最新更新日:2022/09/13 | |
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アクセス数が☆☆49000件☆☆(記録更新中)を超えました!(スタートして526日目)(感謝)(笑顔)本校のホームページは、小浜中の子どもたちの活躍する姿をいろいろな方々に知っていただこうという思いや願いから、平成23年9月13日にスタートしました。 スタートしてから526日目の昨日(2月18日(月))でアクセス数が☆☆49000件☆☆を超え、現在記録更新中です! (笑顔)(笑顔) 当初今年度(平成24年度)のアクセス件数目標を「33000件」としていましたが、平成24年10月9日(火)に達成(5ヶ月早く)することができました。そこで新たなアクセス数目標を『40000件』としました。その目標も平成24年12月4日(火)に達成(3ヶ月も早く)することができ、新たな数値目標を「45000件」としましたが、平成25年1月19日(土)に達成することができました。 いつも本校ホームページをご覧いただいている皆さまに厚く感謝申し上げます。(感謝) 今年度のホームページは【日本一】を目指し、現在子どもも参加(作成)するホームページが進行中(<子どもたち自身が作るホームページ>をご覧ください)です。現在、保護者が参加するホームページ(<保護者からのメッセージ・コメント>をご覧ください)も進行中です。 今後も記録更新を目指して、現在ホームページの更なる充実に努めております。これからも本校のホームページを引き続きご覧いただきたいと思います。 強風注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]強風注意報 風 注意期間 19日夜のはじめ頃まで 西の風 最大風速 12メートル _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「0度」『3年生を送る会』〜思い出のアルバム3年生は、中学3年間の思い出を写真を見ながら懐かしく思いだしていました。1年生の頃の写真を見ると、この3年間の子どもたちの成長は著しいものがあります。 思い出のアルバムが終了すると、在校生一同から3年クラス代表者に花束贈呈がありました。 『3年生を送る会』〜第1・2学年の出しもの部活動でのエピソードや3年生の活躍などの寸劇を面白おかしく紹介しました。 3年生の寸劇を見ての満面の笑顔が印象的です。(笑顔) 『3年生を送る会』が開かれる3年生入場では、生徒会手作りのアーチを通り、在校生の前の台に一人ひとりが立つと、後輩から拍手とともに先輩のよさや感謝の言葉が紹介されました。 1・2年生全員が3年生一人ひとりに今までお世話になった感謝の気持ちを表わそうという温かい雰囲気が感じられ、感動する会でした。 「校地内植栽の伐採」作業が継続中〜校舎前土手・校舎裏土手(3分の2)が終了日に日に景観が変わってきておりますが、校地内の放射線量は確実に減少しております。 毎日寒い中を子どもたちの安全安心のために作業に当たっている方々に感謝します!(感謝) 「最後まで諦めない」(朝会での教師の話)本日の教師の話は、生徒指導主事の齋藤祐一先生です。 話の内容は、中学生の頃、部活動(ソフトテニス)のチームの5番手で中体連に出場できる可能性がなかったため部活動を辞めようと思ったが、顧問の先生から励まされて続けることなったこと、3年生になって地区内の大会に出場することができ3回戦まで勝ち続けたこと、3年の中体連には出場することができなかったが最後まで応援をしっかりやり満足感があったこと、最後まで諦めずに頑張ることの大切さ等についてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 体育館内に大きく響きわたる校歌♪(笑顔)本日行われた寒い中での朝会でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、第五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 吹奏楽部1・2年生の♪生演奏♪による朝会の入退場♪吹奏楽部の1・2年生だけの演奏です。寒い中の少人数での演奏ですが、元気のある爽やかな生演奏です。(笑顔) 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー1度」「部活動の想い出」(昭和50年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 部活動の想い出 部活動の想い出というと、やはり6月25日に行われた安達地区中体連である。この試合が中学校最後の試合だったので、私は思いっきりぶつかっていった。 しかし、今考えてみると、やはりみんなが少し油断していたと思う。最後の1本のサーブが自分たちの所に来た時、みんな自信がなくだめだと思ってしまったことが、私達の欠点だと私は思った。 例えば、今まで勝っていても、あと1本という時になかなかその1点が取れなくて、ジュースになってしまって負けてしまう。私は、そこを乗り越えられなかったことが、私達の負けた原因だと思う。このことは高校進学をしても、大人になっても忘れないと思う。 これからもバレーボールをやっていこうと思う。 _________________________________ 「不安」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 不安 僕は、今卒業を前にとても不安というものを感じている。 中学に入学した時も不安を感じたことがあったが、その時はみんなに勉強が付いていけるだろうか、勉強の仕方などについての不安だったが、入学してから徐々に薄れていった。 しかし、今僕が感じている不安は、人生に対するものである。僕達は、もうすぐ9年間の義務教育を終え、第2の人生を一人一人別々の道を歩み始める。この9年間というもの先生方を始め父母や近所の人々に甘えたり、世話になったりしてきた。僕はこれから第2の人生を歩み始めるというのにこれでよいのだろうか、とよくそんなことを不安に思う。多分先輩達も僕と同じことを考えたと思う。そして、それを乗り越えて一人一人別々の道を切り開いていったに違いない。 これからの僕は、今までの考えを変え、何事にも自分の力で解決できる強い心を持ち、これからの人生を自分自身ですばらしいものにさせていかなければならないと思う。 _________________________________ 風雪・低温注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [発表]低温注意報 [継続]風雪注意報 風 注意期間 16日夜遅くまで 北西の風 最大風速 12メートル 低温 注意期間 17日まで 付加事項 地吹雪 水道凍結 路面凍結 _________________________________ 「部活動の思い出」(昭和50年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 部活動の思い出 入学してもう3年間の月日が過ぎ去ろうとしているが、僕はこの3年間に何をしたのだろうか。別にこれと言ってしたことはない。ただ何気なく過ごしてきたのだ。勉強もろくにしなかったので、今になって後悔している。 後に部活動に入ることでも迷ったが、いろいろ考えた末、柔道部に入ることにした。柔道部も面白かったが辞めてしまった。 そして、今度は剣道部に入った。部活動は、今の給食室でやった。部員は、先輩1人に僕達1年生数人しかいなかった。最初に、基本的な竹刀の持ち方、足の運び方、構え方などを教えてもらった。そのうち、面の打ち方や小手・胴の打ち方なども教えてもらった。剣道部も基本的な動作を身に付けたくらいで辞めてしまった。 ぶらぶらしていたのだが、つまらないのでまた剣道部に入った。部にはまじめに行った。だが、先生は一度も来てくれなかった。最初の内は、竹刀でたたかれた所が黒くなって痛かったが、後に慣れて何でもなくなった。練習も面白くなり、時間の立つのも忘れて練習するようになった。僕達も新人戦や中体連には出場したが、勝ったことはなかった。とても残念だった。 今まで経験したことを生かして、よりよい立派な社会人になりたちと思う。 _________________________________ 「友情」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 友情 僕は、3年間けんかをし、けんか友達ができた頃もあった。その頃を思い浮かべてみると、3年間よくけんかをして遊んだと思う。こんな僕は、誰にでも嫌われたことさえあった。そんな時、僕の近くに現れ、僕を立ち直させてくれた友がいた。これこそ青春の友情といえると思うような気がした。決して忘れることのできない友情の血が流れ込んでいるのであろう。 そして、僕は友情というものがどんなにすばらしいか、しみじみと分かってきた。こんな僕は彼に恩ができたみたいだ。 小さな友情が、あの時どんな友情よりも大きく、どんなにすばらしいことかしみじみと知った。 _________________________________ 第4回授業参観が行われるお忙しい中、そしてお寒い中、たくさんの保護者の皆さまに学校にお越しいただきありがとうございました!(感謝) 小浜は午後から◇みぞれ◇学校だより「おばま」第71号を発行記事の内容は、「今週(2/11〜2/15)の本校の空中放射線量」「「校地内植栽の伐採」作業が着々と進んでいます」です 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>の第71号をご覧ください。 本日の授業参観時に『ノート展示会』(全校生)を開催します〜ぜひご覧ください!このノート展示会は、学力向上の手立ての1つとして、昨年度2学期から定期的に実施しているものです。子どもたちは、普段は見ることができない他学年のノートを見ることにより、授業への取り組みやノート作りの意識を変える機会となっています。回を追う毎に、子どもたちのノート作りが改善・向上しています。 本日の『ノート展示会』は今年度最後の開催となります。 本日、学校にお越しの際は、ぜひ子どもたちの工夫されたノートをご覧いただきたいと思います。 |
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