最新更新日:2022/09/13 | |
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今朝の小浜は◎晴れ◎〜気温「16度」「中学校生活をふりかえって」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活をふりかえって 中学校生活をふりかえって、僕はいろいろなことがあった。それは、僕達が、この小浜中学校に入学した時、先輩達が、僕達を優しく迎えてくれたこと。それから修学旅行に行ってきたこと。学校で雨にぬれながらいも煮会をしたこと。 猪苗代湖へキャンプに行ってきたことは、僕にとって一番楽しい思い出であった。僕にとってゆかいな楽しいキャンプであった。夕方になると、みんなで米をといだり、じゃがいもをむいたりして、晩飯を作ったことが思い出される。僕にとってキャンプは生まれて初めてでした。キャンプの時に間違って持ってきて、大騒ぎをした僕は、このとき笑ってしまった。3年生になってもキャンプに行けたことをうれしく思っている。前のキャンプより楽しく過ごせたし、ためになったこともあった。今までにない生活だったと思いました。 僕は、通学に自転車を使用していた。自転車といっても、楽しい時と苦しい時とがあった。僕は、自然とのたたかいをしてきた。 僕は、小学校より中学校の方がいいなと、しみじみとわかりました。 _________________________________ 初めての★給食試食会★が開かれ、8名の方に参加いただきました!この『一日自由参観デー』にあわせて、初めての★給食試食会★(メニュー:ポークカレーライス・甘夏かんのサラダ・福神漬け・ヨーグルト・牛乳)を開きました。8名の方に参加いただき、試食は子どもたちと一緒に教室で食べていただきました。普段のクラスの給食の様子をご覧いただけたかと思います。 給食試食会に参加された方々に感謝申し上げます。 なお、当日の給食の詳細につきましては、トップページ左側の【カテゴリ】の中の<今日の給食>の中をご覧ください。写真入りで掲載してあります。 「入学式から卒業式まで」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 入学式から卒業式まで 4月4日それは、僕達が、心うきうきした入学式の1日だった。 友達には、父や母がついてくるが、僕には来なかったのが心に残る。しかし、そんなことなどは、1学期が終わる頃には、吹っ飛んでしまった。 こうしているうちに、楽しかった1年間は終わり、その中には、苦しかったこと、うれしかったことなどいろいろあった。 そして、2学年になり、出版部で活躍しない方が多かったのである。このころは、まだ進路は決めてはなく、どこに進学するか、どこに就職するか、よく母と話し合ったり、また、よくけんかもした。そのころは、よく反抗もした。言うことを聞くのは、自分の都合のいいことばかりだと、よく母はこぼしていた。 そんな、ことばかりしていた2学年、こんなことばかり頭に浮かんできた。 そして3年生、進学、就職を先生にうるさく言われても、何にも感じなかったが、テストが多くなるにつれて意識した。がんばろうと思ったのは1回もなかったが、テストの前日は一夜漬けが多かった。そんなことをしているうちに、とうとう卒業式をあと少しに迎えるのであった。 _________________________________ 「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活の思い出 入学式で自分の名前が呼名されてから、もう3年間が過ぎて卒業だ。本当のことを言うと3年間を省みてズバ抜けておもしろかった学年はありませんでした。しかし、友達や先生、授業や部、それにクラブ活動などの学校生活で楽しかったり自覚したことはたくさんありました。 その中でも自分が特に良かったと思うことは、友達とのつき合いが予想以上に有意義だったことでした。それは、たくさんの人と親しくなり、親友やいろいろな面でライバルができたということでした。スポーツで競い合ったり、勉強などではわからない問題があると「あっ!!ここ、ここはこうすればいいぞ。」なあんて言って教え合いました。シャレを言ったり、気にならないアダナで呼び合うということは楽しいものでした。 また、僕は友達から飛行機を画くのがうまい、と言われてよく画いてあげましたが、それはどれも第2次世界大戦で活躍した戦闘機ばかりだったので、そういう面では「戦キチ」なあんて言われてこともありました。 このようなことから、忘れたくないできごとやたくさんのことを経験させられました。 _________________________________ 「気ままなエッセイ」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 気ままなエッセイ 青春とはいったい何だろう その答えは 人それぞれで違うだろう ただ一つ これだけは言えるだろう 僕達は 大人より時間が多い 大人より 多くの時間を持っている 拓郎と僕、僕とタクロー 僕の中学時代の大きな転機に、フォーク・ソングという大きなものとの出会いがある。おそらく、現在の僕には、フォークとやらを聞きあさった者としての要素をたっぷりと含んでいると思う。 事実、フォーク、特に「巨匠、拓郎」との出会いは、僕を別な人間に仕立て上げてしまった。 藤村の詩もいいが、それ以上に拓郎の詩の方が僕にはマッチしているという感じで、ストレートにハートに伝わってくる。 吉田拓郎氏、大した人間です。 _________________________________ 『出陣式』での★サプライズ★〜◇教員だけによる特別応援!◇そこで、本日の出陣式で、★サプライズ★(子どもたちは誰も分かっていませんでした)として、◇教員だけによる特別応援◇をすることにしました。壇上に3名の教員が上がり、残りは全員子どもたちの前に一列に整列し、更に自由参観デー来校していたPTA会長様にも混ざっていただき、各部に熱いエールを送りました。 子どもたちは、この★サプライズ★に驚き、感動していたようです。 そして、教員の熱い応援に対し、各部の子どもたちが大きな声で「お願いします!」「ありがとうございました!」と応えていました。 自由参観デーで来校していた方々も感動していたようです。 正に、子ども、教員、保護者が一体となった瞬間でした! 日本一の応援だったと思います! 危機回避能力を高めよう!(スクールサポーター通信から)本日、スクールサポーターの星和夫様が来校され、『スクールサポーター通信』を持ってきていただき、不審者による”声かけ”や”強制わいせつ”の被害を未然に防ぐために危機回避能力を高めることの大切さなどについて指導をいただきました。特に、子どもたちに、学校や自宅から一歩外に出たら「自分の身は自分で守る!」という意識を持つことが大切だと強調されていました。 詳細につきましては、トップページ右側の【配布文書】の中の<スクールサポーターからのお知らせ>にある『スクールサポーター通信 第24号(小学校)』『スクールサポーター通信 第25号(中学校)』『スクールサポーター通信 第26号(幼稚園・保育所』をご覧ください。 学校だより「おばま」第18号を発行記事の内容は、「今週(5/28〜6/1)の本校の空中放射線量」「小浜元気プロジェクトの一環として、全校生による『第1回ボランティア活動』(校舎内清掃)が行われる〜子どもたちは素晴らしい取り組みでした!」「プールサイドの除染が始まりました」「学区内で不審者事案が発生しました(ご注意を!)」「古紙回収へのご協力ありがとうございました!(感謝)」です。 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>をご覧ください。 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「13度」 |
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