜9月ですが、それだけいろいろな虫たちがいて自然が豊かなのだと思います。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「12度」今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「14度」今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「13度」学校だより「おばま」第17号を発行記事の内容は、「日本一のホームページを目指しています!」「生徒会の古紙回収の目標は★3.81t(トン)★〜子どもたちのためにご協力を!〜」「28日(月)から教育実習(2名)が開始されます」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 吹奏楽部の♪生演奏♪による朝会の入退場♪学校だより「おばま」第16号を発行記事の内容は、「地域安全ヤングボランティア「リリーバーズ」隊員証交付式に本校から6名の子どもたちが参加しました!」「6月1日(木)の『自由参観デー』(8:35〜15:30までいつでも自由に参観できます)にぜひお越しください」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「13度」「思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 中学校に入学して、早くも3年の月日が流れた。飾り付けられた体育館で、担任の先生に名前を呼ばれて、席を立ったのが、ついこの間のことのように思われる。 長いようで短い3年間だった。やはり、一番の思い出は、キャンプのようだ。2年生の時は猪苗代湖、3年生の時は鹿島町にある右田浜、2年生の時は食事の用意をしたが、3年生の時は食事の用意がなかった。その分、海で思う存分泳いだり、遊んだり、中学校最後の催し物だと思ったら、張り切らずにはいられなかった。 赤々と燃え上がるキャンプファイヤーを囲み、肩を組み合い、みんなが一つになって歌った時の感動を、今も忘れずにいる。こんな時、友達っていいなってしみじみと思った。フォークダンスもした。父兄や先生方、踊れないのに輪に加わって足を踏み踏み大奮闘!キャンプの時のいろいろな光景が、まぶたの裏によみがえる。楽しかった、あの時は―。 私は、よりよい多勢の友人を持ち、よりよい先生に恵まれて3年間を過ごしてきた。時には、けんかをし、悪口を言い、また時には、喜び、悲しみをわかちあい、大声で笑い、大声で泣き、3年間を共に過ごした彼らに心から感謝したい。私と共に歩んできた彼らに―。 _________________________________ 「部活動を通して」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 部活動を通して 今、この3年間を振り返ってみて思い出らしきものは、部活動を通してである。 よくもこんな女の腐った(友達の一人がそう言った)ような俺が、3年間もよく続けられたと思うと、我ながら感心する。だが、その間にもいつくかのトラブルはあった。特に一番大きかったのは、2年の時、ブラスバンドが出来るという頃であった。この頃の俺は、ノックをすればエラーをするし、バッティングはまるで駄目であったので、いっそブラバンにでも入ろうかと思った。しかし、それはできなかった。何故かはわからない。自分の本心がそうさせなかったのかも知れない。 そして、中体連がやって来た。俺は、思いもよらぬ程の好調子であった。しかし、そんな俺にも運は尽き、左腕を骨折し退場した。俺の夢だった県北大会出場は破れてしまった。 それからの2ヶ月というものは、左手の自由がきかず、ずいぶん不自由をした。俺の好きなスポーツも全然といっていいほどできなかった。 でも、これも中学時代の思い出の一コマとして心に止めて置きたい。もし、忘れたとしても、この文章を読むことにより、うっすらと思い出すことだろうと思う。そして、その頃の自分をなつかしく思うことだろうと思う。 _________________________________ |
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