最新更新日:2022/09/13
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 今、私たちは中学校生活を終えようとしている。振り返ってみると、いろいろな思い出があった。
 楽しかったこと、苦しかったこと、今までに3年間がこれほど短く感じたことはなかった。
 私は、部活動をやって本当によかったと思う。考えてみると、部活動をしなかったら、あんなに汗を流せたろうか?また、楽しい思い出が出来ただろうか?
 あの団体生活の中で自分自身の存在を自分自身でかみしめ、本気で体をぶっつけたこともあった。また、ある時は突き指をしたこともあったけれども、本気に部活動をやっていいて本によかったと思う。
 私は、今中学生活を終えようとしているが、また、新たな門出に向かって一前進しなくてはならないところまできている。
 私は、今までに中学生活で経験したことや体験したことを教訓にして、精一杯がんばっていきたいと思う。
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「みなさんへ」(昭和48年度卒業文集より)

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   みなさんへ

 私は9年間学校へ通ったのです
 飽きもせず通ったのです
 短かったような気もします
 友だちとも別れるのです
 少しさびしい気もします
 先生方とも別れるのです
 お礼を言いたい気持ちです
 思い出と言ったら 9年間のできごとがみんな思い出です
 一番の思い出と言ったらあります でも言いません
 胸の中にしまっておきます
 感心したことが一つあります
 飽きないで学校へ通ったことです
 楽しかったと聞かれたら 楽しかったとは言えません
 つまらなかっとも言えません
 先生方は忘れません 習ったことは忘れるかもしれません
 先生におわびします
 私は9年間学校へ通ったのです
 それはそれは 長かったのです
 この9年間は もうすぐ終わるのです 
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「決断」(昭和49年度卒業文集より)

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   決断

 私・・・
 今・・・
 悩んでおります
 それは
 自分が 人間としても
 男としても あまりにも
 恥ずかしい人生を歩んで
 今日まで来たからです

 私
 今
 その原因を思いつきました
 私には、2つ3つの長所と
 何千何万という短所がある
 また その中で
 一番私の恐れていることは
 それは 自分の意志
 そう 自分の意見がとっても
 弱いのだ
 そのため何度も失敗し
 苦い経験を味わいました

 今
 私
 決心したのであります
 それは これからの
 私の歩む未知の世界に
 何が起ころうと
 何があろうと
 自分の思ったとおりに
 この 人生を過ごしたい

 自分が思ったとおり
 自分が決断したとおり
 子の人生に 生きる
 何が待っていようと
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「飛び立つ僕たち」(昭和48年度卒業文集より)

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   飛び立つ僕たち

 今 僕たちは
 何もわからない
 大きな世界へ飛び立っていきます
 お父さん お母さん
 そして 数多くの諸先生方
 今までの事を思い出してみると
 数限りがありません
 この3年間
 誠にありがとうございました
 何もわからない大きな世界へ
 飛び立つ僕たち
 たとえこの翼が折れようと
 いつまでも
 いつまでも
 僕たちは
 飛び続けます
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「私の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   私の思い出

 思い出と言っていいのか分からないが、まず初めに、1年生の入学当時の喜びと中学校に対しての不安とでごっちゃになっていた。でも、中学生活に慣れるとその心配もなくなってきた。
 しかし、私にはもう一つの不安があった。それは、部に入った時に感じられた。私は、3年生の親しい友に紹介された柔道部に入った。その練習はこたえた。こんなにしてまでやりたくはないと思った当時、今になってみればそれも懐かしい気がする。
 それから4ヶ月後に、私は柔道部をやめてブラスバンド部という吹奏楽の部に入った。それは作られたばかりの部であった。理由はなかったが、何となく入りたかった。その部はできたばかりだったので、吹奏楽の指導の先生に指導してもらった。そして、私は心の中まで指導してもらったという感じがした。ありがたい。この部に入って良かったと思う。
 それから1年経って修学旅行があった。軽い気持ちで行ったのが間違いで、ある事件を犯した。その夜の先生になぐられた感情の悔しさというか失敗したという感じは、今も残っている。その時、二度とこんなことは繰り返さないと心に誓った。もう中学生活の日々も少ないので、悔いのない生活を送っていきたいと思っている。
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「3年間の奇談、講談!?」(昭和48年度卒業文集より)

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   3年間の奇談、講談!?

 中学校に入学してからというもの、明けても遅刻、暮れても遅刻と続いた。最も自転車が遅いだけだが、ある日黒板に友達と芸術ならぬ落書きを書き、うっかり消すのを忘れ、ほっといたら何と担任の先生に目撃され、アッという間に頭は白毛と化した。つまり黒板消しで1発やられたのである。2年になると妙に腹がへり、休み時間であろうと昼休みであろうと玉嶋屋へ行きミソパン、コーラなどを食い荒らした。3年ともなればたれ化した動物となり人知れず他のクラスに行ったのもだ。ここにいると清掃時にさぼっても週番に名を書かれない。このクラスは女子に清掃をすべて任せられているようだった。しかしこうした話も悪くないのだが、助け人が終わらぬうちに卒業とは・・・涙。
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   部活動の思い出

 僕は今、中学校生活を終えようとしている。思えば長かったようで短いようでもある。振り返ってみれば、1日1日が短いように感じられた。
 3年間の思い出の中にもいろいろ心に残っている楽しいことや良くないことがいろいろあったが、その中でも部活動の思い出は一番心に残っている。
 1年の時は、部落の友だちと一緒に帰りたくて入る気になれなかったが、2年になって友だちは友だちだが部落の人より学級の友だちの方が大切なように思えてきたのであった。しかし、部活動に入って憎らしいことや嫌なことがたくさんあって、何度も何度も抜けたいと思ったが、今では、なぜそんなことを考えたのかとばかばかしく思う。部活動の思い出の中でも一番忘れられないのは、安達支部中体連のことである。とうてい勝てないと思っていたのに第3位になれたことは、たいへん嬉しかった。みんなは3位ぐらいでと思うかも知れないが、今までの中で初めてなのである。これも部員の協力とチームワークだと思う。しかし、3年になって部活動の引退の日が来たのである。その時は急にはやめられない気持ちでした。
 これまでの思い出を忘れないように心にしまっておきたいものである。明日に向かって前進する。
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「部活動」(昭和48年度卒業文集より)

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   県北大会へ進んで

 小浜中野球部3年間を終えて、辛かったことや楽しかったことなどいろいろあるが、楽しかったことを少し語ってみよう。
 1年、球拾い、そんな球拾いも楽しくてしょうがなかった。
 2年、バットとグローブを持って打って守った。これより楽しいことがあったのだ。それは、試合に勝つことでした。6月26日、中体連開幕の日である。本宮一中を10対4でくだし、旭中を2対0でくだし、県北行きのキップをかけて玉ノ井中と戦ったのである。相手は強打者、しかしその強打者のチームを4対2で退けたのである。それと同時に県北行きのキップを手に入れたのである。そして、決勝戦の二本松二中とは健闘むなしく1対6で惨敗した。そして、7月4日の県北大会、北信中と戦い0対3で負けてしまった。その時の悔しさは何とも言えない。内野のエラー1つが勝負を分けたのである。
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「自分」(昭和49年度卒業文集より)

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   自分

 自分とはいったい何だ!
 ここでもう一度、過去そして現在の自分自身を深く見つめ直してみたい。
 自分に忠実に生きる。
 このことが、自分にはできなかった。本当の自分を出さず、他人に少しでも良く見せようとするきたない自分。自分自身でも嫌になる。でも、誰が自分を良くしてくれるのだろうか?誰もしてはくれない。自分でやるしかない。そうだ何事においても・・・。
 自分には限りない可能性がある。若い力がある。今はただがむしゃらに突進するだけしかできない。だが、そのがむしゃらな突進が厚い壁も突き破り、自分自身の成長へとつながるのだ。

 自分よ走れ 走りまくれ
 未知の世界を恐れず
 自分よ走れ 走りまくれ
 ころんでもまた起き上がり
 厚い壁があっても
 ぶち当たり 乗り越えて
 自分よ走れ 走りまくれ
 人々に見守られて
 自分よ走れ 走りまくれ
 秘められた可能性を追い求め
 自分よ走れ 走りまくれ
 この若さのある限り
 精根が尽き絶えるまで
 走れ、走りまくるのだ!
 自分よ!
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「部活動」(昭和48年度卒業文集より)

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   部活動

 私は6年の終り頃、中学校に入ったら部活動は体力に遭わせて卓球部に入ろうと思っていた。
 そして、実際に入ってみたらみんながどんどんバレー部に入ったので、私もつられてバレー部に入ってしまった。しかし、1週間ぐらい経ってから、やっぱり私はバレー部には向いていないことが分かって卓球部に変えてしまった。でも、私は変えて本当に良かったと思っている。最初はボール拾いだったが、そのうち先輩も教えてくれるようになったし、台を使って練習できるようになった。そこで続けるといつまでもやっていたいようだった。そして2年になって新人戦出場になってからは、先生にしごかれて、できないと怒られてばかりいて、やめようかと思った。しかし、今まで続けてきて今やめては負けだと思ってやめなかった。そして、3年になってからの中体連での結果はあまり良くはなかったが、今まで続けてこなければできなかったことなので続けてきて本当に良かったと思いました。
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「入学から卒業まで」(昭和49年度卒業文集より)

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   入学から卒業まで

 今、卒業を迎えている僕たちだが、卒業に当たり、またその間にいつも見舞ってくださったが、1年生に入ったばかりには毎日のように職員室に呼ばれ怒られた。非常に悔しかった。このようにして怒るのは、僕たちを心配しているのではないかと思った。2年生になってからというものは、1年生の時のように怒られなくなった。このために何か物足りないような感じがした。でも怒られるよりも怒られない方がいいと思った。たまに職員室が恋しくなると言って笑ったりした。2年生の時は自由でのびのびだった。1年の時はあまり慣れないし、3年の時は進路の問題が残っているからである。2年生の時は楽しかったという反面、苦しいことはある。年が一つずつ多くなるに従って、苦しいことが多く続くと思う。2年生は大切な時でしたが、勉強は全くしなかったので、今では一生懸命勉強をしておけば良かったと後悔する時もある。
 入学から卒業までというものは、長そうで短い3年間であった。何を学んだのか、何をしたのか、僕には全然関係がないように思われる3年間だったが、しかし、自分の中に入っている何か、何かが僕に教えてくれたのだろうと、僕は信じたい。そして、先生に感謝したいと思う。
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「中学校の四季」(昭和48年度卒業文集より)

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   中学校の四季

 春、梅の花の咲く頃、私は中学校に入学した。この学校に来ての印象は、まずおんぼろ、廊下が暗い感じ、理科実験の設備が良い、調理室がきれいということ。
 夏、私たちの制服が白ブラウスと紺のベストに替わった。冬の制服よりもぞっと好きだ。
 秋、文化祭というものを初めて知った。各クラブで作ったもの、みんなで練習したものを見せ合う。毎年、私は楽しみにしていた。
 冬、生徒会の選挙、児童会というものが生徒会に変わった。とても活発で演説も小学校とは違う味があった。
 これからは、今までと違う。自分の道を自分で選ばなければならない。
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「部活動の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   部活動の思い出

 僕らは、中学生としての生活を終えようとしている。過ぎ去ってみると、長かった3ヶ年だが、誠に短く感じられるようだ。でも、今考えるといろいろなことがありました。その中でも一番思い出があるのは、1年に入ったばかりの頃である。中間テストや期末テストのやる日が決まっていて、小学校のあまい考えはだめだと思っていながら、全然勉強しないで遊んでしまったことは反省しなくてはならない。
 1年の時は部などには入りたくなかったが、2年になってみんな楽しそうにやっているのを見て、部に入ってみたいと思った。
 部活動の中でもいろいろな思い出がある。安達支部中体連の時は、はらはらしながらやったが、その気持ちは忘れないだろう。しかし、思っても見ないことがあった。それは、僕らのチームが何と第3位。第3位でも賞をもらったことのなかった僕らにとってはとても嬉しかったのである。
 目的が終わってもできるならこのバレーとは別れたくないと思う。
 僕らは若いんだ。未来に向かって突っ走っていこう。
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「思い出」(昭和48年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   思い出

 ヒューと風が吹いている。
 寒々とした朝だ。
 道が凍りついている。
 吐く息が白く見える。
 まるで、過去を忘れようとしていた僕に、新しくよみがえさせるようだ。
 この9年間、僕にとっては、忘れられない思い出に包まれている。
 先生に説教を聞かされたりして「何言ってやがる。」など言って抵抗していたが、今になって思い浮かべると「僕にとっては何かの役に立っているな。」と思った。
 友人と語り合ったこと、ケンカしたこと、考えにふけったこと、修学旅行に行って枕ぶっつけをしてなかなか眠らなかったことなど、楽しいことばかりが思い出してくる。しかし、この世は楽しいことばかりではない。自分自身努力しなければ、よい結果は出ない。「もう卒業だな。」と思っていると、朝日が照り始めた。
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「思い出のテニス部」(昭和49年度卒業文集より)

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   思い出のテニス部

 僕が、初めて部に入ったのは1年に入学して直ぐだった。何人かで部に一緒に入り、1日目は上級生の人が一緒になってラケットを持っていろいろなことを教えてくれた。しかし、2日3日となるとだんだん厳しくなってきた。僕は、こういうことで部を辞めてはならないと自分に言って頑張った日は一日一日過ぎた。1年のうちに2人くらい部を辞めた。しかし、僕たちは2年、来年は今の3年と同じくこうしてユニフォームを着られるのだなと思いました。その年の中体連には、補欠でユニオームを着た。僕はこの時、こんなに早くユニフォームを着られるとは思わなかった。やがて日は過ぎ新人戦が来た。その時、僕らは優勝した。そこで、僕たちは来年の中体連にはこの新人戦と同じく優勝したいなと思った。やがて3年になり、毎日厳しい練習が始まった。「今年は中体連で優勝するぞ」と思いながら練習をした。一日一日と試合の日は近づいた。そして試合の日は来た。僕らは、二本松一中と対戦することになった。しかし、僕たちは1番手として出たが敗れ、2番手も負けた。僕らはとても悔しかった。3年間練習に練習を重ねてきたのにと、僕らはとても悔しかった。
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「卒業とは」(昭和48年度卒業文集より)

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   「卒業」とは

 「卒業」かと思うとちょっぴり寂しいな。だって、一緒に入学してからずっと学校生活を送ってきたのに、これからはみんなと別々になってしまうんだもの。いざ別れることになると悲しいな。何て、こんなことを思っていると、部活動やクラブ活動など、汗を流して練習した後、自分なりの作品を作り上げた時の喜びなどが、心の奥深くから湧き込んでくる。特に、バドミントン部に初めて入部した私は、すべてが珍しかった。いろんなことを教わったこと、練習中は注意され通しだったが、なぜか、自分自身が成長したみたいにすごく嬉しかったことなど。でも今はできないと思うと・・・だが、私には「バドミントン」という言葉が魂のようなものである。心の奥にしっかりしまい、半生涯を過ごしたような学校に別れを告げたいと思う。卒業は終りと同時に初めである。
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「テニスと陸上競技の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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   テニスと陸上競技の思い出

 僕は、この小浜中学校に来てからは短い3年間だなと思った。そして、1年から3年の間、悲しみや嬉しいこと、辛いことがいろいろあった。忘れられないのは2年の3学期の時にテニスに入って、ずいぶん辛いと思ったことだ。その辛さに頑張ってきて、間もなく3年になってしまった。そして、中体連が始まることを知った。それで、僕の夢を実現しようとしたのにだめだったのです。
 しかし、僕はもう一つの夢があったのです。3年の2学期に駅伝があって、とても嬉しく思った。もうテニスのことは忘れて走ることに勇気を持っている内についに駅伝に出られることが実現したのであるが、残念でした。順位は10位でしたが、悔いのないように一生懸命に走ったのだから、とても嬉しかった。1年に3回位駅伝があるといいなと思った。
 僕は、心の中にまだそのことは残っている気がしている。このことは絶対に忘れないと思う。
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「旅の終り」(昭和48年度卒業文集より)

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   旅の終り

 私は
 旅に出てから
 もう
 9年間
 今
 私の旅が終りです
 苦しく
 楽しく旅をし
 時には
 この旅が嫌になり
 何度も逃げようとしたが・・・
 でも
 もう・・・
 この旅・・・とは
 お別れです

 この旅は
 私にとって一生の中の
 一番良い思い出として
 残るでしょう
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「3年間の思い出」(昭和49年度卒業文集より)

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 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   3年間の思い出

 私たちの3年間という長い日々が終わろうとしている。中学校に入学した時の嬉しく、そして楽しい日々が今でも忘れることができない。そして、みんなで楽しく力いっぱいがんばったあの部活動もその一つだ。私は、2年の時にブラスバンドに入部した。この部活動は、最後までやり遂げなくてはならないと思いながら練習した。私は、毎日、毎日、6時45分にはいつも学校に来て、音楽室で3年生の人と一緒に練習したが、毎日朝早く来るのが嫌になった。けれども、誰よりも上手く吹けるようにと、心の中ではいつも思っていた。でも、苦しい日々が続いたことが、今でも忘れることができなくなった。ブラスバンド部が、二本松市民会館での音楽祭などがとても楽しかった。平でのコンクールで賞が発表され、私たちの学校が奨励賞に入った時は、嬉しい日であった。そして、大きな行事が終わった今、音楽とは何かを考えて分かったことは、努力して研究しながらやって行かねばならぬと思い、仕事の面でも努力、研究、根性の3つが忘れる事ができなくなった。
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「北風と伝書鳩」(昭和48年度卒業文集より)

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 学校に保管されている卒業記念アルバムには、小浜中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
 当時卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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   北風と伝書鳩

 北風がヒューヒューと音を立てながら吹いている。それなのに、野生の伝書鳩は、えさを求め北風の中を飛んでいる。北風のやつは、伝書鳩めがけ勢いよく吹いている。そんな伝書鳩に比べて、家で飼われている伝書鳩は、のうのうと何の心配もなくえさを食べている。
 野生の伝書鳩は、えさを探す間何を考え、何を思って飛んでいるのか、そんな姿は力強くも見え、寂しそうにも見える。
 私は、野生の伝書鳩のように力強く、たくましく生きたい。
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学校行事
3/11 朝会
3/12 卒業式全体練習、式場作成
その他
3/7 3年給食なし(弁当持参)
3/8 3年給食なし(弁当持参)
部活動関係
3/6 部活動休止
入試関係
3/7 県立2期選抜学力検査

学校だより「おばま」

学校からのお知らせ

各種情報

PTAからのお知らせ

進路関係

同窓会関係

スクールサポーターからのお知らせ

放射線関係

岩代学校給食センターより

二本松市立小浜中学校
〒964-0313
住所:福島県二本松市小浜字反町411
TEL:0243-55-2236