最新更新日:2022/09/13 | |
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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 中学校に、新たな気持ちで入学 ○桜咲く 校門入り 胸張りて やるぞ意気込む 心中にあり 初めて受ける授業に、期待がわいてくる。授業を受けるのが待ち遠しく「どんな先生かな。」と、ちょっと不安でもあった。英語は「どんなかな。」それも不安だったが、それよりも期待が大きく不安なんて吹っ飛んだくらいだった。こんな気持ちで、1年はすぐ終わってしまった。 2年生になった。遊んでばかりいた。1日が終わり家に帰っても復習などやったことがない。こんなことをしていたのでは、テストの順位も上がるはずがない。 3年生になった。修学旅行の思い出は、夜、枕ぶつけをして眠れなかった。動物園では、だれ君に似ているなどと言ってからかい合いながら見学して回った。 あ!という間に1学期が過ぎ2学期になったら進路について忙しかった。 こんなことが、僕の3年間だった。 ○苦楽あり 3年間の 思い出は 長いようだが 短かったな _________________________________ 「クラブ活動」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ クラブ活動 私は、1、2年と茶道クラブに入っていました。なぜ私が『ガラ』にもなく茶道クラブなんかにと思う人もいるでしょう。私も初めは、おもしろ半分位にしか思っていなかったと思います。それにテレビなんかで、お茶をたてている所などを見て一度あんな事をやってみたいと思ったのも入った理由の一つです。 数日後、入学以来初めてのクラブの日、驚いたことに、私の入ったクラブの人数はたったの7人でした。他のクラブは人数が多くてジャンケンまでして入った人もいるのになんと情けない。それに先生も華道・茶道と二つにかけもちであっちへ行ったりこっちへ来たり忙しかったろうと思います。人数が少ないせいもあって先生や先輩にみっちり教えてもらうこともできました。そのせいか『メキメキ上達』ということもありませんでしたが、一応の事はできるようになりました。 それから夏休みには先生の家へみんなで行ったこともありました。でも、私はなんでもすぐ飽きてしまうので『お茶なんか習ってもだめだ』なんて言われたこともありましたが、こんな私でも1年間やることができました。残念なことに私が入ってから3年目に前にも書いたように人数が少ないので茶道クラブはなくなってしまいました。 でもできることならこれからも私は続けるつもりです。 _________________________________ 学校だより「おばま」第24号を発行記事の内容は、「今週(6/25〜6/29)の本校の空中放射線量」「岩代ロードレース大会に13名の子どもたちが参加」「第1・2学年で『歯磨き教室』が行われる」「7月1日(日)の授業参観にぜひお越しください」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあり、本日、また新しい生花に入れ替わっています。 この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 本校では、職員一人ひとりが「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践しています。この生花もその実践の一つだと思います。(笑顔) 猫も居心地がよい小浜中!?今朝の小浜は△曇り空△〜気温「16度」校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあり、本日、また新しい生花に入れ替わっています。 この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 本校では、職員一人ひとりが「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践しています。この生花もその実践の一つだと思います。(笑顔) 今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「14度」廃油口の蓋を新しいものに交換しました本日、新しい金属性蓋に交換することができましたので、現場への立入り禁止を解除いたします。 これからも子どもたちの安全安心のために最善を尽くして参りたいと思います。 今朝の小浜は◎快晴◎〜気温「11度」今朝の小浜は◎快晴◎〜気温「11度」「人生の選択」(朝会での教師の話)本日の教師の話は、第1学年主任の遠藤知先生です。 話の内容は、将来花屋になろうと思っていて、大学時代に花屋でバイトしていろいろ学んだこと、その後教育実習に行って教員になるという進路の選択したこと、自分で選択したことには頑張れることなどについてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 中体連県北大会の表彰伝達を行う県大会での活躍に大いに期待したいと思います。 吹奏楽部の♪生演奏♪による朝会の入退場♪小浜の名物?の蜘蛛(くも)の巣が雨に濡れクッキリと今朝の小浜は△曇り空△〜気温「14度」岩代ロードレース大会に子どもたち13名が参加子どもたちは、第7部(中学生1年男子)で第1位、第17部(中学生1年女子)で第2位を始めたくさんの入賞を果たす活躍を見せました。入賞おめでとうございます!(拍手) 子どもたちの活躍はとても素晴らしかったです!(笑顔) 「別れ」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 別れ 別離・・・・・ それは だれもが 必ず味わう 人生の宿命であろうか そして その悲しみを乗り越えて 成長していくのだ しかし・・・・・ 青春の日の つらい別れは 大きなきずあとを 残すかもしれない _________________________________ 「思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 入学してから、もう3年が過ぎようとしている。いろいろなことがあった。 私はソフト部に入っていた。成績が下がったと言って、部をやめたこともあった。でも結果は、部をやめたから成績が上がったというようにうまくはいかなかった。そのことがやっとわかり、また親友部員として入部させてもらった。 練習は、とてもつらかった。いつも家に着くのは、夜の7時頃になっていた。いつも汗をビッショリかいて練習に励んでいた。これも中体連の優勝のためだった。出場した以上は、やっぱり優勝したい・・・・・。 私達ソフト部員は、一致団結して試合に臨んだ。1回戦ではどうにか勝てたが・・・準々決勝で惜しくも負けてしまった。負けてしまった時には、みんな悔し涙を流したが、今では中学校生活での最高のよい思い出となっている。 _________________________________ 「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 3年間の思い出 私たちの楽しかった中学生時代も、もう少しで終えてしまおうとしている。この3年間を振り返ってみると、いろいろなことが頭に浮かんでくる。その中でも、最初に頭に浮かんでくるのは、一生懸命に剣山に花をさしたことだ。 花をさしている時は、今までの嫌なこともみんな忘れることができた。花にもいろいろな種類がある。例えば、正月の花、床の間に飾る花もある。その他にもいろいろな花がある。自分でどうやったらよいか分からない時には、人の真似をした時もあった。何時間も経った後、人を頼りにしないで自分一人でやった。やはり自分で自分のをやるのは、とても良い気分だった。 「人を頼りにしてやるより、自分でやるのが、大人になっても自分のためになるからだ。」 _________________________________ |
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