最新更新日:2022/09/13 | |
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「楽しかった中学校生活」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 楽しかった中学校生活 私は中学校に入って、この3年間長いようで短かった中学校生活が終わろうとしている。また、私の一つの思い出の中に、楽しく辛かった部活動や辛かったテスト勉強など、忘れることのできない思い出の数々です。 それから私の最も大きい思い出は、書道で表彰されたことや美術の展覧会に出して入選した時のあの感激、私には二度と味わえない喜びとなることでしょう。 これまでに教え導いて下さった諸先生方。私の心の土台となって下さった先生方。私はこの先生方の苦労は忘れません。また、私と仲良く過ごしてくれた友達。心からありがとうと言える友達。私はこのいろいろな思い出を胸に秘めて大きく前進していきたいと思います。 _________________________________ 「健康で充実した冬休みにするために」〜冬季休業中の事故・ケガ防止をお願いします!下記の「健康で充実した冬休みにするために」について、ご家庭でもご理解の上、ご指導いただきますようお願いいたします。 【健康で充実した冬休みにするために】 1 冬休みの意義 (1)計画的な生活を送ることによって、自主的・自立的な生活態度を身につける。 (2)2学期の反省をし、不十分であった学習内容の定着を図る。 (3)心身の休養を図り、健康の増進に努める。 (4)冬休みという長期の休みでなければできない活動をする。 2 冬休みの過ごし方について (1)冬休みの計画を立て、規則正しい生活を送る。 ○ 冬休みの生活や学習目標を立てる。 ○ 無理のない一日のタイムスケジュールを作り実行する。 ○ 誘惑に負けない強い意志を持つ。 (2)2学期の学習を振り返り、学習計画を立てる。 ○ 不得意教科を克服し、着実に力をつける。 ○ 普段はできないような自由研究に取り組む。 ○ 課題は最後までやり抜く。 ○ 新たな気持ちで「書き初め」に挑戦する。 (3)健康の増進に努め、安全な生活に心がける。 ○ 休養をとり、心身のリフレッシュを図る。 ○ 健康な生活を送るとともに、積極的に体力づくりに努める。 ○ 虫歯や疾病の治療に努める。 ○ 事故にあわないよう安全な生活を送る。 (4)余暇の活用を工夫し、長期休業でしかできなことを実践する。 ○ 余暇を活用し、創作や趣味に親しむ。 ○ 積極的に読書をする。 ○ 普段はできない体験を通して、見聞を広める。 3 家庭生活 (1)不必要な外出は控える(放射線対策、感染症防止)。やむを得ず外出する際は、「どこに、だれと、何をしに、何時に帰る」を必ず家の人に話してから出かける。 (2)家族の一員である自覚を持ち、進んで家事に取り組むよう努力する。 (3)家族の会話に心がけ、自分をよく知ってもらう。 (4)旅行など計画がある場合は、前もって担任の先生に連絡する。 (5)お年玉などの無駄遣いを慎み、計画的な利用に努める。 (6)来客や訪問者には、中学生らしいエチケットを忘れずに接する。 4 健康で安全な生活 (1)交通ルールを守り、事故にあわないよう、起こさないよう心がける。 ○ 自転車は正しく安全に運転する。(スピードの出し過ぎ、一時停止、並列走行、二人乗り、ヘルメットの装着) ○ 歩行のときも、交通事故に気をつける。 ○ バイク・自動車の運転はしない。 (2)健康な生活に心がけ、危険から身を守る。 ○ 危険な遊び(危険な場所での氷滑り、高圧線下での凧揚げ・シンナー・爆発物・火遊びなど)は、やらない。 ○ 罪になるようなこと(万引き・飲酒・喫煙・暴力行為・金銭強要など)はやらない。 ○ 見知らぬ人の誘いには絶対に応じない。 ○ 暖房器具の取り扱いは誤りのないように気をつける。 ○ 生徒だけではカラオケボックスを使用しない。(保護者同伴) ○ 冬期講習に参加する場合は、目的意識をしっかり持って参加する。他校生との交流を深める場ではないことをしっかり自覚する。 ○ 携帯電話は、保護者の監督のもとで使用する。 最近、携帯電話を媒介とした問題が多発しています。安易にサイトにアクセスしたり、不用意に番号やアドレスを教えたりしない。 ※ 情報機器に関するモラルをしっかり教えていただきたい。 5 冬休みの約束事 (1)服装について ○ 登校するときは、運動着とする。 ○ 外出するときの服装には清潔感を持たすようにする。 (2)外出時間・・・・・午後5時までとする。(それ以降は、保護者同伴) (3)外泊・・・・・・・友人同士の外泊はしない (4)学校の使用について ○ 校舎内外を問わず、無断で使用しないこと。 ○ 学校を使用する場合は、日直の先生の許可を得ること。 ○ 部活動の部長は、使用前・使用後、必ず日直の先生に報告すること。 ○ 校舎内外を使用した後は、用具の整理・清掃・戸締まり・火の確認を確実にすること。 (5)学校への連絡 ○ 事故等があった場合は、必ず学校へ連絡する。 TEL:55−2236 ○ 日曜・夜間の場合は、学級担任か学年主任へ連絡する。 「思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 2年の時のキャンプ とても楽しかったキャンプ 自分たちが作った手作りの料理 その味は格別だった 夜のレクリエーション キャンプファイヤーを囲んで 歌ったり踊ったりにぎやかに過ごした 舟津浜の夜は静かで美しかった 夜空を彩る美しい花火 今も忘れることができない これからも時々思い出すだろう _________________________________ 学校だより「おばま」第63号を発行記事の内容は、「今週(12/17〜12/21)の本校の空中放射線量」「明日から冬休みです!事故やケガなどないように!」「お願い」です 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>の第63号をご覧ください。 『2学期終業式』が行われる〜明日から子どもたちは冬休みです!(笑顔)(笑顔) 子どもたちは、明日から17日間の冬休みに入ります。 1月8日(火)の第3学期始業式には、子ども全員の明るく元気な姿を見たいと思います。 終業式前に各種表彰伝達を行う(拍手)(笑顔)表彰(伝達)された子どもたち(代表者)は、感想や今後の決意や意気込みを力強く述べていました。 長澤先生からの熱いメッセージ新たなメッセージが次のように書いてあります。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 1日24時間 誰にでも平等に与えられ ています この24時間をいかに自分の ために活用するかが大事です 時間に流される自分ではなく 時間を支配する強い自分が 大切です 3年生諸君! この冬休みは自己実現に向けて 必ず時間を支配すること 1・2年生諸君! 24時間を自分の成長のために 支配すること 3学期 ストレス、プレッシャー、インフルエンザ に負けない強くたくましくなった みなさんに会えるのを楽しみに しています ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ このメッセージを見ると心が熱くなります! これからも職員が一丸となって「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践していきたいと思います。 小浜の今朝の冷え込みは厳しく、プールはスケートリンク状態!(寒)今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「ー4度」アクセス数が☆☆42000件☆☆を超えました!(スタートして466日目)(笑顔)本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日にスタートしました。 スタートしてから466日目の本日(20日(木))でアクセス数が☆☆42000件☆☆を超えました!(笑顔)(笑顔) 当初今年度のアクセス件数目標を「33000件」としていましたが、10月9日(火)に達成(5ヶ月早く)することができました。そこで新たなアクセス数目標を『40000件』としました。その目標も12月4日(火)に達成(3ヶ月も早く)することができました。 いつも本校ホームページをご覧いただいている皆さまに厚く感謝申し上げます。(感謝) 今年度のホームページは【日本一】を目指し、現在子どもも参加(作成)するホームページが進行中(<子どもたち自身が作るホームページ>をご覧ください)です。現在、保護者が参加するホームページ(<保護者からのメッセージ・コメント>をご覧ください)も進行中です。 今年度の新たなアクセス数目標を「45000件」として、現在ホームページの更なる充実に努めております。これからも本校のホームページを引き続きご覧いただきたいと思います。 校門脇の水溜まりにうっすらと氷が張りました今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「ー2度」今朝の小浜は△曇り空△〜気温「0度」強風注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [発表]強風注意報 [解除]濃霧注意報 風 注意期間 18日夕方まで 北西の風 最大風速 12メートル _________________________________ 濃霧注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]濃霧注意報 濃霧 注意期間 18日昼前まで 視程 100メートル以下 _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「3度」国際大学の支援・協力で<ともしびプロジェクト>(第6回目)を実施〜子どもたちの取材記事を随時掲載中!<ともしびプロジェクト>とは、被災地学校からの情報発信活動を支援するプロジェクトで、現在、岩手・宮城・福島から11の学校が参加しています。中学校の参加は、岩手県の大船渡市立第一中学校、福島県の二本松市立小浜中学校(本校)、飯舘村立飯舘中学校、いわき市立勿来第一中学校の4校となっています。情報発信活動としてホームページの支援を受けています。 本日(17日(月))、国際大学の先生2名が来校され、3年の技術の時間に指導を受けました。 子どもたちは、前回(12月14日(金))、自分のテーマに従って取材(インタビューなど)したメモをもとに記事を作り始めました。本日は取材記事の仕上げです。 子どもたちは、取材記事をワード文書にQ&A形式にしたり、相手の言葉を自分がまとめるという形にしたりしながら、書き出しとまとめに注意し、興味を持ってもらえるようなタイトルを付けることに気をつけながら完成させていました。 (笑顔) なお、子どもたちが作成した取材記事は、現在随時掲載中で、今後毎日1〜2記事をホームページに掲載していきますので、ぜひご覧いただきたいと思います。 ※ 子どもたちの作成した記事は、ホームページ左側の【カテゴリ】の<子どもたち自身が作るホームページ>をクリックしていただけると、今まで掲載した記事が全部ご覧いただけます。 「他人のために行動できること」(朝会での教師の話)本日の教師の話は、教頭の加藤広明先生です。 話の内容は、会津地方の学校に勤めていた時、ある施設を訪問してトイレに入ると町長さんもトイレに入ってきて、自分は自分の使用したスリッパを揃えて出てきたが、町長さんはトイレにある全部のスリッパを揃えて出てきたのを見て、自分が自分のことしか考えていなかったことを反省し、他人のために行動できることが大切であると思ったことなどについてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 体育館内に大きく響きわたる校歌♪(笑顔)本日行われた朝会でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、代五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 数多くの各種表彰伝達を行う(拍手)(笑顔)表彰(伝達)された子どもたちは、感想や今後の決意や意気込みを力強く述べていました。 |
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