最新更新日:2022/09/13 | |
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白と青のコントラスト〜プールはスケートリンク状態!今朝は風もなく穏やかで青空が広がっています。雪の「白」と青空の「青」のコントラストがとても鮮やかです。(笑顔) しかし、今朝6時40分の気温は「ー6度」で、晴れているとはいえ気温はなかなか上がらず、プールはスケートリンク状態となっています!(寒) 今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「ー6度」(寒)さくらの郷管理組合様から第3学年の子どもたちに『合格餅』が贈呈される使用するもち米には十分に注意を払い、放射線測定ではND(放射線が測定されない)米しか使用せず、餅にしてからも放射線検査を行い、安全・安心な「合格餅」にしていただきました。 贈呈式には、さくらの郷管理組合長の齋藤様と理事の佐久間様にお越しいただきました。校長先生がこの合格餅の意味を説明し、さくらの郷の皆様を紹介し、その後、齋藤様から「ささやかだが、みなさんの合格の力になりたい。餅を食べて力を付け、自信を持って受験に臨んでほしい。」と励ましの言葉が述べられました。 男女各代表者に合格餅が贈呈された後、生徒代表の石川くんから「全員合格できるよう頑張ります。」とお礼の言葉を述べました。会が終了後、齋藤様から子ども一人一人に合格餅が手渡しされました。 さくらの郷の皆様に厚く感謝申し上げます。ありがとうございました!(感謝) 第4回授業参観及びPTA・体育等後援会総会について(お知らせ)何かとお忙しいとは存じますが、今年度最後の授業参観ですので、ぜひ子どもたちの学習の成果をご覧ください。 なお、配布文書については、ホームページトップ右側の【配布文書】の<学校からのお知らせ>をご覧ください。 ※ 写真は昨年度のものです。 アクセス数が☆☆46000件☆☆(記録更新中)を超えました!(スタートして504日目)(感謝)(笑顔)本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日にスタートしました。 スタートしてから504日目の平成25年1月27日(日)でアクセス数が☆☆46000件☆☆を超え、現在記録更新中です! (笑顔)(笑顔) 当初今年度(平成24年度)のアクセス件数目標を「33000件」としていましたが、平成24年10月9日(火)に達成(5ヶ月早く)することができました。そこで新たなアクセス数目標を『40000件』としました。その目標も平成24年12月4日(火)に達成(3ヶ月も早く)することができ、新たな数値目標を「45000件」としましたが、平成25年1月19日(土)に達成することができました。 いつも本校ホームページをご覧いただいている皆さまに厚く感謝申し上げます。(感謝) 今年度のホームページは【日本一】を目指し、現在子どもも参加(作成)するホームページが進行中(<子どもたち自身が作るホームページ>をご覧ください)です。現在、保護者が参加するホームページ(<保護者からのメッセージ・コメント>をご覧ください)も進行中です。 今後も記録更新を目指して、現在ホームページの更なる充実に努めております。これからも本校のホームページを引き続きご覧いただきたいと思います。 「昭和の思い出」(朝会での教師の話)本日の教師の話は、国語科担当の佐藤光生先生です。 話の内容は、小学校低学年(昭和時代)の頃、夏休みに父親に阿武隈川の高田橋付近に連れられて行き、父親が川に飛び込んで向こう岸までスイスイと泳いで行って戻ってきたのを見て感心したこと、当時の小学生は水着を持っている人は半分くらいで残りの半分の人は裸で泳いでいたことなどについてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 体育館内に大きく響きわたる校歌♪(笑顔)本日行われた寒い中での朝会でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、第五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 吹奏楽部1・2年生の♪生演奏♪による朝会の入退場♪吹奏楽部の1・2年生だけの演奏です。寒い中の少人数での演奏ですが、元気のある爽やかな生演奏です。(笑顔) 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー8度」(寒)「今までを振り返って」(昭和50年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 今までを振り返って 中学校生活3年間、振り返ってみると、いろいろ反省しなければならない点や思い出となっていること、楽しかったことなどいろいろ目に浮かんできます。 反省しなければならない点は、ふざけていて先生に叱られたこと、忘れ物をしたとき家が近いからといって戻ったことや自習の時間に友達と一緒になって騒いだりしたことなどの繰り返しばかりで、全然進歩しませんでした。それから家が近いのに遅刻してしまって悪いと思っています。それらが、反省として目立つところです。 思い出となっていたことや楽しかったことは、まず3年の時に行った修学旅行です。忘れられない思い出となっていますが、2日間も雨降りだったのががっかりです。その雨の中をいろいろ見学したり、家に電話をかけたり、他校とテレビの番組を奪い合ったり、10時頃まで寝ないでみんなと話をしたりしてとても楽しかったです。せっかく東京に行ったのに、タレントに会えないのがとても残念でした。 年に1回の学校祭の歌に備えて、新校舎の中で厳しい練習を行って、見事金賞を受賞した時は嬉しかったです。 まだまだ数え切れない程たくさんあります。生涯一度の中学校生活をよい思い出として残しておきたいものです。 _________________________________ 風雪注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]風雪注意報 風 注意期間 27日昼前まで 西の風 最大風速 12メートル 付加事項 地吹雪 _________________________________ 「5千469日」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 5千469日 生まれてから卒業するまでに5千469日ある。僕にとって、この5千469日は辛く、悲しい日でもあり、楽しい日でもあった。その1日1日が、思い出となって頭の中に浮かんでくるのです。時々夢にも出てくるのです。 夢の中で一番多いのは、何といっても小学生の夢です。先生に立たされている時や残されている時などがはっきり出てくるのです。夢を見た後で今度は反省です。だから思い出とはいいものです。中学生の時の思い出は、小学生の時とまるで違った夢なのです。また、そんな夢を見ると反省するのです。 こんなことが何十回、何百回と続いていくので、人間はだんだん良くなっていくのです。だから、僕にとって5千469日というのは、反省でもあり、大人への望みでもあり、かつまた思い出なのです。 _________________________________ 大雪・風雪・着雪注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]大雪,風雪,着雪注意報 雪 注意期間 26日夜遅くまで 平地 12時間最大降雪量 20センチ 山沿い 12時間最大降雪量 20センチ 風 注意期間 26日夜のはじめ頃から 27日昼前まで ピークは27日未明 西の風 最大風速 13メートル 着雪 注意期間 26日夜遅くまで 付加事項 降雪による交通障害 _________________________________ 「制服」(昭和50年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 制服 20ヶ月も着た制服。それは、私の喜びや悲しみ、そして苦しみ、その他の思い出を私と共に生活してきた。私には切っても切れない中学校の思い出です。入学式の時、1、2年の楽しかった研修旅行にも、3日のうち2日半はびしょびしょだった修学旅行にも着ていきました。当然のことでも、毎日の通学にも着ました。 今はもうよたよたで乱れていて、私は恥ずかしくなることがあります。しかし、私にとってはどれよりも着慣れている洋服なのです。私は、この制服というものがなぜあるのか、分かりませんでした。今も分かりません。みんなが同じデザインのものを着て、どこがよいのかなあと思ったこともありました。でも、3年になって全員が同じものを着ていてよかったなあと思います。一人一人が自分の制服を着ているのを見るたびに、心の通い合いがあるみたいに思ったからです。だが、その思い出を変えるということは許せないような心持ちになったこともありました。その反面、自分自身もデザインなどをかえてみたいなあと思ったこともありました。 制服は私達の中学校生活の思い出となるものだから、みんな大事にして、後に会った時でも思い出してもらいたいと思っています。制服がある限り、心のつながりもあってほしいと思います。 _________________________________ 「印象」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 印象 3年間、3年間、何度も口に出しても3年間いろいろな出来事があった。悲しい時、嬉しい時もあった。やっぱり中学時代は、僕にとって一生一代心に深く残りゆくだろう。中学時代で絶対に忘れることのできないのは部活である。最初、やっぱり球拾いが基本だった。こんなことに僕は頭にきて、部を辞めてしまった。そんな自分にあきれかえったような気がした。でも、僕はそんなことに勝ち、再び野球部に入り根性をたたき直したわけです。 もう一つ印象に残ったことは、友達が僕のことをかばってくれたことです。嬉しくたまらず涙が出そうになっちゃったんだよ。そんな友達が僕を励ましてくれた。僕にとって成長の鍵となることだろう。 これでだいたい3年間の思い出でもあったわけであります。 _________________________________ 学校だより「おばま」第68号を発行記事の内容は、「今週(1/21〜1/25)の本校の空中放射線量」「【子どもたち自身が作るホームページ】子どもたちの取材記事を随時掲載中です〜ぜひご覧ください!」です 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>の第68号をご覧ください。 小浜は◇雪◇が降り始めました!校地内駐車場及び学校周辺の道路は凍結しています(ご注意を!)学校周辺を車で通行する際は、スリップなどしないよう十分ご注意ください! 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー4度」今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー4度」 |
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