最新更新日:2022/09/13
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「私の思い出」(創立50周年記念誌より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   私の思い出

 「光陰矢の如し」という言葉があります。早いもので母校が創立してから50年の月日がたちました。この学び舎から数千名の人々が社会に出て、それぞれの地域においてご活躍されておりますことは、誠に素晴らしく小浜中学校の誇りとするところでしょう。
 戦後50年が過ぎ、さらには地方自治法が施行されて50年がたち、記念すべき創立50周年の事業であること誠に喜ばしいかぎりであります。
 この母校が創立された頃の思い出は沢山あります。自宅の近くで遊んでいると本宮(旧グンゼ工場)が、爆撃されているのを、間近に見た思い出があります。
 とても恐ろしい光景でした。又『蟻とキリギリス』の話のように、夏になると準備をしなければならない物がありました『薪』です、冬の暖房の為の燃料です。今の成田町田から約4キロの道を歩いて運ぶのです。今ではとても考えられないことです。
 当時の私たちの学年は4クラスありました。今は全学年で9クラスと聞いております。小浜中に限らず全国的に少子化が問題となっております。又、以前は今のような「イジメ」等も無く狂気的な犯罪も無く平和な時代だったと思います。
 今後も我々が学んだ母校を守り皆さんと共に継承し、小浜中学校が限りなく発展されますようご祈念を申し上げますと共に、50周年記念事業に際し、ご苦労されました、同窓会役員始めPTAの役員並びに教職員の皆々様に感謝を申し上げまして私の思い出の一言と致します。
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 昔の苦労が実感できます。これからも「イジメ」のない明るく元気な学校にしていきたいと思います。

昭和61年度卒業生年直し同級会寄付贈呈式

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 本日午後4時30分から、「昭和61年度卒業生年直し(厄払い)同級会寄付贈呈式」を行いました。式には、同級会の代表幹事の「移川直弥様」と幹事の「渡辺正美様」がお出でになり、生徒会長の石川君、副会長の大内君と村田さんが出席しました。
 同級会は、1月2日に浜の湯で行われ、49名と恩師の先生方2名が参加し、盛大に行なわれたそうです。同級会の中で震災があり大変な年であったので、同級生一同として母校に記念品を贈ろうということになり、同級会に参加できなかった方々全員に声をかけ、寄付を募ったそうです。
 贈呈式では、移川様、渡辺様から「これからの生徒のみなさんの活動で使っていただいて、さらに良い小浜中になってほしい。」というあいさつがあり、その後生徒会役員の皆さんに、「体育館ワイヤレスマイクシステム一式」が贈られました。
 生徒会長の石川君から、「これから様々な行事で大切に使わせていただきます。」というお礼の言葉で式を締めくくりました。
 同級生の皆様、本当にありがとうございました。

「創立50周年にあたって」(創立50周年記念詩より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時の校長が書いたあいさつ文が目に止まりました。以下に原文の一部抜粋して紹介します。
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   創立50周年にあたって

 小浜中学校が創立されて50周年を迎えることとなりましたが、誠に意義深く、ご同慶に堪えません。
 顧みますに、本校は飽和22年4月15日小濱町立小濱中学校として創立、同年5月1日開校、以来50年の歳月を経るなか、幾多の苦難を乗り越えつつ輝かしい歴史と伝統を築きながら、約7千名に及ぶ卒業生を送り出してまいりました。これも偏に、本校教育の充実発展に尽力された郷土の先人と奉職された先輩教職員各位の努力と、行政当局、地域住民のご理解とご協力の賜であり、これら多くの方々に対し心より敬意と感謝の意を表わす次第であります。
 本校の沿革詩並びに学事報告記録を総覧して強く思うことは、「不易流行」という言葉です。ちなみに昭和23年度の教育目標には、『「社会の要求に応じ、正義感と責任感とが強く、自主的精神に富む」「真理を探究し個人相互の評価を尊ぶ」「正しい職業観をもち勤労を愛する」「明朗にして健康である」国民を育成する』と掲げられていますが、現在の教育目標と何かわることなくまさに不易であります。一方、学事報告に記載されている行事や進路やスポーツ(現在の部活動)の状況などはその年度その年度で変化がありまさに流行であります。そして、さらに思うことは、その時代その時代に対応すべく不易と流行の調和を図ってきた先輩教職員各位の英知と努力の姿であります。
 今、学校教育は21世紀を目前にして大きく変わろうとしておりますが、創立50周年を迎え、これを機にこれまでの経緯を振り返り、先人の労苦と偉業を回顧するとともに、新たな世紀に向かって力強く前進しなければと、その意を固めておるところであります。そのためにも、日々の教育活動を停滞させないよう肝に銘じ、生徒一人一人に心豊かで社会の変化にたくましく対応する能力を育成し、郷土を愛しその発展に寄与する人間の育成に努めてまいりたいと考えております。
 以下略
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 小浜中学校創立以来、ずっと引き継がれ大切にされてきた不易をこれからも大切にしたいものです。

「小浜中学校創立50周年に寄せて」(創立50周年記念誌より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   小浜中学校創立50周年に寄せて

 昭和22年学制改革により、6・3・3制がしかれ、私が第1回生とし30余人が尋常高等科より中学3年生として入学しました。
 校舎は現在の小学校の体育館の所にあった旧校舎を小学校より借り、急こしらいの名ばかりの小浜中学校校舎で学んだ1年間でしたが、私たちは希望に燃えて、新しい勉強に新しい学校作りに励んだことが走馬燈のように思い出されます。
 昭和26年学校教育も軌道に乗り学校設備も充実し、生徒の情操教育に是非、吹奏楽部を作りたいとの話があり、時のPTA会長さんが町に陳情したところ予算が少なく、何かよい方策がないかと・・・。私が1回生なので相談を持ちかけられて来たので、それでは同窓会を組織してみようと町内在住の卒業生に呼びかけ予算不足分を同窓生にお願いしたのが同窓会の出発でした。
 同窓会も郡内では1番早く結成され、吹奏楽の楽器の購入資金も同窓生の後輩を思う心により、郡内1の吹奏楽の楽器を購入でき、生徒達の熱心な練習により、昭和26年県中学校音楽祭に参加し『最優秀校』に輝くことが出来たことが記憶に残る思い出であります。
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 同窓会の原点がわかりました。「小浜中の子どもたちのために」ご尽力いただいたことに感謝申し上げます。

「50周年を迎えて」(創立50周年記念誌より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時の生徒会長が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   50周年を迎えて

 先輩達や先生方、PTAの方々を始めとする、多くの人達の手によって築き上げられてきたこの小浜中学校も、ついに50周年を迎えることになりました。これまでの、数々の素晴らしい伝統を受け継ぎ、更なる発展を遂げることが、私達に課せられた使命です。
 現在も引き続き実践されている事の一つに朝の挨拶運動があります。1週間交代で各クラス全員が早く登校し、玄関前で他の生徒達を出迎えます。社会生活において、挨拶はとても大切なコミュニケーションの1つです。挨拶を交わす事で、お互いの気持ちを通い合わせ、その日1日を気持ちよく過ごすことが出来ます。ですから、この運動をより充実出来るように、生徒一人ひとりがその意義を再確認し、挨拶の大切さを心に留めて行っていきたいものです。この挨拶運動の他にも、部活動・生徒会活動をはじめ、ボランティア活動や各行事などにも熱心に取り組んでいます。しかし、残念に思われる点もあります。それは全体的に消極的で、指示待ちが多いという事です。そのため人まかせになってしまう事が多く、もっと積極的に自分の意見や考えを行動に表わすことで、更に能力を伸ばせると思います。
 これらの努力すべき点をそれぞれが自覚し、また現在の良き伝統に加え、新たな素晴らしい伝統を刻んで行けば必ず飛躍への道は約束されると思います。そして、この誇るべき私達の小浜中を、後輩達に引き継いでいきたいと思います。
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 小浜中の歴史は脈々と引き継がれています。あいさつ運動は、現在も続けられています。

「思い出」(創立50周年記念誌より)

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 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長様の一人が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   思い出

 私が入学時、旧校舎と新校舎(今の地蔵尊の休憩所)がありました。3年生になると新校舎に入りました。また県道側に桜の木があり、その桜の木は大きく成長し、今でも美しい花を咲かせています。また在学中に「東京オリンピック」が開催され、全校生で二本松まで行き、聖火リレーを見たあの感激は今でも忘れられません。桜の花は、春に咲き、春には散ってしまいますが、本校を巣立っていった多くの桜の花びらたちは、いまも、全国で元気いっぱいに咲き誇っております。この50年間で7千人以上がすでに巣立っていきました。まことに感慨無量でございます。
 昨今、統合中学校が多い中で、小浜小の卒業生だけがそのまま入学する中学校は少ないと聞いております。逆にいえば、それだけ先生と生徒の距離は近く、コミュニケーションはよく、中身の濃い授業を展開し、『文武両道』の伝統が残っています。先の福島国体の水泳で出場した生徒もおりました。
 本日は、50周年でありますが、今後、60周年と本校がますます発展しますよう、お祈りすると共に、同窓生の一人として、甚だ簡単ですが、思い出とお祝いの言葉といたします。
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 小浜中の重厚な歴史と伝統を感じます。

「私のPTAの思い出」(創立50周年記念誌より)

 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長様の一人が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   つらかった、校舎引地工事

 早50年の節目に当り経過が薄れがちでしたが、50周年記念行事が行われるとの事で回顧する機会が出来光栄に思います。
 私は、昭和22年度小学校高等科を卒業しましたが、改正による中学校の移行期間があり同級生約220名でしたが、新制中学3年に進学した数は30数名程度でした。
 当時、現在の中学校の場所を選定しその引地造成は学区の各戸に割当てられ、モッコ、リヤカー、トロッコ等で行い、河川の変更も皆人力による作業で、私の家では18人の人夫割当で辛かった思い出が浮かんできます。
 やがて私の子供が中学になり、昭和53年PTA会長をさせて頂きました。
 昭和24年に新築した校舎は焼却年限が来、昭和52〜3年に現在の校舎が新築され、PTA会長渡辺さん、私が副会長でした。特に校舎周辺の緑化が最大事業であり、学区全戸より協賛金を頂き植栽を行いました。
 同53年には屋体完成し、私が会長で設計、入札立会、特に引地造成が岩盤で特別予算組入の難工事でした。

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 昔は、校舎を造るのにもかなりの苦労があったのですね。

「在職5年の思い出から」(創立50周年記念詩より)

 学校に保管されている創立50周年記念誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代校長が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部抜粋して紹介します。
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   在職5年の思い出から

 私は昭和47年4月から52年3月までの5年間在職。この誇り高い小浜中学校で39年の教員生活のしめくくりをさせていただきました。非才な私を支えてくださった皆さまのご厚情終生忘れ得ません。衷心感謝いたしております。ありがとうございました。
 さて私も退職後20年、80才を迎えます。おぼろげな記憶から特に印象に残ることを記し50年の歩みのひとこまになれば幸甚に存じます。
 私の最初の忘れ得ない思い出としてはブラスバンド部の創部です。以前からPTAを中心に同窓会、体育等後援会が一体となり検討を進めており、47年度に入り資金造成に具体的な取り組みを決定、まず町長等に予算措置の懇願書を提出、一方白岩中の楽部を招き演奏をきき理解を深めた。そしてPTA、生徒会による「ふきとり」により40万円、同窓会員の協賛金30万円、計70万円を確保、PTA会長、同窓会長の連名で町長への寄付採納願いに添えて提出した。後日120万円の予算をいただき楽器の購入ができた。音楽科の戸田先生を中心に部員をまとめ活動に入った。特に日本楽器社東北指導担当の大友先生(仙台市)が数度にわたり来校し宿泊して心技一体の優れた指導に敬服感謝、いまも心に残ります。48年2月18日「PTA一日入学」を開催し町長等来賓のご臨席をいただき発表会を行い、報告、披露しお礼を申し上げた。以来毎年県大会に出場。それぞれの部門で入賞の成績をおさめた。現在交通安全、町産業文化祭等の特別演奏に万感の思いで拝聴いたしております。
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 ブラスバンド部創部には、たいへんな苦労があったのですね。

「思い出の生徒会新聞」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 何年に発行されたものか定かではありませんが、「思い出の生徒会新聞」の中のある『生徒會報』が目に止まりました。以下に一部を抜粋して紹介します。
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   七石三斗 三六五〇〇円
    いなごとり

 秋も深まり、冬のけはいさえ感じられるころ、霜を心配しながらいなごとりを三回行った。雨にぬれ、衣服をよごしながら、私達はがんばった。その結果、三回とも一万を超え、計七石三斗、三六五〇〇円にもなった。その中で、特に優秀な人を挙げると、次の通りである。
 1 一貫百八十匁 佐藤○○(三B)
 2 一貫百四十匁 三浦○○(二A)
 3 八百四十五匁 石川○○(二C)
 4 八百十五匁  鈴木○○(三A)
 5 八百五匁   大内○○(三D)
 6 七百七十匁  鈴木○○(三A)
 7 七百四十五匁 佐藤○○(二D)
 8 七百四十匁  遠藤○○(二D)
 9 七百三十匁  沢田○○(三A)
 10 七百二十匁  渡辺○○(三B)
 11 七百十五匁  遠藤○○(二D)
 12 七百十匁   菅野○○

 ※12名の方の名前は、個人情報の関係から省略させていただきました。

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 上位5名の男女の内訳と現在の重さに換算すると次のようになります。
 1 女子 4425g
 2 女子 4275g
 3 男子 3169g
 4 男子 3056g
 5 女子 3019g
 
 女子の頑張りが目立ったようです。イナゴの佃煮の1匹の重量は約7.5gだそうです。全部で何匹とれたのでしょうか? 考えただけでも大変な苦労があったことが分かります。
 「七石三斗」とはどの位の重量なのでしょうか? 1石=約31kg、1石=10斗として計算すると、何と約226kg(使ったことのない単位なので計算が正しいかどうかは不明です)となります。驚きです!!

「私の思い出」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 昭和三十一年度卒業生が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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      私の思い出

 昭和三十一年、当時私が中学二年生の時、浜中野球部が県北大会で優勝し、信夫ヶ丘球場に浜中の勝利の凱歌が流れました。現在ではその上に県大会がありますが、当時は県北大会が野球部員の目標でした。私も部員の一員であり二年生でレギュラーと、本当に光栄で、あの時の感激は忘れることができません。優勝旗を手にトラックで町内をパレード、ずっしり重いあの優勝旗。監督は佐々木先生で、安達高校時代名キャッチャーとして活躍し、卒業して間もなく浜中野球部の監督になり、年も若いせいか馬力も桁外れで、部員にとってはおっかない監督だったと思う。夏休みの練習では合宿も許可され、部員全員が寝起きを共に朝夕の猛練習がチームワークを生んだのかもしれない。
 こんなエピソードも。練習中にあった先輩がエラーをし監督からバケツに入った水を頭からかけられたことも。又、恥ずかしい話では、試合は頭に学生帽、ストッキングは八足しかなく、先輩の分だけ全員裸足で試合をするいう、現在では考えられないことです。それでも東達方部、郡大会、県北大会と完全優勝。出場した他校の選手と比べて、体が大きいわけではなく、力が強いわけでなく、それで優勝できたことは、監督の指導力、先輩達のチームワークが勝利に導いたと思っています。
 現在四年ごとにナインと監督、諸先生方を囲んで思い出会を開いており、今から四年目の来年を楽しみにしているところであります。

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 先輩方の優勝の陰には、たいへんな努力と苦労があったのですね。先輩の頑張りをぜひ見習いたです。

「現役からのお便り<女子テニス部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役の女子テニス部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<女子テニス部>

 私達女子テニス部は、念願の県大会へ出場することができました。
 県大会での1回戦は、吾妻中という学校でした。吾妻中は私達と同じくらいの力でした。同じくらいの力なのですから最後は気迫で勝負しなければなりません。私達は自分の力を信じて、精いっぱいやりました。応援の方も郡大会の時よりも迫力がある応援でした。全員が一つになってやってるんだなあと思いました。浜中のテニス部が一丸となってやったおかげで1回戦は無事突破できました。あの時の喜びは、今まで試合をやって勝った時の喜びとはどこかが違いました。この調子で2回戦もと思っていました。2回戦は惜しくも負けてしまいましたが、自分達の力を出し切って負けたのですから、悔いはありませんでした。
 この試合を最後に3年生は引退しました。
 私は、もっとたくさんの練習をしておけばよかったと今、後悔しています。ボールが思うようなところに決まらなくて、悩んでいた日もありました。でも良かったこともたくさんありました。ボールがスパーンと決まった時の気持ちの良さ、試合に勝った時の喜び。後輩にも、私達が体験して良かったと思うことを早く経験してほしいと思います。
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 充実感や達成感は、一生懸命に取り組んだ時に得られるものなのですね。

「現役からのお便り<卓球部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役の卓球部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<卓球部>

 思い出、それは何といっても、練習中のことが一番印象深いと思います。こんなことを書くのがおかしいと思われるかも知れませんが、これが私にとって、一番思い出深いことなのです。
 私が部長になってから、数日たったくらいで、他の部活との差が出てしまったのです。
 私は、そもそもあまりリーダー性や積極性がなく引っ込み思案でした。それで部長になったのだから、まとまりなどあるはずがありません。それに、私の家は、ちょっと遠いので、練習をおろそかにしたことがありました。それでも、副部長の協力で私のいない時は代わってもらい、ずいぶん助かったこともありました。
 部長になって慣れてきてからも、まだ先生に甘えて、先生のいない時は、ずいぶん楽をしたり遊んだりして先生に怒られたこともありました。
 新人戦では、あまりにもひどい成績で、先生もがっかりさせてしまいました。
 しかし、中体連では県北大会に出場することができました。1回戦で負けたとはいえ、中学校生活の最高の思い出の一つとなりました。部活動で学んだことをこれからの生活に生かしていきたいと思っています。
 後輩たちの頑張りに期待します。
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 部活動から学ぶことはたくさんあるのですね。先輩のエールのように、子どもたちの頑張りに大いに期待したいです。

「現役からのお便り<男子バスケット部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役の男子バスケット部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<男子バスケット部>

 僕はこの中学校に入学してから3年間、バスケットボールに打ち込んできました。嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことなどたくさん心に残っています。3年前、他の部には目もくれず、迷いもせずに、体育館に飛び込んでいったことが、今でも懐かしく、いい思い出として、心に残っています。
 やがて2年生になり、中体連も終わり、いよいよ新チームを作る時、僕は、部長に選ばれました。不安と嬉しさがまじって複雑な気持ちでした。少しでも強くなろうと、自分なりに頑張ってはみたものの、チームをまとめることは難しく、だいぶ苦労しました、しかし、先生の指導のもと1日1日練習を積重ねる内に、みんなの心が通じ合い、やがて、どこのチームの先生からも、
 「まとまりのある 良いチームだ!」
と、言われるまでになりました。
 大会では良い成績をおさめることは出来ませんでしたが、この3年間やってきたことは無駄ではなかったと思っています。協力する大切さ、友だちの励ましの心強さ、その他にもいろいろなすばらしいことを心の支えにして、これからも頑張っていきたいと思っています。
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 部活動からいろいろなことを学ぶことができるのですね。大切なのは、何事にも一生懸命に取り組むことだと思います。

「現役からのお便り<ソフト部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役のソフト部主将の書いた文が目に止まりました。(残念ながら現在ソフト部はありません)
 以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<ソフト部>

 私達ソフト部は、先生方の厳しいご指導のもとで、ひたすら”勝つ”ことを目標に頑張ってきました。1・2年生とも仲が良いので、協力生はすばらしいと思います。ソフト部の部活動は、とても楽しく感じたものです。時には、野球部の球が頭にぶつかったり、テニス部のボールが時々ならよいものの、何回も転がってきたり・・・。ソフト部独特の返事『オーライ』は、私は好きです。3年生は4人ということで、とてもハンデがあったと思いますが、監督の先生の教えのうまさと、2年生の頑張りのおかげで、中体連では2位、そして県北大会出場することができました。あと1勝すれば県大会への道も開けたのに、残念です。
 私達にとって部活動は、正に青春でした。3年生はもう部活動を引退しましたが、あとに残っている1・2年生に言いたいです。今という時間はもう帰ってきません。1日1日を大切に、部活動もその心構えで頑張ってください。私達が果たせなかった『優勝』も今の1・2年生ならできると思います。部長を中心に何事も強気でぶつかっていってほしいと思います。そして、3年生になってきっと、とてもすばらしい思い出として、返ってくるはずです。
 最後に、浜中ソフト部は永久に不滅です―。
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 残念ながら、現在ソフト部はありませんが、先輩が言っている「今という時間は帰ってこない」「1日1日を大切に」は、後輩達へのメッセージです。大切にしていきたい言葉です。

「現役からのお便り<ブラスバンド部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役のブラスバンド部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<ブラスバンド部>

 僕はブラスバンド部に、この3年間所属していた。その3年間の中には、いろいろな思い出がたくさんある。楽しかったこと、辛かったこと。
 楽しかったことと言えば、いつもの放課後の練習だった。みんなで助け合い、理解できないところがあればお互いに教え合ったり。時々、羽目を外し過ぎて先生に注意を受けたこともあったが、それも一つのいい思い出として残っていく。
 辛かったことと言えば、コンクール前の夏休みの練習だった。毎日あの暑い中、学校に来て練習したことだ。3階の音楽室は非常に暑く、みんなだらけ気味だった。その中で練習の結果完成したコンクール曲。しかし、その結果の成果がむなしく、僕達が学校に入ってきての3年間、コンクールではずっと銀賞という結果に終わってしまった。一度ぐらいは金賞ととって、県大会に出場したかった。
 でも、これから後輩達には頑張ってもらい、僕達の果たせなかった念願の金賞をとって欲しい。
 和枝先生、3年間いろいろ指導してくださって本当にありがとうございました。
 後輩達よ、これから一生懸命練習して、来年こそは金賞をとって県大会に出場してください。
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 先輩たちの念願の金賞受賞と県大会出場を目指して、頑張って欲しいと思います。

「現役からのお便り<バレーボール部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役のバレーボール部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<バレーボール部>

 私達バレー部は、入部してから県大会まであまり休む暇もなく、練習してきました。その練習は厳しくて辛かったものです。けれど、一人も挫折することなく、部活についてきたのは良かったと思います。たまには先生に言われたことが思うようにいかず泣いたこともありました。そんな時にはみんなで励まし合いながら、山口先生についてきました。
 山口先生もどれだけ辛かったことでしょう。1月の県北ジュニアから3月の県大会までは、3年生の担任ともあって忙しい時期でしたが、私達に少しでも教えられるように努力してくれ、また土曜、日曜日はゆっくり休めず、練習したり、練習試合に行ったりして私達につきあってくれました。
 山口先生とバレーボールは、私達を大きく変えてくれました。集中力、精神力、その他言葉で言い表せないたくさんのことを教えてくれました。そのおかげで中体連”優勝”という最高の思い出が作れました。「ピー」と試合終了の笛が鳴った瞬間、今まで苦しい練習に耐えてきて良かったと心の中でだれもがそう思ったことでしょう。県北、そして県大会とまた道はひらけました。私達の最後の県大会で思いっきり泣いたこと忘れません。
 ”やればできる”
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 ”やればできる”〜この言葉をしっかり心に受け止め実践したいものですね。

「現役からのお便り<女子バスケット部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役の女子バスケット部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<女子バスケット部>

 ”バスケット”といえばスポーツの中で、もっとも体力のいるものではありますが、この3年間、思えば厳しい練習でした。1日4kmマラソン、先輩の厳しい指導、1年の頃はあまりの辛さに何度も泣いたものです。そんな日々を送っていましたが、楽しかったこと悔しかったこともたくさんあります。『チーム全体が一つにまとまって団結した時の喜び』『3年生最後の大会で、2回戦敗退となってしまった時の悔しさ』どれもこれも今となっては良い思い出です。現在は1、2年生が主体となって部活動に励んでいますが、3年生から後輩に”根性”という言葉を贈りたい。ずぶとい神経、粘り強い精神力を持ってほしい。そして私達に負けないぐらいの立派なチームをあなたたちの力で築き上げていってほしい。そう願っています。頑張れ 後輩!!
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 いろいろな思い出があったのですね。後輩へのエール「根性」「頑張れ 後輩!!」は今の私たちへの励ましの言葉なのかも知れません。

「現役からのお便り<野球部>」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時現役の野球部主将の書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   部活動の現況報告<野球部>

 僕たち18人が、野球部に入部して今まで体験した出来事は、今となっては3年間の大きな思い出となって心の中に刻まれました。
 冬の寒い時、マラソン、腕立て、腹筋などのつらいメニューを部員みんなでこなしたこと。夏の太陽が照りつける暑い時、みんなで気合いを入れながら、打って、走って、守って一つのボールを追いかけたこと。そして、毎日毎日、先生のご指導のもと練習に汗を流したことなどついらい思い出などあった。
 しかし、それが練習試合、公式試合などに勝ったときの、みんなの手をとりあって喜んだこと。しかし、負けたときもあって、それをばねにしてどんどんと成長していったこと。
 僕たち3年最後の中体連のとき、2回戦で敗れてしまって、悔しくて悔しくて、涙を流してしまったことなど、もっともっとたくさんの思い出がある。
 このように、僕たちが3年間野球をやっていろいろな思い出をつくれてよかったと思う。
 後輩の皆さんへ、野球を精一杯頑張ってたくさんのよい思い出をつくってください。
 ご指導くださった先生方、野球部OBの方々、本当にありがとうございました。
 後輩へ一言「試合で笑いたかったら練習で泣け。」

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 いろいろな思い出があったのですね。後輩への一言「試合で笑いたかったら練習で泣け。」は現在の本校の子どもたちへの励ましの言葉なのだと思います。

「小浜中創立四十周年を迎え」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 歴代PTA会長様の一人が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   小浜中創立四十周年を迎え

 ここ、小浜中学校はみなさんもご存じのように、年毎に目覚ましい発展を遂げて参りまして、こんなに嬉しいことはありません。「伸びる」とか「発展する」とかいう言葉は誠に良い響きを持っておりますが、私には全く本中学校のためにある言葉のような気がしてなりません。さらにまた、本日の創立四十周年記念日にあたり、盛大なる記念式典を挙行できますことは、誠に喜びにたえないところであります。
 私達の当時を思い起こしてみる時、学校給食はなく、生徒それぞれが「ベントウ」を持参したものです。冬には冷たくなるので大きな箱を作り、下に火を入れ、上の段の「ベントウ」を入れて温めて食べたことも懐かしい思い出です。また、教室の暖房も大変でした。学校林という山林が今もありますが、当時中学校から4km程の所にあって、イソップ童話の「アリとキリギリス」に出てくる「アリさん」になって、夏の間に生徒全員で背中に薪を背負い、校舎の軒下まで運び、冬に備えるというものでした。
 そういった思い出を胸に、本日の記念式典を迎えまして、ひとしお感慨深い次第でございます。
 当時に比べ、生徒数は少なくなったものの、豪華な鉄筋三階建ての校舎という環境ですばらしい発展を目にし、耳にする現在であります。スポーツは全て上位に位置し、勉強も常に抜群の成績を示し、誠に喜ばしいかぎりであり、心から感謝する次第であります。また本校の教育内容・水準が、隣接市町村をはるかに抜き出ておりますことは、すでに定評のあるところでございます。われわれ父兄としては、心から全幅の信頼を申し上げておりますが、ここに、改めてお礼申し上げます。
 創立四十周年は、誠に記念すべきこととは存じますが、これを一つの節目として、これからの前進こそが真の意味での我が小浜中学校の伝統をつくり上げ、磨き上げる時代なのではないかと思います。
 はなはだ簡単ではございますが、なお一層の努力と勉学をご期待申し上げまして、本日のあいさつとさせていただきます。

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 いろいろな苦労があったのですね。これからも小浜中学校の伝統を築き上げ発展していくためにも、☆前進☆あるのみです。

「中学時代の思い出」(創立40周年記念同窓会誌より)

 学校に保管されている創立40周年記念の同窓会誌には、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 昭和二十九年度卒業生が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を紹介します。
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   中学時代の思い出

 遠い昔の話だが、私には、二つの大きな思い出があります。その一つは、陸上競技大会で信夫ヶ丘陸上競技場で安達代表として走ったことです。百米一本にしぼっての参加。二百米も好きな種目であったが、当時スポーツの鬼とまでいわれた鈴木三郎校長先生に、百米一本でやれ・・・と毎日放課後スタートの練習。スターティングブロックを裸足で強くけるので足の親指のうらが血で真っ赤になる毎日でした。毎日練習しても十三秒を切ることが出来なかった。スタートダッシュが悪い。百米競走は、スタート一歩目で決まるんだ・・・。どの大会でも、君は、スタートが悪いと注意される毎日でした。
 東達大会で一位、安達大会で一位、県大会で三位、夢であった信夫ヶ丘競技場において走ったときは、最高のよろこびでした。心配されたスタートもフライング寸前セーフ。七〇米位までトップでいったが、最後に追いこまれ三位でした。自分でもおどろくような記録十三.三秒でした。私の中学時代の大きな思い出の一つとして大切に心に、残したいと思います。
 もう一つの思いでは、一年生のときか二年生のときかちょっと忘れましたが、初森の山から割木を背にして運んだ思い出です。細い山道を全校生で運んだ割木は、重かった。今、思い出してみると寒い冬のまきストーブで暖をとったんだと思います。鬼満(悦)先生と競争した思い出もあります。先生が三束なら私が四束にすると、先生は五束にする。私が六束にすると・・・先生は七束。鬼満(悦)先生、今でも思い出にあるだろうか?しかし、最後に、鬼満(悦)先生に負けた。
 鬼満(悦)先生に力くらべは負けましたが、大きな思い出となっております。顔一面に、あせを光らせ歯をくいしばって頑張った苦労も、社会で出てからも苦しい思い出は必ず今でいう「人間造り」とつながり将来むくいられるとでも当時の先生の話には、あったんだと思います。
 同級生の皆さん、日本の北から南の端にはなれていても同窓生の心は、結ばれておりますし、出発点は、小浜中学校です。下手ながら同窓生の皆さんと遠かりし中学時代を思い出して、文章にしましたが、皆さんに「あ・・・そんな事もあったっけなあ。」と思い出してもらえれば幸いである。

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 先輩方には、今では考えられないよう大変な苦労があったのですね。素晴らしい先輩方です。
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学校行事
4/2 着任、職員会議
4/5 式場作成
4/6 着任式・始業式・入学式
PTA行事
4/6 新入生保護者会、PTA役員会・引継会
その他
3/31 学年末休業日
4/1 学年始休業日
4/2 学年始休業日
4/3 学年始休業日
4/4 学年始休業日
4/5 学年始休業日(最終日)
4/6 春の交通安全運動

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