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「思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出

 中学校に入学して、早くも3年の月日が流れた。飾り付けられた体育館で、担任の先生に名前を呼ばれて、席を立ったのが、ついこの間のことのように思われる。
 長いようで短い3年間だった。やはり、一番の思い出は、キャンプのようだ。2年生の時は猪苗代湖、3年生の時は鹿島町にある右田浜、2年生の時は食事の用意をしたが、3年生の時は食事の用意がなかった。その分、海で思う存分泳いだり、遊んだり、中学校最後の催し物だと思ったら、張り切らずにはいられなかった。
 赤々と燃え上がるキャンプファイヤーを囲み、肩を組み合い、みんなが一つになって歌った時の感動を、今も忘れずにいる。こんな時、友達っていいなってしみじみと思った。フォークダンスもした。父兄や先生方、踊れないのに輪に加わって足を踏み踏み大奮闘!キャンプの時のいろいろな光景が、まぶたの裏によみがえる。楽しかった、あの時は―。
 私は、よりよい多勢の友人を持ち、よりよい先生に恵まれて3年間を過ごしてきた。時には、けんかをし、悪口を言い、また時には、喜び、悲しみをわかちあい、大声で笑い、大声で泣き、3年間を共に過ごした彼らに心から感謝したい。私と共に歩んできた彼らに―。 
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「部活動を通して」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動を通して

 今、この3年間を振り返ってみて思い出らしきものは、部活動を通してである。
 よくもこんな女の腐った(友達の一人がそう言った)ような俺が、3年間もよく続けられたと思うと、我ながら感心する。だが、その間にもいつくかのトラブルはあった。特に一番大きかったのは、2年の時、ブラスバンドが出来るという頃であった。この頃の俺は、ノックをすればエラーをするし、バッティングはまるで駄目であったので、いっそブラバンにでも入ろうかと思った。しかし、それはできなかった。何故かはわからない。自分の本心がそうさせなかったのかも知れない。
 そして、中体連がやって来た。俺は、思いもよらぬ程の好調子であった。しかし、そんな俺にも運は尽き、左腕を骨折し退場した。俺の夢だった県北大会出場は破れてしまった。
 それからの2ヶ月というものは、左手の自由がきかず、ずいぶん不自由をした。俺の好きなスポーツも全然といっていいほどできなかった。
 でも、これも中学時代の思い出の一コマとして心に止めて置きたい。もし、忘れたとしても、この文章を読むことにより、うっすらと思い出すことだろうと思う。そして、その頃の自分をなつかしく思うことだろうと思う。 
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「帰らざる3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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   帰らざる3年間

 じっとまぶたを閉じると浮かんでくる。中学3年間の思い出が。
 
 希望に満ちて入学した3年前、あっという間に過ぎ去った3年間。学校祭、陸上競技大会、修学旅行、部活動、生徒会活動、お昼の校内放送、どれ一つとっても思い出深いものばかりだ。先輩たちも、こんな思い出を残して中学3年間にピリオドを打ったのだろうか?
 その間に得た友情、協力、責任など、これからも大切にしよう。
 中学生活を送った上で、つくづく大切だと思ったことは、自分を甘やかしてはいけない、自分にかたなければならない、克己だ。己に克つことは、できそうでできないものだ。しかし、これから長い人生を送る上で必要だ。
 又、これからの人生は、どんなものか、どんなことがあるか、わからないが、苦しいこと、悲しいことにぶつかったら、くじけずに中学時代の友達の顔や先生の顔を思い出して、どんなことにも前のめりに進んでいきたい。あの有名な坂本竜馬は、死ぬ時も前のめりになって死にたいと言ったという。前のめりの精神でこれから生きていきたい。いや、生きていくことに努力したい。
 最後に、3年間お世話になった先生方にお礼を言いたい。
 「本当にありがとうございました。」 
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「中学時代の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学時代の思い出

   中学1年(1組)
 中学生活が始まる4月4日は緊張ばかりの思い出だ。中学生活に慣れた頃、中間テストが始まった。成績はとても悪かった。夏休みに入り、入水の鍾乳洞へ行った。初めてなので、楽しい思い出が残っている。テニス部に入った。1年間ボール拾いばかりで、嫌な時もあった。合唱祭も1位になって嬉しかった。

   中学2年(2組)
 2年になって、やはり先生方は少し厳しくなった。1年1組の仲間も数人いた。部でも選手となり、初試合に出られて嬉しかった。部に入って初めての感激だった。マラソンも2年になって順位が上がって7位になった。合唱祭も1位と優秀をとって嬉しかった。夏休みのキャンプも楽しい思い出である。

   中学3年(2組)
 最上級生としての自覚も自分自身としてはしたが、やはり根気よくは続かなかった。部でも、最後の試合が始まり、マラソンもベスト順位の2位になった。合唱祭も最優秀賞をとり最後の感激だった。修学旅行は、今までで一番楽しい思い出である。こんな単純なことしか書いていないが、やはり楽しく、苦しかった中学時代の思い出である。 
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「3年間の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 中学校3年間を振り返って、いろいろな事がありました。
 中学校に入ったばかりには、職員室へ行って先生を間違えたり、よく暴れたりもしました。それに、1年の時は、来たばかりの先生にげんこを4、5回ももらったりしました。
 2年の時には、自転車で転んでケガをしたり、趣味で釣りをやるようにもなりました。でも、勉強の方は、授業もまじめに受けなかったので、少しも成績は上がりませんでした。
 そして3年、中学最後の修学旅行、学校祭、いも煮会などがあった。そして今、卒業の作文を書いている。
 中学校3年間には、いろいろなことがあった。2年連続、合唱で優秀、最優秀などをもらった思い出など。
 そして今昭和48年12月18日(火)午後8時15分、作文のでき上がり。 
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「学生服」(昭和48年度卒業文集より)

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   学生服

 僕は、今、兄の着ていた学生服を着ている。前のそれは、今では薄汚れて小さくなっている。中学生になった時分は、学生服のにおいをプンプン漂わせ、「中学生になったんだな。」と深く思わせた。そしてその服は、今ではかすかなにおいもさせはしない。歌、勉強、運動、喜び、汗、涙を共にしたそれは、僕の生活に耐えきれないで寂しく沈んでいったような気がする。
 ヒジはテリ光りして、つめえりは汗でしみになっている。裏地はやぶれ、ポケットは穴が開いている。校門をくぐるのに必ず身につけたものが、今はあわれな感じである。しかし、今は違う。兄の着た学生服がある。
 少しは汚れているものの、ポケットは穴が開いていない。
 残り少ない中学校生活をこれを着て胸を張って歩く。何となく希望と勇気が自然とわき出るような気がするこれを、そして来春も、一段と大きく真っ黒な学生服を着る。勝利に心を固くして、またペンを取り服を着る。
 「くる春や 小さきペンの 持ちごころ」 
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「ソフトボール」(昭和48年度卒業文集より)

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   ソフトボール

 最も思い出に残るのはソフトボールの練習だ。始めた時は下手だったので、2年間もBチームのキャッチャーをやった。最初はボールが怖くて、捕ることもできなかった。
 2年になってボールに慣れた僕は、Aチームに入れると思ったがBチームだった。来年はAチームに入れるだろうと思った。
 3年になってやっとAチームに入った。しかし、練習は厳しかった。中でも、バッティングについてだいぶしぼられた。僕は、家に帰ってからもバッティングの練習を続けた。その効果があって、当りが良くなった。それは僕にとって大きな喜びだった。
 そして、大会では4年連続優勝を果たした。
 このことは、いつまでも僕の思い出に残るだろう。 
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   思い出

 中学生活ももう終わる。真新しいセーラー服に胸を躍らせながら通学し始めたあの日のこと、何も知らぬ所でのことに不安と期待に包まれていた日のこと、今はもう3年も昔のことになってしまった。短かった3年間、その中にもたくさんの思い出がある。
 「小名浜・日光への旅」目的地が遠いために、バスに乗っている時が多くて退屈した。でも、やっぱり楽しかった。
 1つの鍋を囲んで食べた「芋煮会」煙に目を痛めながら作った。おいしい!
 キャンプにも行った。自分たちで火を焚き、飯を作って食べた。泳いだ。泳いだとよりは、水の中で遊んだというべきかも知れない。すいか割りもした。キャンプ・ファイヤーを囲んでのゲーム・ダンスも楽しい。その他にもたくさんある。文化祭、合唱祭・・・そして、3日という日程の中で何百という思い出を作り出した「修学旅行」宿舎のこと、汽車のこと、動物園でのこと、東京タワーでのこと、後楽園でのこと。このように思い出は尽きることはない。それに、思いでと言っても、楽しいことばかりではないはずだ。しかし今となってみると、楽しいようなことにも思えてくる。
 明日という日がいつか楽しい思い出となるように、今の努力を大切にしたい。 
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「入学式の想い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   入学式の想い出

 私達3年生はもうすぐ卒業だ。この3年間、想い出に残ることがたくさんあった。
 まず入学式に、胸をワクワクさせ、希望を持ち、そして不安を持ってこの学校に入学してきた。一目見てこの中学校を大きくどっしりした、がんこ者に見えた。この中学校の中を見たのは初めてだ。小さい時入ったようだが、まるで覚えていないのだ。小学校での見学もかぜで休んでしまったので、見学することができなかった。
 クラスは1年1組で担任は遠藤先生だった。とてもやさしい先生だった。でもきびきびしたところがあって、怒ると怖かった。
 担任の先生の話が終わってから、入学式会場に入場した。上級生が私達の入学を歓迎してくれて大きな拍手をしてくれた。でもドキドキして、てれくさかった。校長先生のあいさつがあった。毎日1時間以上勉強するように言われた。PTA会長さんのあいさつは、毎日5、6時間勉強して天下の小浜中学校と言われるようにがんばれと言われたことばが心に残っている。
 たくさんのお祝いのことばをいただいて、希望を抱いた入学式、いまでも昨日のように想い出に残っている。 
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「人間の価値観と信条」(昭和48年度卒業文集より)

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   人間の価値観と信条

 この世に生まれてから早いもので15年という月日が過ぎたのである。寂しい時、辛い時、いろいろな日々を送ってきた。
 そして今、私は、社会へのドアをノックしかけている。
 これからが苦しみや喜びの始まりで長くて短い人生に遊んでいくわけである。そして信条という言葉をともに大切にしていかなくてはならない。人それぞれ自分の信条があると思います。「人は人、自分は自分で、人の困っているなんか、お構いなし。」これが今の社会だと思います。実に嫌な感じを受ける。
 しかし、間もなく人生の第2スタートラインに立っている私は、今ここで新しい信条を見つけなければならない。
 「すみません」という反省の心。
 「はい」という素直な心。
 「おかげ様」という謙虚な心。
 「私がします」という感謝の心。
 「ありがとう」という感謝の心。
 この5心の信条と、最も大切な思いやりのある人間という心を忘れずに、これからの人生を忠実に過ごしたいと考えている今の私です。 
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「寒つばき」(昭和48年度卒業文集より)

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   寒つば

 寒つばき
 葉は変われども咲くがよし
 まだほころびぬ時節来るまで
 寒つばきが古葉から新葉へいくど化身しようとも、あのあでやかな花輪が一番よい。しかし、今は時節が来ないのでまだ見られない。なんと待ち遠しいことでしょう。
 我々も社会へ出たとき、いつか大きな大きな花をつけよう。
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「青春の夢を追いかけて」(昭和48年度卒業文集より)

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   青春の夢を追いかけて

 私たちは、この世界に生まれて、今が何でも発揮できる時期だと思います。そして、青春があるから未来へ向かうことができるのだと思います。
 この若々しい時代は、もう来ない。
 自然の美しさ、そして、大きな夢をこれから切り開く時なのです。そして、その道の人生や目標まで勇気を出して、長い道を歩いて行くのです。
 中には、横に曲がって行く人もいる。
 人間の考え方は、どんなものであろうか!と、つくづく思います。青春は、今日・今・と同じく二度と来ないのです。
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「クラブ活動の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   クラブ活動の思い出

 園芸クラブの思い出、それは学校の花壇に花を植えたり、木をせん定したり、草を刈ったりしたこと、ミニ庭園を造ったりしたことなどです。
 最初は全然やる気がなかったのです。
 しかし、やっている内に、学校は次第にきれいになっていくし、学校を卒業した後、振り返ってみて良い思い出ができる、やってみてそれほどおもしろくはないが、終わってやった所を見ると気持ちがいいのです。
 学校祭の時、園芸クラブでは、ミニ庭園を造ることになったので、山に行って材料をとってきて、2人で造った。難しくて、全然やる気がなかった。
 先生が来られて、石をよさそうな所に飾ってくれたので、後はだいたいできるようになった。
 最後の仕上げに先生が、橋などミニ庭園にふさわしい飾り物を持って来て、それを飾ってどうにかミニ庭園ができた。その時は、とてもうれしかった。
 この時の思い出と、今までやってきた思い出を思うと、園芸クラブに入ってとても良かったと思う。
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「修学旅行の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   修学旅行の思い出

 今、ここに3年間を振り返って、1番先に頭に浮かぶのは、やはり修学旅行である。
 海から遠い所に育ったため、海は珍しい。どこまでもどこまでも続く、大海原を見た時には、自分の心までも大きくなったような気がした。
 その夜は、三浦ケープシャトウに宿をとった。そして、ベランダに立って浜辺の風景を眺めながら感じた。それは、筆では書き表すことができないほど、素晴らしかった。
 また、東京にて、第一に驚いたのは、高層ビルが建ち並んでいることと、銀座のネオンのきれいなこと、に心が奪われていました。いろいろなことが、次々と思い出されてきます。
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「あすに向かって」(昭和48年度卒業文集より)

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   あすに向かって

 いつまでたっても永久に訪れることのないあした。
 二度と帰ってこない今。
 それでも一生懸命生きる人々
 わたしは15年間、これをくり返した。
 同じことを・・・何度も、何度もそこから数えきれないことを知っただろう。
 歩き方から2次方程式に至るまで。
 幼時走り行く道つくしんぼ

  入学したばかりのある朝のこと「あいうえお」と書いたノートを片手にうさぎのようにはねて行くと、道ばたには春の日ざしを浴びたつくしんぼが、頭に土をくっつけたままあたりを見まわしていた。一生懸命背のびして、まるで今のわたしのように。

 暗い闇ひときわはえる冬の星

 これからの世界、何が起こるかわからない。ただ、わかるのは、夜空の星のような無限の世界が待ち受けていることだけ・・・。
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「部活動の思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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   部活動の思い出

 この文書を書くに当たって、一番印象に残ったこと・・・それは部活動の思い出。ぼくの所属していた部は、バスケット部で、1年になってから、すぐ入部して基礎の練習からやらされた。
 初めは、苦しくて何度もやめようかと思った。しかし、歯を食いしばって頑張ってきた。この3年間悲しいこと、うれしいこと、つらいこと、おもしろかったこと、いろいろ思い浮かんでくる。
 2年の時、新人戦を前にして、部員全員がろくに練習もしないで試合に挑んだこと。その結果、岩代地区内で4校出場したうち、惜しくも決勝で針道中に1点差で負けてしまった。新人戦の前にまじめに練習していたら優勝していたと、つくづく思った。その頃は、チームワークもあまりなかった。また、ぼくは、上がってしまって実力を発揮することができなかった。しかし、その翌年の6月26日の安達地区総合体育大会において、13校出場したうち、第4位という成績をあげた。しかし、第3位までしか県北大会に出場できないため、悔しくてチームの2、3人は泣いた。
 忘れていたが、チームの人数は3年生だけで8人いた。みんな、おもしろく、あばれ友達で練習の時など、よくふざけて練習したものだった。このことは、一生忘れないことだろう。
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「部活動を通して」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動を通して

 昨年12月7日小浜中学校にブラスバンド部が結成された。
 ぼくはこの部に入部して以来1年の月日が過ぎました。
 初めのころは未熟な演奏でしたが、3月14日には蛍の光で卒業生を送り、4月22日には岩代町体育館の落成式で立派な演奏ぶりを発揮した。
 また、9月の音楽コンクールに出場などという話も進んだが、練習不足のためコンクールには出場できませんでしたが、二本松市民会館で行われた郡の音楽祭に出場した。この時の曲は3曲だったが初めての演奏経験なので、たいへん上がってしまったことが印象に残っている。
 また12月1日に行われた学校祭には夏休み練習した「吹奏楽のための寓話」他数曲を披露した。
 これで3年生は短い間でしたが、2年生とバトンタッチをした。
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「進路入社試験」(昭和48年度卒業文集より)

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   進路入社試験

 先日、渡された進路希望調査用紙で誰もが悩んでいる様子。こんな薄っぺらな紙だけで僕の進路は決まってしまうのだろうか・・・と不安な気になった。僕の夢は、電気の仕事をしてみたかったけれど現実は厳しい。そして11月僕も真剣に進路を決めなくてはならない。それでいろいろ考えた結果、精機会社に決めた。バイパスを走る車の中から大官工場の下請けの工場を見つけた時の感激はうれしかった。面接試験の為に工場に行った。工場内を案内していただきとても親切な人達だった。面接試験で自分の言った言葉がこれからの道なんだなあと考えながら、合格の通知が来るのを待っていた。
 そして、4日後に合格の通知が来た。家の人達には、学校に上がるなら上がれと言うが小さい時から社会に出て、自分で働いて、お金を取りたかった。家の姉は言う。社会に行ったら、この言葉だけは思い出しなさいと。「怠け者は長い針も短い針もない時計である。」と言う。
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「友と心」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   友と心

 中学校の3年間は自分にとって生涯忘れる事のできない素晴らしい時だった。特に3年生の1年間は、充実し本当によかったと思う。自分も変わったものだと思う。早く言えば変身だ。何が変わったかと言うと『心』である。美を見いだせる心だ。いろんな体験をして、いろんな事を知った。それに、何でも言い合える友もできた。お互い力になってやれる、信用できる=友とは素晴らしいものである。自分はこの友をもったことを誇りと思い満足している。この1年間何も思い残す事はない。
 しかし、ただ一つ残念な事がある。それは、クラスが最後まで一つにまとまらなかった事だ。でも考えようでは、1番おもしろいクラスだったのかも知れない。みんなの心が一つにならなくて!『心』心とは何!?
 それは、何万何億あろうとも、一つになってこそ価値が、心の、人間の価値が発揮できるのだと思う。人間はいつになったら、それを一つにできるのか?今、我がクラスの心はおくれている。人間ならできるはずだ。
 心、それは人間なのだから。
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「編集後記」(昭和47年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集にある編集後記が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   編集後記

 かねてから計画通り12月初旬、「卒業記念文集作製」の仕事に入りました。この文集は義務教育課程を終えてゆく卒業生にとって最もよい記念となるものです。ですから、私たち編集委員40名は、この文集作りには、あらん限りの情熱をかけたつもりです。
 また、この「文集作成」にあたり、いろいろと学ぶところがありました。その中で特に感じたことは「信念」の偉大なることです。「文集にどのような内容のものを、どのような配置で載せるから、そして、これこれの過程を経て、いつまで完成する。」この場合、できるか、できないかではなくて、必ず成し遂げる、いや、成し遂げ得るという「信念」が私たち編集委員の活動の原動力となったことは確かです。編集委員は、みな必死でした。教室に居残り、今まで書いた原稿を持ち寄り、その中からの選択。そしてまた、新たに詩や短歌を作る。そして、それらの推敲・調整・そして配置・さらにカットのそう入というわけで、窓の外が暗くなるのも忘れて必死に頑張りました。この仕事を進める上で、今まで嬉しかったことは、学習の上で今まで余り目立たなかった人でも、「カット作り」などの面で、思いがけない特技を発揮してくれたことでした。
 制作についての苦労は、確かにありました。しかし、新しいものを自分たちの手で作り出すという喜びの方が、はるかに大きく、編集室となった教室からは、和やかな話し声や歓声、そして笑い声すらわき起こりました。みんなが仕事をしている教室の中は、ストーブの消えた後も、熱気でムンムンする程でした。若い情熱そのものでした。このようにして作られた文集は、何と重く、また充実していることでしょう。この文集は、私たちが、どんなに遠く離れようとも、私たち157名の心と心を堅く結んで、毎年大きな年輪となっていくことでしょう。
 最後に、お忙しい中、貴重な時間をさいて原稿を寄せてくださった校長先生、教頭先生、はじめ諸先生方ほんとうにありがとうございました。
 また、最後まで私たち編集委員の能力を信じ、信念と情熱をもってご指導くださいました3年の先生方、ほんとうにありがとうございました。3年生を代表して厚くお礼を申し上げます。
  昭和47年度・卒業文集編集委員長
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学校行事
6/4 朝会
中体連関係
6/5 安達支部中体連総合大会(1日目)
その他
5/30 教育実習
5/31 教育実習
6/1 衣替え、学校安全の日
自由参観デー
教育実習
6/4 教育実習
6/5 教育実習
部活動関係
5/30 部活動休止
生徒会関係
6/1 安達支部中体連選手壮行会

学校だより「おばま」

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放射線関係

二本松市立小浜中学校
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