最新更新日:2022/09/13 | |
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「思い出を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出を振り返って 長く感じられた3年間も、振り返ってみると、あっという間に過ぎてしまったようだ。その3年間には、忘れることの出来ない感動の場面が数えきれない程ある。コートの中でみんなと汗を流し、真っ赤に日焼けした中体連や、キャンプファイヤーの赤々と燃える炎を囲んで歌を歌ったりダンスをしたことや、雨の降る中を目に涙をためて作ったいも煮会や、足を棒にして歩いた遠足など、その他もろもろたくさんの思い出がある。けれども、これでいいのだろうかと思うことがある。何かもう一つ足りないような気がする。もう一度振り返ってみると、あの時はもっとがんばっておけばよかったなあなんて、悔やんでしまうことがある。しかし、過去を悔やんでもしょうがない。人生は長い。明日に希望を持って、1日1日を充実したものにして、明るく元気に生きよう。元気でな!! _________________________________ 「今の日本とは」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 今の日本とは 私は、今の日本の状態を見て、これこそ危険な時が来たと思った。 私が生まれてから、こんなに物が不足した事があったろうか。特に石油は、今の日本の大不足となっている。石油は、なくてはならない物だ。石油で出来ている物はたくさんある。ビニール類とか、プラスチック類など石油で出来ている物ばかりです。なぜ、アラブではもっと輸出してくれないのでしょうか。私は、日本全員でアラブにデモでもしたい気持ちです。みんなは、そんな事考えた事はありませんか。私は短気だから、すぐこんな事を考えてしまうのです。だんだん石油だけでなく、ガスの不足、紙の不足、・・の不足とか、何でもかんでもなくなってしまいます。今の日本はどうなってしまうのでしょうか。私は、だんだん不安になって来ました。国では、もう少し考えてほしいと、私は思います。 _________________________________ 「2年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 2年間の思い出 ”2年間の思い出”という題で書くことにしました。いろいろなことがありましたが、私の心の中に強く残っているのは、2年生の時のキャンプです。少しの間だったけどお互いに協力して、友情を深めていくということで、一人一人が努力していた。そのことが今でも忘れることができません。 残念なことは修学旅行にみなさんと行けなかったことです。1年の時から夢にまで見たのに・・・。だからその意味でもキャンプが一番の思い出です。楽しかったことは数えきれないほどあります。1年の時からのマラソン大会や球技大会。いも煮会・・・部活動。 今考えれば夢のようなことかも知れない。今は卒業を前にして色々な問題が・・・入試を前にしてもいろいろなことがあると思います。 今こうして書いているとクラスのみんなの顔が頭に浮かんできます。2年間って長いようで短いことに改めて気づいた私です。もっといろんなことがしたかったし、多くの友達とつき合ってみたかったと思います。 ”初心忘れるべからず” 何事も新しい気持ちで希望を持ってがんばりましょう。 _________________________________ 「高みの見物を読んで」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 高みの見物を読んで 僕が、友達の家へ遊びに行った時、その時見た本の読書についての記事で、高みの見物という本の解説から、「おもしろそうだな」と思ったので、この本を読んでみました。名作などと言われる本や図書館にある本などより、こういう本が僕は好きです。 初めて北杜夫という作家を知りました。後で分かったことですが、この作家はたいへん有名であることを知りました。 主人公は、1匹のゴキブリです。本の構成は、「吾輩は猫である」にたいへんよく似ています。このゴキブリが目玉医者にくっついて、人間世界を冒険するという内容です。ユーモアにあふれるこの本は、読んでいると思わず笑ってしまう場面もあります。人間正解のくだらなさなど、作者のすばらしい観察力の鋭さがよくうかがえます。 僕は、これからの出発にこの本から得たことを考えていきたいと思います。 _________________________________ 日没後は声かけ事案が多発!(スクールサポーター通信から)本日、スクールサポーターの星和夫様が来校され、『スクールサポーター通信』を持ってきていただき、2学期は日没時間が日を追う毎に早まってくるため、今後子どもたちの日没後の単独下校時を狙った声かけ事案が発生する可能性があること、危険を感じたら早く回避行動をとる(下記の危険回避のポイント)こと、先日歩道で高校生の自転車が高齢者とぶつかり相手が重体となった事案から子どもたちの自転車の乗り方について注意をすることなどについて指導をいただきました。特に、中学校では、2学期は新人戦に向けての部活動や文化祭の準備などで下校が遅くなる可能性があるので、声かけ事案に遭いそうになったら、直ちに回避行動をとることが大切だと強調されていました。 _________________________________ 危険回避のポイント ★その場から駆け足で逃げ出す。 ★大声を出したり防犯ブザーを鳴らす。 ★所持品などを利用する(バッグを振り回す、買い物した物を投げつけるなど) ★1人で暗い道を歩かない・・遠回りでも明るい道、人通りの多い道を歩く。 ★歩きながら携帯電話やメールに夢中にならない、音楽を聞きながら歩かない。 ★後をつけれれていると感じたら、近くの家などに飛び込んで助けを求め、110番通報する。 _________________________________ 詳細につきましては、トップページ右側の【配布文書】の中の<スクールサポーターからのお知らせ>にある『スクールサポーター通信 第30号(小学校)』『スクールサポーター通信 第31号(中学校)』をご覧ください。 校地内の除染(表土除去)作業が最終段階となりました!除染前に校庭に除去した土などを埋めるために大きな穴を掘りましたが、その穴が除染した土で全部埋まり、現在校庭の整備に入っています。整備は、5cmの覆土をした後、校庭をならし固めていく作業になります。 作業員の方々には、気温が33度を超える猛暑の中で、子どもたちの安全安心のために一生懸命そして丁寧に作業を行っていただいおります。たいへん感謝申し上げます!(感謝) 体育館前の駐車場がきれいに整備されました!今後、授業参観日などには体育館周辺の駐車場もご利用いただきたいと思います。 今朝の小浜は◎快晴◎〜気温「26度」「学校生活の中で」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 学校生活の中で 3年間という時間の流れの速さを、今、改めて感じる。 3年生になると、進路への不安から、現在の受験制度への反感を消すことはできなくなっていた。 進学するための予備校のような中学校生活という人もいる。しかし、中学校は予備校であってはならない。今の私達に必要なことは、受験よりも多くの本を読み、多くの生活体験を得ることではないのだろうか。ぜひ、そうあってほしいものだと思う。 学校生活は楽しかった。しかし、もっと自由な活動の時間があったのなら、私はもっと満足しているだろう。 今思うに、入学当時の驚きの日々も懐かしい。その当時が、1番充実していたように思う。 私達は、生きている以上、何のために生まれてきたのかを知るために、少しずつでも中学校生活を土台として全身していこうと思う。 _________________________________ 「空想の世界の中で」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 空想の世界の中で 空想の世界の中で 私は夢見る 幼いころの私 どぶ遊びに胸をはしゃいだ あのころを 今 私は芽が出たばかりの あすなろ 青春という朝日の光を受けて 成長する いつしか花開き そして大きくなる 空想の世界の中で 私は夢見る 未来の生活 そして10年後の私を _________________________________ 「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活の思い出 思い出、この一言にはいろいろなことが含まれている。楽しく有意義に過ごした日々。また、孤独感を感じた日々。今になってはみないい思い出にしか過ぎません。 1年生に入学したばかり、何も知らなくて、先輩のすることを見て覚え、校内球技大会や学校祭、それにいも煮会などの行事を知り、中学校という所は行事が多い所と思った。 2年生になって、夏休みのキャンプが楽しみでした。それは初めてのキャンプに希望を持っていたからです。 中学校生活締めくくりの3年生。テストの毎日、そのテストが終わると特別サービスのキャンプがあった。そのキャンプで私は、思いっきり楽しんできた。そんなことがあった2学期、校庭に1列に並ばせられた。そのとき、私は3年生としての実感を感じさせられた。 _________________________________ 「校舎」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 校舎 古びた校舎 夕日を浴びて もろくくずれそうな校舎 生徒の若い力で がたがたふるえだす 老いた校舎 冬の授業は 北風が話し相手 猛烈に駆け寄って 笛を吹き去る 夏は太陽が 屋根に寝そべる 気温29度 そんな中の3年間 生徒会長に当選 うれしかったあ 280人の信任 ほんとうにうれしかった 校内球技大会 100m走1位 あのゴールでの感激 音楽祭 学校中に響きわたる合唱 年老いた校舎 そこでそだった思い出 伝統のある校舎だからこそ 得られた 喜び 苦しみ 悲しみ ぼくらが 再び舞いもどる時は このままの姿でいてほしい 古くたっていい このままでいてほしい _________________________________ 「卒業」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 卒業 長いようで短かったこの3年間を振り返ってみると、いろいろな思い出があった。その中でも1番に残っているのは、やはり先生にしかられたことで、今では中学校の思い出となってしまった。中学校を卒業してもこのようなことがあると思う。でも今では、もう卒業という言葉が口に出てしまうのだろうか。何も分からない私に、卒業という言葉がまだ早すぎる。 社会に出ると、それなりにいろいろなことがある。苦しんでいる時は、先輩がやさしくしてくれる。私は、甘えてしまうかも知れない。若い人達は、苦労なんて言う言葉がわからない。やはり、若い人は、若者らしく生きることが1番楽しいことなのだろうか。 木かげに道はないけれど 木かげに道はないけれど 生きることを考える場所がある 人はそこで苦労のあとの喜びを 人はそこでこれからの道を考える 新たにおそい来る苦労を そしてそのために木かげがある _________________________________ 「未来人からの伝言」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 未来人からの伝言 僕からみれば君達は過去の人間だ。君達は今、インフレや石油や公害で悩んでいるらしい。僕達30世紀人には、そんな問題は全然なくとても平和だ。そうなったのは21世紀からである。21世紀頃の日本の首相は田外丸栄である。君達からみれば、まだ生まれていない。従って君達より若い首相が、君達の世界に誕生するわけだ。 話は変わって、僕達未来人の話をしよう。僕達の世界では日本などという国はない。世界が一つになったのだ。言葉も肌の色も皆同じだ。非常に苦労した。その代わり争いは起こらないし、食糧不足などの問題も起こらない。それに君達に、今見える太陽と月は、爆発してもうない。爆発する前に、僕達は人口太陽を2つ作った。昼専用と夜専用の2つだ。でもそれには限りがあるのだ。しかし、またすぐに作れる。だから、心配する必要はない。とても平和だ。 _________________________________ 校庭の穴がふさがりました!今朝の小浜は△曇り空△〜気温「26度」少し蒸し暑い感じがして、午後には雨が降る予報も出ています。 日差しが遮られている分、「26度」にしては秋の気配が少し感じられます。(笑顔) 「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 3年間の思い出 この中学校3年間、いろいろなことがあった。小学校を卒業して中学校に入学したと思ったら、もう1、2年が過ぎて卒業だ。 テニス部に入って夏は遅くまで部をやっていて、家に着いた頃はいつも夜だったので、家に帰ってからは何もできなかった。1、2年の頃は勉強を全然しなく、遊んだりテレビを見たりして、ただのんびりとしていた。そして、3年生の終わり頃になって後悔した。 修学旅行、校内合唱コンクール、陸上競技大会、球技大会、部活動のいろいろな試合など、いろいろなことがたくさんあった。 校内マラソン大会の時は、走るのをやめようと思ったが、みんな同じくらい苦しいんだと思って走り抜いた。校内マラソン大会をして、何事にもくじけずにやり抜かなければならないと思った。部活動もやはり同じことが言えると思う。楽しいこともあったが、嫌なこともたくさんあった3年間だった。 _________________________________ 「生まれてからの旅」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 生まれてからの旅 1958年5月5日、私はこの世に生まれた。肌が黒く見る人もそっぽ向くような赤ちゃんだった。姉には、どこへでも連れて歩かれ、今では信じられないくらい仲が良かったらしい。それから自然に友達ができ、上長折分校へ入学した。野菜取り、まき拾いなど印象的であった。また遅刻の常習犯で、それが今でもなおらないとは、何と情けないことか。それから何年か後、中学校に入学。みんあが大きく見え、緊張の連続。中学校生活は、一生のうちでも思い出の残る時だ。「有意義に」と思っていたが、もう卒業だ。経験、友達関係、社会勉強など、いろいろなことを積重ね、今巣立っていこうとしている。 _________________________________ 「中学校生活」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 中学校生活 中学校生活が残り少なくなるにつれて、とても心配になります。「このままで中学校生活が終わってしまうのか」と、何となく落ち着かない気持ちになってしまいます。この3年間私は遊んで終わってしまう気がしてなりません。 テストでも、前の日になって慌ててやったり、あんまりのんびりで、やることもやらなかったり自分でも分かっているつもりでもいざとなると怠けてしまう。そのためテストの結果の悪さにがっかりして、寝込んでしまったりやることもやらないで、こんなことを思う私も「バカ」だな?〜と思ったりの繰り返しである。 思い出はたくさんある。特に修学旅行など、今では「本当に行ってきたのかな?」と不思議に思ってしまう。ただ言葉では一言「楽しかった」としか言い表せません。 その他キャンプや校内球技大会、それに雨の中でのいも煮会、それは特別な味がしていた。 思い出は沢山あった方がいい。苦しみがあっても、後で楽しみに変えられるように!! _________________________________ 「私の家の猫」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 私の家の猫 私は、小さい時からいつも猫と一緒に遊んでいました。小学生の頃、猫と一緒に遊んでいるところを写真に撮ってもらいました。その猫はもういません。どこかに行ってしまいました。今では、5匹の猫がいますが、その中でチビがとてもかわいいです。何をしても・どこへ行ってもいつも一緒です。私がこたつに入っていると、チビともう1匹の小猫のクロがいつもひざの上で寝ます。それをお母さんははたきます。だけど、猫はまた上がってきて、ひざの上で寝ます。その寝ている姿がとてもかわいいなあと思いました。 _________________________________ |
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