最新更新日:2022/09/13 | |
本日:1
昨日:8 総数:240311 |
校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆玄関付近や階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあり、本日、また新しい生花に入れ替わっています。 この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 本校では、職員一人ひとりが「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践しています。この生花もその実践の一つだと思います。(笑顔) 吹奏楽部の♪生演奏♪による朝会の入退場♪今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「19度」「思い出と希望」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出と希望 この3年間を振り返って思い出してみると、悲しかったことや辛かったことばかりになってしまう。別に楽しかったことがなかったわけでもないのに・・・。長いようで短かった3年間、辛くまた楽しかったことは、やはり部活動だったと思う。 辛かった練習、そして中体連安達郡方部で優勝し県北大会へ出場できた。県北大会では3位で終わったが、郡で優勝できたことは嬉しかった。その時、初めて今までやってきて良かったという実感が出てきた。 私は、これからの道を今までの生活で得た良いことをもとにし、強く正しく生きたい。 _________________________________ 「小熊ちゃん」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 小熊ちゃん あれは、私が小学2年生の頃でした。私達の担任の先生は、小川先生でした。 小川先生は、私の手を見ると、「順子ちゃんの手は熊の手みたいだね。」と言った。 それからは、私は熊というあだ名になった。その頃は、熊と言われるのが嫌で嫌でしかたがなかった。でも、今ではそのあだ名が嫌いではない。逆に、可愛らしい良いあだ名だと思うようになってきた。 そして、このあだ名が今も続いている。このあだ名は、一生忘れることのないあだ名になるかもしれないと思う。 今は、このあだ名を生かしてマンガを書いたりしている。 _________________________________ 【お願い】学校に車でお越しの際は、子どもたちの安全のため校門付近は◆最徐行運転◆をお願いします!誰もが「まさかこんなことが・・・」と思ったことですが、どの学校でも起こり得ることだと思います。 本校は、車で校門に入る際、校門付近の垣根によって見通しが良いとは言えません。道路から左折又は右折して校門に入ったら、突然人が居た(歩いていた)り車が止まっていたりすることが考えられます。そのため、どんな状況でも直ちに車が停止できるように、校門に入る前から◆最徐行運転◆をお願いします。 子どもたちの安全安心のためにご理解とご協力をよろしくお願いします。 「思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 毎日カバンを背負って通ったこの3年間、とても楽しかった。「入学式」それは中学生活の第1日目、初めてセーラー服を着て、校門をくぐったその時を、私はこれから一生忘れることはできない。でも卒業間近になった今、3年という長い年月が短く感じられる。今まで親しくしていた親友たちと別れるのかと思うと、悲しさが満ちあふれてくる。みんなと過ごした修学旅行、学校祭も終わってしまった。楽しいことは終わってしまい、これからやってくるのは勉強だけだ。嫌だと言っても、そんなことは許されない今、悩んでいる暇もない。でも後悔はしない。自分で探した自分の道だから。その道を、私は一歩一歩歩み始めている。自分で切り開きながら。 _________________________________ 「中学校生活の思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活の思い出 私の中学校生活の思い出は、やはり合唱祭のことです。小学校では合唱祭というものがなかったので、私は合唱祭というのは歌を歌えばよいのではないかと思っていました。そのうちどういうものか分かってきた。休み時間も放課後も自習の時間も練習をしました。 その結果、1年生で1位と取りました。2年になり組替えをして、私は2年2組になり合唱祭が近づいてきて、やはり1年と同じように休み時間も放課後も自習の時間も練習して、また良い成績で1位と優秀賞を取りました。3年生になって音楽の時間にモルダウの歌を勉強しました。この曲が課題曲です。それから学級で自由曲を決めて練習に入りました。そして、やはり1、2年と同じように練習を続けて、ついに合唱祭が来ました。もう歌う前からドキドキしていました。それから合唱祭が終わり、時間が余ったので教室へ戻りました。その結果、最優秀賞を取った。とても嬉しかった。この合唱祭は、中学校生活では1番の思い出になります。 _________________________________ 学校だより「おばま」第26号を発行記事の内容は、「今週(7/1〜7/6)の本校の空中放射線量」「現在、プールは再開予定で検討しています!〜後日(夏休み明け)文書でお知らせいたします〜」「☆☆星に願いを☆☆<小浜元気プロジェクト>」「安達支部中教研社会科部会授業研究会(第1学年の社会科)が本校で行われる」「【お願い】学校に車でお越しの際は、子どもたちの安全のために校門付近は最徐行運転をお願いします!」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「21度」今朝の小浜は△曇り空△〜気温「21度」声かけ事案等の被害を防いで夏を楽しもう!(スクールサポーター通信から)本日、スクールサポーターの星和夫様が来校され、『スクールサポーター通信』を持ってきていただき、最近市内小学校で不審者事案があり、防犯教室の経験が生かされ小学生が的確に対応し大事に至らなかったことで、常に不審者に対するイメージトレーニングをすることが咄嗟の時に対応できること、夏休みは不審者事案が増えるので注意することなどについて指導をいただきました。特に、子どもたちに、身の危険を感じたら直ぐに回避行動をとることが大切だと強調されていました。 詳細につきましては、トップページ右側の【配布文書】の中の<スクールサポーターからのお知らせ>にある『スクールサポーター通信 第27号(小学校)』『スクールサポーター通信 第28号(中学校)』をご覧ください。 安達支部中教研社会科部会授業研究会(本校の第1学年の社会科)が本校で開かれるどの先生も子どもたちの素晴らしさを褒めていました!(笑顔) 小浜の名物?の蜘蛛(くも)の巣がパワーアップ!?濃霧注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [発表]濃霧注意報 濃霧 注意期間 4日未明から 4日昼前まで 視程 100メートル以下 _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「19度」学校だより「おばま」第25号を発行記事の内容は、「6月29日(金)に第3学年を対象に国際大学の支援・協力で<ともしびプロジェクト>(第2回目)を実施」「1日(日)の授業参観にお越しいただきありがとうございます」「2人の講師(女性運転手・男性保育士)をお招きして「職業について学ぶ」(第2学年)を開く」「授業参観日に『吹奏楽発表』が行われる」「授業参観日に『ノート展示会』(全校生)を実施」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「20度」「あの日 あの時」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ あの日 あの時 私のこの思い出は、いつまでも忘れられないし、思い出すと悔しくなる。 それは中学1年の12月頃だと思う。今でも昨日起こったことのようだ。その時間はクラブの時間で、私は図書館の下の階段の所で友達と話をしていた。その時、窓ガラスに背中が触れたのか、ガラスが離れて下に落ちていった。アッという間にガチャンという音を立てて割れてしまった。その時、男の人たちが大声を出して「割った!割った!」とさわいだ。私は恥ずかしかった。 確かに私が割ったのかも知れないけど、そのガラスもテープでねばしてあったし、ガラスを支える板も取れていた。私達が、先生への説明が悪かったのか、勝手に割れてしまったととられた。先生が職員室で私達のことを話したのか、先生が私達の教室にまで来てそんなことを話していた。その度に胸の奥がズキンとくる。初めて学校でガラスを割った私には涙がにじみそうだった。 これが私の中学校へ来て忘れられない思い出です。 _________________________________ 「中学生の思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学生の思い出 私は、今こうやって中学生になってからのことを考えてみると、3年間の間には、懐かしい思い出が、楽しかった思い出などが頭の中に浮かんでくる。 1年の時のことは、2年も前のことでも一層懐かしく頭の中に浮かんできます。1年の頃はよかった。勉強のことなんかあまり考えず、のん気だった。あの頃は夢を持って中学校に入学してきたのに、今考えてみると、どこかで変わっていた。こうして考えてみると、3年間は長いようで短かった。 中学校で1番頭を痛めるのは、やはりテストです。テストの日が近づいて来ると、何から手をつけてよいかわからなくなってしまう。中間テスト、模擬テストなどがありますが、その結果が出るのが嫌でした。 やはり3年間を通して修学旅行が1番思い出に残りました。2番目は校内合唱祭で最優秀になったことなどいろいろありましたが、これからも思い出に残るように、残り少ない中学校生活を楽しく過ごしていきたいと思います。 _________________________________ |
|