最新更新日:2022/09/13 | |
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強風注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [発表]強風注意報 [解除]濃霧注意報 風 注意期間 18日夕方まで 北西の風 最大風速 12メートル _________________________________ 濃霧注意報が出ています(ご注意を!)また、二本松市は、福島地方気象台発表によりますと、下記のようになっております。 _________________________________ 二本松市 [継続]濃霧注意報 濃霧 注意期間 18日昼前まで 視程 100メートル以下 _________________________________ 今朝の小浜は△曇り空△〜気温「3度」国際大学の支援・協力で<ともしびプロジェクト>(第6回目)を実施〜子どもたちの取材記事を随時掲載中!<ともしびプロジェクト>とは、被災地学校からの情報発信活動を支援するプロジェクトで、現在、岩手・宮城・福島から11の学校が参加しています。中学校の参加は、岩手県の大船渡市立第一中学校、福島県の二本松市立小浜中学校(本校)、飯舘村立飯舘中学校、いわき市立勿来第一中学校の4校となっています。情報発信活動としてホームページの支援を受けています。 本日(17日(月))、国際大学の先生2名が来校され、3年の技術の時間に指導を受けました。 子どもたちは、前回(12月14日(金))、自分のテーマに従って取材(インタビューなど)したメモをもとに記事を作り始めました。本日は取材記事の仕上げです。 子どもたちは、取材記事をワード文書にQ&A形式にしたり、相手の言葉を自分がまとめるという形にしたりしながら、書き出しとまとめに注意し、興味を持ってもらえるようなタイトルを付けることに気をつけながら完成させていました。 (笑顔) なお、子どもたちが作成した取材記事は、現在随時掲載中で、今後毎日1〜2記事をホームページに掲載していきますので、ぜひご覧いただきたいと思います。 ※ 子どもたちの作成した記事は、ホームページ左側の【カテゴリ】の<子どもたち自身が作るホームページ>をクリックしていただけると、今まで掲載した記事が全部ご覧いただけます。 「他人のために行動できること」(朝会での教師の話)本日の教師の話は、教頭の加藤広明先生です。 話の内容は、会津地方の学校に勤めていた時、ある施設を訪問してトイレに入ると町長さんもトイレに入ってきて、自分は自分の使用したスリッパを揃えて出てきたが、町長さんはトイレにある全部のスリッパを揃えて出てきたのを見て、自分が自分のことしか考えていなかったことを反省し、他人のために行動できることが大切であると思ったことなどについてです。 今後もこのスタイルの朝会を継続していきたいと思います。 体育館内に大きく響きわたる校歌♪(笑顔)本日行われた朝会でもみんなで校歌を歌い、その校歌は体育館内に大きく響きわたっていました♪(笑顔) _________________________________ ◇小浜中学校校歌制定の由来◇ 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、代五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。 ○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。 ○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。 ―以上の理由から、PTA会長松本市は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。 因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。 _________________________________ なお、詳細につきましては、学校だより「おばま」第5号に掲載してあります。本校トップページ右側の【配布文書】の<配布文書一覧>の中をご覧ください。 数多くの各種表彰伝達を行う(拍手)(笑顔)表彰(伝達)された子どもたちは、感想や今後の決意や意気込みを力強く述べていました。 吹奏楽部1・2年生の♪生演奏♪による朝会の入退場♪吹奏楽部の1・2年生だけの演奏です。少人数での演奏ですが、元気のある爽やかな生演奏です。(笑顔) 校地内の垣根には◇霜◇今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー3度」「3年間を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 3年間を振り返って もう今は過ぎ去ろうとしている3年間。初めて中学校の制服を着てみんなとはしゃぎ回ったのも、もう過ぎ去ろうとしている。この3年間で、みんなと仲良く話をしたあの日、笑ったり、泣いたり、励まし合ったりしたあの日が過ぎ去ろうとしている。 今思うと、もうあの日あの時のことは返ってこないのだなと考えてしまう。 私には、1番思い出になったことは別にない。ただ、みんなと2年3年の時行ったキャンプくらいだ。 この3年間、振り返ってみて、もう返ってこないと思うと寂しくなってきた。お世話になった先生方、ありがとうございます。卒業してからも、真っ直ぐな心を持って生きていきたいと思います。 _________________________________ 「若さ」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 若さ ただ一つのことに脇目もふらずたた一直線に自分の道を、激しさや情熱、そして青春という新鮮で生き生きとして胸がわくわくするような言葉である。それは、「若さ」という言葉の裏には、喜び、悲しみや苦しみが数知れないほどあると思う。 私たちには、青春という新鮮で生き生きとした言葉が与えられるのだと感じ、人は努力するのです。また、若いということは悩みが大きい。だから、若さに夢を結ぶため人は精進することだ。 何か得るところがあれば、僕は幸いです・・・ 青く輝く空を見上げて、自分の行く道を広く、大きく、掴む若へ・・・ _________________________________ 「私の3年間」(昭和49年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 私の3年間 中学校生活も後わずかとなった今、3年間の思い出がありありと浮かんでくる。 入学して、何もかも新しく見えた学校生活が、今では私の3年間の思い出の中にある。その中で、部活動が最もよい思い出です。それは、2年生の夏休み、猛練習したかいあって、中体連の時に優勝し県大会に行ったことです。県大会に行ったものの、1回戦で負けてしまった。でも、県大会まで出場したことはすばらしいことと思って、私の心の中に一生残っていることでしょう。 次に学校祭のことです。合唱の時に伴奏をしたことです。私は何も習っていなかったのに、こんな大役をしたことです。マラソンで息が苦しくなっても走り通した時の気持ちが、この3年間の中に入っているのです。 私の3年間の思い出はこれだけではありません。まだまだ書き足りないくらいあるのです。 私は、後わずかとなった中学校生活をよりよいものにしていきたい。 _________________________________ 「思い出」(昭和48年度卒業文集より)当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。 _________________________________ 思い出 僕の思い出は数え切れないほどある。その一つ一つが胸に焼きついている。1年生の時には、一日一日が緊張の塊であったような気がする。そして今となっては、味もそっけもない思い出として残っている。 ところが、2年生の思い出となると、キャンプのこと、日光への見学の旅、その他いろいろなことが頭に浮かぶ。特に、キャンプは最も充実したサークル活動であった。 初夏の夕方、湖畔のテント脇、昼吹いていた風は止み、快い冷気が言わば夕凪と化して顔を吹き通る。級友たちとの楽しく、そして有意義な会食。それらが、今くめども尽きぬ次元の世界となって頭中を駆け巡る。短かった2日間が、卒業を間近に迎えた僕の頭を波打つ。 級友と共に寝、共に笑い、共に歩いたあの修学旅行も、今ではただ一つの懐かしい思い出となってしまった。 ここで築き上げてきた3年間を、あと90余日で完遂のたまものとして、僕の胸が体全体が掌握するのだ。僕は、この残された数ヶ月を充実感に満ちたものにしなければならない。そのために一歩一歩確実に歩んでいこう。 _________________________________ 国際大学の支援・協力で<ともしびプロジェクト>(第5回目)を実施<ともしびプロジェクト>とは、被災地学校からの情報発信活動を支援するプロジェクトで、現在、岩手・宮城・福島から11の学校が参加しています。中学校の参加は、岩手県の大船渡市立第一中学校、福島県の二本松市立小浜中学校(本校)、飯舘村立飯舘中学校、いわき市立勿来第一中学校の4校となっています。情報発信活動としてホームページの支援を受けています。 本日(14日(金))、国際大学の先生2名が来校され、3年の技術の時間に指導を受けました。 子どもたちは、前回(11月30日(金))から本日まで、自分のテーマに従って取材(インタビューなど)を行ってきました。本日は、その取材したメモをもとに記事として作り上げる作業です。 子どもたちは、取材メモから5W1H(Who・What・When・Where・Why・How)を整理しながら記事を打ち込んでいます。打ち込んだ後は、文書構成を行っていきます。 子どもたちは、インタビューの具体的な内容について考え、パソコンで打ち込んでいました。来週から子どもたちのインタビュー活動が始まります。どんなインタビュー活動をするのか楽しみです。(期待)(笑顔) なお、子どもたちが作成した取材記事は、今後(12月下旬頃)ホームページに掲載する予定です。 学校だより「おばま」第62号を発行記事の内容は、「今週(12/10〜12/14)の本校の空中放射線量」「お忙しい中、『授業参観』及び『学年懇談会』にお越しいただきありがとうございました(感謝)」「『県北地区バレーボール1年生大会』で小浜中・福島三中合同チームが☆☆優勝☆☆、『安達管内バスケットボール1年生大会』で小浜中・二本松三中合同チームが☆ブロック1位☆(拍手)」「「中学生の税についての作文」で大内さん(3年)が☆☆優秀賞☆☆を受賞しました!(拍手)(笑顔)」「「わたしが考えるふくしまの未来作文」で菅野さん(3年)が☆☆優秀賞☆☆に輝く!(拍手)(笑顔)」です 詳細につきましては、トップページの右側の【配布文書】の<学校だより「おばま」>の第62号をご覧ください。 「わたしが考えるふくしまの未来作文コンクール」で菅野さん(3年)が☆☆優秀賞☆☆に輝く!(拍手)(笑顔)【作文部門】に応募した本校の菅野さん(3年)の作文が見事☆☆優秀賞☆☆に輝きました!(拍手)(笑顔) ☆☆優秀賞☆☆受賞おめでとうございます!(拍手)(笑顔) 表彰式は12月26日(水)に福島県庁で行われ、福島県知事様より直接表彰を受ける予定です。 以下に菅野さんの入賞した作品を紹介します。 _________________________________ 魅力ある福島を取り戻すために 昨年の3月11日、東北に大きな地震と津波が襲い、甚大な被害をもたらした。誰も体験したことのない、未曾有の出来事だった。そして、この震災と同時に原子力発電所の事故が起こり、放射能物質がまき散らされた。それが福島の復興を遅らせているといえるだろう。元の魅力あふれる福島を早く取り戻すために私達はどうするべきなのだろうか。 福島は、春は花見、夏は海水浴、秋は紅葉狩り、冬は雪見を楽しむことができる、本当に魅力的なところである。震災前は、自然が豊かで美しい福島も、一年を通して多くの人々が観光に訪れていた。震災後の福島も、自然が豊かで美しいけれど、観光客の数は減り、私達も自然にあまり触れることができなくなった。それに、米や野菜を買う場合、震災前は迷わず福島県産のものを買っていた。しかし、今は放射能のことを心配して、他のところで作られたものを選んだほうがいいのだろうか、と少し迷ってしまう。だが、私は今もできるだけ地元で作られたものを食べるようにしている。なぜなら、放射能の事を気にしておいしい野菜を食べないのはもったいないからだ。また、震災の被害を大きく受けた場所で農業を営むことは、容易なことではない。しかし、農業従事者達は、そういう厳しい状況の中、野菜などを生産し続けている。彼らは、震災の被害に決して負けないという強い心とふるさとを愛する心を持っていると思う。そして、消費者達は、彼らのそのような心を理解するべきだ。私は、彼らが生産したものを食べることで、被災地を応援できると思う。以前、テレビのコマーシャルで「食べて応援しよう」と言っているのを聞いて、そう思った。 現在、福島は、放射能の影響で、思うように復興が進んでいない場所も多く、解決が困難な問題を多く抱えている。そして、そんな中で、未来への希望を見つけられず、笑顔を忘れてしまっている人も少なくない。しかし、そんなときこそ明るい未来を信じ、夢に向かって進んでいこうという前向きな気持ちを持たなくてはいけないと思う。どんあときでも笑顔を忘れず、みんなで声をかけ合い、支え合わなければいけないのだ。私は将来、医者になり、多くの人を助けたいと思っている。そしてたくさんの人を笑顔にしたい。私は、どんなことがあってもこの夢をあきらめずに、必ず実現したいと思う。 つらいことがあっても決して夢や希望を捨てないこと、みんなで支え合うこと、そして笑顔を忘れないこと。それが、今を生き、福島の未来を担う私達に求められているものだと思う。一日も早く元の魅力ある福島を取り戻すことができるよう、みんなが笑顔でいられる福島をつくることができるように、日々努力していきたい。 _________________________________ 青空が広がり◎快晴◎となりました(笑顔)学校周辺に雪がまだ少し残っているためか、青空の色がとても映えます!(笑顔) 今朝も校地内の垣根には◇霜◇今朝の小浜は△曇り空△〜気温「ー1度」 |
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