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「短かった3年間」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   短かった3年間

 短かった3年間、そんな日を過ごしてもう3年。長いようで短かった3年間。その3年間の中にいろいろなことが頭の中にびっちりと残っている。入学の時に校長先生に「初心を忘れずに」と言われて、自分は中学校というところがとても厳しいように思えた。
 1年の時は、何も知らないでただ遊んだりしていた。初めて「中学校ってこんなところ」と思って、1年が過ぎてしまった。
 2年生になるとだんだんと学校というものが分かってきた。生徒会や奉仕委員会などいろいろなことが分かってきた。そして、2年生になって出版委員長として、毎月1回新聞を出すことになっていたはずだが、出さずに失敗に終わった。そして、2年の後半、セミナーやテキストがだんだん増えてきた。2年生が一番早く終わったみたいに感じた。
 そして3年生、「3年生ってテストばかりでおもしろくない。」なんて先輩が言っていたけれど、そうは思わなかった。3年生の初めは、2年生とはあまり変わらなかったけれど、8月になって進路のことについての面接やテストなど、だんだん苦しくなってきた。その時は「3年は嫌な生活」と思った。早く卒業したいとも思った。そして今は卒業したいなんて思わなくなってしまった。今が楽しい。
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「中学校生活」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中学校生活

 中学校に入学してから3年、もうその3年が終わろうとしている。小学校生活に別れを告げ中学校生活に心弾ませながら入学、慣れない中学校生活によくいろいろ悩んだりもしたし、一方大人になったような感じで気持ちがよかった。1年の時は菊作りもした。夏休みも交代で水やりに行った。これも忘れられない思い出の一つだ。2年の時は、何と言っても「キャンプ」が楽しかった。私にとっては初めての体験だった。なのでいつまでも忘れることができない。3年になってからは、目の前を何もかもが早く通り過ぎていってしまった。でも一つ一つ考えれば、どんなことでも思い出としてよみがえってくるのである。私は、これから苦しいことなどあったら、中学校生活を思い出して乗り越えようと思っている。
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「つり」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   つり

 僕はつりが大好きです。川の水につり糸をたれて、じっと浮きを見ていると、浮きが水の中に引き込まれます。つりざおにぐっと手応えが感じられます。この時僕はとてもどきどきします。
 糸の先でおどっている魚を見た時が一番うれしい。つった魚は池に放しておきます。  先日は、コイをつりましたが、その大きさは50センチもありました。つり上げた僕自身驚きました。これからも魚つりをしていきたいと思っています。
 魚をつっている人を見たら、僕を思い出してください。
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「3年間の中で」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の中で

 1年の時の入学式から、今までが早く過ぎて行くように感じられた。まず、1年生の時は野球部に入部したが、苦しかった時も楽しかった時もあった。だが、自分はそれに耐えていくだけの力はあった。そして、2年に進級して新人戦があった。その新人戦で優勝をした。また、3年になって間もなく修学旅行があったが、それに続いて中体連で1戦1戦勝ち進んでいったのである。だが、決勝戦で二本松二中に敗れはしたが、県北大会出場権を得たのである。それからというものは、練習がいっそう厳しくなった。そして、飯坂球場で、第1戦、北信中と戦って敗れはしたが、全力を尽くして敗れたのだから悔いはないと思った。
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「思い出を振り返って」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   思い出を振り返って

 長く感じられた3年間も、振り返ってみると、あっという間に過ぎてしまったようだ。その3年間には、忘れることの出来ない感動の場面が数えきれない程ある。コートの中でみんなと汗を流し、真っ赤に日焼けした中体連や、キャンプファイヤーの赤々と燃える炎を囲んで歌を歌ったりダンスをしたことや、雨の降る中を目に涙をためて作ったいも煮会や、足を棒にして歩いた遠足など、その他もろもろたくさんの思い出がある。けれども、これでいいのだろうかと思うことがある。何かもう一つ足りないような気がする。もう一度振り返ってみると、あの時はもっとがんばっておけばよかったなあなんて、悔やんでしまうことがある。しかし、過去を悔やんでもしょうがない。人生は長い。明日に希望を持って、1日1日を充実したものにして、明るく元気に生きよう。元気でな!!
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「今の日本とは」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   今の日本とは

 私は、今の日本の状態を見て、これこそ危険な時が来たと思った。
 私が生まれてから、こんなに物が不足した事があったろうか。特に石油は、今の日本の大不足となっている。石油は、なくてはならない物だ。石油で出来ている物はたくさんある。ビニール類とか、プラスチック類など石油で出来ている物ばかりです。なぜ、アラブではもっと輸出してくれないのでしょうか。私は、日本全員でアラブにデモでもしたい気持ちです。みんなは、そんな事考えた事はありませんか。私は短気だから、すぐこんな事を考えてしまうのです。だんだん石油だけでなく、ガスの不足、紙の不足、・・の不足とか、何でもかんでもなくなってしまいます。今の日本はどうなってしまうのでしょうか。私は、だんだん不安になって来ました。国では、もう少し考えてほしいと、私は思います。
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「2年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
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   2年間の思い出

 ”2年間の思い出”という題で書くことにしました。いろいろなことがありましたが、私の心の中に強く残っているのは、2年生の時のキャンプです。少しの間だったけどお互いに協力して、友情を深めていくということで、一人一人が努力していた。そのことが今でも忘れることができません。
 残念なことは修学旅行にみなさんと行けなかったことです。1年の時から夢にまで見たのに・・・。だからその意味でもキャンプが一番の思い出です。楽しかったことは数えきれないほどあります。1年の時からのマラソン大会や球技大会。いも煮会・・・部活動。
 今考えれば夢のようなことかも知れない。今は卒業を前にして色々な問題が・・・入試を前にしてもいろいろなことがあると思います。
 今こうして書いているとクラスのみんなの顔が頭に浮かんできます。2年間って長いようで短いことに改めて気づいた私です。もっといろんなことがしたかったし、多くの友達とつき合ってみたかったと思います。

 ”初心忘れるべからず”

 何事も新しい気持ちで希望を持ってがんばりましょう。
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「高みの見物を読んで」(昭和48年度卒業文集より)

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   高みの見物を読んで

 僕が、友達の家へ遊びに行った時、その時見た本の読書についての記事で、高みの見物という本の解説から、「おもしろそうだな」と思ったので、この本を読んでみました。名作などと言われる本や図書館にある本などより、こういう本が僕は好きです。
 初めて北杜夫という作家を知りました。後で分かったことですが、この作家はたいへん有名であることを知りました。
 主人公は、1匹のゴキブリです。本の構成は、「吾輩は猫である」にたいへんよく似ています。このゴキブリが目玉医者にくっついて、人間世界を冒険するという内容です。ユーモアにあふれるこの本は、読んでいると思わず笑ってしまう場面もあります。人間正解のくだらなさなど、作者のすばらしい観察力の鋭さがよくうかがえます。
 僕は、これからの出発にこの本から得たことを考えていきたいと思います。
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「学校生活の中で」(昭和49年度卒業文集より)

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   学校生活の中で

 3年間という時間の流れの速さを、今、改めて感じる。
 3年生になると、進路への不安から、現在の受験制度への反感を消すことはできなくなっていた。
 進学するための予備校のような中学校生活という人もいる。しかし、中学校は予備校であってはならない。今の私達に必要なことは、受験よりも多くの本を読み、多くの生活体験を得ることではないのだろうか。ぜひ、そうあってほしいものだと思う。
 学校生活は楽しかった。しかし、もっと自由な活動の時間があったのなら、私はもっと満足しているだろう。
 今思うに、入学当時の驚きの日々も懐かしい。その当時が、1番充実していたように思う。
 私達は、生きている以上、何のために生まれてきたのかを知るために、少しずつでも中学校生活を土台として全身していこうと思う。
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「空想の世界の中で」(昭和48年度卒業文集より)

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   空想の世界の中で

空想の世界の中で
私は夢見る
幼いころの私
どぶ遊びに胸をはしゃいだ
あのころを
今 私は芽が出たばかりの
あすなろ
青春という朝日の光を受けて
成長する
いつしか花開き
そして大きくなる
空想の世界の中で
私は夢見る
未来の生活
そして10年後の私を
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「中学校生活の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   中学校生活の思い出

 思い出、この一言にはいろいろなことが含まれている。楽しく有意義に過ごした日々。また、孤独感を感じた日々。今になってはみないい思い出にしか過ぎません。
 1年生に入学したばかり、何も知らなくて、先輩のすることを見て覚え、校内球技大会や学校祭、それにいも煮会などの行事を知り、中学校という所は行事が多い所と思った。
 2年生になって、夏休みのキャンプが楽しみでした。それは初めてのキャンプに希望を持っていたからです。
 中学校生活締めくくりの3年生。テストの毎日、そのテストが終わると特別サービスのキャンプがあった。そのキャンプで私は、思いっきり楽しんできた。そんなことがあった2学期、校庭に1列に並ばせられた。そのとき、私は3年生としての実感を感じさせられた。
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「校舎」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   校舎

古びた校舎
夕日を浴びて
もろくくずれそうな校舎
生徒の若い力で
がたがたふるえだす
老いた校舎
冬の授業は
北風が話し相手
猛烈に駆け寄って
笛を吹き去る
夏は太陽が
屋根に寝そべる
気温29度
そんな中の3年間
生徒会長に当選
うれしかったあ
280人の信任
ほんとうにうれしかった
校内球技大会
100m走1位
あのゴールでの感激
音楽祭
学校中に響きわたる合唱
年老いた校舎
そこでそだった思い出
伝統のある校舎だからこそ
得られた
喜び 苦しみ 悲しみ
ぼくらが
再び舞いもどる時は
このままの姿でいてほしい
古くたっていい
このままでいてほしい
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「卒業」(昭和49年度卒業文集より)

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   卒業

 長いようで短かったこの3年間を振り返ってみると、いろいろな思い出があった。その中でも1番に残っているのは、やはり先生にしかられたことで、今では中学校の思い出となってしまった。中学校を卒業してもこのようなことがあると思う。でも今では、もう卒業という言葉が口に出てしまうのだろうか。何も分からない私に、卒業という言葉がまだ早すぎる。
 社会に出ると、それなりにいろいろなことがある。苦しんでいる時は、先輩がやさしくしてくれる。私は、甘えてしまうかも知れない。若い人達は、苦労なんて言う言葉がわからない。やはり、若い人は、若者らしく生きることが1番楽しいことなのだろうか。

 木かげに道はないけれど
木かげに道はないけれど
生きることを考える場所がある
人はそこで苦労のあとの喜びを
人はそこでこれからの道を考える
新たにおそい来る苦労を
そしてそのために木かげがある
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「未来人からの伝言」(昭和48年度卒業文集より)

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   未来人からの伝言

 僕からみれば君達は過去の人間だ。君達は今、インフレや石油や公害で悩んでいるらしい。僕達30世紀人には、そんな問題は全然なくとても平和だ。そうなったのは21世紀からである。21世紀頃の日本の首相は田外丸栄である。君達からみれば、まだ生まれていない。従って君達より若い首相が、君達の世界に誕生するわけだ。
 話は変わって、僕達未来人の話をしよう。僕達の世界では日本などという国はない。世界が一つになったのだ。言葉も肌の色も皆同じだ。非常に苦労した。その代わり争いは起こらないし、食糧不足などの問題も起こらない。それに君達に、今見える太陽と月は、爆発してもうない。爆発する前に、僕達は人口太陽を2つ作った。昼専用と夜専用の2つだ。でもそれには限りがあるのだ。しかし、またすぐに作れる。だから、心配する必要はない。とても平和だ。
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「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   3年間の思い出

 この中学校3年間、いろいろなことがあった。小学校を卒業して中学校に入学したと思ったら、もう1、2年が過ぎて卒業だ。
 テニス部に入って夏は遅くまで部をやっていて、家に着いた頃はいつも夜だったので、家に帰ってからは何もできなかった。1、2年の頃は勉強を全然しなく、遊んだりテレビを見たりして、ただのんびりとしていた。そして、3年生の終わり頃になって後悔した。
 修学旅行、校内合唱コンクール、陸上競技大会、球技大会、部活動のいろいろな試合など、いろいろなことがたくさんあった。
 校内マラソン大会の時は、走るのをやめようと思ったが、みんな同じくらい苦しいんだと思って走り抜いた。校内マラソン大会をして、何事にもくじけずにやり抜かなければならないと思った。部活動もやはり同じことが言えると思う。楽しいこともあったが、嫌なこともたくさんあった3年間だった。
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「生まれてからの旅」(昭和48年度卒業文集より)

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   生まれてからの旅

 1958年5月5日、私はこの世に生まれた。肌が黒く見る人もそっぽ向くような赤ちゃんだった。姉には、どこへでも連れて歩かれ、今では信じられないくらい仲が良かったらしい。それから自然に友達ができ、上長折分校へ入学した。野菜取り、まき拾いなど印象的であった。また遅刻の常習犯で、それが今でもなおらないとは、何と情けないことか。それから何年か後、中学校に入学。みんあが大きく見え、緊張の連続。中学校生活は、一生のうちでも思い出の残る時だ。「有意義に」と思っていたが、もう卒業だ。経験、友達関係、社会勉強など、いろいろなことを積重ね、今巣立っていこうとしている。
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「中学校生活」(昭和49年度卒業文集より)

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   中学校生活

 中学校生活が残り少なくなるにつれて、とても心配になります。「このままで中学校生活が終わってしまうのか」と、何となく落ち着かない気持ちになってしまいます。この3年間私は遊んで終わってしまう気がしてなりません。
 テストでも、前の日になって慌ててやったり、あんまりのんびりで、やることもやらなかったり自分でも分かっているつもりでもいざとなると怠けてしまう。そのためテストの結果の悪さにがっかりして、寝込んでしまったりやることもやらないで、こんなことを思う私も「バカ」だな?〜と思ったりの繰り返しである。
 思い出はたくさんある。特に修学旅行など、今では「本当に行ってきたのかな?」と不思議に思ってしまう。ただ言葉では一言「楽しかった」としか言い表せません。
 その他キャンプや校内球技大会、それに雨の中でのいも煮会、それは特別な味がしていた。
 思い出は沢山あった方がいい。苦しみがあっても、後で楽しみに変えられるように!!
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「私の家の猫」(昭和48年度卒業文集より)

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   私の家の猫

 私は、小さい時からいつも猫と一緒に遊んでいました。小学生の頃、猫と一緒に遊んでいるところを写真に撮ってもらいました。その猫はもういません。どこかに行ってしまいました。今では、5匹の猫がいますが、その中でチビがとてもかわいいです。何をしても・どこへ行ってもいつも一緒です。私がこたつに入っていると、チビともう1匹の小猫のクロがいつもひざの上で寝ます。それをお母さんははたきます。だけど、猫はまた上がってきて、ひざの上で寝ます。その寝ている姿がとてもかわいいなあと思いました。
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「中体連旅行ロックンロール」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   中体連旅行ロックンロール

 3年間を振り返ってみると、色々な事が思い浮かんでくる。
 まず最初に中体連である。3年間で一生懸命やったのは野球くらいである。練習試合もやった。そして先生に怒られた事も。ピッチャーをやってコントロールがなくて、ファーストやショートなどを守った事もあった。今思ってみると、何とも口では言い表せないものがあった。
 次の修学旅行である。修学旅行で思い出に残っている事は、先生にはたかれた事だ。今思うのだが、あのはたかれた日は何故か僕の15才の誕生日であった。僕は、あの修学旅行は一生忘れられないと思う。
 最後に話は変わって、僕は今本当に高校に入れるのかななんて不安になる事がある。それはロックばかり聴いているからである。今好きなシンガーは、ミッシェルポルナレフ、リンゴスター、ジョージハリスン、ジョンレノン、エルトンジョン。
ジョージハリスンの言葉
みんなにきらわれてもいい。
でも僕達を否定しないでほしい。
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「未来の男性と自分の顔」(昭和48年度卒業文集より)

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   未来の男性と自分の顔

 自分の顔、非常に何とも言えない顔。世界、宇宙に行ってもただ一つ。だれが見ても「変な顔でおしゃべりだから口が大きくなるんだ。」と言われた。でもそんなことは気にしない。今は、中学3年でいろいろ悩んだり考えたりしているから、ゆがんだりしているけど、今に見てろ!3年3組のみんなよりも、一番先に結婚するかもしれない。すご〜くかっこいい男性にめぐり逢えるかもしれない。そんな時、みんなにいばって紹介してやると考える時もある。でも、本来は、どんな人に、どんな男性に、そして自分はどんな人に、どんな奥さんになっているのかなあ〜。
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学校行事
3/11 朝会
3/12 卒業式全体練習、式場作成
その他
3/7 3年給食なし(弁当持参)
3/8 3年給食なし(弁当持参)
部活動関係
3/6 部活動休止
入試関係
3/7 県立2期選抜学力検査

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236