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最新更新日:2022/09/13 |
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「これでいいのか」(昭和47年度卒業文集より)![]() ![]() ![]() ![]() 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ これでいいのか 「百姓ではもうやっていけない」 よく耳にする。嫌なことばだ。 日本の国に、しかも農業国といわれた日本の国に、もし米を作る人がいなくなったら―。不安な気持ちが僕の心をゆさぶる。 僕も長男 「何を迷う。米作りをやったらいいじゃないか。」 僕の心のどこかでつぶやく。 すぐ、そのあとから冬期のあのみじめな出かせぎの肉親の顔が僕の心を責める。 いったい僕は、どうしたよいのだ。 悩みの末に打ち立てた僕の進路の道は、「米作り」「出かせぎ」から逃れた工業の道。 何かすっきりしない気持ち。 これでいいのか。 _________________________________ アクセス数が☆16000件☆を超えました!(スタートして205日目)(笑顔)![]() ![]() 本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日(火)にスタートしました。 スタートしてから205日目の一昨日(4月3日(火))でアクセス数が☆16000件☆を超えました!(笑顔) 今年度のアクセス件数目標は『18000件』です。昨年度はアクセス件数が15000件(昨年度目標の13000件を超えることができました)でしたので、合計で<33000件>を目標にしています。(笑顔) 今年度のホームページは【日本一】を目指し、子どもも参加(作成)するホームページにしていく予定です。これからもホームページの充実に努めて参りたいと思いますので、引き続きご覧いただきたいと思います。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「4度」![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() いよいよ明日から新年度がスタートし、学校が子どもたちで明るく活気溢れるようになります。これからが楽しみです。(笑顔) 「私の部落」(昭和47年度卒業文集より)![]() ![]() ![]() ![]() 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 私の部落 私の住んでいる四本松は、岩代町と東和町の境にある小さな部落です。私の家の前を流れる川は、口太川と言って、その川が岩代町と東和町とを、区別する境界線の役目をしています。東和町が近いせいか、私たちの部落の人たちは、買物をするにも二本松へと、バスに乗る人が多くなっています。そのためか、小浜とを結ぶバスには、ほとんど乗客がありません。今年、この小さな部落の城跡に、昔の物と見られる、さらに燃え残りの柱などが、発掘されました。私は、歴史上から見たこの部落の過去を知り、これは、喜ばしいことだと思いました。家の人の言うことには、この発掘物は、戦国時代の物だと言うことです。が、はっきりとしたことは、私の耳に入らないままでした。城跡といっても今は、桑畑です。私は、この桑畑が非常に残念です。なぜ部落の人たちは、城跡を大事にしてくれなかったのだろうか。私は、いずれこの土地を「ふるさと」と呼ぶものです。その部落の象徴とすべき城跡を、大切に保護し続けてほしいと、願っています。 _________________________________ <私の大切なもの>(その7)(美術室前掲示板より)![]() ![]() ![]() ![]() 子どもたちの作品はこれが最後です。(写真左から) タイトルから「子どもたちの大切なもの」を想像していただきたいと思います。 なお、各作品は汚れ防止のためラミネートしてあるため、写真撮影が不鮮明なところがありますが、ご了承いただきたいと思います。 _________________________________ ・僕の左手と背中 ・うれしい思い出 _________________________________ 「わが郷土」(昭和47年度卒業文集より)![]() ![]() ![]() ![]() 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ わが郷土 私は福島県安達郡岩代町の中にある「下折長」という所を紹介しましょう。 この下折長は昔、長折だけであったが、明治の初め頃、上折長と下折長に分かれたそうです。ここは農業を中心とした、純農業地帯で、田が少なかったので養蚕を主とし、絹糸をとり、それを打ったりし、炭をたき、一部では紙の原料となる、こうずの木を煮て皮をむき、それを一里半もある上川崎に背負っていって、売ってきたこともあったそうです。 しかし、今は兼業農家が大部分をしめるようになり、夏には養蚕やたばこの他に、キュウリを栽培する家も増えてきて、少しずつではあるが、この下折長も、経済的に困らなくなってきている。また下折長付近には大正12年頃、発電所ができ、早くから電気が通るようになった。 ランプから電気になったときの喜びを、祖母はよく私たちに、語って聞かせてくれる。こうして今日のように発展した反面には、すたれた慣習などがある。下折長にはずっと昔安土桃山時代頃から諏訪神社があり、その祭礼として三匹獅子が踊り、横笛・太鼓などの楽器で演奏されるもので、その家の長男のみが踊ることができるものである。だが、その祭りの日は、初めは旧の7月27日になった。昔は年に2回も祭りがあったそうだ。そしてどの部落でも獅子を出し全部で、5組も出そろい、豊年を祝い、部落の悪払いをし、客を呼んで、にぎやかに過ごしたそうだ。が、現在では2組ほどしか出なくなった。残りの2組が出なくなったのは、人数が少なくなりあとを継ぐ人がいなくなってしまったからだそうだ。 私は本当に、残念な話だと思う。と同時に、私たちの世代で、なくすことなく、今後いつまでも残しておきたいと、強く願っている。 _________________________________ 爆弾低気圧の影響はありませんでした![]() ![]() 今朝の小浜は◇雪◇がちらついています〜気温「2度」![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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