最新更新日:2022/09/13 | |
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「私とバスケットボール」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 私とバスケットボール 何と言っても1番思い出として残ることは部活動のことだ。私はバスケットボール部に入っていた。先輩から誘われて、兄2人も入っている部に興味を持ち、入ることにした。 バスケットはとても体力を使う。だから、活動が終わった時はかなり疲れる。試合の時などはなおさらだ。 私自身とても上手とは言えないし、後から入った人にも負ける。悔しくてたまらない時もある。でも、それも今から思うと楽しい思い出だ。 スポーツは体力増進の助けにもなるし、心を育てるものだ。バスケットもなおさらだし、他の部ももちろん言えると思う。さらにもっと大切な友情を育てると思う。この学校の人とも、他校の人とも、男女問わず友情を分かち合うことができた。そのこともとても嬉しい。 試合に出る限りはシュートをして入れたい。しかし、それは苦手な社会で100点取ることよりも難しい。でも、シュートが入った時はとても嬉しい。 この先一生やらないで終わるかも知れないけれど、絶対に忘れることはないと思う。 _________________________________ 「中学校の思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校の思い出 今までにいろいろなことがあったけれど、1番思い出に残っているのは修学旅行といも煮会だ。 修学旅行で想い出に残ったのは、いろんな所を見られたし、旅館に着いてからみんなで騒いだり、食べ物を食べたり、テレビを見たりして遊んだことだ。その中でも1番よかったのは飛行場だ。いつも自分の家の上を飛んでいるのを見ているだけだったけれど、本当に直ぐそばに行って見たのは初めてで、ずいぶん大きいなと思ったりしたことだ。 嫌だったことは、マラソン大会や陸上競技大会などだ。体育の時間など、走らされたりして苦しかったこともあったけれど、みんなやっぱりいい思い出ばかりだ。でも、たまに友達とケンカしたり口をきかなかったりしたこともあった。そんな思い出も今のいい思い出だ。 _________________________________ 12月29日(土)〜1月3日(木)は閉庁となります!「中学校生活を通して」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活を通して 中学校へ入学してから、ふと過ぎてしまおうとする3年間。いろいろな思い出が心の中からゆっくりとずっしりと込み上がってくる。 初めて制服に手を通した時の感触はとてもすばらしいと思い、中学生だと自覚したこともあった。でも、1番心に感じることは部活動についてである。1年生の時、何のとりえもない私はテニス部に入部しました。最初はボール拾いから始め、時が過ぎるにしたがって上の段階へと進んでいきました。そして、選手として選ばれました。ここまで来るにはいろいろな苦労がありました。部を辞めようなどと思ったこともありました。でも、辞めずに過ごした理由は「テニスが好きだ」ということだと思うのです。そして、また部活動を通して忍耐力が付いたと思います。その忍耐力は勉強、その他にも関連していくと思うのです。 友人との交流についてもいろいろあります。言い争いもしました。憎しみ合ったりもしました。仲直りなんて時間に任せた時もありました。 こんないろいろなことについて、私の中学校生活は充実していたと思います。この思い出はいつまでも忘れないと思います。 _________________________________ 冬休み中、【水道管の洗浄作業】が行われています〜3学期から更に美味しい水が飲めます!(笑顔)小浜の今朝の冷え込みは更に厳しく、プールはガチガチのスケートリンク状態!(寒)「わたしが考えるふくしまの未来」作文コンクール表彰式で菅野さん(3年)が福島県知事様から直接表彰を受けました!(拍手)(笑顔)既に学校だより「おばま」62号でお知らせしたとおり、【作文部門】に応募した本校の菅野さん(3年)の作文が見事☆☆優秀賞☆☆に輝きました! (拍手)(笑顔) その表彰式が12月26日(水)に福島県庁で行われ、福島県知事様より直接表彰を受けました!(拍手)(笑顔) 以下に菅野さんの入賞した作品を紹介します。 _________________________________ 魅力ある福島を取り戻すために 二本松市立小浜中学校 菅野 昨年の3月11日、東北に大きな地震と津波が襲い、甚大な被害をもたらした。誰も体験したことのない、未曾有の出来事だった。そして、この震災と同時に原子力発電所の事故が起こり、放射能物質がまき散らされた。それが福島の復興を遅らせているといえるだろう。元の魅力あふれる福島を早く取り戻すために私達はどうするべきなのだろうか。 福島は、春は花見、夏は海水浴、秋は紅葉狩り、冬は雪見を楽しむことができる、本当に魅力的なところである。震災前は、自然が豊かで美しい福島も、一年を通して多くの人々が観光に訪れていた。震災後の福島も、自然が豊かで美しいけれど、観光客の数は減り、私達も自然にあまり触れることができなくなった。それに、米や野菜を買う場合、震災前は迷わず福島県産のものを買っていた。しかし、今は放射能のことを心配して、他のところで作られたものを選んだほうがいいのだろうか、と少し迷ってしまう。だが、私は今もできるだけ地元で作られたものを食べるようにしている。なぜなら、放射能の事を気にしておいしい野菜を食べないのはもったいないからだ。また、震災の被害を大きく受けた場所で農業を営むことは、容易なことではない。しかし、農業従事者達は、そういう厳しい状況の中、野菜などを生産し続けている。彼らは、震災の被害に決して負けないという強い心とふるさとを愛する心を持っていると思う。そして、消費者達は、彼らのそのような心を理解するべきだ。私は、彼らが生産したものを食べることで、被災地を応援できると思う。以前、テレビのコマーシャルで「食べて応援しよう」と言っているのを聞いて、そう思った。 現在、福島は、放射能の影響で、思うように復興が進んでいない場所も多く、解決が困難な問題を多く抱えている。そして、そんな中で、未来への希望を見つけられず、笑顔を忘れてしまっている人も少なくない。しかし、そんなときこそ明るい未来を信じ、夢に向かって進んでいこうという前向きな気持ちを持たなくてはいけないと思う。どんなときでも笑顔を忘れず、みんなで声をかけ合い、支え合わなければいけないのだ。私は将来、医者になり、多くの人を助けたいと思っている。そしてたくさんの人を笑顔にしたい。私は、どんなことがあってもこの夢をあきらめずに、必ず実現したいと思う。 つらいことがあっても決して夢や希望を捨てないこと、みんなで支え合うこと、そして笑顔を忘れないこと。それが、今を生き、福島の未来を担う私達に求められているものだと思う。一日も早く元の魅力ある福島を取り戻すことができるよう、みんなが笑顔でいられる福島をつくることができるように、日々努力していきたい。 _________________________________ 乾燥注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [発表]乾燥注意報 乾燥 注意期間 28日まで 実効湿度 60パーセント 最小湿度 40パーセント _________________________________ 校地内の垣根には◇霜◇(寒)今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー3度」インフルエンザやかぜの予防のため、お子さんに「手洗いとうがい」の励行を!特に、3年生は大切な受験を迎えますので、インフルエンザに罹患しないよう十分に注意する必要があります。 学校ではインフルエンザやかぜの予防のため、「手洗いとうがい」を励行してきました。冬休み中もご家庭でお子さんに「手洗いとうがい」を励行させていただきたいと思います。 国立感染症研究所やインフルエンザ情報サービスのホームページ等を参考に、インフルエンザについて掲載しますので、ご理解の上、お子さんに指導いただきたいと思います。 【インフルエンザとかぜの違いは?】 インフルエンザとかぜとは、原因となるウイルスの種類が異なり、通常のかぜはのどや鼻に症状が現れるのに対し、インフルエンザは急に38〜40度の高熱が出るのが特徴です。さらに、倦怠感、筋肉痛、関節痛などの全身症状も強く、これらの激しい症状は通常5日間ほど続きます。また、気管支炎や肺炎を併発しやすく、重症化すると脳炎や心不全を起こすこともあります。 【インフルエンザの流行時期は?】 インフルエンザは12〜3月に流行(流行のピークは、例年1月下旬から2月初旬)します。これは、温度が低く乾燥した冬には、空気中に漂っているウイルスが長生きできるからです。また、乾燥した冷たい空気で私たちののどや鼻の粘膜が弱っていることも原因のようです。 【インフルエンザの感染様式は?】 通常のかぜのウイルスの感染様式は、特に手から手による接触感染の頻度が高いといわれています。それに対して、インフルエンザウイルスは患者のくしゃみや咳、痰などで吐き出される微粒子(飛沫) を介して感染する「飛沫感染」が中心です。 【インフルエンザにかからないようにするには?】 ・予防接種を受ける ・栄養と休養を十分にとる ・人ごみを避ける ・適度な温度、湿度を保つ ・マスクを着用する ・手洗いとうがいをする 等 【家族がインフルエンザにかかった時に、気をつけることは?】 ・患者はマスクをする ・うがい、手洗いをする ・時々部屋の空気を入れ換える ・部屋の湿度を適度(50〜60%)に保つ 等 【インフルエンザにかかったら?】 水分や栄養をとって安静にすることはもちろんですが、普通のかぜとは違いますから、熱が出たらできるだけ早く病院に行って治療を受けてください。 【予防接種を受けてもインフルエンザにかかることがあります!】 防接種を受けることでインフルエンザにかかりにくくなり、かかっても重くならなくなります。しかし、流行した型が違う場合など、 100%かからないわけではありませんから注意が必要です。 「ともだち」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ ともだち 初めて中学校に入った時は、「何て大きなきれいな学校だろう」と思った。今ではどんな見方をしても大きくは見えない。しかも小さく見えてしまう。 制服を着たみんなの顔が、とても新鮮に見えた。今ではこどにでもある石かカボチャに見える。(ゴメン)でも、もう少しでみんなと別れてしまうのかと思うととてもきれいに見える。 本当にもう少しでお別れだ。9年間ずっと一緒だった友だちが、もう少しで高校へ行くようになり、遠くへ就職してしまうようになる。そうなるともう会えなくなってしまう。もしかすると38人全員が一緒に会える日はないかもしれない。そう思うととても悲しい。でも、どんなに遠く離れていても友だちは友だちなんだもん! みんなと一緒に居られる日はもう少ししかない。だから、1日1日を大切にしていこうと思う。 _________________________________ 小浜の今朝の冷え込みは厳しく、プールはスケートリンク状態!(寒)今朝の小浜は◎快晴◎〜気温「ー2度」「心に残る思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 心に残る思い出 3年間生活してきた日々を振り返って、とてもこれからでは経験できないような楽しい思い出、苦しかった思い出、いつまでも心に残る思い出などいろいろあります。その中のいつまでも残る思い出としては、入学式の時の話がとても長くて辛く感じたことです。でも、式だけが長く感じ、過ぎ去っていく日々はとても短く、何をしていたのか何もわからなかった。5月に陸上競技があった。私は陸上は得意だった。200mの選手となり、見事1位になった。そして、郡へ選手になって本宮に行った。上位に入ることができなかったのがとても悔やまれる。でも、私は1年、2年、3年と本宮へ選手として出かけた。結果は1年生の時と同じだった。2年生の思い出は、別に心に残っていない。残っているのはキャンプのことだけである。3年生にあっという間になり、修学旅行へ行った。2年生の時は、3年生はいいなあと思っていたけれど、今になってみると、1、2年生のままでいたかったなあと思っている。なぜかというと、テストに追われ進路に悩んでいる3年生はとても嫌である。これに、また卒業という思い出が待っている。この卒業の日まで、いや、一生悔いのない日々を送っていきたい。 _________________________________ 「中学生活を振り返って」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学生活を振り返って 私達は夢と希望に胸を膨らませて入学したが、あっという間に月日が過ぎてしまった。この3年間は、私は何を学び何を自分のものにしたのだろうか。でも一つ一つ考えてみるとたくさんある。学校生活について何も知らなかった私が、今は全部知ったと言えないけれど、何かつかんだような気がする。入学して間もなく、マラソン大会が行われた。とても苦しかったが、最後までがんばって走った。2年になって夏のキャンプで生活を2日楽しんだ。とても楽しかった。3年になって一番思い出に残ることは修学旅行に行って楽しんだことだ。初めて見た東京タワー、銀座、広々とした東京、見るもの多くビックリするものばかりでした。 この3年間は、長いようで短かった。この中学校生活をして感じたことは、健康な体力で将来どんな苦労にも耐えられるようになったことです。本当にこの3年間は、いろいろなことがありました。 _________________________________ 「バトミントン部の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ バトミントン部の思い出 私が今、一番心に残っていることと言えば部活動のことである。 私は去年からできたバトミントン部に入っていた。他の部では伝統などいろいろあったが、私たちの部にはまだなかった。それで、私たちが伝統を作ろうということで、一生懸命練習してきた・・・。 そして、中体連で県北大会、県大会という成績を残すことができた。それもくじ運が良かったからだと思う。 大会が終わってから自分が反省したことは、もっとまじめに、そしてもっと根性を作ればよかったと思いました。 これから中体連新人戦の選手として出る人、また出られない人も一生懸命やっていれば、きっと最後には喜びという感激がこみ上げてくることでしょう。私はそう思っています。 _________________________________ 「白い季節」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 白い季節 12月の半ば、木の葉は散ってしまった。 あの夏、青々と大木の枝についていた、木の葉は今はない。 朝日が、裸の大木を照らす。朝日が、鳴いているスズメを照らす。 そこで思う。「ああ、もう冬か。2学期も終わりだなあ。」 木枯らしがヒューヒューとポプラを鳴らす。 冬の1日は早い。もう夕方、真っ赤な夕焼けが、裸の大木を赤く染める。 カラスは、鳴きながら家に帰っていく。 そこで思う。「ああ、もう2学期も終わりだなあ。そろそろ卒業だなあ。」 寒い夜、チラホラと白い魔女が舞い降りてくる。 広い大地に、白い魔女は踊り狂う。 月の光に照らされて、キラキラ光りながら、踊り狂う。 太陽と戦いながら、白い魔女は死んでいく。 _________________________________ 「卒業」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 卒業 いつのことであろうか 母に連れられて入学したのは いつのことであろうか 夢中になってやった体育祭・学校祭は そして、私は卒業するのである。今振り返ってみれば、3年間など「アッ」という間の生活であった。 小学校から中学校。入学したばかりの頃は、3年生がとても大きく見え、また自分の制服姿を見ては大人になれたと喜んだものでした。あれからもう3年が過ぎ、私には卒業が残されているだけとなった。今の私を私が入学した時に感じたように、今の1年生も「立派だ。大人だ。」と見てくれているであろうか。それほど私は成長したであろうか。そう思うと恥ずかしいが、私は私なりに楽しみ、苦しみを味わい、成長し思い出として残された。 中でも、まず浮かんでくるのは部活動であろう。1年生は球拾いばかり、私はそれが嫌で隣の部がとても楽しそうに見え何度部を変えようと思ったことか。また、自分よりも上手い友だちがいると、悔しくてたまらなかったこともあったが、3年間やり通せたのだ。これからも部を思い出して、どんな苦労にも負けず、楽しい春が来るのを信じてがんばっていきたい。 _________________________________ 「中学校生活の記録」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活の記録 僕の脳裏には、中学校生活におけるいろいろなできごとが、奥深く刻み込まれている。 1年の時の記録には、あまり印象に残るような想い出が少なかった。それは、1年に入学できという感激の気持ちで胸がいっぱいだったので、いつの間にか1年が過ぎてしまったことなど見当もつかなかったが、ただ僕の心の隅に忘れることのできない2つの思い出があった。 1つには、今まで知らなかった友だちを得ることができたこと。もう1つは、小学校でもそうだったが、中学校生活に飛び込んできた時に、特に校長先生を始め、諸先生方が温かく迎え入れてくれたのには、胸がジーンとなる思いがした。 2年に進級してからは、組替えなどがあったので、1年の時は別の雰囲気が生まれたことなど、記録に残っているだけである。 3年に進級してからは、最上級生としての誇りを持ったことと、その日その日とテストで明け暮れて頭が痛かったことなどが、印象として記録に残っていることなど、過去の経験を大事にし卒業してからも忘れないように心の中に記録しておこう。そして、これからの経験を一つ一つ記録していこうと思う。 時くれば彼きて見えし山かげの 桜も花の咲きにおひつつ・・・・・ _________________________________ |
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