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最新更新日:2022/09/13 |
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東日本大震災発生時刻に合わせ、全員(全生徒・全職員)で黙祷!
2年前の午後2時46分に東日本大震災が発生し、甚大な被害と多大な犠牲者が出ました。東日本大震災で犠牲になられた方々に対して哀悼の意を表すために、本校では、本日午後2時46分に全員(全生徒・全職員)で廊下に一列に整列(清掃終了直後)し1分間の黙祷を行いました。
校舎内に絶えることのない☆綺麗な生花☆![]() ![]() 階段の2階に上がる踊り場のコーナーにはいつもきれいな生花が飾ってあります。この生花は、本校の用務員の齋藤さんが子どもたちのために飾っているものです。 子どもたちは登校すると、この場所を通りきれいな生花を目にしています。子どもたちだけでなく、職員も心が和みます。(笑顔) 本校では、職員一人ひとりが「子どもたちのために何ができるか」を常に考え具体的に実践しています。この生花もその実践の一つだと思います。(笑顔) 「真実を見抜く力を得るために勉強する」(朝会での教師の話)![]() ![]() ![]() ![]() 本日の教師の話は、英語科担当の伊藤正浩先生です。 話の内容は、東日本大震災に関すること、勉強するのは真実を見抜く力を得るためであること、普段の何気ない会話から幸せを感じること等についてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 岩代体育振興会優秀選手の表彰伝達を行う(拍手)(笑顔)![]() ![]() 表彰(伝達)された子どもたちは、感想や今後の決意や意気込みを力強く述べていました。 体育館内に大きく響きわたる校歌♪(笑顔)![]() ![]() 本日行われた寒い中での朝会でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、第五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 吹奏楽部1・2年生の♪生演奏♪による朝会の入退場♪![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 吹奏楽部の1・2年生だけの演奏です。寒い中の少人数での演奏ですが、元気のある爽やかな生演奏です。(笑顔) 強風・乾燥・なだれ注意報が出ています(ご注意を!)![]() ![]() また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]乾燥,なだれ注意報 [警報から注意報]強風注意報 風 注意期間 11日夕方まで ピークは10日夕方 北西の風 最大風速 13メートル 乾燥 注意期間 12日にかけて 以後も続く 実効湿度 55パーセント 最小湿度 30パーセント なだれ 注意期間 12日にかけて 以後も続く _________________________________ 今朝の小浜は◎快晴◎〜気温「ー1度」![]() ![]() ![]() ![]() 「想い出」(昭和50年度卒業文集より)![]() ![]() ![]() ![]() 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 想い出 私は、今こう思います。今までに過ごしてきたこの長い時間の間、私たちは、いろんな想い出をたくさん作ってきました。でも、その内の幾つかのを、私たちは知らない間に忘れ去ってしまいます。 私が忘れ去った想い出を今探そうとしても、そう簡単には見つかるものではありません。だから、今この時、この瞬間をもっともっと大事にしていかなければいけないのです。 小学校に入学し、知らないうちに6年という長い時間が過ぎていき卒業、そして中学校に入学し3年が過ぎ去ろうとしています。でも、中学時代の3年間の間に、いろいろな所へ行ってきました。1年の時にあぶくま胴を見学に行き、2年の時は日光と少年自然の家に行きました。少年自然の家では、夜になるとキャンプファイヤーを囲んでみんなと楽しく過ごしました。でも、3年時の東京への修学旅行は、雨に降られてさんざんでした。 でも、それもやっぱり想い出という箱の中に入れてしまっておいて、後になってから振り返ってみるつもりです。ただの想い出だけではつまらない。「悲しい想い出」「「楽しい想い出」「苦しい想い出」「初めて知った恋の想い出」。これらのことをいつまでもいつまでも楽しい想い出として、心の中に仕舞っておきたいものです。 だから、これからも心に残る想い出をたくさんたくさん作っていきたい、作っていこうと思います。 _________________________________
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